ひとりだけの弟子
約束をした日に引っ越しをした。
カーナビが付いているとはいえ、指定された道順は結構複雑で。
大まかな地図じゃ分からない様な細かい路まで指定してあった。赤ペンでなぞられたルート通りに走る事八時間。途中休憩も挟んだけど結構な道のりだった。
ミサちゃんの家の前に車を止めたのは、お昼も随分と過ぎた頃で。
朝早く出たのに、こんな時間かあ。
門扉の前には、夜行が腕を組んで立っていた。
「…駐車場は別に借りてある。そこまで案内する。」
そう言って助手席に乗り込んでくる。
もちろん手伝ってもらってダンボールは降ろした後だけど。
夜行の首筋にも汗がにじんでいて、何だか悪い気もする。
指示された駐車場は目と鼻の先で、一方通行が入りづらいけど案内されるほどでもなかったような。
降りる時に夜行が俺の車を撫でた。何回か丁寧に。
「洗ってないから汚れてるよ?」
「…問題ない。」
冷静に言い返されて俺が黙ると、夜行が少し笑う。
「俺達も乗るかもしれないからな。挨拶はしておかないと。」
「…機械ですが。」
「機械でも。そういうものだ。」
そういうものなのか。
俺には分からない沢山のルール。これからそれも覚えていかなければならないだろう。
ミサちゃんは玄関で座って待っていた。
正座をして三つ指を着いて、ゆっくりと首を垂れる。
「え?」
あせった俺が声を出しても気にしない。
後ろの夜行も無言だった。
「新たなる御魂より坐して、この地に降り立たんとす。もとほる運命を繰り抱えん御方もちいつく治めたもう。」
俺が無言で立っていると、ミサちゃんは顔を上げてにっこりと笑った。
今のは祝詞のような気もするが、どうにも分からない。
「遅かったえ、冴羽さん。待ちくたびれてしもうたよ?」
「あ、ああ。ごめんなミサちゃん。」
先程の声とは違う、普通の声で話しかけられてほっとする。
表情は見えなかったけれど、伏せていた顔はきっと今の顔とは違っていたのだろう。
「さあ、あがって?美味しいもの用意してあるんだから。」
「お、おう。」
俺が上がるとミサちゃんは俺の手を取って嬉しそうにリビングへ向かう。
夜行を振り返ると、彼も少し笑った。
「あなたの到着を待っていたのだから、慰めてやってくれ。」
「え、あ、うん。…そんなに待たれる存在でもないと思うけどなあ。」
「何言うてますのん?ずっと待っていたんよ?」
美少女に切なそうに言われてぐうの音も出ない。
俺の狼狽いぶりが後ろからでも分かったのか、背後の夜行がプッと吹き出した。
テーブルの上にはこれでもかって言うほどのご馳走が並んでいた。
ミサちゃんが作った訳ではあるまい?違うよね?
俺が座るとあれもこれもと取り分けてくれて。朝からたいしたものを食べていない俺でも流石に腹いっぱいになった。
俺が煙草を吸いたくて席を立つと、夜行も一緒に縁側から外に出る。
ちらりと見ると、何だか夜行も機嫌がよさそうで。
「…これから、よろしく頼むよ冴羽さん。」
「お、おう。お手柔らかに。」
言うとクスッと笑う。
「…逃げ出さない程度に。」
「え。それは相当厳しいと見たぞ!?」
冷汗が流れそうになるが、夜行のクスクス笑いを見てほんわかしてしまう。
今日からは何時でも傍に居る。
それが嬉しい。
そして俺の記憶を何かが掠める。
雲の向こうのような感覚。見た事あるはずの覚えていない光景。
何処かの駅で。
俺は一人の人を見ている。
その人物は眼鏡を掛けていて。俯き加減でそろそろと俺に近付いてくる。
俺はそれを眺めていて。
それを見ながら、今の俺は気付く。
この相手は夜行なんじゃないかな?
でも、少し、顔立ちが違うような。
それに、なにより。
「…どうした?」
「え?…あ、うん。何でもない。」
夜行に声を掛けられて、見ていた光景が霧散する。
煙草を吸っている夜行を見て俺が首を傾げると、困ったように笑い返された。
「疲れただろう?」
「それなりに。それよりも、緊張している方が先かな?」
「緊張?」
「うん。玄関でのミサちゃんとか、駐車場での夜行とか。」
「…ああ。」
納得したように夜行が肯く。
「今までとは違う生活だ。仕方ない。」
「お、おう。そう言われると身も蓋もないんだけど。」
また、クスクス笑われた。
俺の戸惑いなんかどこ吹く風で、夜行は佇んでいる。
青々とした葉が覆い茂る木々の下から広い庭園を眺めて、暢気に煙草を吸っているなんて贅沢だなあ。
煙草の煙は、積乱雲が掛かっている夏の青空に、薄く立ち昇り消えていく。
さやさやと葉擦れの音が聞こえる木陰は、立っていて心地が良い。
新しい生活を始めるには、うってつけのすがすがしい日だ。
俺は青空を見上げながら、たわいもない事を思った。
次の日、寝起きの俺の眼の前に、夜行がドサリと本を積み上げた。
古い和綴じの本がほとんどで、随分年季がいっている様な色合いをしている。
「今日から、これを勉強してもらう。」
「お、おう。」
見れば古語辞典とか漢和辞典もそろえてある。
「分からなければ聞いてくれ。でもなるべくなら自分で解いた方が良いと思う。」
「…そうだな。勉強だし。」
夜行が頷く。
「初めに読んで貰うのは……これからかな。」
夜行が本の束の中から出したのは、「原始綱躁術大系」。
それを俺の前にぽそりと置いた。
俺は難しそうな漢字ばかりの本に眉をしかめる。
「…むず。」
「はは。術式の実質的な教科書だから、簡単な訳はない。」
夜行が微笑みながら言った。
俺は寝起きのせいもあって、彼の顔が間近に在るせいもあって。
じっと瞳を覗き込んでしまう。
夜空よりも黒い美しい瞳。その眼が俺を見返してくる。
「…なんだ?」
顔を離して聞いてくる。
夜行の顔が少し赤いのは気のせいかな?
「いや。…頑張るよ。」
「ああ。」
俺の蒲団の傍から夜行が立ち去る。
起き抜けのまま、ベッドの上に座っていた俺は頭を掻いてから自分の部屋を出る。
そこでミサちゃんとばったり。
「…冴羽さん。部屋から出るなら下着姿は止めて。」
「え?おおっ!?」
慌てて部屋に戻る。
うっかり何時もの習慣でYシャツにトランクスで出てしまった。
暑いからジーンズは脱いじゃっていたんだな。反省。
姫がいるのだから、部屋から出る時は気を付けないと。夜行は男だから俺の姿を見ても気にしなかったんだろうし。
ちょっと恥ずかしい気持ちのまま、ジーンズを穿いてリビングに行くと、制服のミサちゃんと目が合った。
「…ごめん。」
「ええよ。でもうちも恥ずかしいからなるべく気を付けて?」
「うん。本当にごめん。」
お互いに照れ笑いをしてしまう。
思ったよりも女子高生との同居は敷居が高いぞ。
出して貰った朝食を食べていると、ミサちゃんがカバンを持って玄関へ小走りに急ぐ。
俺が立ち上がって玄関まで見送ると、不思議そうな顔をした。
「ん?なに?」
「…ううん。見送られるのなんて久しぶりやから。」
「そう?同居してれば普通だろ?いってらっしゃい。」
ミサちゃんが嬉しそうに笑う。
やば。朝からHPが失われそうだ。
「行ってきます!」
出て行くミサちゃんを見送って振り返ると、夜行が廊下を横切って行った。
さっき会った時はそうでもなかったのに具合が悪いのか、だるそうに歩いていて。
「夜行?」
声を掛けると、ジトメで見られた。
え。なに。
俺、何か悪い事したか?
近くに行ってもう一度声を掛けようと思って。
ソファに伸びている夜行を見降ろす。
……寝てる。
寝る前ってあんなに機嫌が悪そうなんですか、夜行さん。
しかももう朝ですよ、夜行さん。
すうすうと寝ている夜行を見降ろしたまま。
じんわりと感動を味わったのは、誰にも内緒にしておこう。
グッと拳を握ったのも内緒だぜ?
リビングで貰った本を読んでいると、昼過ぎにソファの上で身じろぎをしてから、ぼとりと夜行が落っこちた。
「う…ん。」
落ちた衝撃で起きたらしい夜行は、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回しながら半目で俺を見上げた。床に座ったままの体勢で見続けられているけど、正直目線があっていない気がする。
ようするに。
夜行は寝ぼけているんだろう。
「…おはよう?」
そう声を掛けても、うんと肯いて動かない。
「もう、お昼だよ?」
肯くけど、動かない。
…どうしよう。可愛すぎるんですけど。
傍まで行って夜行の両脇に手を入れて持ち上げる。ソファに座りなおさせるけど、俺にされるがままで抵抗もしない。
眼は半目で座っているけど開いているから、起きてるよなあ。
「ん、む…。」
やっと右手が動いて瞼をぐりぐりと擦りだす。
それから隣に座っている俺をあらためてじっと見る。
「…うぜえ…。」
じろりと睨まれる。
うわ。さっきまでの可愛さは何処にいったんだ。
寝起き悪いなあ。
「…ちゃんと読めたのか?」
「正直、難解過ぎて半分も分からない。」
「…だろうなあ…。」
え、なに。その反応。
立ち上がりながら大きな欠伸をして、夜行は台所に移動する。
冷蔵庫を開けた音がするから待っていると、グラスにたっぷりのコーヒーを入れて持ってきた。ペットボトルまで持っている。
俺の前で、それをぐいぐい飲んだ後、やっと丸く目を開いた。
「夜行って低血圧?」
「ん。多分。」
血圧ぐらい測れよ。
俺が読みかけで置いておいた本の、挟んだ栞の部分をパラリと開ける。
夜行の眉が顰められて、その顔のまま俺を見た。
「…ここまで読んだのか?」
「ああ。」
「…ただ読んだって覚えちゃいないだろう?」
は。その通りです。
最初の編者前書きから分からない事があるのだけど。そこから聞いた方が良いのだろうか?
「…一日一つ覚えた方が良い。」
「え。一つって、その中にある術式をか?」
「そうだ。」
俺のオタク的な知識から言うと。
術の行使なんて言うのは、魔法と違って何がしかの系統に頼る所が多いはずだ。
つまりどこかの神様に頼って力を貸してもらう的な。
それを全く何も信仰していない俺が、ただの字面を読んだだけで術が使えるようになるとは到底思えない。
大体、夜行がくれた本は、どこかから切り取って来た術の羅列の様な本で、一体どういう物なのかもさっぱり分からないっていうのに。
多分への字口になっているだろう俺の隣に夜行が座った。
「冴羽さん。術というのは観念ではないんだ。」
「え?」
まるで俺の考えなんてお見通しの様に夜行が話を続ける。
「身体が動いて唱えることが出来れば、分からなくても使うことが出来る。」
「え?本当か?俺も昔やってみたけど全然できなかったぞ!?」
「…やってみた事があるのか。」
クスッと夜行が笑う。
「そ、そりゃあオタクなら誰だって一回ぐらいは呪文を唱えてみたりするだろう?カメハ○波とかさ。」
「ああ。なるほど。」
やはり夜行は小さく笑っている。
でも、やるよなあ?子供だったりオタクだったりしたらさあ?
「正確に動いて、正確に言えば、出来る。」
言葉をゆっくりと区切りながら、夜行が俺に言う。
俺は夜行をまじまじと見つめてから、いつの間にか入っていた肩の力を抜いた
そうだ。
俺はオタク的二次元の空想世界の話をしている訳じゃない。
本物の術者を前に話をしているんだ。
あの魂を揺さぶる圧倒的な力を放つ人物たちを、まとめ上げている夜行という術者と。
俺が深呼吸をする間、夜行は俺の言葉を待っている。
何度も繰り返し、吸ったり吐いたりしていると夜行の心拍が聞こえた。
俺の挙動不審の心拍と違って、ゆっくりと落ち着いている。
その音が俺をも落ち着かせてくれた。
腹に溜め込んだイガイガした気分と共に呼気を吐き出してから、待っていた夜行に告げる。
「悪い。…教えてくれ。夜行。」
「……分かった。」




