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ルミナス・アイランドへようこそ  作者: 蒼宮 蓮


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EP17 残響の先


奥の通路にスズの足音が消えると、吹き抜けの下から響く低い音楽と、エスカレーターを降りていく客の声が耳に戻ってきた。スズと話しているあいだだけ、客向けの音から少し外れていたらしい。

ポケットの中には、さっき渡された薄いカードがある。


勝手だな、と口の中だけで言って息を吐いた。

腹が立つほどではない。こちらもこのまま管轄設備を見て回るほうが都合がよかった。


水穴の縁では、相変わらず半分眠ったみたいな顔がこちらを向いていた。ヒヨリがその横で短く鳴くと、ゆっくり瞬きが返る。

それだけで、いったんここまで、という空気になった。


「またな」


そう言うと、ユラメはそこで初めて、こちらをしっかり見た。


「うん。すぐ会えるよ」


眠たげな声のまま、言葉だけが静かに落ちる。

少しだけ引っかかったが、あの眠そうな顔に問い詰めるほどの熱もなかった。


中央の吹き抜けに沿って、来園者の流れは下へ落ちていく。

店の灯りと探検ライドの看板が、客の目を次の階層へ送っていた。


その流れから一歩外れ、案内板の裏へ回ると、音の向きが変わる。

観測機器の小部屋を横目に抜け、演出制御盤の裏を回って、スタッフ用の連絡路へ入った。


表の階層に沿っているはずなのに、裏だけが途中から急に癖を出す。

慣れていても、端末の案内を一度は見たくなる作りだった。


ヒヨリは、人目のある場所では少し後ろに下がっていた。

スタッフ用の細い通路に入ると、羽音を抑えて横へ並ぶ。


「静かだな」


そう言うと、ヒヨリは少しだけ首をかしげた。


「ここ、音が下にいく」


「ああ」


言われてみれば、上の階層の声や案内音は遠いのに、床の下だけが遅れて鳴っている。

静かなのではなく、音の逃げ方が違うのだと思った。


最初に見たのは、古い昇降機構の制御盤だった。

探検ライドの鉱石柱の裏にある点検扉を開け、表の作り込みとは別の顔をした金属の箱に端末をつなぐ。


古い型だ。まだ動くが、交換時期はとうに近い。

異常停止の履歴はない。けれど昨夜の時刻に近いところで、振動補正の値だけがわずかに跳ねていた。


大きな異常ではない。

けれど、何もなかったと言うには少しだけ目につく。


「これも、変なの?」


ヒヨリが横から聞く。


「変ってほどじゃない。気にしないやつなら、気にしない」

「レンは、気にする」

「仕事だからな」


そう返すと、ヒヨリは何も言わなかった。

ただ、こちらの手元をじっと見ている。


嘘を見抜かれたわけではない。

たぶん、半分くらいは本当だった。


次に、壁際の足元灯へ膝を落とす。

客の目には入らない高さに、非常時だけ人の足を主動線の外へ向ける細い光が埋め込まれていた。


点灯はしている。配線の反応も悪くない。

ただ、ひとつだけ光の出方が薄く遅れる。指で記録を残す。


すぐに騒ぐほどではない。

けれど、こういう小さな遅れが重なると、いざというときに道の見え方が変わる。


島はだいたい、壊れてから騒ぐ。

だから、壊れる前の顔を見ている人間が要る。


ありがたい役回りではない。

けれど、向いていないとも言えなかった。


ヒヨリは、何も言わずについてきた。

水の匂いが濃くなるたび、少しだけ羽を体に寄せる。

最下層の青白い光が遠くで揺れると、その目もわずかにそちらへ向いた。


地下は、昼でも完全には明るくならない。

見せるための灯りが多いぶん、見せない場所の暗さもよく残る。


三つ目の制御盤を閉じるころには、手の中の端末に確認済みの印がいくつか並んでいた。

それを異常と呼ぶには、まだ薄い。

無視するには、少しだけ目につく。


嫌な線だった。


端末を閉じるころには、昼はとっくに過ぎていた。

ようやく腹のほうが自分の順番を思い出す。


階層の脇に、小さなカフェがあった。

洞穴をくり抜いたみたいな店で、壁の岩肌がむき出しのまま残っている。薄暗い照明の下では、客の声だけがやわらかく反響していた。


席に落ち着くと、ヒヨリがすぐにテーブルの端へ乗った。


「なんか食うか?」

「たまごサンド」

「またたまごなのか」


気にした様子もなく、短く鳴く。

好きなものがぶれないのは、ある意味では羨ましかった。


軽く腹に入れると、ようやく呼吸が落ち着いた。

水の匂いも、足元に残る低い音も、座ってしまえば少しだけ遠くなる。

遠くなるだけで、消えるわけではない。


その静けさの中で、テーブルの端からこちらを見る目があった。


「レン、たのしそう」


不意にそう言われて、顔を上げた。


「そんなにいいもんじゃないぞ」


そう返してから、自分でも少し遅れて気づく。

楽しい、とは違う。


ただ、端末の数字や制御盤の癖を追っているあいだは、余計なものが少し後ろへ下がる。

それで済むなら、楽なほうだった。


ヒヨリは首をかしげる。


「でも、真剣だった」


その言い方に、少しだけ引っかかった。


「……そんなふうに見えたか」


聞くと、ヒヨリはすぐにはうなずかなかった。

一度だけ視線を落として、それから小さく言う。


「ちがう。あのとき、レンはとてもつらそうだった」


胸の奥が、少しだけ鈍く沈んだ。


演出卓の灯り。

キューシートに赤い印を足す手。

まだ、表の側に残れると思っていたころの自分。


その後ろには、思い出したくないほうの記憶も続いている。

ヒヨリと初めて会ったのも、たしかあの頃だった。


「……そうだったな」


口にしてから、もう一度息を吐く。


「ありがとな」


言ってから、自分で少しだけ驚いた。

こういう言葉が先に出る日もあるらしい。調子が狂う。


ヒヨリはそれ以上、何も言わなかった。

ただ、少しだけ羽をたたんで、それで十分だという顔をする。


しばらくして、ヒヨリがふいに言った。


「今日は帰る」


「大丈夫なのか」


そう聞くと、ヒヨリはあっさりうなずいた。


「大丈夫。ユラメにも会えたし、地下の感じも少しわかった」


それなら、ここまで来た理由としては足りる。

少なくとも、朝の「まだ変なの」を抱えたまま、何も見ないで帰るよりはましだった。


そこで、少しだけこちらを見る。


「レンがまた楽しそうだったから」


意味はわからなかった。

わからないまま見返すと、ヒヨリは気にした様子もなく続けた。


「また明日、ごはんね」


それだけ言って、ひらりとテーブルの端から飛び立つ。


引き留めるほどでもなかった。

ユラメに会い、地下の空気を少し拾い、本人なりに納得したのなら、それ以上ここへ残す理由もない。


小さな背中が店の入口のほうへ消える。

一人になると、さっきより空気が広く感じた。


昔のことを思い出すのは、いつだって面倒だ。

それでも、今日は少しだけ、面倒なまま置いておける気がした。


その感触を頭の隅へ押しやって、端末を見下ろす。

夜までに片づけるものは、まだ残っていた。

続きを考えるのは、そのあとでいい。


カフェを出ると、アース・デプスの空気は少しだけ色を変えていた。

昼の客が減ったわけではない。むしろ、下層へ向かう人の流れは少しずつ太くなっている。


それでも、探検ライドの看板より、店先の灯りのほうが目に残るようになっていた。


中央の吹き抜けを見下ろす。

底の青白い水面は、さっきよりもはっきり揺れて見えた。

そこへ落ちていくように、階層ごとの灯りが少しずつ濃くなっていく。


昼間は、地底街の顔をしていた。

夜に近づくにつれて、同じ場所が別の音を持ちはじめる。

それを先に知らせているのは、手元の薄いカードだった。


残りの確認は、古い演出用の昇降レールと、非常時の連絡扉だった。

どちらも、大きな異常はない。

ただ、動き出しの重さや、反応の薄い遅れが、ところどころに残っている。


偶然で済ませるには小さい。

けれど、異常として上げるには形が足りない。

いちばん面倒な位置だった。


連絡扉の端に手をかける。

動きは重いが、引っかかるほどではない。

内部センサーの反応を確認し、端末に記録を残す。


こういうものは、動いているうちは誰も見ない。

止まったときだけ、急に全員が見る。

だから先に見ておくしかない。


好き好んでやる仕事ではない。

それでも、誰かがやらないと、表の灯りはすぐに綺麗な顔を失う。


最後の確認印を入れるころには、吹き抜けの底から低い音が上がってきていた。

音楽というにはまだ遠い。

けれど、ただの環境音でもなかった。


手元のカードを取り出す。


LOW ECHO。夜営業。下層フロア。DJ TIME。


昼に見た文字をもう一度追って、カードをしまう。

仕事の続きにしては、ずいぶん夜の顔をした場所だった。


「ここでか」


昼間にも言った言葉が、もう一度口の中だけで戻ってくる。

答える相手はいない。


代わりに、足元の下で、低い音だけがひとつ深く鳴った。


エスカレーターの先では、昼の案内表示が夜用の表示へ切り替わっていく。

探検ライドの列とは別に、下層側へ向かう細い列ができ始めていた。

さっきまでの家族連れや子どもたちとは違う、少しだけ声の低い客の流れだった。


昼の底は、完全には終わっていない。

ただ、その上に夜の顔が重なり始めている。


端末を閉じる。

工具を吊った腰の重さを一度だけ確かめてから、下層側の案内へ足を向けた。



続きは、夜に残されていた。

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