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火事、そして引っ越しから2ヶ月が過ぎた。
ロードウィンは、四季こそあるものの1年を通して気温はやや低め。初夏を過ぎ、本格的に夏に突入しつつあるが、昼でも長袖のドレスでちょうど……そんな7月である。
「お久しぶりですね、シンディさん」
「ええ、お久しぶりですわ。お元気そうで何よりです」
ファルパスの学園の制服に似ているのだという、どこか軍服……というよりは騎士服を彷彿とさせるような意匠のドレスで微笑むのは、ジェラルディンである。
場所は初めて訪れるダルリンプル家の王都別邸で、このまま泊まらせてもらうことになっている。実は、今日だけでなくて、明日にも予定があるのだ。明日はいつもの――レスリーとポーリンを加えた4人で集まる約束になっている。
「お手紙もたくさん頂いて、どんなにか心強かったでしょう。伺った通り、ロイヒリン様はとても素敵な方ですし、今は充実しておりますわ」
「それはよかった。あの一件に関しては、父も心配していましたから……」
そういえば、ロイヒリン様とのパイプ役になってくれたのが、彼女の父であるダルリンプル侯爵だったはず。お父さまは外務大臣である侯爵の補佐官で、公私ともにお世話になっている人らしい。……元々のシンディが極度の人見知りでなかったら、もしかしたら私もジェラルディンやレスリーに紹介されていたかも。
「ダルリンプル侯爵家の皆様は何事もなかったようで、ほっとしましたわ」
「ええ……。ダルリンプル家は、代々外交を担う者が多かったですからね。外交官ともなると色々な機密に触れることも多いですし、国にとっても重職ですから、王都の邸も領地の方も守りが厳しいのです。ましてや領地はエルラーツとの国境側にありますから……あまり大きな声では言えませんが、国境側の領地の貴族は、かつての名残でしっかりとした私兵団を抱えているところも少なくありませんよ」
「そうなのですね……」
それに比べ、うちの方はいまいち軍事的にもセキュリティ的にも緩かったのだろう。お父さまがそこまで抜けている人物だとは思えないものの、ダルリンプル家に比べたら潜入するのも容易かったというところか。
「そうそう、この前ポーリンが来てくれた際にもその話になったのですけれど、レスリー様とは最近お会いしましたか? もしかしたらリチャードの誕生日パーティーでお会いできるかもと思っていましたのに、わたくしはタイミングが悪かったものですから……」
実は、火事が起きたのは、リチャードの誕生日のわずか3日前だったのである。もちろん彼の15歳の誕生日パーティーに出席するどころではなく、以前に予約してあったランタン(胴の部分が多色ガラスのモザイクになっていて、繊細で幻想的な光を放つと最近評判)を配送してもらうにとどまった。ちなみに、そのランタンを扱うガラス工房を紹介してくれたのは、ポーリンを崇める会の会員・マクシーンである。ありがとう。
「ええ、そのときご一緒しましたよ。ただ、レスリー様は短い時間しかいらっしゃらなかったので、ポーリンさんとはお会いしなかったかもしれませんね」
軽く首を傾げるジェラルディン。ポーリンはマクシーンやその友人のビビアンと一緒だったと言っていた。2人とも子爵令嬢なので、家格が上のレスリーは気を遣って話しかけに行かなかったのかもしれない。
「そうだったのですね。お元気そうでしたか?」
「はい。もちろんシンディさんのことは心配していらっしゃいましたが、それ以外はお元気そうでした。カーター侯爵令息のことも、控えめながらも上品で、ゆったりと落ち着いた物腰がとても素晴らしいとお褒めになっていましたよ。流石は王太子殿下のご側近だと」
まあ、と返事するのと同時に、私の顔も思わず綻ぶ。リチャードは、間違いなく私たちの自慢の幼馴染なのである。レスリーも穏やかで物静かなタイプだからか、リチャードのことを好意的に評価してくれているようで何よりだ。
「お噂によると、王太子殿下は活発な方だそうですからね」
ポーリンにそうしていたように、リチャードがサミュエルの保護者的存在になっているのが容易に想像できるのであった。
「ところで、ロイヒリン様の授業はどのようなご様子なのですか?」
私がうんうんと頷いていると、興味津々といった風情でジェラルディンが尋ねてきた。
「ふふ……ジェラルディン様は、本当に学問がお好きですよね」
令嬢の鉄板、ドレスやお菓子といった話題の時には見せない、若干前かがみの姿勢が微笑ましい。
「ええ、自分の知らなかった物事を知るのは楽しいですからね。今まで気にも留めていなかったようなことの成り立ちが分かって納得することもありますし」
年初にファルパスの学園に里帰り……というか、久しぶりに顔を出したのが余程楽しかったようだ。ロードウィンでも、社交に使えるような詩や文学の教養であったり芸術系の手習い、あるいは国・自領の歴史の教育くらいであったりなら令嬢にも施される。曰く、社交で無双するならば女性でも(前世で区分するところの)文系の知識は多くて困ることはないらしいが、理系科目ができる女性は逆に忌まれるとか。私は数学も習ったが、どうやら多数派ではなかったらしい。
「その通りですわね。……それで、ロイヒリン様からは、エルラーツ語とかの国の情勢、両方を教えていただいておりますの。エルラーツ語のほうは、まずは単語を構成する文字の発音から習っておりますわ。毎日2時間ほど練習しておりましたけれど、ようやく単語の勉強に進めそうなところですわ」
「まあ、発音から。確かにそれはとても大切ですね。私が父からファルパス語を習った時も、やはり最初はそうでしたよ。書いてある文字を正確に発音できるようになってから、基本の会話で必要な言葉を習いました。発音が分かるようになれば、自分で辞書を見て勉強することもできますしね」
琥珀色の目を細めて、柔らかに微笑むジェラルディン。ポーリンのきらきらした笑顔とも、レスリーの嫋やかな笑顔とも違う、暖かくて慈愛溢れる笑顔である。お姉ちゃんと呼びたくなる。
「経験者のお言葉は、やはり重みがありますわね」
「あら、まあ、そういう風に言われると照れてしまいます」
褒め言葉への対応も卒がない彼女である。ますます感心しきってしまう私だが、
「……よろしければ、エルラーツの情勢についてお聞きしても?」
という問いに、脳をフル回転して記憶を導き出す。確か、口外しても構わないと言われたのは、
「そうですわね……まず、エルラーツ第一王子のコルネリウス・ゲッツ・ヴィリ殿下が、ほぼ次の王に確定しているということと、第一王女のルート・ジルヴィア・エルメンガルト殿下がコルネリウス殿下の腹心ということをお聞きしましたわ」
「ご両名のお名前は、私も聞き覚えがありますね。第一王子殿下が18歳、第2子である王女殿下は14歳だと記憶しています。エルラーツでは成人が15歳で、それまでは他国に出ることはできないとか」
なんと……初期知識で大幅に負けていた。気を取り直して、今度はより核心に近い内容を言葉にしていく。
「そして、コルネリウス殿下ですが、版図拡大に対する野心をお持ちの方だと伺ったのですわ。一部ながら有力な貴族も味方につけていて、ロードウィンとしても油断できる状態ではないとのことですの。先だっての、その……我が家に潜入していたメイドも、エルラーツ王家の影と言いますか、隠密を家業とする貴族家から送り込まれていたそうですわ」
窓から飛び降りた私を抱き留めてくれたサラの姿を思い出しつつ、努めて冷静に告げた。対するジェラルディンは、僅かに眉をひそめながら、左手で口元を覆う。
「父からも、そのことに関しては軽く……」
そして視線だけで続きを促され、また私は口を開いた。
「そして、国内では伏せられていますが、エルラーツの国王陛下ならびに王妃、ルート王女を除く王子王女は、現在は郊外の離宮にいて、執務を行っているのはコルネリウス殿下であると……体調を崩した王を慮ったコルネリウス殿下が療養を勧め、王妃や年少の子供たちもそれに付き添うことを決めた、と」
私の言葉を聞いて、上半分だけしか見えない彼女の表情が明らかに歪む。……私もロイヒリン様からこのことを聞いたときは、流石に驚きを隠せなかった。現王がとったロードウィンとの融和政策に反対する第一王子の提案で、郊外で療養。首都に残るのは腹心の妹のみ……って怪しすぎるでしょ。




