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今回は少し短いですが、次回が長い予定なので、とりあえずご容赦くださいませ。
目を閉じたら意識を失うのではないか。
そして、意識を失ったらそのまま死んでしまうのではないかという恐怖と、意識を失ったら痛みと痙攣から逃れられるのではないかという期待が綯い交ぜになっていたが……私の意識は覚醒したままだった。
しかし、相変わらず何も聞こえないまま。だから、目を閉じていると、静かな闇の中にいるような感じがする。喉の痛みと息苦しさ、痙攣しながら床を叩く手足の衝撃、舌に残る嫌な酸味という、早く終わってほしいと思うような苦しい感覚が、残念なことに、自分が生きていることの証左だった。
私の異変に気付き、レスリーやお母さまが素早く動いてくれたのは嬉しかった。お母さまなんて、淑女らしからぬスピードで私の方に駆け寄ってきてくれたのだ。正直言って、全く楽観的な気持ちにはなれないけれど、これで死ぬのはさすがに後味が悪すぎる。吐いたことで、少しでも猶予ができるといいのだが……。
そんなことを思っていると、冷たい手が私の腕をとり、脈を探り始めた。私は痙攣し続けてはいるのだが、椅子から転がり落ちたのもあって、絶命したと思われたのかもしれない。手が離れると、間もなく誰かに抱き上げられた。感触からして、大人の女性のようだ。お母さまだろうか?それとも使用人だろうか……?
□■□
次に目を開けたとき、私はベッドに寝ていた。
抱き上げられ、恐らくこの部屋に来た辺りまでの記憶はあったので、その後に結局意識を失っていたらしい。
悪夢から覚めた後、「ああ、夢だったのか、大丈夫だったのか」と安堵するような、今ここが現実なのだと理解するような、そんな心境だった。死にかけたのは事実だが、どうにか一命を取り留めたらしい。
痙攣は止まっていたし、嘔吐の後の嫌な味も残ってなかった。喉と口内の痺れるような痛みは少し残っているが、普通に動かす分には支障がないくらいだろう。
客間と思しきこの部屋の――私が寝ているベッドの脇に椅子が置いてあり、顔面蒼白のお母さまが座っている。心ここにあらず、といった様子で本を読んでいたが、私がもぞもぞと動くと、
「シンディ」
と震える声で私を呼んだ。
「お母さま」
確かめるように発声すると、お母さまは悲しい表情で本を置き、そっと抱きしめてくれた。
「よかったわ……。こんな目に遭わせてしまって、ごめんなさい。ゴードン夫人が連れていた侍女に医術の心得があって、素早く処置をして下さったのよ。本当に、よかったわ……」
ふるふると震えるお母さまに、私もなんだか悲しくなってくる。上手い言葉は何も浮かばず、ぎゅうっと抱きしめ返すことしかできなかった。
そのままそうしていると、少し経ってからゴードン夫人と侍女らしき女性がやってきた。どうやら、この人が私の処置をしてくれた人らしい。
「簡単にではございますが、カスター夫人に処置の内容はご説明致しました。シンディ様は、熟しすぎたローティに含まれる有毒物質を摂取したことにより、中毒症状を起こされたのです。ローティの毒素は、少量でも強烈な症状を引き起こしますが、早く嘔吐されたことが幸いしたようで、口内の洗浄で済みました」
冷静な、しかし労わりを感じさせるその声は、どことなくサラに似ている気がした。やはり原因はローティだったのかと納得し、私は軽く頷きを返す。
「ですが、念のため、今後一週間ほどは、こまめに口をゆすいだり、水分を補給したりして、毒素が排出されやすいように気を配って頂きたく存じます」
「分かりましたわ。危ないところを救って頂き、本当にありがとうございました」
そう言って、お母さまと共に立ち上がり、深く頭を下げた。
□■□
家に帰ってから、大事を見てすぐに私はベッドに入れられた。本日もお仕事のお父さまだが、今回は流石にお母さまが早馬を出させたという。わざわざ帰ってきてもらう必要はないが、事態を把握してもらう必要はあったのだ。
何しろ、シンディは、11歳の誕生日にも食当たりで倒れている。
いっそ呪われているのではないかと不審になるが――私が何とか嘔吐するきっかけになった、あの声。なぜすぐに気づかなかったのか理解できないが、あの声は、前世の私が最期に聞いた、母の声だったのだ。
そう、前世の私は、食中毒かアレルギーかは定かではないが、とにかくそのどちらかで急激に具合が悪くなり、死んでしまったのだ。いや、断言はできないが、最後の記憶が家族で囲んだ食卓、さらにあの声なのだから、そう考えるのが自然というものだ。
母は、必死に私に「吐きなさい」と呼びかけてくれた。実際のところ、私は吐くことができたのだろうか? それは分からない。しかし、どちらにせよ、死んでしまったのだ。楽しく食べていたはずの夕食の席で、急に家族が苦しんで絶命したというのは、どれほどの……。考えるだけでも悲しく、恐ろしいことだった。
「シンディ、水差しを机に置くわね。ベッドにいても、ここなら手が届くかしら?」
この数時間のうちにやつれてしまったようにすら感じるお母さまが、わざわざ水差しを持ってきてくれた。カスター家の使用人が少数なのを差し引いても、伯爵夫人が自分でやることではないはずなのに……。
「はい、お母さま。体は起こせますから、そうすればほら、届きますわ」
大きく重い机の端は、同じく凝った意匠のベッドの枕側に接している。お母さまの持ってきた水差しに、後からやってきたリズが携えたボウルとカップ。ボウルは口をゆすぐ用で、カップは水分補給用だ。全てセットのようで、薄い金属に花のレリーフが施されていた。
「……そういえば、レスリー様は大丈夫でしょうか。わたくしが急にあのようなことになり、混乱なさっていないといいのですが……」
レリーフの凹凸を指でなぞりつつ、何かしらの指示を飛ばしてくれていたレスリーを思い出す。ずっと前のことのように思えるが、まだ半日も経っていないのだ。
「私がとりあえずお手紙を差し上げておきますから、シンディもそのうちにお出しなさいな」
「ええ、そうしますわ。ありがとうございます、お母さま」
「ふふ。構わなくってよ」
柔らかく微笑んで、お母さまはリズと共に去っていった。
再び1人になって、軽く口をゆすいだ後、私はもぞもぞとベッドにもぐり込む。眠る気はなかったが、寝てしまうならそれはそれで……というような、まったく怠惰な気分だった。
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