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私の目の前には、3人の素敵なご令嬢。
レスリー、ジェラルディン、ポーリンと私の4人で円卓を囲み、優雅なお茶会の始まりである。慣れ親しんだスローン邸で、久しぶりに全員が揃ったのだ。
「ポーリンさん、シンディさん、本当に申し訳ありませんでしたわ」
そして、私たち3人の視線は、蜂蜜のような金髪で顔が見えなくなるくらいに頭を下げたレスリーに向いていた。
「そんな、レスリーさん。顔を上げてください!」
慌ててレスリーの右肩を揺さぶったポーリンを、レスリーは困惑したように見つめる。冷たい印象を与えると言われることもあるレスリーの切れ長の目だが、存外彼女は表情豊かだった。
そもそも、なぜレスリーが謝っているのかというと、ポーリンの誕生日パーティーにやって来ていた『ライアン』……もとい、サミュエル・ペーター・ロードウィンの件だという。パーティーの後、ポーリンには手紙で事情を打ち明けて謝罪したそうだが、やはり対面でも謝るあたりに、レスリーの真摯さが伺えた。……いえ、私には手紙は来なかったのだけれど。仕方ない、私は素知らぬ顔を決め込んでいたのだ、それをリチャードが「正体を見抜いたのはシンディ・カスターだよ」とサミュエルに教えていたらしい。
「手紙でも書いたけれど、あの日は、わたくしも来ていたの……もっとも、パーティーの場には出ていなくて、応接間にいたわ。実はね、その……父が無理を言って、スローン伯爵に協力していただいたの。わたくしと王太子殿下の顔合わせのために」
「顔合わせ……?」
どうやら、まだよくわかっていないのは私だけらしい。
「そう……王太子殿下とわたくしがお会いするには、わたくしが王宮に上がるか、殿下から公爵邸においで頂かなければならないの。でも、それでは目ざとい人から噂が広まってしまうでしょう。そして、それは、王太子殿下をライアン・ハミルトンという架空の人間に仕立てても同じこと。それなら、たまたま居合わせてもおかしくない場で落ち合う必要があった……ということなのよ」
なるほど、そういうことだったのね。漫画の中でも、噂はあれど、誰が王太子妃候補かは大っぴらに公表されていなかった。それはここでも同じである。
私と同じように、ポーリンも納得の表情を浮かべた。
「そして、リチャード様やアリエル様、ディック様は、カモフラージュと殿下の護衛を兼ねていたの。だから、舞台は……あの3人が揃って参加しても不自然ではない、なおかつ、ライアン・ハミルトンとして殿下を主役に紹介できるようなパーティーでなくてはならなかったわ」
「そうですね。私のパーティーでしたら、絶対にリチャードと話す機会がありますし、レスリー様がいらっしゃってもおかしくありません。あとは……私が社交界デビュー前だというのもあったのでしょうか。規模も小さく、時間もあまり長くありませんから」
少し目線を下にやり、考えていた様子のポーリンが、咀嚼するように、確かめながら自分の解釈を伝える。ジェラルディンは少し驚いた顔をしたが、レスリーがすぐに頷いた。
「ええ、その通りよ。……けれど、父の意向で、わたくしはパーティーに顔を出さず、ずっと応接間にいたの。祖父のもとに滞在するから出席できない、という予定だったのは本当なのだけれど、その後急遽決まったのよ。本当は直接お祝いを言いたかったのに、ごめんなさい」
……レスリーが謝りたかったのは、自分の事情――といってもレスリーの意志ではなかっただろうに――のせいで私とポーリンを困らせたというよりも、パーティー会場まで来ていながら、お祝いを言えなかったことの方だったのではないか、と思った。
そういえば、初めて彼女と会ったのは、疲れ切った様子でパーティーから抜け出していたところだったっけ。人酔いしてしまった私と、陰口や冷たい視線に苦しくなっていたレスリー……もう2年近く経つのだ。
普段は冷静に、気高く振舞っている彼女だけれど、私を早々に友達認定してくれたり、ポーリンともすぐに仲良くなったり、案外普通の女の子である。
「気にしないでください、レスリーさん。今日会えましたし、お祝いの手紙も、プレゼントも送ってくださったじゃないですか。とても嬉しかったです。大切にしますからね」
なめらかでつややかな肌を上気させ、令嬢らしからぬ動作で胸を張ったポーリンに、レスリーもジェラルディンも頬を緩ませた。ありがとう、と淑やかな声で告げる。
あ、誕生日プレゼントは私ももらいましたよ。レスリーからは猪毛のヘアブラシ、ジェラルディンからは珍しい航海家の手記がそれぞれ届いている。
ほのぼのとした雰囲気に私も思わず笑顔になったが、それでも気になっていたことを尋ねる。このまま雑談に移行したかった気持ちもあるけれど、まあ、それはそれ。
小さく挙手をすると、3人の視線がこちらに向いた。
「ですが……その、ある意味で当事者、パーティーの主役だったポーリンに話すのはともかく、わたくしまでその話を聞いてもよかったのでしょうか」
「シンディさんは、すぐにライアン・ハミルトンのウィッグがずれていることに気づいて、赤髪と目の色から王太子殿下だって判断したと聞いているわ。殿下の、あの場にご自分がいらっしゃった理由を説明しておいた方がいい、とのご判断だそうよ」
「そういうことですのね……わかりましたわ」
「シンディ、鋭いのね。私、ちっとも気づかなかったけれど、大丈夫かしら? まさか、ライアン様が王太子殿下だっただなんて思いもつかなかったから……」
そう言うと、ポーリンはどこか落胆したように苦笑した。まさか、好きになってしまった相手がお忍びの王太子だなんて、どこの物語――いや、あながち間違っているわけでもないのだけれど。本来は社交界デビューのときだったはずの出会いが早まっただけだと言うこともできるのだが、漫画なぞ知らないポーリンからしたら、戸惑うのも無理からぬこと。
あんなに嬉しそうに私に報告してくれたポーリンだったから、もしかして、初恋を2人にも打ち明けるつもりだったのかもしれない。けれど、少なくとも、レスリーが婚約者候補の筆頭である以上、彼女とその側近であるジェラルディンに打ち明けることはないだろう。
私の存在が、どんどん物語をぶち壊しにしている。
そんな気持ちが頭をもたげてくるものの、話の主導権はジェラルディンに移り、彼女が久々に来訪した留学先――ファルパスの学園――の様子を情感豊かに語ってくれるものだから、私の興味もそちらへ惹かれる。穏やかな声と、慈しむように細められた琥珀色の目が、彼女の語りを一層鮮やかにするのだ。
「ファルパスでは、クリシアのような学園都市があるのです。首都からほど近い都市に、上から見ると長方形が3つ並んだような、お城のような壮麗な建物があって……正門から見て右側の建物が女子寮、左側が男子寮です。真ん中は校舎と食堂になっていて、移動のときは、一回外に出るわけです。建物の間はただの通路でなくて、庭園や東屋もありますから、休み時間や放課後にはとても賑わっていましたね。渡り廊下もあって、雨の日や荷物が多いときはそこを通っている方もいましたけれど、職員室の真ん前にあるので、皆さん普段は外を通っていました」
職員室を敬遠するのは、どこの学生も同じなのね。そう言いたかったけれど、学校なんて知るはずのない『シンディ』はそんなことは言えない。
「素敵ですね。ちっとも想像できませんけれど、楽しそうということはなんとなく分かるわ。それに、ジェラルディン様はファルパス語ができるのですものね。もしよろしかったら、その……挨拶か何か、教えてくださいませんこと?」
漆黒の大きな目をきらきら輝かせ、ポーリンが控えめにねだる。少し照れた様子で、ジェラルディンが「こんにちは」を意味するという言葉を発音すると、ポーリンは真面目な顔で復唱し、花が綻ぶように笑った。眩しい。
「ポーリンさんは、筋がいいですね。結構、発音するのが難しいものもあったんですよ?」
「ジェラルディン様のお手本がよかったからですわ」
お元気ですか、ありがとう、どういたしまして……と、他にも少し表現を体得した彼女は、興奮冷めやらぬ様子で私の方を見た。
「ジェラルディン様、かっこいいね。シンディもエルラーツ語の勉強をするんでしょう? もしよかったら、いつかシンディがエルラーツ語を話しているところを見せてもらいたいわ」
その言葉に、露骨にレスリーが反応を示した。
表情は変化していないが、一瞬、彼女の細い肩が跳ねたのだ。
「あ……言っていなかったでしょうか。レスリー様。わたくし、エルラーツ語の先生をお招きすることになっているのですわ」
あくまで凪いだ表情のレスリーだが、ふう、と息を吐くと、……困ったような顔になった。そして、それを見て、察したようにジェラルディンも真顔になる。
口を開いたのはジェラルディンだ。
「わたくしの父が、カスター伯爵に教師の方をご紹介したと聞いています。シンディさんのお父さまもそうですが、外交の家に育つと、あまり排他的な空気は理解できないものだと思います。先生にはわたくしも会ったことはありませんが、お話は何度か聞いていて、人柄については保証いたしますよ。それに、最近は、国の方針としてもエルラーツとの融和を進める方向に動いていますし、エルラーツ人を招いてエルラーツ語を習うと公言なさっても、直接何か言われるようなことはあまりないと思います。ただ、過去にはこちらが属国でしたし、戦争もありましたから、未だに根深い反エルラーツ感情を持つ人がいるのも事実です。ですから……あまり、公の場では口にしない方がいいかと」
どうやら、私とポーリンの言動は、浅慮であったらしい。私たちは神妙な顔をして頷いたが、もしかして、レスリーは反エルラーツの主義なのだろうか?
「……わたくしは違うけれど、父は、エルラーツがあまり好きではないの。父の祖母は、時代もそうだけれど、王女から降嫁した方だったのもあって、特にエルラーツへの敵対感情が強かったそうよ。父は早くに母親を亡くして、その祖母に育てられたから、そういうふうに言われて育ってしまったのね。ダルリンプル侯爵はそれを知っていたから、ジェリーにはエルラーツ語を習わせなかったのよ。ジェリーはわたくしのそばに来ることになっていたから……」
私の声が聞こえたかのように、レスリーは優しく語ってくれた。たしかに以前、曾祖母が王女だったと言っていたが、そのような形で影響していたとは思いもよらなかった。そして、ジェラルディンはやはり、側近兼友人として最初から決まっていた相手だったらしい。2人が本当に仲良しなので結果オーライなのだろうが、こんなところにも高位貴族の世知辛さが見え隠れしている。
「では、わたくしは、公爵のお耳に入りそうな場では、特に、口をつぐんでいた方がよろしいということですわね……」
以前会った時のゴードン公爵の様子が脳裏に浮かぶ。優しそうではあったが、敵対したら容赦ないという雰囲気がビシビシ出ていた。公爵なら、それこそ放火なぞせず、もっと証拠の残らない、さらっとした手口で抹殺してくるだろう。
「そういうことになる、わね。それに、最近のお父さまは、特にエルラーツ関連のことで気が立っているから、余計に……」
いったん言葉を切って、彼女には珍しく、のそのそとした動きでお茶菓子を口にした。ミントの砂糖漬けが乗った小さなチョコレートが、レスリーの口に消える。
「エルラーツから、婚約の打診めいたものが来るの。怪しげなものだから、お父さまがわたくしにも見せずに処理してしまうのだけれど……公爵令息だったり、伯爵令息だったり、王子だったり、見たところは華やかだけれど、国を通さずに来る縁談だもの、わたくしだって怪しいと思うわ」
少し動きがのそのそしていようとも、くすっと笑って口を拭う仕草には上品さが滲み出ていて、格の違いを感じた。
ぽかんとする私とポーリンのために、ジェラルディンが苦笑いで付け加えてくれる。
「おそらく、エルラーツには、レスリー様をロードウィン王太子妃にしたくない勢力があるのでしょう。純粋にレスリー様をと望むなら、双方の王家を通じた打診がマナーです。いくら魅力的な肩書の男性を用意しても、公爵が食いつくはずはないのですが……積もり積もれば、公爵がエルラーツと通じているという一種の証拠にもできなくないですし、あるいは、だめでもともとで、食いついたら王家が介入して正式な打診にしてしまおうというつもりなのかもしれません。王子の肩書もありますし、エルラーツ王家が噛んでいるなら、王女をサミュエル殿下に嫁がせたいという狙いもあり得ますね。確か、年の近い王女がいたはずなので……」
「ジェラルディン様は、……何でもご存じなのですね」
あまりの内容に、最大限に無難な感想を返すことしかできませんて。
「いえ、とんでもないですよ。レスリー様をお守りするための、父や兄からの受け売りですもの」
んっ? レスリーを守るための情報を、私たちに教えてもいいんですか?
笑顔のジェラルディン、嬉しそうなレスリー、真剣な顔のポーリン。
……ポーリンと私も「レスリーの側近」に認定されているらしいと、今になってようやく気付くのだった。




