16
「うへ」
私の半開きの口から、間抜けな声が零れ落ちた。
隣でリズが、こほんと小さく咳払い。
いけないいけない、私は伯爵令嬢である。こんな醜態を、彼女の前で晒すわけにはいかないのだ。
……彼女ーーレスリー・ハンナ・ゴードンの招きに応じ、私はリズを伴ってゴードン邸を訪れた。
ウィーラスから、王都を挟み北へ少し。馬車から降りた私の眼前には、壮麗な屋敷がそびえていた。
「……すごいわね」
リズも、無言ながら大きく頷く。
「わあ、シンディさん。お待ちしておりましたわ!」
屋敷の中に迎え入れられて、これまた美しい造りの応接間に通されて。椅子は飴色の革張り、出されたお菓子はどれも整って美味しそうだ。
そして、目の前には、神がかったと言ってもいいほどの美しい少女。
私の緊張はマックスだ。
ポーリンは、風邪を引いて行けない……という残念なお知らせがあり、スローン夫人やお母さま、お祖母さまにまで礼儀を仕込まれたので、振る舞いそのものには迷わない。
しかし、いざレスリーと2人きりになると、緊張しかできないのである。
「急にあのようなお手紙を出して、申し訳ありませんでしたわ。パーティでのことを、従者が見ていたらしく、両親に話してしまいましたの……。そうしましたら、2人とも大層喜びまして、ぜひシンディさんにお会いしたいと言い出したんですわ、もう」
口調こそ上品だが、レスリーは、"親がちょっと鬱陶しくなってくるお年頃なんです……"という表情を浮かべていた。わかるわかる。……いや、しかしそれよりも。
「……公爵ご夫妻に、お会いするんですか?」
「…………まあ、そうですわ……」
日本の子供なら、"ごめんねー、うちの親過保護でさあ"と言うところだろう。
レスリーは、そうとは言わないが。
◻︎■□
そのまま、レスリーと2人で話すこと30分ほど。緊張も解けていた。
「このお屋敷、とても素敵ですね」
「わたくしも、この屋敷は大好きですわ。王宮みたいだと褒めてくださる方もいらっしゃるけれど、王宮はやはりもっと美しいのでしょうね」
「ええ、早く見てみたいですよね!」
この国では、社交界入りをしていない人は王宮に立ち入ることができない。王族でも、私宮と公宮のうち、私宮にしかいられないのである。
「14歳、あと3年ですわね」
その代わりと言っては何だが、貴族の子の社交界デビューは、全員一緒に王宮で大々的に行われる。
だから、王太子の婚約者に1番相応しいと言われるレスリーですら、王宮に上がったことはないのである。
「……王太子殿下は、どのようなお方なのかしらね?」
うっすら頰を染めて、レスリーは世にも美しい微笑を浮かべる。
容姿端麗、思慮に富み、元気いっぱいの13歳の王太子。
その噂を聞けば、たとえ平民の少女でも憧れるだろうーーましてや、ほぼ確実に結婚する、と思われる相手なら。
「殿下は、今年から学園に入られるのですよね」
「そうよ。今年の学園は、大騒ぎでしょうね」
レスリーが、年相応のいたずらっぽい表情を見せた。
「リチャード・カーター様も、今年、入学されるのでしょう。シンディさんは、淋しくなるのではありませんの?」
「れ、レスリー様まで。確かに、淋しくはなりますけれど……。学園での楽しい話を期待しておきますわ」
くすっと笑って返す。もちろん寂しいのは本心だが、誤解を招かない他前には、それくらいしかできないので。
◻︎■□
メイドさんたちが、ほどほどに減ったお菓子を補充しに来た。
さらに、つやつやのチョコレートケーキが一切れずつ載った皿が、4枚。
私たちの前に一皿ずつ、これは分かる。……あとの二皿って、まさか。
「こんにちは。初めまして、シンディ嬢」
メイドさんたちと入れ替わりに入って来たのは、若い頃は男前だったと思われる恰幅のよい紳士と、対照的にほっそりした、かわいらしい女性。
言うまでもなく、ゴードン公爵夫妻である。
「お初にお目にかかりますわ。お会いできて光栄です。シンディ・カスターと申します」
立ち上がり、礼をする。
2人は破顔し、横目で窺うと……レスリーは微妙な表情で固まっていた。
さっきより緊張が激しくなり、私はガチガチ状態だ。しかし、ゴードン夫妻は、実際とても優しい人たちだった。
この前のパーティでのことも聞かれた。話の内容は(レスリーの懇願する視線もあり)曖昧にしか言わなかったが。
そして、意外だったのは、リチャードのことを知りたがっていること。
レスリーの結婚相手として考えているのか、それとも……?
だからといって、尋ねるわけにもいかない。
「私ばかり話していましたね。シンディ嬢、何か聞きたいことがあったら聞いてくださいね」
何回か、そう言われてもだ。
……まあ、仕方ない。
「ええと…………質問ではないのですけれど」
「おお、どうぞどうぞ」
「こちらのお屋敷、とても素敵ですね」
すると、ゴードン家の3人が、一緒によく似た笑顔になった。本当に、家が気に入っているらしい。
ゴードン氏が、嬉しそうに家の歴史を話し出したのもーー止める人は誰もいなかった。
□■□
ゴードン公爵家は、かなり初期の王弟が爵位を受けた、ロードウィンの中でも特に歴史が古い家だそうだ。
王家とも度々婚儀を交わし、最近だとレスリーの曾祖母が王女だった。
また、王家の信頼も厚く、ゴードン家の人間は、その血族であることよりもむしろロードウィン王家の一番の臣下であることを誇っているらしい。
要約してしまえばこんなものだがーー
公爵の話は魅力的だし、何より一族への並々ならぬ愛が感じられた。
面白い人だな、と思わず笑ってしまう。失礼だったかと思ったときには、レスリーも一緒になって笑い始めていた。
「あら、レスリーがこんなに笑うなんて、珍しいこと。よいお友達を得られたようね?」
夫人が呆気にとられた様子ながらも、優雅な動作でケーキを口に運ぶ。
「本当に。お前に新たな友達ができて、私も安心だよ」
……えっ、レスリー、お家で笑ってないんですか?
でもまさかこんなことを聞くなんて、とんでもない。
それに、確か、レスリーには侯爵令嬢の友人がいるはず。
「……わたくしも、レスリーさんと仲良くなる機会を得られまして、心から嬉しく思っておりますわ。……こんなに可愛らしい方は、初めてです」
正直に言ってみるが、口説いているみたいになってしまったかもしれない。
口をパクパクさせるレスリー、微笑む夫人、涙を浮かべて大笑いする公爵。
恥ずかしくてたまらなくなった私は、チョコレートケーキに、そっとフォークを当てた。
◻︎■□
「シンディ!……さん、またいらっしゃって!必ずよ? 本当にありがとう」
「本日は、無理なお願いにもかかわらず、娘のためにありがとう。これは、いち父親として言わせてくださいね」
「レスリーの身分に関わらず親しくしてくださる方がいらっしゃって、わたくしも安心いたしましたの。こんなに楽しそうに家族以外と話す娘は、久しぶりです。ありがとうございますわ」
ゴードン家のみんなから、何回もお礼を言われて、私はまったく赤面するばかりだった。
"親友の恋敵になる予定なので、なんなら遠ざけようとしてました"なんて口が裂けても言えない。
結局、ゴードン家の3人だけでなく使用人まで加わったーー盛大なお見送りをされてしまった。
◻︎■□
「素敵な家族だったわね」
「そうですわね。レスリー様も、あのように美しい方がこの世にいらっしゃるとは……」
うっとりするリズは、急にハッとして熱弁を振るう。
「ですが、お嬢様。奥様のお若い時も、それはそれは美しくていらっしゃったのですよ。旦那様が奥様を射止められた時は、殿方はみなガッカリでしたの。わたくしも、このように素敵な方にお仕えできて幸せだとーー今も思っておりますわ!」
リズは、本当にお母さまが好きらしい。お母さま、かわいいメイドさんでよかったね。
馬車に揺られて、ウィーラスにあと少し。帰って一息ついたら夕食かな……という時、馬車が止まった。
外では、
「いや、勘違いではありませんか。こちらの馬車は、ゴードン公爵のお屋敷から、カスター伯爵のお屋敷に戻るものです」
「ええ、たしかに、この紋はカスター伯爵家のもので間違いありませんよね……失礼ですが、行きもこの道をお通りに?」
「行きは、西側の街道からです」
「うーん、じゃあ違うのかなあ。ですが、確かにこの紋を見たという人がいるんです……」
というようなやりとりが、少しだけ聞こえてきた。
いったい、何?
目つきが険しくなった私を、リズが制す。
「お嬢様、お顔は見られないように」
小声で言って、馬車の扉を開けた。
5分ほど後。
リズが、首をひねりながら戻ってきた。疑惑?は解けたらしい。
「どうやら、この街道で事故があったそうですの。いわゆる『ひき逃げ』ですけれど、カスター家の紋がついた馬車を見たという人がいたらしいですわ。わたくし、確認しましたがーーあの方々は、確かに警備隊の方でした。あれで違ったら、それはそれで犯罪ですわ。人相も覚えました」
馬車が走り出してから、リズはほうっ……とため息を吐いた。
よほど気を張っていたらしい。
「ありがとう、リズ。それにしても……変なこともあるものね?」
「……そうですわね。着きましたら、すぐ奥様にご報告、ですわ」
「そうね……」
重い沈黙に包まれた車内には、馬の蹄の音だけが聞こえていた……
◻︎■□
帰ってすぐ、リズと馭者をしていたオーウェン、そして私はお母さまにことの次第を話した。
お母さまは、リズとオーウェンに、警備隊の人相やら服装やら、名前やらを書き留めさせた。場所や、言われた内容も全てだ。
「エリックは、夕食には間に合わないかもと言っていたわ。済まないけれど、後でもう一度、エリックにも話してもらえるかしら? 忘れないでおいてね」
苦笑するお母さまに、2人は深々と一礼する。2人が退出すると、お母さまは私に笑いかけた。
「シンディ、無事でよかったわね。……そうそう、レスリー様とはどんなお話をしたの?」
「ええと……」
私が話し始めたちょうどその時、
「失礼致します」
夕食が運ばれてきた。
「ナイス・タイミングね。さ、頂きましょう? エリックには悪いけれど」
いたずらっぽく笑ったお母さまは、私に話の続きを促すのだった。




