第834話 回収
――さくらについて何か知っているか? もしくは心当たりがあったら教えてくれ。
その早雲の言葉は影治が元日本人だからこそ、意味がよく理解出来なかった。
さくら……桜であればそれこそ日本人なら誰でも知っているような樹の名前だ。
余りに有名すぎて、人の名前にもよく使われているし、歌のタイトルにもよく使われている。
或いは佐倉という地名なども存在するし、早雲が一体どんな意図でこの質問をしたのかが掴み切れなかった。
それは同じ転生者であるヨイチも同じだ。
だが敢えて異世界であるこの場所で「さくら」について聞かれたからには、影治にも心当たりがない訳ではない。
もしかしたら「さくら」という転生者を探してる可能性もあった。
だが影治が思い浮かんだのは、そのような有り得そうな可能性ではなく、もっと抽象的で関係なさそうに思える事柄だった。
「多分求めてる答えとは違えと思うんだけど、俺らの拠点にはクソでけえ魔法樹って樹が生えててな。そいつの見た目が桜みたいだったから、そのまま桜って名付けたんだけど、ただの樹とはちょっと違う気がすんだよな」
今や魔法樹は影治の手によって2本植えられている。
1本はニューホープに。
もう1本は天使達が隠れ住んでいたクリスティア島にある、ダンジョンの近くに植えられた。
元は同じ魔法樹の種子から発芽した2本の樹だが、最初のが桜っぽい樹になったというのに、2本目に植えた魔法樹は明らかに桜とは違う見た目の樹に成長している。
ユグルドと名付けられた2本目の魔法樹は、桜よりも幹が太くずっしりと育っていた。
「魔法樹……。そいつを見せてもらっても構わねえか?」
「ああ、勿論いいぜ。ちょっと待っててくれ。一旦ここを登録すっから」
余り確信が持てていない様子の早雲だったが、シャウラの命の恩人の頼みとなれば影治には断るという選択肢はない。
すぐさまゲートキーを取り出して今いる場所を登録すると、次にニューホープに通じるゲートを開いた。
「俺はちょっと早雲と桜んとこに行ってくるけど、お前らはどうする?」
「そうですね。この場所を登録したのでしたらすぐ戻ってこれますし、私達はここで帰りを待つ事にしましょうか」
本格的に帰還するのでもなく、ちょっと行って返ってくる程度のつもりだったので、影治もそれじゃあ留守番を頼むと早雲と2人、ニューホープへと飛んだ。
「エイジ様! おかえりな――あなたは!?」
バベルへと戻ってきた影治は、超スピードで駆け付けてきたグルシャスに迎えられた。
だが影治以外のメンバーがおらず、ただひとり一緒にいるのが例の謎の人物であっただけに、一瞬遅れてグルシャスは驚く。
「早雲とはラテニアで出会ってな。用があって一時的に戻ってきたが、またすぐに向こうにもどるつもりだ。何か急用はあるか?」
「いえ……特にこれといったものはありません。コークリース商会が面会を求めてきている事くらいでしょうか」
「あー、まったく気にならん訳でもねえが、そいつは後回しでいい。じゃあ俺はちょっと早雲を案内してくる。供回りは不要だ」
ニューホープはしっかりと人材育成を進めているおかげで、影治がいなくともどんどん発展を続けていた。
そうして徐々に影治やその仲間にだけしかできないような事を、街の住民でも行えるようにしていく事が、1つの目標となっている。
「へぇ、随分どでかい建物を建てたんだな」
バベルから出ると、背後を振り返って早雲が感想を述べる。
「まあ、実用性を求めたもんじゃなくて単なる俺の趣味だ。ほら、あっちにデカイ樹が見えんだろ? あれが桜だ。あれより高い建物を建てようって思って、まだ増築を繰り返してるとこでな」
「あれが……」
桜は見た目こそ日本の桜と似ているが、異なる点もあった。
このニューホープは恐らく緯度的に赤道に近いと思われるが、高地にあるせいで1年を通して涼しい気候をしている。
その気候のせいか、或いは元からそういう性質だったのかは不明だが、この地に根付いた桜は冬でも葉が落ちる事がない。
今も天高く聳える樹には青々とした葉が生い茂っていた。
そして何故か春になると葉が花に生え変わり、満面の桜の花を咲かせる。
「俺の後を付いてきてくれ。一部の連中しか近寄れないようにしてるんだが、俺と一緒なら問題ねえ」
バベルと並んでニューホープの2大名物となっている桜には、是非とも近くで見てみたいという声は大きい。
だがニューホープの基幹商品となりつつある治癒魔導具などに、触媒として桜の枝などが利用されているので、小枝1本すら外部に流出しないようしっかり管理されている。
「おっ、おおおおぉぉぉ!?」
早雲を案内して桜の樹に近づいていくと、まだ根本に着いていないというのに、樹全体が金色の光を放ち始める。
これまでも喜びの感情らしきものを抱いた時に、うっすら表面が金色に発光することは何度かあったが、ここまでの反応をした事はこれまでなかった。
「間違いねえ。こりゃあ桜の奴、すんげえ歓迎してるぜ…………っ」
「…………」
桜の反応に、影治も若干テンションが上がったらしい。
いつもより高めの声でその事を伝えたのだが、早雲は今にも泣きだしそうな表情を浮かべており、思わず影治はぎょっとする。
「お、おい。どうしたんだよ?」
「……まさかとは思ったが、こんな所にいるとはなぁ」
余りに色々な感情が篭りすぎているせいか、その声は普段の早雲の声とは全く違うもののように影治には聞こえた。
桜は2人が……いや、早雲が近づくごとに光の強さを増していっている。
遠くから見ている人ならまだしも、余りに近くで強烈に光輝いているものだから、影治の視野が金色に染まっていく。
だが幸いな事に、強烈な発光現象はいつまでも続くことはなかった。
強い光のせいで一旦足を止めていた影治だったが、早雲の方はあの光を気にせず先に進んでいたようで、すでに彼は樹の根本にまで辿り付いている。
「なあ早雲。もしかしてこいつはお前と何か関係が――」
――あるのか?
そう聞こうとした影治は、再び桜の表皮の一部が光輝きだした事で、一旦その言葉を飲み込んで様子を見守る。
その光は先ほどのように樹全体が光るのではなく、幹の表面から光る金色の球体が浮かび上がるようなものだった。
その丸い光はまるで精霊だとか魂だとか、そういったスピリチュアルなものを連想させる。
明らかにただの光などではなく、そこには意思や力といった今の影治でも知覚出来ない何かの存在があるように思えた。
「アーシア」
早雲が誰かの名前らしきものを呼ぶ。
影治は最初それが光球に宿る存在の事かと思ったのだが、すぐにそれが早とちりだった事に気づく。
早雲が名を呼んですぐに、宙に浮かんだ状態のゼリーのような物体が現れた。
それは影治がこの世界に来てから出会った事がある魔物、スライムによく似た見た目をしている。
ドロドロとしたジェル状のジェリースライム系統ではなく、ぽよんぽよんとした見た目をしているプリンスライム系と同系統の見た目だ。
早雲の態度からして、この空を飛んでいるスライムの名前が恐らくアーシアというのだろう。
一体このあと何が起こるのか。
そう思いながら、ただ早雲の為す事を観察しつづける影治。
桜から浮き上がった光球はアーシアを確認すると、重なり合うように移動する。
すると、アーシアに包まれた金色の光が徐々に弱まっていく。
「ちょっ、おい! これ大丈夫なのか!?」
何が起こっているのかいまだによく理解出来ていない影治だが、桜の中にいた何かが謎のスライムに吸収されているというのは感覚的に把握出来た。
ただ事情を何も知らない影治は、強制的に介入して止めることは控える。
影治にとって桜というのは割と重要ではあるのだが、早雲に逆らってまで謎の儀式? を止める程ではない。
そもそもシャウラ蘇生の礼として案内したのだし、影治が知らない何らかの事情もありそうだ。
話を聞く前から喧嘩腰になる訳にもいかず、どうしたものかと困惑する影治。
そうして完全にアーシアに光が吸収されると、ようやく早雲は影治の方に振り返って事情を話し始めた。




