第815話 絶望的な現況確認
「見た感じ、撤退途中に敵部隊が回り込んできたという所ね。ならあの立ちふさがってる部隊を蹴散らすわよ、クゥ」
「グゥアアアアアアアッ!」
クゥと呼ばれた黒色のドラゴン――レッサーダークドラゴンのクゥは、承知したとばかりに目標の部隊の上空に接近すると、強烈なブレスを放った。
闇属性のブレスは、ハベイシア帝国の者にとって非常に相性の悪い属性だ。
聖光神マルティネを崇拝する帝国では、光の対属性とされる闇属性が嫌悪されている。
まったくいない訳でもないが、そのため帝国では闇魔術の使い手が非常に少ない。
そして重要なのは、光魔術には闇属性への耐性を上げる魔術がないという点だ。
光と闇は互いに対属性であるとされている。
それは例えば明かりを生み出す光魔術と、暗闇を生み出す闇魔術を使用すると、互いに打ち消し合うという点からも明らかだ。
完全に同じ力量の持ち主同士が、完全に同じタイミングで【光の柱】と【闇の柱】を同じ場所に発動させれば、完全に対消滅して効果としては何も起こらない。
しかしながら、属性耐性を強化する耐性魔術では、光魔術では光耐性しか強化出来ず、闇魔術では闇耐性しか強化出来ない。
これが神聖魔術であれば、暗黒魔術への耐性を上げる魔術があるし、暗黒魔術にも神聖魔術への耐性を上げるものがあるので、双方の術者がいる場合対立し得る。
光と闇属性にはこういった特性があるので、闇魔術の使い手の少ない帝国兵にとって、クゥの吐き出すブレスは痛恨の一撃となる。
ブレス攻撃は魔力や闘気を濃密に纏う事で、多少ダメージを軽減する事が出来るのだが、影治が開発した竜息守護の魔法に比べたら微々たるものだ。
かつて影治が邪竜と戦った時は、竜息守護と神聖魔術によってブレスと属性ダメージを極力抑えることに成功した。
しかし帝国兵はそのどちらも軽減する事ができず、ブレスを浴びた者の大半は闇のブレスで焼き尽くされている。
「ついでにこいつも食らいな。【闇爆】」
更にブレスの範囲外にいた帝国兵には、エリーの闇属性の上級範囲攻撃魔術が加えられる。
流石に回り込んでいた部隊は5000近くいたので、それら全てを倒すには至っていないが、ヴェリアス達が退却出来る隙は生まれた。
「今だ! 全員退却!!」
突然のドラゴンの出現で大きく戦場が混乱している内に、ヴェリアスは兵をまとめ上げ戦場からの離脱に成功した。
殿を務めたローレンスも、エリーとドラゴンの援護を受けて無事退却に成功。
だが当初12000もいた迎撃部隊は、4000以下にまで打ち減らされてしまっていた。
「こちらの戦果は、最後のエリーの援護も含めて2万に届かないくらいか。それだけ見れば十分な戦果ではあるけど、まだ5万以上も残っている。どうしたものかな……」
無事退却に成功したヴェリアスが、被害の大きさに頭を抱えながらも現況の確認を行う。
ローレンスの代わりにクゥを駆るエリーが殿を務めているのと、帝国側も一旦態勢を整え直す必要があったので、現在追撃の手は止んでいた。
そういった状態なので、まだエリーとは直接会話も出来ておらず、ひとりヴェリアスは退却しながら今後の事を考える。
クゥに乗って現れたエリーは、危急の事態を覆した。
だがクゥはあくまで脅威度Ⅹの魔物であって、災厄級の邪竜ほどの強さはない。
帝国側にも英雄レベルの強者はいるだろうし、単純に数が多いと小さなダメージの蓄積が無視できなくなる。
だからこそエリーも無理に敵本隊に突っ込んだりせず、退路を遮っていた部隊への攻撃だけに留めていた。
「だがここでエリーとクゥが来てくれたのは大きい。いかに機動力のある騎兵隊といっても、この湿原地帯ではその機動力も制限される。そうなれば、空を飛ぶクゥ達の恰好の餌食だ」
先ほどのように、退路を塞ぐべく湿原地帯を通って迂回するような事も、今後はやり辛くなるだろう。
また湿原地帯そのものを迂回しようとなると、道なき道を相当遠回りする必要があるし、街道を離れ人類の生活圏内から外れた場所には、魔物も多く生息している。
可能性としてはゼロではないが、どちらにせよ下手に部隊を分けて迂回させた場合、空からクゥを嗾けて少しずつ数を削るという方法も取れる。
「どうにか敵をばらけさせて、クゥで各個撃破出来ないものかな……」
そんな事を考えながら撤退を続けていたヴェリアス達だったが、夜を迎えた事で一旦部隊を停止させて野営する事になった。
撤退中に呑気な事と思われるかもしれないが、すでにヴロブリックに伝令を向かわせているので、すぐにも援軍は派遣される。
それに幾ら魔獣に乗って移動しているとはいえ、帝国側にも進軍の疲れはあるだろうし、大軍の移動速度はどうしても遅くなるものだ。
もし野営地点にまで追いついて攻撃されたとしても、夜間戦闘はラテニアの方が得意としている。
大半がヒューマンで構成されている帝国とは違い、ラテニアの妖魔には夜目が効く種族もそれなりに多い。
また現在の一大戦力であるクゥは、闇の属性竜だけあって昼間よりも夜の方が得意としている。
今夜は一晩中クゥが見張りについてくれるので、夜襲の心配は無用だ。
「景気の悪そうな顔してるけど、無事なようで何よりね」
「エリー姉……」
ヴェリアスの野営用に設営された、他のより大きくて豪華なテントに、一人の人物が訪ねてくる。
テントの入り口部分には護衛の兵も立っているのだが、全く咎められる事なく顔パスで入ってきたその人物は、ラテニアでは誰もが知っているであろうエリーであった。
「今回も沢山死なせてしまったよ」
エリーを中に招き入れながら、悲哀に満ちた声を出す。
それは四魔君主というラテニアの権力者ではなく、ひとりの人としての本心から漏れた言葉だった。
「もっとしゃんとしなさい。今のあなたはラテニアの象徴なんだから」
「……相変わらず厳しいんだね。エリー姉は」
「今のあなたに厳しく出来るのは、私以外にほとんどいないからね。甘えたいのならシャルにしなさい」
会話の内容を聞けば分かる通り、ヴェリアスとエリーの付き合いは長い。
ヴェリアスは400年以上生きているが、エリーはそんなヴェリアスより長生きしている。
そしてまだ幼かった頃のヴェリアスの面倒をよく見ていたのが、まだ黒衣の魔女と呼ばれる前のエリーだった。
「……シャルには余り情けない所を見せたくないよ」
先ほどから話題に出ているシャルというのは、ヴェリアスの正妻であるシャルロットのことを指している。
長い事独身でいたヴェリアスが、数十年前になってようやく娶った吸血鬼公爵の女性で、年の差は300歳近くもあった。
「私には散々情けない所を見せているっていうのにね」
「それは……」
「ま、今の状況じゃあそんな顔になるのも仕方ないっちゃ仕方ないけど」
「エリー姉は確かラヴェリアに直談判しにいってたんだよね? どうだったの?」
「どうもこうもないわよ! あいつらの鼻持ちならない態度は昔っからだけど、久し振りに行ってみたら更に悪化してたわ」
影治達がアドラーバーを訪れた時留守にしていたエリーだったが、その時彼女はラヴェリアに向かっていた。
それは帝国が大きく動いたというのに、ろくに兵を出さずにいる理由を尋ねにいったというのが目的である。
「何でも国内で反乱の気配があるので、現在は国外に兵を差し出すことができません……だとかそれらしい事を言ってたけど、本当の所はどうだかね」
「……帝国と繋がっていると思う?」
「そこまでは断言出来ないわね。繋がっているとしても、国全体という大きな範囲ではなく、一部の貴族だけとかそういった感じでしょうよ。あの国は闇が深すぎて私にもよく見えてない部分がある。まったくラヴェリア闇国なんて国名に相応しいことね」
ある程度の権力者ともなれば、独自の諜報組織というものを抱えているものだ。
エリーも闇の衣という組織を抱えているが、そこから得られた情報だけでは帝国とラヴェリアの繋がりは見いだせなかった。
だが実際に自分で乗り込んでみた感覚としては、ゼロではなさそうというものだった。
一応彼らが言う内乱の気配というのも、闇の衣からは情報を得ている。
ラヴェリアでは主に3人の王子が派閥争いを繰り返していて、帝国の事などそっちのけで宮廷闘争に励んでいると専らの噂だった。
「ふぅぅ……。今は内輪で争っている時ではないっていうのに……」
「それが理解出来てないのよ、あの連中は」
エリーから齎された情報に、ヴェリアスは深いため息を吐く。
ラテニアが危機状況に陥っているというのに、対ハベイシア同盟の同盟国が同盟国としてまともに機能していないというのは、実に致命的であった。
「ここでエリー姉が駆け付けてくれたのは、本当に助かったよ」
「でも状況はのっぴきならないままよ。何か考えはあるのかしら?」
「それは――」
その後しばらく2人で話し合いを重ねるも、状況が悪すぎて解決策が見いだせないまま、翌日を迎えることになる。




