第814話 苦渋の撤退
「ヴェリアス様! 一部の敵の部隊が迂回して後方に回り込む動きを見せております!」
「報告、報告ぅぅ! 右翼伏兵部隊を指揮していたウップルトン様が討ち死にしました! なお現在は副隊長のアランフ様が代わりに指揮を執っているとの事」
「先ほどとは別の部隊が大きく戦場を迂回しています。後方に回り込まれるのではなく、そのまま我らを無視して進軍する可能性もあります!!」
「……もう長くは持たないか」
次々と齎される凶報に、ヴェリアスは唇を噛みしめる。
元より勝てるとは思っていなかった。
最低限ここで少しでも数を減らす事で、ラテニア各地の被害を少しでも抑えたい。
その目論見は、ある程度は達成出来ている。
9000の本隊と、1500ずつ左右に配置した伏兵は、6倍以上もの敵兵を相手に見事に戦った。
特にヴェリアスの【血の領域】は集団戦では絶大な力を発揮する。
かつて影治が戦ったバツアヌも同じ魔術を使用していたが、この魔術を使用すると術者を中心として広範囲に血の領域が展開される。
この領域内では、条件を満たした者以外のステータスが低下すると共に、条件を満たした者が範囲内で血魔術を使用すると、魔術の効果が大きく向上する。
その条件とは術者や術者の血族であること。
或いは術者の血を与えた者や、クラスⅢの血魔術【血印】を使用した相手でも構わない。
血魔術の効果アップは、後者になるほどアップ量は減少するが、ステータス低下効果に関しては完全に無効化される。
その為ヴェリアスは常日頃からこの条件を満たす為に、配下の者達に自らの血を与えていた。
ただ今回は元々血を与えていた配下の多くが命を失い、戦闘経験のある者や血魔術が使える者を中心に、民間から多く人を募っている。
流石に国民全員に血を分ける事まではしていないので、今回の迎撃部隊に参加する者達には臨時に血を分け与えていた。
「再度私が前に出る。血族以外の者達に距離を取るよう伝達してくれ」
「なりません、ヴェリアス様! 最初の突撃でも数で圧倒的に不利でしたが、今は更に兵力の差が広がっております。いかに血の領域があるといえど、数の差で押し切られてしまうでしょう。そうなるとヴェリアス様であっても、脱出することすら出来なくなるやもしれないのです!」
「……これまで僕の指揮の下で多くの兵の命が失われた。今更自分だけ逃げのびるつもりはない」
「何を仰るのです! 既に四魔君主のうち半数が失われているのです。この上ヴェリアス様まで失われれば、ラテニアは早々に瓦解するでしょう!」
「だけどここで僕が少しでも敵の数を減らせれば、町や村への被害を少しでも遅らせる事が出来る」
実際にヴェリアスの【血の領域】による特攻は、今回の戦いだけでもすでに1万以上の帝国兵の命を奪っている。
これはヴェリアスが直接あげた戦果だけではなく、ステータスが低下した状態の敵を仲間が倒した分なども含まれる。
兵たちの疲労も蓄積し、数も大分打ち減らされてはいるが、再度ここで突撃すればもう2000や3000は削れるだろう。
「大将軍にゾルダ様……。ヒッタイト高地での戦いで、私はあのお二方の死の瞬間を目撃しながらも、おめおめとここまで生き延びてきました。それもこれも、全ては帝国への復讐の為! どうか……どうかここはお引きください。そしてどうか殿は私にお任せを」
「……そうか。君はガンドルーバの副官のひとり……。確か名前はローレンスだったね」
「はい。あの混戦の最中、大将軍は見事レッテリオを討ち取りました。ですがその後ワーヒドゥを足止めする為、その場に留まり戦死なさいました。今回は私が命を張ってあなたを逃がす番です」
「……分かった、諫言に従うとするよ。ただ逃げようにも、すでに後方にも回り込まれている状態だ。この後方に回り込んだ敵陣を突破する為にも、血の領域による突撃は敢行させてもらうよ」
「そう……ですね。大きく迂回して回っている部隊も気になりますので、退却しつつそちらも対処したい所ですが……」
戦場を大きく迂回しているのは、5000ほどの部隊だ。
殊更存在を誇示するかのようなその動きは、誘いのようでもあり、そのまま戦場を通過して侵攻していきそうな動きにも見える。
ここで軍を引かせるならば、退却ついでに数を減らしておきたいところだが、悠長にしていると敵本隊の追撃で大きな被害が出るだろう。
「無理のない範囲で、弓や魔術などの攻撃を仕掛ける位が手一杯だろうね。直接兵をぶつけると逃げる暇もなくなってしまう」
「ええ。私も身命を賭すつもりですが、無理をすると退却そのものが失敗してしまうかもしれません」
「……ローレンス。君とは是非とも生きたまま再会したいものだね」
「無駄死にするつもりはありませんよ。大将軍の仇を討つまでは……ね」
この時点ですでに3割以上の被害を出していたヴェリアスは、退却を決意する。
【血の領域】と血族兵によって、回り込んでいた帝国兵の舞台に風穴を開けると、その穴を通って味方の撤退も始まった。
殿としてローレンスが枯れんばかりの大声を張り上げ、味方の撤退を支える。
「……立ちはだかるか」
そうして戦場からの離脱を図ったヴェリアスだったが、その行く手に先ほど大回りで迂回していた部隊が立ちはだかる。
元々どういった意図で迂回してきたか不明な部隊であったが、退却しようとするヴェリアス達の動きに臨機応変に対応してみせた。
湿原地帯とはいえ、下乗して移動するよりは早い機動力でもって、退路を塞いでみせたのだ。
「ここで足止めされては、敵本隊との挟み撃ちにされてしまう」
追い詰められたヴェリアスは、再び重い決断を下す必要に迫られた。
退路を塞がれたとはいえ、味方の兵の大半を犠牲にすれば、自分や少数の味方だけならば逃げ伸びられる可能性はある。
「…………」
無言で後ろを振り向くヴェリアス。
すでに大分距離が離れてはいるが、そこでは殿を務めたローレンス達が必死に仲間を一人でも多く逃がそうと懸命に戦っていた。
「……お前達。ここで部隊を2つに――」
己の中の迷いを無理やりに飲み込み、部下にここで死ねという命令を出そうとしていたヴェリアスだったが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。
「あ、あれはっ!」
その戦場に起こった変化は、誰が見ても分かりやすいものだった。
ただ視界を少し上に上げなければならない為、目の前の敵と命の取り合いをしている状況だと気付きにくい。
しかし誰かひとりがその存在を認識すれば、自然とその情報が拡散されていく。
「エリー姉……、来てくれたのか」
ヴェリアスも視線を上に向け、その先にいる存在を確認する。
まだ距離が離れているせいか、見た感じ少し大きな鳥が飛んでいるようにしか見えないが、彼我の距離からすると実際の大きさは鳥などとは比較にならない大きさだ。
それは見た目でも一目瞭然だ。
黒い体から生えた大きな翼だけなら、遠目に見ればまだ鳥に見えない事もないだろう。
だが翼と足が生えていながらも、肩口からは2本の腕が生えている。
また近くから寄ってみれば分かるのだが、後背部には黒光りする鱗がぎっしり生えており、長く伸びた首の先にある頭部からは2本の白い角が生えており、頭部も黒い鱗で覆われているのでその白さがより際立つ。
「ど、ドラゴンだ! エリー様のドラゴンが救援にかけつけてくれたぞ!!」
周辺各国では、「黒衣の魔女」だとか「闇エルフ」だとか呼ばれているエリーは、本人も強力な闇魔術の使い手である事が知られているが、彼女が恐れられている理由は他にもある。
それはレッサー種ではあるが、ドラゴンを手懐けているという点だった。
レッサー種という名前ではあるが、これでも属性持ちのレッサーダークドラゴンはギルドの判定だと脅威度Ⅹとされている。
主であるエリー同様に、高位の闇魔術を使用可能で知性も高く、闇属性のブレスをも吐く。
首元にはテイムされた事を分かりやすく示す為に、大きな金属の首飾りが付けられており、遠くからでも判別がしやすいようになっていた。
「……あそこにいるのはヴェルね。どうやら間に合ったようだわ」
敵味方問わず、多くの兵の注目を集めるドラゴン。
その背に乗るエリーは、地上の有象無象の中から目ざとくヴェリアスを見つけ出すと、ほっと息を吐いた。




