「あんまり、怒らないでくださいね」
良くわからないところはあるけど、結果的に誤魔化す形になった。
別にシュガーなら魔法のこと話しても良かったんだけど、あれ以来シュガーは帽子の中から出てこなかったのだ。
「こっち、です」
「ああ……。シュガー?」
「ひゃいっ」
声が上ずっていた。さっきからなんなんだ。
ともあれ長い長い廊下を渡って、私たちは森羅の塔でも深みにある部屋へと案内された。
部屋の扉を開く直前、シュガーは、少しだけ帽子を上げた。
「あの……。ノア」
「なんだ?」
「あんまり、怒らないでくださいね」
言葉少なくそう言って、返事も待たずにシュガーは扉を開く。
扉の奥に広がる部屋は、機能性だけが積み込まれたような、無骨な灰色の部屋だった。
魔力建築ではなく、打ちっぱなしのコンクリートが目を引いた。部屋の隅には強固な檻が並び、その中には大型・小型を問わない種々の生物が閉じ込められていた。
ネズミや野犬といった比較的よく見る生物から、大型のイノシシや虎まで。壁に沿って設置された大きな水槽には雑多な魚が窮屈そうに泳いでいる。
それらの全てから、獣のような匂いが放たれる。私は思わず、鼻を覆った。
「シュガー。これは?」
「…………」
「言わなくても分かる。実験動物だろ」
シュガーの言葉の意味は分かった。これは私を怒らせるに足るものだ。
救華はあくまで人を救うための組織であり、動物に慈愛を差し伸べることは理念ではない。勇者としても、魔王に通じるものでなければ注意するに値しないものだ。
だから、これは、私の個人的な感傷だ。
「私の目の前で命を汚すとは――」
「ノア、お願いです」
シュガーはそっと帽子をあげて、私の目を見ながら、か細く呟いた。
怒られることは分かっている。それでも話を聞いてほしい。言葉には出さずとも、彼女はそう言っていた。
「――――」
口を閉ざし、腕を組む。良いだろう。聞くだけ聞いてやる。
シュガーは無言で奥へと歩いていく。部屋には私たち以外にも何人かの魔術士が居たが、黙々と自分たちの作業に取り組んでいた。
部屋の奥へと歩くほどに異様な雰囲気はましていく。檻の中に入っている生物には死骸が目立ち、何をどうしてそうなったのか、爆ぜるように血痕をこびりつかせながら死んだ生物までいる。
(これは……。一体、何の実験をしてるんだ……?)
隅から隅まで能天気で出来ている桜までもが、じっと黙り込む。それほど異様な空間だった。
「魔力注入実験、ですよ」
私の疑問に答えるように、シュガーはぽつりと呟いた。
「魔力基礎実験の中でも、表立っては凍結されたものです。大魔術師として、私が秘密裏に研究チームを組織しました」
「何のために」
「知りたかったから。知らないといけなかったから」
私たちが先程展開した幻聴と隔絶の魔術はまだ続いている。それを確認してから、シュガーは、意を決して振り向いた。
「膨大な魔力を魂に流し込まれた生き物の末路。気になるでしょう」
彼女は。
私とはまた違うやり方で。より実践的かつ、着実なやり方で。
勇者の力と向き合っていた。
「…………」
「ノア、お願いです。私たちは知らないといけない」
「分かってる、分かってるよ」
つまりそれは、最終的に、私たちに帰着する問題だ。
神獣が持つ莫大な魔力を流し込まれた勇者は、どこまで耐えられるのか。耐えられなくなったらどうなるのか。
気にならないわけがないわけがない。
続けてくれ。そう意を込めて首肯した。
「フェイズ1、平常時。その生物が持つ魂の大きさに、適した量の魔力がにじみ出ている状態。肉体・精神共に健康であり、異常は見られません。これについては問題ないでしょう」
シュガーは机に載った檻の一つを指差す。中には健康体なテンジクネズミが、からからと回し車の上を走っていた。
「フェイズ2、不均衡。なんかの要因で平常時の1.3~1.8倍の魔力を得てしまった状態です。精神活動が活発になり、激しい運動が見られます。肉体的な異常はありません」
シュガーがチケットに羽ペンを走らせると、テンジクネズミの体に何かが吸い込まれていく。興奮状態になったネズミは、回し車が軋むほどに走り続けた。
「フェイズ3、過供給。平常時の1.8~2.9倍の魔力を得た状態です。魂に大きな負荷がかかり、精神活動は極限に達します。また、漏れ出る魔力が肉体をコーティングするため、身体的な強度は大きく高まります」
重ねてチケットに書き込む。ぶるりと身を震わせたテンジクネズミは、手足が千切れるほどの速度で回し車を走り続ける。
回し車の軸がギシギシと軋む。明らかに尋常な様子ではなかった。
「そして、フェイズ4。臨界点」
チケットに線を引く。その瞬間、回し車は吹き飛んだ。
テンジクネズミの脚力に耐えきれず、ズタボロになった回し車が狭い檻を暴れまわる。それよりもなお速い速度で、ネズミはギィギィと嘶きながら走り回った。
「平常時の2.9倍以上の魔力を得た状態です。あまりの魔力に魂は損耗し、精神活動は閾値を超えます。既に意識は朦朧とし、肉体強度は魔力量に比例します。ここを超えてしまったが最後、」
もう一枚、チケットにペンを走らせる。テンジクネズミに与えられていた魔力が消え、魔力量は平常に戻る。
すると、糸が切れたようにネズミは倒れ伏した。檻の中にだらりと転がり、不自然な姿勢で静止する。
「二度と元には戻れません」
ゆっくりと、ネズミは立ち上がった。
瞳は高速であちこちを見回し、開かれた口からはずるりと舌が垂れ下がる。
ふらふらと一歩、二歩、と前に歩く。回し車の破片につまづいて、べたりと転ぶ。
それでも何かを目指そうと足がぴくぴくと動いていたが、やがて、それも動かなくなった。
「…………」
十字短剣を抜き、癒術を発動する。上級癒術・智天使の氷棺。
たゆたう水がネズミの体を包み込み、今はもう遠い癒やしを与えながら凍てつかせる。
冷たい氷の中で眠るネズミの亡骸からは、少しだけ苦悶の表情が消えたように見えた。
「勇者の力はフェイズ3からフェイズ4に相当しています。これを使うというのは、それだけ無茶なことなのですよ」
「……ああ。だから、私は」
早く使命を終わらせて、この力を捨てる。そう結論を出した。
しかしシュガーは首を振った。
「だから私たちは、この力を使ってはいけない。使わずとも世界を救うため、他の手段を探さないといけないのです」
シュガーが出した結論は、私とは異なるものだった。
言いたいことは分かる。使いたくないという気持ちも、よく分かる。でも。
「そんな手段は無い」
「あり得ないことはあり得ない、と言ったはずです」
「無いんだよ。見れば分かる。私たちが倒さないといけない敵は、勇者の力抜きでどうこうできるものじゃないんだ」
「そんなこと――!」
「やってみろ。分かるから」
シュガーは口を閉ざした。私もまた、黙ってシュガーの目を見つめる。
同じ勇者の力を与えられ、同じものを目指し、異なる結論にたどり着いた。それはちょっとしたすれ違いなんてものではない。
これは、私とシュガーの、決定的な差異だった。
「んーとね。一個だけ、いい案があるんだ」
黙っていた桜が割り込む。とても良い方法を思いついた。そう言わんばかりに。
背中の竹刀袋からおもむろにMURAMASAを引き抜く。ひゅんひゅんと回したそれは、高速で黒白にすぱぱぱっと切り替わった。
最終的に桜が選んだ色は、白。星夜天斬流の構えを取り、にっと笑った。
「桜おねーさんが、全部ぶったぎる。それでファイナルアンサーだよ」
「…………」
「…………」
「あ、二人とも信じてないなー? 本当だぞ。天斬寺流剣術に斬れないものは無いんだから」
シュガーと顔を見合わせる。シュガーは「それもいいですね」と微笑んでいた。
桜なら本気でやりかねない。あながち間違いではないだろう考えに、私は「んじゃそれで行くか」と肩をすくめた。




