「磔刑だ。磔刑を執り行うしかない」
同じ屋根の下でノアが寝ている。ただそれだけのことで、シュガーは妙に落ち着かなかった。
「ああもう……。まったく、あの人は、本当に」
魔術で温めたホットミルクに砂糖を3つ落とす。体に良くないことは分かっていたけれど、今ではこれを飲まないとよく眠れない。睡眠不足よりはマシでしょと、シュガーはそんな風に自分を誤魔化していた。
結局、魔王の話はしなかった。
決意の固いノアをどう説得するか考えるより先に、旅の疲れが残るノアが眠気を訴えたのだ。
思えば昼に再会していた時から眠そうだった。無理をさせてしまったかもしれない。シュガーは少し、いや、多分にノアを心配していた。
そんなわけで自宅に案内し(これはシュガーにとって極めて勇気ある行動だったと言える)、ベッドに叩き込んだのだ。
「本当に行く気なのかな……」
リビングで一人呟くも、返事はない。
一人で魔王を討つなんて、あまりにも暴挙が過ぎる。あれは各国の勇者が力を合わせてようやく倒せる存在だ。伝承ではそう語り継がれていた。
無論シュガーは魔王を見たことは無いし、ノアが倒したと言うならその言葉は疑わない。だが、だからといって魔王が『倒せる程度のもの』と楽観視することはできなかった。
ノアは大胆だが無謀ではない。勝算を手に、確信を得て、屠るつもりで戦いに挑んだのだろう。
だとすれば、ノアは単独でも魔王を倒す術を掴んでいる。そう、それは、たとえば――。
「あれ、まだ起きてたの?」
シュガーが考えを巡らせていると、ノアの相方に考えを遮られた。
天斬寺桜。異世界からの転移者。付け加えるなら、突然現れてノアと自分の間に割り込んできた――。自然と浮かんできたそんな考えを、シュガーは頭を振って消す。
自分の中にあるこのもやもやとした感情は、決して好ましいものではない。そう自戒して、シュガーは意識して微笑んだ。
「桜さん。ホットミルク飲みます?」
「飲む飲む。ありがとー」
ミルクを温めて、砂糖を落とす。いつもの癖で3つ落とした後、かき混ぜながら、今更ながらにシュガーは自分の味覚が他人よりも少しズレていることを思い出した。
砂糖、いれすぎたかもしれない。甘いの苦手だったらどうしようか。
「? どしたの?」
「……いえ」
少し考えてから、シュガーはそのままマグを渡した。桜が口をつけて、ほわっとした笑みを浮かべるのを見て、シュガーも内心一息つく。どうやら苦手ではないらしい。
去年、これをノアに渡した時は少し微妙な顔をしていた。ノアは黙って飲んでいたが、甘いのが苦手らしいということはシュガーにも伝わった。
「ねね、シュガーちゃんシュガーちゃん」
「はいはい。シュガーちゃんですよ」
「ノアちゃんとの馴れ初め、聞かせてよ」
吹き出すのはこらえた。
急に……こん人は……なんてことば聞いとーと……! 内心湧き上がってきた言葉をなんとか抑え、シュガーは帽子を目深にかぶろうとする。
が、室内。頭の上に帽子は無かった。
「あ、違った。出会いだった。ごめんごめん、間違えた」
「……にどとまちがえないでください」
「ごめんってば」
随分と平坦な言葉が口から出る。感情は少ししかにじみ出ていない。自分をコントロールできていることを確認し、シュガーは落ち着きを取り戻す。
「別に大した話じゃないですよ。聞きたいですか?」
「うん、聞きたい」
「物好きですね」
「へへー」
隠すほどでもない。そう考え、シュガーは言ってしまうことにした。
「初めて会ったのは一昨年ですよ。私とノアは互いに勇者として生まれ、隣国でしたので顔合わせの機会があったのです。あの時の私はまだ勇者になったばかりの少女で、魔術なんて使おうと思ったことすらありませんでした。でも……」
最初の出会いは、決して好意的なものではなかった。
むしろあの時のシュガーには戸惑いのほうが大きい。これが自分と同じ勇者なのかと、ひどく困惑したのを覚えている。
「まだ6歳だったノアは、既に癒術士養成学校を卒業してプロの癒術士になっていました。あの頃のノアには余裕がなくて、きっと同じ勇者である私も眼中になかったでしょう。生き急ぐどころか、ひどく焦っているような。何を恐れて何を求めていたのか、詳しいことは分かりませんが、彼女はずっと何かを目指していました」
シュガーも勇者に選ばれた時、ずっと続いてきた日常が終わりを告げたような感覚はあった。
しかし、ノアの焦り方はそれだけではない。シュガーにはそう感じられた。
「それ以来、うちの国が焦っちゃったんですよねー。隣国の勇者はもう癒術士だからって、私も森羅の塔に放り込まれました。来る日も来る日も勉強漬けで……。遊ぶ時間なんて少しもなくて、無機質に休憩時間が与えられても周りは大人ばかりで、友人なんて作ろうにも作れませんでした。正直、あの頃はノアのこと、結構恨んでましたよ」
魔術の勉強を始めた頃は本当に大変だったと、シュガーは思い返す。
周りの大人たちが妙にカリカリとしていて、あれもこれもと次々に詰め込まされる。それらの全てを飲み込んだら、もっともっと多くのことを詰め込まされる。
終わりのない魔術勉強の日々。シュガーに高い魔術の適正が無ければ、乗り切ることは叶わなかっただろう。
「それから1年とちょっとして、私がそれなりの魔術士になった頃、ノアが魔国に来たんです。あの子はもう特急癒術士になっていて、相変わらず水を開けられていたんですけれど、それでも「どうだー」って言おうと思っていたんですよ。私だって頑張ったんだぞ、って。そしたらあの子、なんて言ったと思います?」
きょとんと、目を丸くして。それからノアは、じっとシュガーを見て。少しだけ泣きそうな顔をして。
疲れた顔で自慢するシュガーを、ノアは唐突に抱きしめた。
それが、一年後に再会したノアだった。
「大変だったろ、無理はするな、って。いやもう、間接的とは言えあの人のせいで無理したんですよ、私。諸悪の根源が何言ってんだーって思ったんですけど、でも、それ以上に。頑張って良かったなって思えちゃったんですよね」
「ノアちゃん、その時から、もう……」
「桜さん? どうされました?」
桜は小さく、「うちの国ではマッチポンプと言う」とつぶやいた。シュガーにはその意味は分からなかった。
「その時のノアは以前よりも落ち着いていたので、色々とお話したんですよ。勇者のこと、魔王のこと、魔法のこと、神獣のこと。それ以外の話もたくさんしました。森羅の塔に入ってから、初めての心休まる時間だったんです。――私にとっては、初めての友人でした。なのに……」
「なのに?」
「今日来たって聞いて、楽しみに待ってたのに、ベンチで寝てた……」
「よし、燃やそう。今からノアちゃんを燃やしに行こう」
「まってまってまって」
決意を固めた桜をシュガーは押し止める。燃やしたいのは山々だったが、もう少し言っておきたいことがあった。
「手紙でやり取りもしていたんです。私がノアを追って大魔術師になったって報告したら、まるで自分のことのように喜んでくれて。次に会ったらお祝いしてくれるって言ってたのに、あの子、疲れたって言ってそのまま寝ちゃった……」
「燃やすだけじゃ生ぬるい。磔刑だ。磔刑を執り行うしかない」
「やりましょうか」
二人は息を合わせて席を立つ。もう迷いはない。
ノアが寝ている部屋で突如として枕投げが始まる。悲鳴を上げたノアが飛び起きるまで、数分の猶予もなかった。




