キスの魔法
「太陽!」
リナリアの死から何とか立ち直り、涙をふいた詩衣は太陽のもとへと駆け寄る。
「太陽! 太陽! 目を開けてよ!」
詩衣は傷つき倒れる彼の体を必死に揺すったが、太陽は返事をしなかった。
「太陽……! 太陽……! お願いだから目を開けてよ! いつもみたいに『こ、こわかった~』って泣いても今日はへたれなんて言わないからさ! ねぇ! 太陽っ!」
詩衣がそういくら呼びかけても目を開くどころか、指先一つ動かさない。
「っ~!」
詩衣はまた込み上げてくる涙を必死に歯を食いしばって堪えると、今度は「白銀!」と白銀のもとへ走った。
「あぁ! こんな姿になって……!」
白銀の姿は太陽以上に無惨なものだった。
ひしゃげて完全に潰れてしまっており、せっかく詩衣達が磨いたぴかぴかの姿は見る影もない。
「大丈夫! ねぇ! 大丈夫!」
詩衣は白銀をこれ以上壊れないように慎重に上半身を抱き起こしながら一生懸命呼び掛けたがしかし、彼からの応答も返ってこない。
「……待っていて。麦!」
詩衣はゆっくりと元のように白銀を横たえると次に麦のもとへと駆けた。
「きゃあ! 藁がばらばらに!」
麦は体の藁があちらこちらに飛び散ってしまっていた。
藁がわずかにだけ残された服と帽子が憐れに転がっている。
「戻さなきゃ! 戻さなきゃ……!」
詩衣は一心不乱に藁をかき集めると、麦の服の中へと元のように詰めていった。
「ほら! 元通り! ね! 麦! 大丈夫でしょ?」
麦の体は確かに元の姿に戻った。
しかし、彼もやっぱり詩衣に笑顔を向けてくれることはなかった。
「……っ! いつもみたいに『大丈夫ですよぉ~』って言ってよ……。いつもみたいに『大丈夫に決まってるだろ』って言ってよ……! いくら場違いでも、生意気でも今日は怒らないから! お願いだから言ってよ! 言ってよぉ……」
詩衣はそう泣き崩れたが、そんな詩衣の側にいつものように寄り添ってくれる者は誰一人いなかった。
「ひぐっ! ひぐっ!」
詩衣はしゃくりあげながらふらりと立ち上がると、まず一番近くにいた麦の側へと歩み寄る。
「麦の賢いところが大好き」
詩衣は屈むと麦のその唇に優しいキスをした。
「白銀の優しいところが大好き」
次に白銀のもとへと歩くとまた同じように柔らかにキスをする。
「太陽の勇気があるところが大好き」
最後に太陽の側へと行くとまたチュっと音をたててキスをした。
「みんなみんな大好き……! 大好きだよ……! だから、起きて! 私を一人にしな……」
ぼわん!
詩衣の叫びに応じるように何かが破裂するような音が周囲に響く。
その途端、麦達の体からはもわもわと白い煙が立ち上った。
「な、何で! 急に煙が!? どこから出てきたの? みんなは大丈夫なの?」
「あらら。まさか自分で魔法を解くなんて」
「唇へのキスは何よりも強い愛の魔法。他のどんな魔法も無効化しますわ。私達のかけた魔法が解けるのも当然ですわね」
詩衣が一人でどうしていいかわからずパニックに陥っていると、どこからか声が聞こえてきた。
「誰!?」
声が聞こえた方向を詩衣が慌てて振り向く。
「はぁい。ドロシー。久しぶり」
「ドロシー様。お久しぶりです。この節は妹が大変ご面倒をおかけしました」
そこにはこの西の国にいるはずのない、北の魔女のルルと南の魔女のグリンダの姿があった。
「ルル! グリンダさん! どうして? ここに? てか、妹って!?」
詩衣は予期せぬ二人の登場と、何よりグリンダの発した衝撃の一言に驚き、大きな声を出す。
「西の魔女――リナリアは私の実の妹なのです。何を間違えてしまったのかあんなことになってしまって……」
「……だから、リナリアの目を前にも見たことがあると思ったんだ」
詩衣は最初グリンダとリナリアが姉妹だったということに驚いたが、申し訳なさそうに目を伏せる彼女の青い瞳がリナリアの瞳そっくりだったことに気づき、その事実を自分でも意外なほどすんなりと認めることができた。
「それにしても悪魔と契約していたなんて盲点だったわ。だから、魔女の掟に引っかからずに他国を攻め入ることができたのね」
「まさか『あの子のために流れた涙』が契約の鍵だったとも思いませんでした。まったくあの子らしいわ。どこまでも強がりで、誰よりも寂しがりや。本当にバカな子……。私の大切な人達をたくさん奪って、絶対に絶対に許さないんだから。……リナ……。あなただって私の大切な人に変わりはなかったのに……! もっと早くあなたの孤独に気づいてあげられたら……」
そうグリンダは瞳を潤ませてうつむいた。
南の魔女の責任の重さのためだろう。ぎりぎりのところで涙だけは決してこぼさない。
「グリンダさん……」
グリンダのその様子に彼女が妹であるリナリアを、たとえ西の魔女として暴挙をふるえど、心の底から愛していたことを知った。
この姉妹はお互いがお互いを思いやる故に重大なすれ違いを起こしてしまったのだ。
リナリアとグリンダの関係が、自分と文明国に残してきた姉との関係に重なり、詩衣の胸が痛む。
「あなたのせいではないわ。あれはリナリアが選んだ結果よ。彼女自身が止まる以外、誰も止めることができなかったんだわ」
「それでも、気づいて何か一言でもかけてあげられたら……! 私は姉としても南の魔女としても失格です! オズの国の皆様に顔見せできない! かくなる上は責任をとって南の魔女を辞めるしか……」
「グリ……甘えないで! ……へっ?」
そんな自分を責め続けるグリンダの痛ましい姿に詩衣は慰めの言葉をかけようとしたのだが――なぜか口からは真逆の厳しい口調の台詞が出た。
詩衣の意思に反した言葉を彼女の口はそのまま伝え続ける。
「あなた逃げるつもり? 東西の魔女が倒れて大変な時にあなたに落ち込んでいる暇はないの! もしどうしても償いがしたいと言うなら、あなたがするべきことは南の魔女を辞めることではなく、この国のために全力で尽くすことよ! 私のためにも私の憧れたかっこいい姿のままでいつまでも居続けてよ。『お姉ちゃん』……」
それは確かに詩衣の口から発されていたが、詩衣ではない誰かが紡いだ言葉だった。
「リナリ……」
グリンダもその言葉を話したのが詩衣ではない別人であることに気づいたのだろう。
一度完全に南の魔女の顔を脱ぎ捨てて、一人の姉の顔をして詩衣に歩み寄ろうとしたが――すぐに首を振り切るように横に振る。
「わかりました。『ドロシー様』。甘えたことを言って申し訳ございません。私はもう決して過去は振り返りませんわ。この国のために一生を捧げることを誓います――大切な人が憧れてくれた私のままでいるためにも」
そうはっきりと宣言するグリンダの表情は正しい南の魔女の姿そのものだった。
「グリンダさん。ありがとうございます。『この子』も喜んでいるわ」
詩衣は一度『誰か』のぶんもにっこり微笑んだが――すぐに狼狽えることとなる。
「てか、話していて気づかなかったけど、何? この煙! どんどん量が増えているんだけど! 大丈夫なの!? 麦! 白銀! 太陽!」
そう。詩衣がルルとグリンダと話している間にあの不思議な煙は勢いが増していたのだ。
詩衣は突然発生してしまった白いカーテンにより、すっかり姿が見えなくなってしまった仲間達の名前をあたふたと呼ぶ。
「大丈夫よ。この煙は私達のかけた魔法が順調に解けている証拠。本当なら私達がここに来たのもこの魔法を解くためだったんだから、安心しておとなしく見てなさいよ。きっとあなたは驚くわ」
慌てふためく詩衣にルルがそう余裕のある様子で言う。
「さっきも言っていたけど、魔法って……? あっ……!」
その時、煙の中で何かが動くのに詩衣が気づいた。
「麦? 白銀? 太陽?」
詩衣は三人のうちの誰かが目を覚ましたのかと思い、駆け寄ろうとしたが、その瞬間に足を止める。
「誰……? この人達……?」
そこにいたのはかかし、ブリキ、ライオンのどの姿でもなく――それぞれ薄茶色、白銀色、金色の髪を持つ三人の見知らぬ人間が立っていたのだ。




