新たな旅
「ドロシー様……」
そんな詩衣の顔を真正面に見据えると、グリンダは一際真剣な声で彼女の名を呼んだ。
「ドロシー様! お願いです! どうかあなたの手で西の魔女を倒してはいただけませんでしょうか?」
「…………ええっ! わ、私が!?」
詩衣はグリンダの要請を理解するのにしばらくの時間を有してから、自分の顔を指さし驚きの声をあげた。
まさかそんな無謀としか言えない頼みごとをされるとは彼女だけではなく、その場の誰も思っていなかったので、詩衣の反応は決して過剰なものではないだろう。
「唯一の抑止力であるエメラルドの都が西の魔女の手に落ちた今、彼女を止めることができるのは異世界から来た、東西南北のどの国にも属さないドロシー様だけなのです! 東の魔女を倒し、西の魔女の軍勢までも退けたあなた様なら可能なはずですわ! どうかお願いします! このオズの国を救って下さい!」
グリンダはそこまで一気に言うと、ガバリと勢い良く頭を下げる。
「ち、ちょっと! 待ってよ! そ、そんなむちゃぶりにも程があるわ! あれは本当に偶然で……西の魔女の軍勢を追い払ったのだってあなたのさっきの説明通りなら、この靴のおかげってことでしょ? 私の力だけでできたことは何一つないわ! そんな私に西の魔女を倒すなんてそんなの無理よ! 私には何も……何もできないもの……」
最後の方は勢いなく、消え入るような声で詩衣が言った。
「いいえ!」
そんな力なくテーブルに置かれた詩衣の手を身を乗り出して掴むと、グリンダが力強く言い切る。
「あなただから、ドロシー様だからこそできたのです! もしすべてが偶然だとしても、偶然東の魔女の上に落ちたのも、偶然魔法の靴を手にいれたのもあなただからできたことです! 他の者には無理でしたわ! もっと自分を信じて下さい! あなたならきっと西の魔女を倒せるはずですわ!」
「……私だから?」
「はい! ドロシー様だからこそできるのです!」
弱々しく訊ねる詩衣にグリンダが戸惑いなく言い切る。
「…………私……やるわ」
しばらく躊躇ったのちに詩衣が言った。
「私なんかにできると思わないけど……でも、私にも少しでもできることがあるならやりたいの」
あいかわらず自信のない口調で三つ編みを手で弄ってはいたが、詩衣のその瞳に迷いはなかった。
「ドロシー様……」
「あっ! でも、文明国から来た私はいいけど、麦達は一応東の国の人じゃないの? 他国に攻めいった者はどんな人でも罰せられるんでしょ? 大丈夫なの? ま、まさか! 私一人で行けと!?」
詩衣は突然この絶望的な事実に気づき、顔を一気に青ざめさせる。
先ほどまでのグリンダの話が事実なら攻撃に参加しないトトは別として、それぞれかかし、ブリキ、ライオンである麦、白銀、太陽も魔女の掟の適用対象であるはずだ。
「ふふ。大丈夫ですわ」
グリンダがさっきまで強張っていた顔をまた美しい笑顔へと戻して言った。
「麦様達が本当に東の国の住人なら西の魔女に攻撃を加えた途端、即座に命を失うでしょう。しかし、この方達の魂は東の国とは別の場所に属しているので、魔女の掟の罰を受けることはございませんわ」
「東の国と別の場所……? えっ!? 麦達は東の国の人じゃないの?」
詩衣はグリンダのまさかの答えに驚いて聞き返す。
「すみません。今はまだ私の口から詳しいことをお話しすることはできないのです。今は私の言葉を信じて下さいとしか……」
「いいじゃないですか」
そう言い淀むグリンダに今まで黙って二人の会話を聞いていた麦達が口を開いた。
「理由がどうであれドロシーさんのお役に立てるのです。私はどこまでもドロシーさんについていきますよ」
「麦……」
「バカ女にこの国の命運を任せるなんて不安以外の何者でもないからな。俺も西の魔女と戦うぞ。あいつには借りがあるしな」
「白銀……」
「そ、そんな恐ろしいところにドロシー一人を行かせられやしないよ! こ、こ、怖いけど僕も一緒に行くよ!」
「太陽……」
「わん! わん!」
「トト……」
今度の旅はただでさえ危険な上にグリンダの話に少しでも誤りがあれば即座に命を落とすかもしれない。
しかし、麦達は詩衣についていくと一切の逡巡のない口調で宣言する。
「……みんなバカよ。大バカよ。……グリンダさん!」
詩衣は目に滲んできた水滴を乱暴に拭うと、仲間達からグリンダに視線を戻して言った。
「私行きます! 西の魔女を倒してこのオズの国に平和を取り戻します!」
そう明言する詩衣の口調は先ほどまでよりも強い決意に溢れていた。
「ありがとうございます……」
その詩衣達の答えを聞いてグリンダは深々と頭を垂れる。
「西の魔女がいる西の国までの旅の食料などの準備はこちらで全面的に支援させていただきます。ドロシー様……。この旅が終われば、あなたのやりたいこともきっと見つかるはずです。どうかご武運を……」
「はい! 絶対に西の魔女を倒してみせます!」
グリンダの言葉に詩衣は力強くうなずいた。




