ガラスの村
「やった! 村よ!」
麦の目測通り歩き続けてちょうど一時間、詩衣逹は小さな村へと辿り着いた。
「……何か私が最初に行った集落とは違う感じ」
詩衣はきょろきょろと周りを見渡しながら、そんな感想を漏らす。
確かに、家々の形一つとっても詩衣が最初に訪れたマンチキンの集落とは随分雰囲気が違うようだ。
この村の建物はお椀というより、ぷっくりと太った笠の大きいきのこのような形をしていて、それがあちらこちらにまるで本物のきのこが生えるように無秩序に建っている。
しかし、ここでも隅々まで忘れることなく青色に塗られているのは変わらない。
「この国の人達は本当に青が好きなのね……」
その光景を見ながら詩衣は、少し呆れたように呟いた。
「ここまで徹底してるといっそ清々しいわ。でも、家の形は絵本に出てきそうな感じでかわいいわね。前見たマンチキンの人達の家よりも一回り小さいみたいだし」
そう言いながら詩衣は、その家々の一つの外壁にそっと手で触れてみた。
「……つるつるしてる」
今度詩衣はその奇妙な材質の外壁を爪で軽く弾いてみた。
すると、キーンと響く澄んだ音。
「……よく音が響く。てか、これって……ガラス? 何! この建物! 全部ガラスでできているの!?」
確認するようにぺたぺたと触ると、ガラス独特のひんやりとした心地よい冷たさが詩衣の肌へと伝わった。
そう。この建物の数々は木材や鉄鋼などの詩衣の見慣れた建築材料逹ではなく、骨格を含めた端から端までの全てが繊細なガラスでできていたのだ。
「すっご~い。妙に透明感があると思ったのはそのせいなんだ。壁は色が濃いからわからなかったけど、屋根はうっすら透けているもんね。あっ! よく見れば、そこら辺に生えている花もガラスでできてない? すっごーい! きれい!」
「あら。あなた逹見かけない顔ね。旅の人?」
興奮した様子で花々を見つめていた詩衣に突然誰かが声をかけてきた。
「は、はいっ!」
詩衣は急いで声がした方向を振り向く。
「……えっ!?」
詩衣は思わず驚きの声を上げた。
そこにいたのは穏やかな笑顔を浮かべた優しそうな女性。
一見するとマンチキン達よりわずかに小柄なだけの普通の女性のように見えるのだが――彼女の体はなんと! 透明に透けていたのだ!
「向こう側が見える……。……も、もしかしてここは、住んでいる人逹までガラスでできているの!?」
「あら。あなた、その驚きよう……この村は初めてなのね」
慌てる詩衣とは裏腹に女性がにっこりと微笑んで言う。
「ここは『ガラスの村』。その名の通り全てがガラスでできたガラスのための村なのよ。ここではオズの国のほとんどのガラス製品が作られているの。あなた逹は観光? どこの国の人かしら? 見慣れない格好だけど……」
そう訊ねながら、女性が顔をよく見ようと詩衣に近づいてきた。
「……ん? きゃつ!」
しかし、そこで突然女性は甲高い悲鳴を上げた。
「えっ!? えっ! 私、何かしましたか? 私の顔に何か不具合が……!?」
急に金切り声を上げた女性に詩衣は自分の顔を慌てて隠しながらそう訊ねたが、女性は彼女の質問には答えず興奮した様子でこう叫んだ。
「きゃああぁー! みんな! 早く来て! 勇者様よ! 勇者様が来たのよぉー!」
「へっ?」
あまりに予想外な女性の言葉に詩衣は思わずまぬけな声を出す。
「勇者様よぉーー!」
しかし、女性はそんな詩衣の様子は気にせず目一杯声を張り上げ、叫び続ける。
「何だとぉーー!?」
「本当に!?」
詩衣が突然のことについていけず呆けている間に、その叫びにつられ、女性と同じようにガラスでできた村人逹がカシャカシャと賑やかな音を立てながら、詩衣の周りに集まってきた。
「ひっ……!」
詩衣は恐ろしいデジャブに思わず身をすくめる。
「な、何なんですか……!? あなた逹は! 私、何かしました? 私の顔ってそんなに罪ですか!?」
しかし、そんな風に混乱している詩衣を他所に、村人逹は彼女を埋め尽くさんばかりにどんどんと集まり、詩衣の周りを固めていく。
「ひぃい……! な、何なんですか!?」
「これはこれは失礼しました」
もう半分泣きそうになっている詩衣の前に、人波を掻き分けて薄い頭部に反して、あごには立派なひげを蓄えた老人が現れた。
その老人が詩衣に言う。
「こら。皆の者、落ち着きなさい。勇者様が怯えていますぞ。私はこの村の村長をやらせていただいている者です。勇者様。よくこんな何もないちっぽけな村までお越し下さいました」
「えっ!? 勇者ってあの、私はそんな大層な者ではないんですけど……」
「いえ! いえ! あなた様は悪い東の魔女を倒してくれた勇者様だ! その赤い靴と、何より額の北の魔女様のキスの跡で、あなた様が偉大な魔法使いだということがわかります」
「私は魔法使いなんかじゃないわ! それに、東の魔女を倒したのも本当に偶然で……。……てか、キスの跡! 色々あってすっかり忘れてたけど、ルルにキスしてもらったところってそんなに目立っているの!?」
「どうぞ」
慌てて額を押さえる詩衣に、村長が自分の腕を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
詩衣は心の中で『これは便利だな……』と思いながら、村長の腕をのぞき込む。
「あっ……! 本当だ! 何かキラキラしてる!」
詩衣はまた驚きの声を上げた。
村長の腕に映る詩衣の額には、小さな小さなキスマークがうっすらとだが確かに残っていたのだ。
まるでラメでも塗ったように、ルルの小さな唇が当たった場所だけが輝いている。
どうやらこの跡で詩衣が最初に訪れたマンチキンの集落の人々も彼女が東の魔女を倒した者だということがすぐにわかったみたいだ。
「北の魔女様のキスの跡があるなら安全です。あなたは正真正銘、私逹の恩人だ。私達はマンチキンとは異なる種族。しかし、この東の国の民ではあります。マンチキン逹と同様、悪い東の魔女に虐げられ、辛い毎日を送っていました。そんな辛い日々の中、悪い東の魔女が倒されたという知らせを受けました。それが私達にどれだけの喜びをもたらしたか、どんなに言葉を尽くしても語り尽くすことはできません。そんな喜びを下さったあなた様にぜひお礼がしたい。大したことは出来ませんが、せめて恩人のあなた様のためにささやかながら、歓迎のパーティを開かせてくれませんか?」
「えっ……。でも、悪いわ。それに私の仲間もいるし……」
詩衣はそう言いながら、自分の旅の仲間逹をちらりと見た。
犬にかかしにブリキにライオン――どう見てもパーティーに喜んで招待されそうなメンバーではない。
「残念ですが……」
「もちろん! お仲間さん逹もぜひどうぞ!」
詩衣はその申し出を辞退しようと口を開いたが、村長はそんな彼女の心配など全く意味がないというように、軽い調子でこう言う。
「で、でも……」
「いいじゃないですか! お言葉に甘えたって! ねぇ? 水色さん?」
渋る詩衣に麦がのんきな様子でこう言う。
「俺は白銀だ……。……俺はどんなボロ屋でも雨宿りができればそれでいい」
自分の呼び名の言い間違いを訂正しながら、白銀も麦の意見に同意する。
「し、失礼だよ! し、白銀。ボ、ボロ屋なんて! ぼ、僕も行っていいのかなぁ……」
白銀に注意しながら、太陽が自分の大きな体を気にしている様子で言った。
「わん! わん!」
トトも「ぼくも大丈夫?」と訊ねるような様子で吠える。
「ははは! どうぞ! どうぞ! 遠慮しないで下さい!」
そんな太陽とトトの意見も全然問題がないと言うように村長は高らかに笑った。
「で、でも……」
「「「「遠慮しないで下さい!」」」」
それでも渋る詩衣に村人逹がだめ押しとばかりに声を合わせて言う。
「……じ、じゃあ、お願いします」
そんな村長と村人の勢い押され、詩衣はやっとおずおずとだが、頭を下げた。




