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四聖物語  作者: ニネコ
第一章
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2



 扉をあけてすぐ、コウアンに捕まって着替えを促された。

 汗臭いって、鍛錬してたら仕方ないのにひどい。

 それより少しでもいいから、早くガリアの顔を見たかった。

 けど、すっかり寝入っているらしく、起こしてしまうのも可哀想だからガリアが起きるまでそっとしておくことにした。

 それに、中途半端に寝ているのを起こすと、ひどくぐずるのだ、あの子は。


「婆の話が終わる頃には起きるかな?」


 フウは言っていなかったが、どうやら客人を連れてきたらしい。だから、そういう時コウアンに逆らうのは間違いだ。コウアンは婆の名に傷が付きそうな行為は、徹底的に排除しようとする。

 まあ、だいたいその矛先は私に向かうのだが。

 着替えだけだと、たぶん彼は気がすまないだろうから一応水浴びもしていく。

 洗い場の大桶に貯められていた水は、この陽気にぬるくなっており調度良かった。

 手桶で三回ほど頭から水を被ればおしまい。後はざっと身体を拭いてしまえばいい。


「あ、あれ?……やられた。」


 脱衣所の着替えの入った籠には、いつもの生成りの服ではなく別のものが入っていた。古代樹からの帰り道。フウが言っていた婆が好むなんとも愛らしい服が一式だ。

 正直言って着たくない。

 着たくはないが、ここでタオル一枚身体に巻きつけて、部屋まで行くのは駄目だろう。コウアンに見つかってしまう。

 婆なら笑って許してくれそうだが、客人も居ることだし彼は絶対説教三時間コースだ。

……仕方ない。先の話で否定したのに着たら、フウにはからかわれるだろう。が、それよりコウアンの説教のほうが嫌だ。

 手の甲まで隠れる長い袖の上着に、床に届きそうなスカート。裾には黄色の糸で刺繍された小さな花たち。藍色に染められた布は薄く軽い。手触りもなめらかで、僅かな動きで揺れてさらさらと肌を滑る。香を炊き込めたのか、甘い匂いが服からわずかに漂う。

 洗面台に据えられた姿見に映る姿には、肌の露出の少ない私の姿。これでは全然獣人に見えない。人間だといえば誰も疑うことはないだろう。

 ついと、視線を籠に戻し、多分つけろということなのだろう小ぶりの装身具を手にした。藍色の石がはめ込まれた金の指輪と腕輪だ。

 家の中でも守りを必要とするということは、客人は魔術師か何かなのだろうか。婆の力で、一定に保たれているはずの部屋の魔素を乱すなんて、どんな人なのやら。

 ああ、面倒くさい。

 着慣れない服にどうも落ち着かない。


「アレイ、着替えにいつまでかかっている。」

 

 脱衣所の扉が開き、コウアンが顔を覗かせる。

 頭がまだ濡れていたのか、彼はため息を吐きながらタオルで乱雑に私の頭を拭いた。

 白く長い指。私よりも細い腕ながらどこにそんな力があるのだろうか。頭が揺れた。

 頭を覆うタオルの隙間から見える彼の眉間に皺を寄せた顔は、誰もが見とれるほど端正で。

 やっぱり、私よりもコウアンのほうが似合うだろうに。

 

「……今行く。」


 居間には婆とフウ、それに見知らぬ二人が席について何やら話していた。

 ガリアは寝ていると言っていたから、寝室だろう。

 それにしても客人二人はフウよりも大きい。額に鱗爪と呼ばれる突起があるし、きっと龍人の一族なのだろう。普通、自分の部族の集落以外には姿を現すことのない種族だけに、確信は持てないが。


「アレイ、こちらにいらっしゃい」


 私が来たことに気づいた婆が、隣の席へと手招きする。

 ふわふわと、古代樹がつける乳白色の花の色に似た髪が動きにあわせて揺れる。私に婆と呼ばせている彼女だが、見た目は私の姉といってもいいくらいに若い。もっとも“純なる者”である以上、外見と年齢が一致していることなど稀らしいのだが。

 それにしても私を横に呼ぶなんて、どうやらこの客人たちは私に関係のある人らしい。そうでなければ、婆は私に自由に席を選ばせている。

 一体彼らがなんだというのだろう。

 疑問に思うも取り敢えず促されるまま、婆の隣に座る。

 コウアンが給仕をつとめ、各人の前にはカップが置かれていた。私の目の前には、青い透明なグラスのコップが置かれ、冷たいハーブ水が置かれる。

 口の中がスウスウとしてあまり好まないが、汗をかいた後にはコウアンは必ずこれを出してくる。なんでもこの漬けられたハーブが、汗をかいた身体にいいらしいのだが、正直余計なお世話だと思う。

 でも喉が乾いている以上、飲まないわけにも行かないので渋々口につける。ハーブ臭い。

 喉を通る冷たさが口内の爽やかさを一層引き立てた。


「へー、この子が月清殿の養い子か。」


 ジロジロと見られているなと思ったら、客人の内、白銀の髪の男が愉快そうにそう言った。月清殿というのは、婆のことか?


「ええ、アレイといいます。可愛いでしょう。」


 婆が私を彼らに紹介する。と、いうか可愛いのは服であって私ではない。相手だって反応に困るじゃないか。


「はじめまして、ディアナが養い子のアレイと申します。」


 一度席を立ち、以前教えられたように、名乗り礼をする。利き手である右手の平を相手に向けて、軽く頭を下げるのは敵意が無いことを示すのだが、果たして龍人への挨拶でもこれは妥当であったのか。

 顔を上げ、見えた男の顔は優しげな笑み。

 よく出来ましたと、まるで子供を褒めるかのような表情だった。

 バカにされているようで、むかつく。婆の前でなければ、絶対に手が出てた。

 派手に端正なその顔に、拳を入れたらきっと気持ちがいいだろうに。


「おや、フウ殿に聞いていたよりは大人のようだ。ここに来るまでの道中、彼と言ったら君に関してはどうもガリア坊やと同じような扱いで話していたから、もっと幼い少女を予想していたが。いや、これは意外意外。月清殿の言うとおり、可愛らしい。そうしてお揃いの服を着ていらっしゃると、まるで姉妹のようですね。月清殿がその名の通り月だとしたら、アレイ殿は太陽かな。金の髪が柔らかく陽光を浴びて、日向に咲く花のようだ。」


 男は、こちらに口を挟ませないほど滑らかに言葉を発する。


「おい。」


 隣の鈍色の髪の男が窘めるように、腕を軽く叩く。

 それによって一度男の口が止まる。苦笑。

 目の前のカップに口をつけ、喉を湿らせた。かと思えば再び口を開く。


「ああ、済みません。名乗りが遅れました。俺の名はキサン。キサン・トフィルといいます。こちらの彼はアジャト・バクター。俺の対候補になります。ここより西方にある赤い龍果樹の森の部族の出です。現在は色々と有りまして、旅の護衛をして各地を回っています。こちらには旧知であるフウ殿の依頼で同行しまして、それがかの月清殿が治められる街だとは。いや、本当に運がいい。一度月清殿の工房にて、直接作品を見てみたいと思っていたんですよ。何せ、月清殿の呪いが施された作品は、めったに市場に出回ることがありません。おまけに所有している者もあまり見せびらかすようなことをしない。噂ばかりが耳に入り、以前から気になって仕方がなかったんですよ。」


 よくもまあ、これだけ噛まずに口が回るものだ。

 婆もフウもニコニコと笑みを湛えたまま、口を挟まない。なので、客人が一体何のようでここにいるかわからない以上私も口を挟めない。

 新しい茶を運んできたコウアンの顔が、若干ひきつって見えるのは気のせいか。

 アジャトと紹介された男が何度か腕を叩いても、今度は口を閉ざさない。

 それどころか興が乗ったのか、聞いてもいないことまでつらつらと話しだす。


「いやね。幻獣どころか最近、魔物なんて厄介なものがあちらこちらと出没するから、護衛っていうのは結構儲かりまして。こう言ってはなんですが、俺もこいつも腕が立ちますからね。龍人という種族故、体格に恵まれていることもあり、初見でも雇用主を見つけるのに苦労はしません。探し人故定まらぬ旅路もおかげで路銀の宛には困りませんので、ありがたいことです。ああ、俺達が護衛業をしているのは、既にご存知でしたね。しかし、この街はいいですね。活気がある。月精殿の結界が強固なのもありますが、街を囲む外壁もしっかりとしていて、これではどのような魔物もこの街に危害を加えることなど出来はしないでしょう。それ故の発展。まったく我が部族の集落とは比べ物にもならない規模。感嘆の一言です。」


 いや、全然一言じゃないだろう。

 呆れながら、横目で婆たちの反応を伺うが、相変わらずニコニコと笑みを崩さない。分かっていたことなのだろうか?

 視線を前に戻せば、キサンの口上は止まらず、隣に座るアジャトは眉間に皺を寄せていた。

 溜め息。

 次の瞬間、アジャトの裏拳が吸い込まれるように、キサンの顔面へと叩きこまれた。

 痛い。あれは痛い。

 叩きこまれたキサンはぐぅっと息をつまらせると、顔面を両手で覆った。声にならない呻きを漏らしながら、卓上へと俯き、身を縮こませる。

 

「あらあら。」


 隣の婆から、のんびりした声が漏れる。いや、もっと驚こうよ、婆。

 キサンの抑えた両手から、何か赤いのが滲んできてるよ。家の中では婆の許可がないと術の行使できないから、さっきから詠唱らしき呻きが無駄に繰り返されてるし。


「……さて、月精殿。私達に何か話があったのでは」


 己の手で同行者を悶絶させておきながら、平然とアジャトは婆へと話を振る。

 派手な容姿のキサンと比べ、地味な印象の彼だが、どうやら力関係は彼のほうが上のようだ。

 また、客人のほうが用があるのではなく、婆が彼らに用があるらしい。珍しい。客人といえば大概が婆へ様々な要件を持ち込むものだと思っていた。

 

「旅の護衛を依頼しようと思いまして。」


 旅。

 その単語に、思わず婆の方へと顔ごと向ける。

 結界の主たる婆が、街を出るというのか?それともコウアンを使いにでも出すのか?

 でも、だったら私をわざわざこの席に座らせる意味がわからない。

 私はこの街を出られないから、関係ない話だと思うのに。


「生憎、私には適した知人が居りませんから、フウを通じてあなた方にお声がけさせていただいた次第です。事前に触りの部分をフウから聞いていらっしゃるかと思いますが。我が家までご足労頂いたということは、取り敢えず交渉してもよいと思われたからでしょうか。」


 婆の言葉に、アジャトは頷いた。

 無駄に言葉を発したキサンと違い、こちらは無駄に口を開かない質のようだ。


「ふふ。では、話を続けさせて頂きまね。今回はこちらのアレイの里帰りの際の道中の護衛をお願いしたいのです。」


 里帰り?

 私の?

 どういうこと?

 何も聞いてない。大体、私は結界を構成する魔素さえ駄目で、街の外に出られない。なのに、どうやって大気中の魔素の密度も状態もまったく安定していない外へと行かないといけないのか。

 婆に問い詰めたいのに、喉が閉まって上手く言葉が発せられない。

 その間にも婆とアジャトの会話は進み、勝手に護衛話はまとまっていってしまった。


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