13話 スラムとの別れ【改訂】
クリプトの言によればミリエルは教団に命を狙われているらしい。
自分が何に巻き込まれようとしているのか検討もつかないが、ひとまずメイファとともに急いでミリエルのところへ戻った。
「アルマイーズの目的はなんだ?」
「わからぬ。だが、アルマイーズ様があの組織のトップであることは間違いない。それに……」
「それに?」
「アルマイーズ様は悪い方ではない」
メイファはそう言うと少しだけ悲しそうな顔をした。
それが何を意味するのかはわからない。
「……急ごう」
たしかに俺も彼には助けられている。
どうも暗殺を依頼している人物たちとは別の思惑があるような気がする。
わからないことだらけだが、ミリエルの身が危険だということを伝えてくれた。
それは確かなことだ。
逃げなくてはならない。
ミリエルを連れて王都から脱出しなくては。
家の中に飛び込むと、俺の様子を見てミリエルが心配そうに駆けてきた。
「どうしたのクロウ? それに、そちらの方は?」
「ミリエル……いいか、落ち着いて聞いてくれ。今すぐ逃げる必要がある。
このままだと君は教団に殺されるかもしれない。なにか大きな陰謀が動いているんだ」
俺の言にミリエルは目を見開き狼狽する。
しかし、すぐに落ち着きを取り戻した。
「僕は……僕は逃げないよ」
「どうして!?」
真剣な顔つきでそう断言するミリエルに、俺は少し狼狽える。
こんなところで立ち止まっている時間はないのだ。
はやくここから立ち去らなければ大変なことになる。
「だってここは僕の家なんだ。マグメルもスラムのみんなもいる。
みんなを置いて逃げるなんて僕にはできないよ!」
「教団は君の命を狙っているんだぞ! 俺の言葉を信じていないのか!?」
「信じてないわけじゃないよ! 教団が僕のことを危険視してるのは前から知ってる。
それでも僕はここに残ることを選んだんだ。
今さら逃げ出そうなんて、僕はそんな覚悟でここにいるわけじゃない!」
俺は普段見ないミリエルの強い語気に圧倒される。
自分の身を危険にさらしてまで他人のために留まるなど理解できないことだった。
ミリエルの人としての芯の強さのようなものに触れて、俺にはそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。
俺にここまで他人のために何かを投げ出すことができるだろうか?
「クロウよ、負けるでないぞ」
「……ああ」
メイファが挫けそうな俺の背中を押す。
そうだ。
ここで諦めたら、俺はきっと後悔する。
だから無理にでもミリエルを連れていかなくてはならない。
『ミリエルはなんとしても助けないといけないのだ』
「死ぬつもりだっていうのか。ミリエルみたいな人が殺されるなんて俺にはもう耐えられない」
自分でも不思議だった。
いつの間にか泣きそうになってしまっていた。
なにか古い記憶が呼び起こされたような……そんな気がした。
「大丈夫だよクロウ。僕だってみすみす死ぬ気はないよ。
きっと教団は父の罪を僕に被せて口封じする気だろうけど、裁判の場で僕が知っていることを話せば……」
ミリエルは諭すようにそう言う。
「ダメだ! そんなんじゃダメなんだ!
相手がそんな公正な手段に応じてくれるわけがないッ!」
殺した後でどうとでも言い訳をするに決まっている。
もし裁判になったとして、まともな陪審員がつくとは思えない。
「もし……もし僕が逃げたらスラムの人たちはどうなるの?
罪人を匿ったとして見せしめに殺されるか、生きててもずっと外を出歩けなくなるかも」
「だけど……だってよ! それじゃあミリエルは……」
「僕は両親ももうこの世にはいない。肉親と呼べる人はマグメルぐらいのものだから」
俺はワケがわからず感情を爆発させる。
「だから自分だけ犠牲になればいいって……?
スラムのみんなが人質? みんなの身代わりになれれば本望?
どんだけ高潔なんだよ!? もっと自分勝手になれよ!
もっと……もっと残される人間の気持ちを考えろよ!」
俺はいつの間にか涙を流していた。
どうしてこんなに感情が昂っているのか、自分でもわからなかった。
その様子を見かねたメイファが会話に入ってくる。
「ふむ……いったいどちらが駄々をこねているのやら。これでは逃げるに逃げられぬな」
メイファは壁によりかかり、やれやれといった表情で静観の構えを見せる。
だがよく見ると、その表情はなにか思い詰めているようでもあった。
沈黙が場を支配する――。
マグメルもその場にいたのだが、俺たちの様子に戸惑うばかりでほとんど言葉を発しようとはしなかった。
ただポツリと「いつかこんな日が来るのではと思っておりました」とだけ言うのだった。
重苦しい空気が流れる。
その中で沈黙を破ったのはメイファだった。
「生きてこそ……生きてこそ見られる景色もあろうというのに口惜しや。
なあクロウよ。お主も我も、そこな司教殿も、我らはみな近しいものを亡くしておる。
もし生きていれば、伝えたいことがたくさんあったのじゃ。だがもうそれも叶わぬ。
……ああ、口惜しや」
メイファは静かに冷たい瞳で俺の方を見る。
なにかを俺に伝えようとしている……?
あ、え……もしかして、嘘だろ……?
メイファはゆっくりと左手をかざして告げる。
「水神ミズチよ、御力を!」
あたりが一瞬で不思議な霧に包まれた。
「ま、まさか!」
「ふふ、強硬手段よ!」
こいつ、もしやと思ったが……誘拐する気だ!
気付いたときには、メイファの小脇にはすでに昏倒させられぐったりしているミリエルが抱えられている。
そのまま霧の中で俺の手を引くメイファ。
「そういえば、我の能力を説明しておらなんだな。この霧は刻印使いとしての能力の1つ。
霧の中では我は気配を消すことができ、逆に相手の動きは手に取るようにわかる」
「お前も隠密能力持ちなのかよ。どうりで最初に会ったときに気配を感じなかったわけだ」
「無論、力はこれ1つではないがな。奥の手もある」
なるほど、この力は王都から脱出するには極めて有効と言えるだろう。
なにしろ霧の中にいる限り捕まる心配はない。
だけど……。
考え込む俺に「左様」と得意げな顔を見せるメイファ。
「ふむ、この能力の欠点にお主も気づいたようだな。
お主が考える通り、この霧が出ているということは我がここにいるという証左でもある。
つまり霧の外から見れば、我がここにいると教えているも同然なのだ」
「じゃあ霧を使っていると一生追手を撒けねえじゃねえか!」
「まあ、どちらかと言えばこの能力は奇襲のためのものじゃな」
「くっ……そんな都合良くはいかねえか」
外はすぐに大きな騒ぎになった。
俺たちは人通りの少ない場所へと移動を繰り返す。
「どこかアテはあるのか?」
「いやない」
通りから人々が騒ぎを聞きつけて飛び出してくる。
「誘拐だぁー!! ミリエル司教様がさらわれたぞー!」
「な、なんて罰当たりな!」
「いったいどこの馬鹿だ!」
「あの変な霧の中だ! みんな出会え、出会えぇーい!」
「門の方を固めろぉー!」
俺とメイファの逃走劇は、その日の夜闇が迫るまで続いた。
頃合いを見て霧を解除したあとは、空き家屋の中で息を殺してじっと機を窺っていた。
騒ぎを聞きつけたのか、騎士団の兵士たちもそこら中を走り回っていた。
天井の隙間から見える空は星々の瞬きで明るく輝いている。
その輝きに導かれるようにして、俺たちの周りで運命は大きく巡り始めようとしていた。
◆
――夜更けのスラムの一画にて。
スラムの人々がこぞってミリエルたちを追いかける中、マグメルは残された家の中で1人佇んでいた。
「ミリエル坊ちゃま……どうかご無事で。どうか私たちのことはお気になさらず」
写真立てを手に取り、そこに飾られた1枚の写真を見つめる。
写真には若いマグメルと無邪気な赤子のミリエル、在りし日のカテドラルとその妻イリーシャの姿があった。
「やはり、奥方様が亡くなったあの日……あの日からすべてが狂い始めたのでしょうか」
誰に聞かせるでもなくポツリと、そう呟く。
もう枯れたと思っていた涙が一筋頬を伝う。
「彼らの道行きにノトゥス神のご加護がありますよう。どうかお願いします……」
マグメルは夜明けまでずっと天に向かって祈りを捧げ続けていた。