4.津月 マヤ(上)
友達は大切にしなきゃいけない。
そんなことはわかっている。
彼女の機嫌がよければ、今日は気を遣わなくても大丈夫そうだとほっと胸を撫で下ろす。
彼女が愚痴を言う時は聞き役に徹して、逆に拗ねて無口になれば彼女の気分が上がりそうな話題を探してわたしが喋り続ける。
常に顔色をうかがい、求められるままに同意する。友達のことを否定するなんてもってのほか。
わたしの発言で彼女が嫌な思いをしてはいけないと、発言ひとつにも慎重になる。
気づいた時にはそんな関係が出来上がっていた。
——これだけ一緒にいるんだから、わたしたち、もう親友だよね。
そう言われて、わたしと彼女は親友になった。
——ありえない。マヤは親友のことを疑うの?
——ふーん、マヤは親友のセンスを否定する子なんだ。
些細なことで不機嫌になる彼女に意見するのは、多大な勇気が必要だった。
——見て、髪形変えてみたの。似合う?
わたしは「元の髪形のほうがあなたに似合っていた」と、正直に言うことができなかった。
——マヤのその服可愛いわね。どこで買ったの?
——マヤのその靴、歩きやすそう。わたしも同じの買おうかな。
——マヤの髪の毛って、ほんとに自前なの? そこまで色を抜くの、すごく時間かかっちゃって……。
わたしの親友は、おそろいが好き。
*
彼女の言いなりになっている状況を、当時のわたしはおかしいと思えなかった。
自分と他人の意見が違うのは当然。
人付き合いが疲れるのは当たり前。
友達を傷つけてはいけない——。
喧嘩になるのが怖くて、いつも彼女に逆らわない理由を探し、自分自身を納得させる。
そんなことを続けていたのがいけなかった。
4月のはじめ。
——ねえ、今からちょっと2人で遊びに行かない?
夜、夕飯を食べ終えて部屋でくつろいでいるときに親友から連絡があった。
誘いに嫌だと返せなかったのは、わたし自身の弱さでしかない。
親友であり、わたしのたったひとりの友達の望みは、できるだけ叶えてあげたい。彼女に嫌われてしまったら、わたしは友達のいない寂しい人間になってしまう。
自分のやましい下心に気づかぬふりをして、カバンを持って家を出た。
遊びというぐらいだから、行き先はゲームセンターかカラオケだろうか。愚痴を聞いてほしいのなら、ファストフードやファミレスに行くことになるかもしれない。
少しだけ付き合って、日付が変わるころには家に帰るつもりで待ち合わせ場所に向かったのが、愚かな夜の始まりだった。
親友が指定したコンビニに行くと、入り口の前には親友と、彼女と親しげに話す知らない男の人が数人いた。
予想していなかった事態に駆け寄ろうとした足が止まる。
「マヤ、遅いよー」
「ごめんなさい。……その人たちは?」
「ん? みんなわたしの友達だよ。暇な人呼んだの。遊ぶなら大勢いたほうが楽しいでしょ」
「連絡くれた時、遊ぶのはわたしとふたりって言わなかった?」
「だって、そうでもしないとマヤは出てきてくれないでしょ』
得意げに言われてしまった。
不満を飲み込んで、彼女の同行者に視線を移す。
男の人たちはみんなわたしたちよりも年上みたい。全員で4人。
これはだめ。
彼らがいるならわたしは一緒には行けない。
「……ごめんなさい。ふたりでだったらよかったけれど、男性の方とは遊べないわ」
「ええー、また彼氏さん?」
「ええ。翔吾も怒るでしょうし、わたしも翔吾が不安になるようなことはしたくないの。誘ってくれて嬉しかったけど、今日はやめておくわ」
翔吾はわたしの友達関係に口出しする人じゃないけれど、見ず知らずの男性ともなれば話が変わってくる。
本当はわたしのことを独り占めしたがっているけれど、彼は過度な束縛をせずに、いつもわたしの意思を尊重してくれる。
そんな翔吾の思いを、わたしも大切にしたい。
「またそれ? マヤっていつも三國さんのことばっかり」
覚悟はしたけど案の定、親友は唇を尖らせて拗ねたような口調になってしまった。
こうなると機嫌を取るのが大変で、フォローに入る前から疲れた気持ちになってしまう。
「マヤがそんなのだから、友達もみんな離れていっちゃうの、ちゃんとわかってる? それに、今日は男友達ばっかじゃないよ。現地集合で女の子もいっぱい来るから、マヤにも紹介してあげようと思ってたのに……。こんなんじゃ高校生活やってけないよ。また友達関係で三國さんに心配かけちゃうかもしれないし、自分でちょっとは改善しようとは思わないの?」
「……現地って、どこへ行くつもりなの?」
「——ってナイトクラブ、知らない? わたしの親友紹介するって言って集まってもらったんだから、今さらやめるとか言われたらマヤのせいでみんなシラけちゃうよ」
よりによってどうしてそんなところに。
たしかに彼女と遊ぶことは了承したけれど、他に人がいるなんて聞いてない。
これは友人のいないわたしへの彼女なりの気遣いなのかもしれない。
それでも場所が場所なだけに、素直に喜べなかった。
「いいから早く、一回行ってみようよ。マヤだって絶対楽しめるって。あの雰囲気はクセになるよ」
親友がわたしの手首を掴んだ。
彼女を怒らせずに断る方法が思いつかなくて、引きずられるように道を進む。
後ろからついて来る男の人たちも味方になってくれそうにない。
「わかったわ。せめて、翔吾に遊びに行くって報告させて」
「駄目よ。そんなことしたら三國さんが怒って来ちゃうでしょ。そうなったらマヤも楽しめないでしょうし」
翔吾には内緒。
それを認識した途端、改めてことの重大さを理解した。
わたしは彼に対して後ろめたい行為をしようとしている。翔吾に誠実じゃない自分が急に許せなくなって、必死に彼女の手を振りほどいた。
わたしにとって親友よりも恋人が大切なのだと、はっきり自覚した瞬間だった。
たとえ親友が大切な人であったとしても、彼女は翔吾に遠く及ばない。
「翔吾に言えないような場所には、わたしは行かない」
自然と口から拒絶の言葉が漏れた。
彼女は驚いて目を見開く。
男の人たちはみんな表情を険しくする。
みんなせっかくの楽しい雰囲気を壊すなとでも言いたげな顔をしていた。
ここにいる全員の機嫌が急降下していくのをひしひしと感じる。だけどこれだけは譲れない。
「ねえ、マヤ。マヤは彼氏の三國さんと、親友のわたし、どっちが大事なの? マヤにとって親友ってのは、その程度のものだってこと?」
答えは決まってるわよねと言いたげな、きつい口調。
威圧されされたところで、わたしに彼女の望む返答はできそうにない。
急激に心が冷めていく。あれだけ失いたくないと縋り付いていた親友がどうでもよく思えて、胸が軽くなるような不思議な感覚におちいる。
「……ごめんなさい」
夜に家を出て、クラブに行こうとしてしまったことを、無性に翔吾に謝りたくなった。衝動的に上着のポケットに入れていたスマホを取り出す。
この人たちと別れたら、すぐに翔吾へ連絡しよう。
「いやいや、友達と話している時にスマホなんていらないでしょ」
その声と同時に、スマホがわたしの手から離れた。
男性のひとりが背後からわたしのスマホを取り上げたのだ。
「やめて、返してください!」
慌てて追いかけるけど、自分よりも背の高い人にスマホを頭上まで持ち上げられてわたしの手では取り返せそうにない。
つま先立ちになって焦るわたしを面白がった男の人たちは、バケツリレーのように手から手へとわたしのスマホを回して、やがてそれは親友のところまで行きついた。
「いい加減にして!」
「やだよ。マヤが悪いんだからね」
きつめに言ったところで彼女はわたしの怒りをものともしない。
目の前で繰り広げられる遊びに夢中になった彼女が、笑いながら男性のひとりへとわたしのスマホを放り投げる。
上投げで放たれたスマホは、一直線に男性の顔面へと飛んだ。
勢いよく迫るスマホに男性は咄嗟に手で顔を庇い、向かってきたスマホをはたき落とした。




