神は愛なり
みんな誤解している。
「キリスト教って罪を許されたら、全部チャラじゃないんです? 全部許してくれる神様って聞いた事ありますよ」
この人は、汚部屋専門の業者だ。部屋が汚くなり、どうしようもなくなり、頼んだ。こうして一緒に要るものとゴミを分けていた。
私はクリスチャンになったばかりだ。先月洗礼を受けた。その事を話すと業者はそう誤解した。
「いえ、それは地獄行きがチャラになっただけで、現世でやった事の報いはきますね。罪の報いは必ずあります」
はは、と力なく笑いたくなる。
私は、かつて詐欺まがいのスピリチュアルをしていた。クリスチャンになり、悔い新ためた途端、病気になり、部屋も掃除も何も手につかない状態になり、こうして業者に頼っていた。これはやはり、罪の刈り取りはやっていると思わされる。
不思議なことに、スピリチュアルで稼いだ金は全部消えたが、生活費と治療代、そしてこの業者を頼む金はあったりする。病気も順調に回復しつつあった。
「そうですか。この本棚のスピ関連の本は?」
「全部ゴミでお願いします」
こんな掃除は楽しくない。ときめきもしない。ときめくものだけ置く掃除よりも、聖書的でないものを排除していく方が先だった。
「神社のお守りは? どうします?」
そう言われて悩む。お守りは偶像なので捨てるのが聖書的だ。お守りはゴミ箱に捨てても特に問題もない。
ただ、聖書をマニュアル扱いするのもダメだ。
このお守りは、受験の時に家族が買ってくれたもの。変な偶像崇拝が動機で購入されたものでもない。むしろ子供を案じてのものだ。
「どうするかな……」
自分で考えるしかない。
しばらく悩み、お守りの画像だけ撮り、現物は捨てる事にした。こうして、いちいち考えながら捨てるのは、骨が折れたが、今まではルールや世の常識を鵜呑みにするだけで、何も考えていなかったのだと気づく。
しばらくこんな掃除をくり返し、部屋は綺麗になった。
全くときめかない片付けだったが、スッキリした。
「でもちゃんと報いがある神様って公平ですね。それこそ愛じゃないですか」
「そうかもしれませんね」
業者の言う通りかもしれない。報いも何もなかったら、今もスピリチュアルで詐欺を続けていただろう。これも愛か。厳しいが、甘やかすだけが愛じゃない。
「ありがとうございます。とても綺麗になりました」
心もスッキリしてきた気がする。
私は笑顔でお礼を伝えた。




