罪を神は罰する
毎日学校に通うのが、憂鬱だった。机は落書きされ、体操服はボロボロにされた。連絡事項なども伝えられず、遠足の日に別の集合場所に行ってしまった事がある。
今の状況は、どうみても「いじめ」だった。しかし、僕はこの言葉が嫌い。犯罪、名誉毀損、迷惑行為、嫌がらせといった言葉の方が似合う。大人同士だったらそう出来そうな事も、子供同士だったら何故か「いじめ」になってしまうと感じていたが、今は表面的な言葉について言っても意味はないだろう。
毎朝、通学路が特に辛かった。これから地獄のような場所に行くと思うと、脳みその一部が溶けたような感覚を味わう。実際、被害を受けるようになってから勉強も進まなくなっていた。
そんな通学路。ある民家の塀に変な看板が貼ってあるのに気づいた。
「罪を神は罰する」とある。黒地に白抜き文字で、怪しい看板だった。
神なんて居るのか?
今の状況だと、とても信じられそうにない。加害者は特に反省している様子もなく、罰が与えられている様子も無い。
むしろ、幸せそうだ。あいつらが、順調に出世や結婚していく様子が目に浮かぶ。そんな想像をすると、一人一人復讐してやりたくもなる。
それでも、何故かこの看板の言葉を信じてみたい気持ちがあった。
雨の日も、風の強い日も、被害が強かった時の次の日も、あの看板を見ていると、不思議と歯を食いしばり、力が出てきた。死にたいと思ったが、それだけは辞めておこうと思った。あの看板のせいかわからないが、それだけはやったら本能的に思っていた。
そんなある日。
突然、父親の転勤が決まった。同時に転校する事になり、どうやらこの状況から解放されるようだった。ちょいど中学に上がる年なので、タイミングも良かった。
ホッとし、全身の力が抜けるような感覚がした。
毎日見たあの看板と別れるのは、寂しいけれど。いつの間にか、あの看板に愛着を持っていた自分がちょっと怖い。一見、不気味な看板だったが、毎日見るうちに心の支えになっていたようだ。
加害者達が罰を受けたかどうかは分からない。それでも自殺だけはしないで良かったと思う。
もっとも僕も頭の中では、加害者達を何度も何度も殺し、恨み心を募らせていた。
自分も全く清くなない。むしろ、あの看板のいう罪ってものを犯していたのかもしれない。実際、別のクラスのいじめは見て見ぬふりとかしてたし……。
そう思うと、加害者達と離れられただけでも御の字だった。加害者達に復讐などは望まない。それよりは新しい生活に集中しよう。
「ありがとう」
最後の日、僕はあの看板に御礼をいう。
これでお別れだが、やっぱり寂しい気持ちは否定できなかった。




