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Episode Ⅱ 「9.制度」

「で、それがなんだというんだ?」


 クアルローンは尋ねる。それがいとも何でもないことかのように。

 事実、クアルローンはそれを不思議に思っていなかった。ここは得体の知れない不思議なファンタジー世界。神様くらいいたっておかしくないだろう――と。

 そして、その考えは半分正解で、半分間違っている。

 神様は確かに存在して、そして神様がなぜ『神』と呼ばれる由縁であるかということに重きを置いていなかったからだ――だが、そのことをクアルローンに求めるというのは酷なことだろう。

 普通に生活している上で神様の概念を念頭に浮かべることなど――純日本人であったクアルローンに取っては縁もゆかりもないことだ。

 仕方がないと言えば、仕方がないのだが。

 命取りであったことは、否めない。


「魔王よォ、てめぇがさっきばかりに結んだ条約の全貌を覚えているかァ?」

「もちろん覚えている。忘れているなんてことがあってはならない」


 あの条約内容は、人族代表――最高評議会の重鎮共と三日三晩、いやそれ以上の時間をかけて練りに練った大凡おおよそ三行分の努力の結晶であって平和への掛け橋だ。忘れるはずがない。

 クアルローンは脳内で思い出される条約の全文をつらつらと言葉に変換する。

『我々、魔族と人族は神ゼンサに誓って以降500年間の恒久の平和を齎すものである』

『人族と魔族は、互いに相手を尊重し、如何なる時も対話の道を開く』

『この捺印を以て、この条約は発効したものとみなす。如何なる例外も違反も認められず、その場合は神ゼンサの名において罰則を下すものとする』


 ――以上が人魔族和平条約締結を以て効力を為された文面のすべてだ。特に見落としはないし、見落とせるようなところもない。

『罰則』、というクアルローンが唯一理解し得なかったところも、協議段階で評議会の面子からあくまで宗教的な話だということを聞いていたし、ルシュターからも言質を取った。その言葉がとりわけ危険なものだとは考えられない。


「……というようなものだろう」

「そうそう、そんな感じだった」


 ルシュターはテキトーに返事をした。条約の一言一句までは興味がないとでも言いたげな素振りで、床を見詰めている。

 振り返ってルシュターを見ると、ガラスの破片が刺さり込んでビリビリに敗れ切った服の裂け目から見える紅蓮色の傷跡から聞こえる胎動は既に収まっている。

 いや、その傷が塞がりつつある……?


「生憎俺はそれほど頭脳派でもなければ肉体派でもないから、気づくことはないんだけど……」

「テメェは神というものを見誤っている。『神』と名のつくものを軽んじ過ぎている。『神』が存在するということは、『神』がこの世界の条約にも介入できるということだ」

「介入……?」

「そう、介入。この庇護された条約は『神』の名のもとに絶対順守される。つまり、『神ゼンサ』を崇拝、信仰する者に対してのみ効力を発揮する」


「裏を返せば――『神ゼンサ』を信じない者に対しては効力が発揮されないィ、ということだァ」


 ルシュターは立ち尽くしたまま、部屋の中央から動かない。服の下からチラリと見える白い肌が艶を整え始めている。ガラスで引き裂かれた服は回復しないが――恐るべき速度で肉体が回復している。

 これが――人族の力だというのか。

 恐るべき治癒能力。魔族の【種族補正】を以て尚その回復能力の早さには追い付けるかどうか。

 そして――ルシュターが放った言葉。

 神ゼンサを信じない者にはこの条約の効力が発揮されない、とは。


「気付いたか? 『魔族と人族は神ゼンサに誓って500年の恒久の平和をもたらす』――この言葉の主語・・もたらすものは魔族と人族であってェ、神ゼンサではないッ! 神ゼンサが平和を齎すのではなく、魔族と人族が平和を齎すんだァ、OK?」


 クアルローンは言われてしばし考えて――首肯した。

 その点は確かに見落としていた。だが、それがどう違うというのか。どちらにせよ平和が齎されるのだから同じだろう。


「二文目を飛ばして三文目――『この捺印を以て、この条約は発効したものとみなす。如何なる例外も違反も認められず、その場合は神ゼンサの名において罰則を下すものとする』というものだァ。まあ捺印ではなくサインだったが、そこの交換は問題ではないッ。問題となる傍線部箇所はここッ――『神ゼンサの名において罰則を下すものとする』というところだァ」


 ルシュターは疲れではなく興奮で荒くなた呼吸にひと段落をつけるべく、大きく深呼吸した。その吐息すらも静寂の中大仰に聞こえる。

 ぴちょん、という血だまりが跳ね上がる音がした。ルシュターがクアルローンを指さして叫ぶ。


「つまり、神ゼンサを信じる者にとって罰則があると信じられる――即ちこの条文は効力を発す――わけだから、神ゼンサを崇拝しない者はこの条約に縛られることがないッ! この条約の基礎部分は『魔族と人族が平和を齎す』だからあくまで努力目標というわけだァ! ここまでヒントをくれてやったんだァ、もうこの先はいわねェぞ?」


 分かるよな? という顔をして不気味な笑い声をあげるルシュター。

 だが、その態度とは裏腹に、クアルローンは突然発生したことで脳内が半ばパンクを起こしていた。

 いくらフル回転させようとしてもオーバーヒートを起こしてうまく情報が繋がらない。相手が自信満々に何かを言っている――くらいの理解しか出来ていない。


「ッつーわけで、ここから先は俺らの管轄下だ。調べによると魔族のほとんどが神ゼンサを信じているみてェだからなァ。テメェさえ無力化してしまえば、こっちのもんよ」


 だが、ルシュターが血だまりを飛沫にして駆けてくる様子を見て、とっさに自分が何をすればいいのかということは、生存本能的に理解した。


「成程。まどろっこしい話は分かんないけど、肉弾戦をすればいいという事だけは分かった。行くぞ、ヘルロス! 後ろは任せた!」


 クアルローンは命令を下し、50人強の勇者が並ぶ王座の方向へ向きかえり、臨戦態勢を取る。

 気力を集中させて、脳内に酸素を送り込むイメージで。一本に貫く軸を想像して、戦いの気迫オーラを身体全体で出す。

 余裕をこいているのか、勇者は動くそぶりどころか、剣を抜く挙動も見られない。

 ならばこちらが先手を打つまで――クアルローンは考えることを止め、背中をヘルロスに任せて一歩目を踏み出そうとした。


「だからァ――話、聞いてた?」


 背後から、不気味な声が聞こえた。至近距離で、囁くようにルシュターが言う。

 だからテメェは馬鹿なんだよ、と。

 その手にはいつの間にか細身の刀が握られていて――その刃先がクアルローンの背中から食い込んで、下腹部辺りから仄かに撥水の刀身が銀色に煌めいているのが見えた。

 遅れて、クアルローンの後ろに柔らかい温かみと、冷たい鼓動が感じられた。

「うっ」、というヘルロスの呻き声が一瞬だけ耳に入り込み、耳朶で反響する。


「どうして……ヘルロス」


 言葉には、後悔や痛みと言った感情よりも、信じていたのにという痛恨の念が強かった。だが、それに対してヘルロスが残した言葉は、


「ごめんなさい、クアルローン様……」


 という、無慈悲な一言だけだった。


「ハイ魔族の串一本上がりィ~ッ! なんかちょろ過ぎない? どうしたのォ?」


 ルシュターが嘲るように言うが、その言葉はクアルローンの耳には届かなかった。

 ヘルロスとともに貫かれたクアルローンは、想定外過ぎる事象を何一つ受け止められずに呆然と立ち尽くす。

 怨むでもなく、何故、という感情のみで、痛みすらもシャットアウトしていた。


「私が盾になってお守りしようとしたのですが――すみません、抜けちゃいましたね」

「違う、そうじゃない! 何故攻撃をしなかったんだ!」


 クアルローンがヘルロスに問いかける。剣が刺さったままのことなぞとうに忘れたかのようだった。

 しかしそのダメージはあまりにも甚大だ。魔族は人族と違って、回復は一応できるもののそこまでの威力はない。人族の回復ですら、ガラスによる深めの切り傷の完全修復や骨折の回復くらいのものですら少しばかりの時間を要するというのに、ましてや殺傷を目的とした道具で身体を貫通する――それが細身の刀だとしてもだ――ということはどれだけの被害か知れたものではない。


「クアルローン様……」


 ヘルロスが浮かべた顔は、失望だった。

 ただ悲しみの表情が、一面を支配していた。

 どうしてそんな顔を浮かべるんだ。クアルローンは理解しようとした。

 だが、遂にはそれは叶わず――。


「やれ」


 ルシュターが放った、無慈悲な言葉が二人を貫いた。


EpisodeⅡの前篇がここで一区切りとなります。

突然過去回想を挿入したりしてすみません。

物語としては良くないことだと分かってはいるのですが……。


構成的に入れざるを得ないので……。

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