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Episode Ⅱ 「10.『やりがいを感じている』」

「まあ、そんなことがあったんですよ」


 ずずずとヒュミリオールがお茶を飲む。それにつられて、グローも薄茶色になった液体をコップに継ぎ足して喉に流し込んだ。ジワリと鋭い甘みが口腔を焼く。

 幸福と苦痛の境界線を意識せざるを得ない羽目になりながら、液体の砂糖の様なものを胃袋まで押し込んだ。


「それで……結局どうなったんだ?」

「どうなったかまでは……。すみません、私も記憶が曖昧で。気がついたらクアルローン様は消えてしまっていて、次の世代の魔王様に代替わりしてしまっていて」

「なるほどな。それで、あそこで――『CASTLE SYSTEM』の中でクアルローンとやらを発見したと」

「そうです。でもまあ、私の記憶も案外と覚えていないもので、忘れてしまっているところも多々ありますが……」


 ヒュミリオールはにこやかに笑う。

 でも、グロー様といたこの時間は絶対に忘れませんよ、と微笑んで言うものだから、グローは照れ臭くなって目を逸らした。


「……ゴホン。まあいい、何にせよ和平交渉が失敗して、こんな現状になったという事が分かればそれで十分だ」

「そうですね……。ところで、グロー様は『神』って信じますか?」


 ヒュミリオールからの突然の質問に、グローは今話された内容を頭の中で反芻した。少しばかり時間を開けてから、


「信じているわけではないが、まあ存在はするんじゃないか?」


 ここは異世界なのだから――と、クアルローンと似通った言葉を告げる。


「何がいても驚きはしないが、まあ見解の相違というものには十分に気をつけないといけないという事が分かったよ」


 一言終りに添えて、自身にクアルローンを被せるのを止めた。彼を踏み台にして乗り越えていく、というささやかながら決意の表れだ。


「そうですか。ちなみに、私は信じていません」

「信じてるから魔法が使えないとか、回想の中で言ってなかったか?」

「何言ってるんですか? あれは私じゃなくて、ヘルロスさんですよ。ちなみに、今魔王城で働いている人たちはみんな信じてないですよ」


 耳に入る情報を咀嚼せずに飲み込んでいたグローは、むせたように目を開く。耳を一度疑い、グローはヒュミリオールにもう一度言ってくれと頼んだ。


「ええ、ああ。魔王城で今働いている人は、誰も『神ゼンサ』のことは信じていないですよ」

「そこじゃなくて、もう一個前」

「もう一個前……? 私、なんて言いましたっけ?」

「記憶力なさすぎるだろ」

「普通話した言葉って忘れるじゃないですか」


 ヒュミリオールは笑って紅茶を口に含む。その液体が喉を通るまでじっくりグローは待って、彼女が飲み干すとともにグローの喉も音を鳴らした。

 あれだけ鮮明な記憶は保っていられるのにか、とは思っていても口には出さない。


「ほら……回想の中で出てきた人はお前じゃなくて」

「お前、なんかじゃなくてヒュミリオールと呼んでください! 長ったらしいのならミリで大丈夫ですよ?」

「……ミリじゃなくて」

「そうです! で、なんでしたっけ?」


 グローは頭を抱えて――一つ息を大きく吸って、呼吸を整える。

 そう、今はヒュミリオールを癒す会だ。だから、彼女に此処で余計な負荷をかけてはいけない。

 そう思う心が、グローの中のイライラを沈めていく。

 さりとて、イライラしているわけでもないのだが。話くらいは聞いて欲しいものだと、切に願った。


「この回想の話だ。これは一体――誰の記憶なんだ?」

「誰の記憶なんだ、って、おかしなことを聞かないで下さいよ。正真正銘、私の記憶に決まってるじゃないですか」


 ははは、とヒュミリオールは女性らしい声で笑う。御冗談が上手ですね、とでも言いたそうな顔をしている。


「じゃあ、おま――ミリ、一体ミリはどこに出てきたんだ?」

「過去回想ですよ? 私が見た物以外に語れるわけがないじゃないですか!」

「じゃあ、今の話は全てお前の実体験ってことか?」

「え、ええ……? どう、なんでしょうか?」

「はぁ!?」


 ヒュミリオールは腕を組んで考え込んだ。その様子を、グローガルムは黙って見ている。内心、開いた口が閉じないのだが、ヒュミリオールはその様子に気がつく様子が見られない。

「え、ええ……?」と言いながら、本気で頭を抱え込んでいる。

 本気で頭がアレな子なのか――思い出せないのには理由があるとか?

 まさか。

 グローは妄想逞しい自らの考えを一笑に付した。

 そこまで記憶が確かなのに、今更記憶がないなどと言えるはずがない。

 だが、その場合だと、どちらの条件にも当てはまらないのではないか――仮に頭がアレな場合だとすると、そこまで鮮明に記憶があるのはおかしいし、仮に思い出せないことに理由があるとしたら、肝心な内容こそを思い出せなくするだろう。

 そこに思い至ったとき、漸くヒュミリオールが腕を組みかえた。


「思い出せません!」

「……大丈夫か?」

「そんな可哀想な人を見る目で見ないでくださいよ!」


 グローは眦に溜まった暖かい液体を少しだけ手で拭ってヒュミリオールに紅茶の御代りを注いだ。


「いや、いいんだ。うん。無理に仕事を中断させて悪かったな。一心不乱に何かをしたい時もあるよな」

「何納得してるんですか!? そんなんじゃないですよ! 発想が飛躍しすぎです!」


 ヒュミリオールはグローが紅茶を注いでいるのを見て、自分がやりますよ、とでも言いたげに手をアタフタさせる。だが、グローはそんなことには目もくれず、コポコポと優雅な音を畳の上に響かせる。

 ぴちょん、と最後の一しずくが滴った。ヒュミリオールは抵抗を続けるが、グローはそれを頑なに受け付けようとしない。

 ふぅ、と溜息を一つ吐いてから、ヒュミリオールは諦めた。

 グローが注いだばかりの紅茶を差しだしてくる。それを微笑みながら手に取った。

 湯気が濛々と立ち上る。グローが凝視してくるので、ヒュミリオールがコップに口をつけると、満足そうな表情をして頷いた。


「さて、じゃあそろそろ仕事に戻りますね」


 紅茶を一通り飲み干したヒュミリオールは、陶器とトレーを合わせて流し台に持っていこうとしたが、その手をグローガルムが遮った。

 グローは首を一振りして、強く掴んだその手を、地面に置かせる。


「それは俺が片付ける。だからお前は先に仕事をするがいい」

「でも……」

「俺は事務関係で出来ることがないからな」

「ああ……」


 ヒュミリオールは微妙な顔をして首肯した。その表情が、まるで役立たずの烙印を押しているようでグローは居た堪れない感情が心の中で渦巻いたが、ポーカーフェイスを創って表情に出ないように細心の注意を払う。


「では、頑張ってきます。すみませんグロー様」

「いや、こちらこそすまないな。一手に背負わせてしまって」

「いえ、これが私の仕事ですから。これでも結構やりがい、感じてるんですよ?」


 まるで言わされている感のないブラックな言葉をヒュミリオールは平然と言ってのける。

 労働基準法のないこの世界で良かったと、今だけは心からそう思った。


「あ、あと」


 揃えられている靴を履きながら、ヒュミリオールは付け足すように口を開く。

 トントン、と踵を揃える音がした。


「さっきの話、ちょっと盛ってるかもしれないです」


 え、労働基準法の話か? と、一瞬脳裏をよぎったが、それは考えただけで口にはしていないことに思い至った。

 お茶目な顔をして、ヒュミリオールはグローの部屋の扉をバタンと閉めた。扉越しに走り去っていくスニーカーの小気味良い音だけが残る。


「まあ、順当に考えて、『やりがいを感じている』ってとこだろうな……」


 上司に対する遠回しな皮肉に、強烈な重圧を感じてグローガルムはその場に項垂れ、飲み干した紅茶のことなどもはや記憶の彼方であった。



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