第六章 恋心仄香は夢の世界がお好き❤
よく考えてみるまでもなく、あれは魔力のガス欠による昏倒だったのだろうか。さっき鬼姫に偉そうに魔法少女と魔女との違いについて滔滔と語ってしまったドヤ顔の自分をぶん殴ってやりたい。魔女の魔力回路がブラックボックスであるということは、逆に言えばどんな副作用をもたらすものであるかは魔女を作り出した神様かそれに類する存在でもない限り、誰一人断定できないということ。以前、私がこの世界に来たとき年単位で魔力の補充を行わなくても平気だったのはたまたまそういう条件が満たされていたからであって、今回も同じお目こぼしを受けられるかというとそうとは限らない。なにかが違う。それがなにかはわからない。それは経験を積んで学んでいかなければならない。トライ&エラー。過ちから学ぶのは世の常だ。人に限らず魔女もその積み重ねにより進化していく。
……うん。自分でも良いこと言っている振りして実は言い訳しているにすぎないのはよくわかっている。チッ、反省シテマース。
そんなぐだぐだな自意識が覚醒したとき、私はどこに所在していたかに気づく。
そこは。
「……もとの公園ですな、ここは」
思わず知らず爺むさく独りごつほどに意外な状況。
確かにそこはさっきまで鬼姫と二人っきりのデート(?)を(いろんな意味で)満喫していた公園だった。
せっかく彼女が超神速でお姫様抱っこまでしてゴールまでかっこよく全力疾走してくれたはずなのに、なにこの私一人だけスタートに戻ってしまった残念感。なにかのトラップに引っ掛かってすごろくの「振り出しに戻る」コマにでも命中したのか。ぐぬぬ。
ただ、さっきとは異なる点も若干ながらある。
一つは、さっき私は鬼姫のプレッシャーを受けてベンチで縮こまるように正座していたけど、いまはブランコで所在無く小鹿のような脚をぶらぶらさせている点。
もう一つは、さっきは人のいないお昼前だったけど、いまは初夏の早朝といったところか。
朝ぼらけの朝空に朝露滴る草木の園。
白魚だったら感激して一首詠んでいそうなくらい、純和風の情緒感漂う小世界。
そんな感動的な場面にも関わらず、私の気持がいまいち乗らないのは視界一面がセピア色のフィルターに覆われているせいか。それともこの世界の現実感が不完全なものだと私の直感力が警報を鳴らしているせいか。
ということは、ここは。
「夢の世界はいつ来ても不思議なものだね」
私の背後から不意にそんな声が響く。
「どこかしら色褪せていて不完全な世界であることは知覚できても、これを夢と疑いもしないで現実の世界であるものとして懸命に振る舞い、抗おうとする。もし夢であることに気がついてもそれがどうしたってものさ。お気に召さねばご自由に、いつでもどこでもご退場いただいて結構。そうでない者は不条理な夢の運命といつまでもどこまでも戦うことを強いられてしまう。目覚めという唯一の出口にたどり着くその瞬間までね。そして、演者を失った夢の舞台は永遠の廃墟として無意識の迷路を未来永劫さまよい続けることになる。運良く万が一、億に一、兆に一、あるいはそれ以下の確率で再び新たな演者と巡り合えるその日まで」
「……久々の再会なのに、相変わらずの長口上だね」
私がため息混じりに呆れるように遮るように返答すると、あいつがゆらっ、と揺らめき立ち上がる気配を見せる。
「4年22ヶ月22日11時間11分11秒2、3、以下略を久々というならそういう挨拶もありだね。なるほど。それなら僕も君にこう返すことにしよう」
ゆらり。
私の背後から何の不自然な所作もなく、物理法則に抗うとか一般常識を覆すとかいうレベルでなく、地面に映っていた私の濃い目の初夏の影が私の正面に周り、乙女ゲームよろしく召喚された異世界の騎士か執事のように恭しく傅く。
「お久しぶり。会いたかったよ、仄香」
なにこのイケメン。
だが前もって言っておく。
こいつは女だ。
そして、こいつの声が耳たぶを掠っただけで過去の思い出したくない記憶が蘇り、私の仮面の下の素顔がぐちゅぐちゅのフラバ顔へと変貌してしまうのがわかる。
ゆえに、自己防衛のための鉄仮面でこう答える。
「お久しぶり。私は会いたくなかったかな、『無敵の魔女』」
「理由を聞いてもいいかな?」
すかさず影が囁く。
「……いまのこの状況を考えれば自ずから答えが出ると思うけど?掌の上で踊らされっ放しのままでニコニコ再会を喜び合えるほど、私は慈悲とか慈愛に満ちていないんだよ?」
「それはいささか以上に事実誤認に満ちた回答だね」
「どういうことさ」
ノータイムでの返答に、少しむっとする。
元はといえば、こいつが聖女サイド魔女サイド問わずあっちこっち引っ掻き回してくれたおかげで、こっちは魔女の身分にも関わらず『聖域の歌姫』様のコンサート会場の警備なんかをやらされる破目になって、期末テスト赤点ピンチ待ったなしの詰んだ状況なんだから。しかもいまこうして夢の世界に引きずり込んでいる辺り、私を夢という名の閉鎖空間に隔離し現実にいる魔法少女たちと分断することで魔女サイドの戦力の大幅ダウンを図る、といった作戦なんだろう。そこまでしてこいつは一体何をやらかそうとするつもりなのか。狙いはなんだ。
そんな幾つもの茹だった思考で脳が煮えたぎっていくなか、影は冷や水を注ぐように淡々と囁く。
「まず最初に言っておくと、いまのこの状況は僕が作り出したものではない。君が作り出したということだ」
「は?」
どこがだよ、と続けそうになるのを危うく堪える。
こいつは余人が到底理解できそうに思考パターンで行動しているけど、それでも嘘をついたり謀略を練り上げて敵対してくるようなことは決してしない。どこぞの耳に魚のアクセサリーをした糸目女に見習って欲しいくらいのものだ。
でも。
「それじゃ、なんでここにいるのさ。私を夢の世界に閉じ込めておこうって腹じゃないの?」
「さっき言った通りだよ。僕がここに連れて来たんじゃない、君がここにやって来たんだ。正確には、ここに堕ちて来ざるを得ないほどの最悪の状態に陥った、と言うべきなんだろうけどね」
最悪とな。普段なら聞き捨てならないキーワードだが夢のせいで頭が緩んでいるせいか、とりあえずそこは後回しにしてまず先に聞くべきことを聞くことにする。
「じゃあ、ここにいるのは、私が作り上げた夢の産物ってこと?」
「いや、それはちがう。僕そのものは、いま惑星の深淵で無限の溶鉱炉地獄と戯れている僕の本体と接続した自律型インターフェイスに過ぎない」
自律型?インターフェイス?それってどこの長門さん?
「簡単に言えば、君との対決で封印される直前に君に関するあらゆるデータを転送するために君の無意識の奥底へ仕込んだ『観察者』だ。微視的な異物という意味ではウイルスと言ってもいいかもしれないね。無論、僕の役割は君の『観察者』に徹しているわけだから、悪意をもって君の正気を捻じ曲げたり操ったりするようなマネはしない。それは僕の本体の役目だ。いずれにしろ、僕は君の内包化されたイメージとして夢の世界に呼び出された『僕』では決してないことは、おわかりいただけるだろう。僕の『僕』と君の『僕』とでは、厳然たる一線を画するのだから自明の理だが」
???
私の頭の周りには臨終間際のクリスチャンに何位もの天使が舞い降りるように、幾つものクエスチョンマークが旋回している。まずい、こいつが何をいいたいのかさっぱりわからない。これだから学者めいた饒舌キャラは困る。以下、こいつの台詞は三行縛りでお願いしますと神様にお願いしたい。
「やれやれ。最後に会ったときから頭脳の回転数上限値は一向に上がっていないようだね」
悪かったな。
「どうやら補習授業が必要なようだ。理路整然とした物言いは覚醒を促すからあまりしたくはないのだけど、仕方が無い。授業を開始するよ」
そういって彼女は、夢の世界ならではの課外授業を行うのだった。
魔女補習中……
「つまり、私に封印されるよりずっと前にこの世界に来て、ある一人の魔女と契約を交わした、と」
「そうだね」
「その契約によって、『闇の触手』をはじめとする君の能力を契約の対価として譲渡した、と」
「そうだね」
「その魔女が今回の一連の昏睡騒動を引き起こしている、と」
「そうだね」
ふうっ、と肺腑の空気を全部吐き出すようなため息を吐いてしまう。
このソウダネ星人の説明によると、こいつの能力だけを貰った魔女が聖女魔女問わずの無差別昏睡テロを引き起こしているということらしい。それって物心つくかつかないかくらいの子供に安全装置を外したスタンガンを渡すようなもので、しかも、魔法の素養の無い一般人にまで捜索範囲が広がることから、容疑者の的を絞りにくくなるということになる。ひぎぃ。
「その魔女の本名は教えてくれない、かな?かな?」
一寸の虫にも五分の魂。鬼の目にも涙。鉈を持ってさえいなければ可愛い女の子の口調を真似て、精一杯媚びてみる。くうんくうん。しかし、そんな愛らしい仔犬のおねだりをバッサリ切り捨てるのが、『無敵の魔女』のヌクモリティ。
「教えられない。この『魔女の契約』には契約者の秘匿事項があるからね。この規定を破ることは『無敵の魔女』は無論のこと、史上最高峰の聖女といえど不可能だ。魔女や聖女のカテゴリーを超越した超上位存在でもない限りね」
「ぐぬぬ」
「だけど、再会のご祝儀代わりにヒントなら進呈してあげてもいい」
「えっマジで!?」
「……君の百面相と変わり身の速さに敬意を表して、と言ってもいいけどね」
やれやれ、と影の口元からため息が漏れたように見えたのは目の錯覚だろうか。
「僕の能力を引き受けられたということは、それ相応の魔力の持ち主だということだ。最低でも僕に匹敵する魔女か、それに準ずるくらいには。とすれば、その容疑者とやらの特定範囲もかなり限定されてくるのではないだろうか?」
影の助言に私は少し考える。
『無敵の魔女』クラスの膨大な魔力の持ち主で、でもそれを使って殺戮とか破壊とか一線を越えた悪行三昧に走ったりせず、昏睡だの薄い本作りだの聖女魔女問わずだのといった愉快犯めいた境界線スレスレの悪行三昧に耽るのが好きなやつ――。
あかん、目の前のこいつしか思い浮かばない。
「どうかした?」
「ナンデモナイヨー」
まさか、ここで自作自演なんて落ちはないだろう。
しかし、だとすると誰の仕業なのか。
そんな私の苦悩を知ってか知らずか、彼女はゆらり、と揺らめいて囁く。
「君は相変わらずだね。仄香」
「む。頭の回転が遅いってのはさっき聞いたよ。ほっといてよ」
ふん、と鼻でむくれると、影はゆらゆら揺らめいてそれを否定する。
「そうじゃないよ。こんな最悪の状況にも関わらず、負けるとわかりきっている戦いにあえて挑もうとするその向こう見ずな姿勢が相変わらず、と言ったのさ。僕を封印した時もそうだった。僕のことなどただ黙って見過ごせばこんな星に堕ちて来ることもなく、魔女として優雅で華やかな一生を全うできただろうに」
「あ~」
何かと思えばそんなことか。
こめかみの辺りを掻きながらしばし言うべき台詞を思案。
「別に前田慶次を気取っているわけじゃないけど」
そう前置きして、迷いなく言い切る。
「可愛い女の子の笑顔が悲しみに歪むのなんて見たくない、ただそれだけのことだよ」
「ほう」
影が、あいつが初めてその本性を覗かせるようににぃ、と笑みを零す。錯覚でなく。
「その点において、僕たちの志向や嗜好は真逆というべきだね。否、対極というべきか」
邪悪な笑み。
吐き気を催す笑み。
チェシャ猫の笑いのように、決して掻き消すことのできない悪夢の笑み。
「対極って。君は女の子の笑顔が悲しみに歪むのが見たい、とでもいうの?」
「いいや」
笑み、というよりもはや病み、といった風情でそいつは答える。
「僕は女の子の笑顔が悲しみに歪んだまま『消える』のが見たいんだ」
刹那の迷いもなく、ノータイムでの返答。
本心本音本懐からのご回答です本当にありがとうございました。
「……君も大概に相変わらずだよ、『無敵の魔女』」
「そうかな?まあ、本体が溶鉱炉地獄で溶解・再生・溶解の無限ループに陥っている以上、一切外部からの接触がない状態なのだからインターフェイスも相変わらずなのは仕方がないさ」
いや、そういうことじゃなくて。というか、その返しも大概におかしい。
「……普通そんなお仕置きを受けたらごめんなさい、って泣きながら謝るのがセオリーじゃないかな?」
「一億飛んで七千万年の永きを生きながらえた規格外の魔女に、セオリーなんて通じると思うのかな?」
ぐぬぬ。
「幼女のように無垢な魂なら注射一本で躾けることもできるだろうが、魔女なんて業の深い上位存在には全身バラバラに解体して肉骨粉にしてもその道を曲げることなどできはしない。そういうことさ。まあ、それはさておきだ」
「?」
「君はまた、負け戦に挑むつもりかい?」
「負け戦って。確かに容疑者は絞り込めていないけど、女の子を片っ端から昏睡させるようなうらやま、もとい、けしからん輩に負けるつもりは」
「君はあいつには勝てない」
不意に空気が変わる。
「……その根拠は?」
「君は現状を認識できていない。危機意識が乏しい。あいつをうらやましいなどと言いかけた時点であいつがどんな覚悟で僕の能力を受け取ったのか、微塵もわかっていない」
「覚悟って。あの愉快犯にそんな大層なものが」
あるはずない。
そう言い切れない。
影から滲み出る空気から、奴が本気で言っていることが伝わってくる。
「もし『僕』の本気になっていないお遊びの段階を今回の犯人像として想定しているなら、その甘い分析は根本的に見直したほうがいい。あいつは君が想定するような核ミサイルのスイッチを弄ぶことで周囲の反応を愉しむだけの幼稚な愉快犯ではない」
「じゃ、じゃあ、一体なんだっていうのさ?」
「核ミサイルのスイッチを入れることを最終解決とした最悪な確信犯――
『復讐の魔女』だ」
「……!」
絶句する。
そこで生じた一瞬の静寂を縫うように懐かしい音色が奏でられ、張り詰めた公園の空気を和らげる。ドボルザークの「家路」に、小学生の舌足らずな声。
――下校の時刻になりました。まだ教室に残っている人は、速やかに下校しましょう。こちらは有栖川第一小学校放送部一斑です……。
「な、なんで下校の放送が?」
「タイムアップってことだよ」
「なっ……!?」
先刻までの濃密な気配が跡形も無く消えうせ、声だけが聞こえる。
「夢の世界特有のロジックで、現実世界の干渉が過去の記憶事象に置き換えられたんだろうね。僕の出番はここまでだ」
「ちょっと待って。『復讐の魔女』なんて世界トップクラスの厄ネタ振られたままで帰られても、どうすれば」
「それをどうにかするのが君の役目だろう。さっき女の子の笑顔が悲しみに歪むのが見たくないと言ったね。もし『復讐の魔女』になす術もなくやられてしまったら、君のために悲しむ女の子が最低でも三人はいる。彼女たちのそんな顔を見たいのかい?」
「で、でも……!」
「確かに今のままの君では彼女には勝てない。ではどうしたらいい?答えは簡単だ。『今のまま』の君でなくなればいい。弱者が強者を平らげるのは逆転劇という物語の華、その筋書きにいいように操られる人形になってせいぜい僕を愉しませてくれたまえ」
「なに勝手なことを……!」
抗議しようとした私の手足は動くことなく、無意識の深海から意識の海面上へと一気に浮上する。つまり、ここから消えたのはあいつではなく、ここから消えようとする私のほうだった。
目覚める寸前、繰り返される「家路」の音色に重なった、聞き覚えのある舌足らずな女の子の声がやけにリアルだった。
――まだ教室に残っているひとは、すみやかに下校しましょう。今日の担当は、放送部一班の、聖鳳院アリスでした……。