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第1話

「──。────」

 薄暗く汚れた建物の中、鼻歌を奏でる背の高い女がいた。

 月の消えた夜のような瞳で辺りを見回しながら、くすんだ白い壁の殺風景な階段を降りてゆく。耳の下で切り揃えた赤い髪が静かに揺れ、短いジャケットと揃いのベルボトムの裾が後を追う。一歩一歩進むごとに、やたらと響く硬い靴音が鼻歌に合わせてリズムを刻んでいた。建物内に人の気配はするものの、女の近くではないようだ。

 鼻歌の曲名は『カノロイの夜』。商売と幸運の英雄ナナエル・キラーが築いたとされる、享楽の町カノロイを題材にした曲だ。そこは様々な娯楽がひしめき合い、魔物と人間が共存していた町と言われており、差別や迫害を受けることが多い魔族と魔人族が中心の国ミノスヘリヤでは、国民の誰もが夢見る幻の町であった。カノロイへの憧憬を込めて作られた芸術は、絵や歌、小説など多岐に渡り、『カノロイの夜』はとりわけ人気の高い楽曲だった。

 女には魔族の血は一滴たりとも流れていなかったが、昔からこの歌が好きだった。それこそ、ふらりと立ち寄った不気味な建物の中ですら口ずさむ程に。

 階段を降りると、真っ直ぐに伸びた通路に出た。通路の両脇にはドアのない小部屋が並んでいて、女はそれを一つ一つ探索していくことにした。

 どの部屋も大抵はゴミと空き瓶が転がっているばかりだったが、ふらりと入った部屋の一つに小さな燭台の乗った書物机を見つけた。机の上には何やら紙の束が乗っている。女は書物机に近づき、背中のベルトにつけたポーチから小さなガラス瓶──魔導具を取り出し、赤く染色された蓋を開いて机上の蝋燭に火をつけた。柔らかな光が付近を照らす。

「これはこれは……」

 鼻歌を止め、紙の束を一枚一枚確認する。内容は禁制品である雫石の違法売買についてだった。どの書類の最後にも、後ろ暗い商売で名高いザベリ商会の紋章が刻まれている。

 ローディオ大陸東端のアトロの森には、感情が高ぶった時に色のついた涙を流す人々が住んでいる。色涙の一族と呼ばれる彼らの目から溢れて滴り落ちた涙は、不思議なことに石のように固まって雫型の宝石へと変化した。その宝石は雫石と名付けられ、金持ちや宝石好きが欲しがる希少品として広まっていった。雫石はその後、多くの魔素を含む便利な素材であることが判明し、魔導具の燃料や魔機のパーツとしても利用されるようになっていく。

 雫石が優秀な素材になると判明するにつれて、色涙の一族の誘拐事件が相次いだ。泣かせさえすれば大量に手に入るということなら、奴隷にして直接拷問にかけるのが一番早かったのだ。かつては様々な色の雫石が出回っていたというが、今では仄暗い赤色か青色が定番となっている。雫石を求める人々は、色の意味について誰も興味を持たなかった。

 森に潜む彼らの里はついぞ見つからなかったものの、非人道的な行為は後を絶たなかった。事態を重く見た商人ギルドは、雫石の取引と流通量を規制し、各国へ法整備を要請した。旅人ギルドは里のあるアトロの森への立ち入りを禁じた上で入り口に見張りを置き、定期的に巡回部隊を派遣するようになった。こうして取扱いに手間がかかるようになった雫石は表の流通からほとんど姿を消したものの、裏での大量取引はもう何十年と噂されている。

 ザベリ商会はこういった裏取引を行う闇商人の元締めとして、まず名前の挙がる商会の一つだった。食料や衣服などの日用品から禁制品、果ては人身売買まで。近年では魔工学などを用いた違法な人体改造に手を染めたなんて話もある。彼らは売れるものなら何でも売るという意味合いを込めて、両皿に金貨の乗った天秤の紋章を掲げていた。

 そんなザベリ商会の主力商品の一つが雫石の違法取引だった。現在世に出回っているものの大半は、元を辿れば彼らが売ったものだという。安定した供給の裏には、どこかに生産工場とでも言えるような場所があるのではないかと噂されていた。

 長い年月の経った今、女は正規の依頼を受けてアトロの森でとある色涙の民を探していた。当然ながらギルドの許可は得ている。生来の方向音痴を原因として森の中をさまよい歩き、鬱蒼と茂る木々や藪を掻き分けて進んでいたところ、打ち捨てられた建物の中に一か所だけ土埃の払われた地下への入り口を見つけたところだった。

 立ち入り禁止の森の、人目のつかない場所に出入りの痕跡。人攫いの拠点と推測した女は里の者に繋がる手がかりの一つでも無いかと探っていたのだが、今見た資料もほとんどが二か月以上前の取引についてだった。誰も聞いていないのを良い事に、女は露骨にため息を吐く。

「やっぱり、ここもハズレかなー。いっそワタシも色涙の里を探すしかないか」

「里は、もう無い」

 女がブツブツと呟いていたところ、背を向けていた入口から声をかけられた。若い男の声だった。書類を漁っていた手をピタリと止める。ゆるりと振り返った先に立っていたのは、服についたフードを深くかぶった青年だった。蠟燭の明かりが遠いとはいえ、血の気の薄い口元以外は髪の毛すら隠れて見えていない。雪の降る真冬だというのに、黒い衣服には袖が無かった。

「オレが、終わらせた」

「君は……ここの人? 一番偉い人がどこにいるのか、知らない?」

 女は青年の話を無視するように、自分が聞きたいことだけを端的に伝えた。襲ってくることも無いのであれば、有効に利用するまでだ。青年は暫く黙ってその場に立っていたが、のそりと向きを変えて立ち去った。

「案内してくれるの? 助かるよ」

 自分に都合の良いように解釈した女は、手に取っていた書類を雑に戻し、ちろちろと揺れる蝋燭の火を吹き消した。案内人が見つかるなんて今日はついている。口元に笑みを浮かべながら猫背の青年の後を追いかけた。


「……でさ、その人そのまま山を転がって行っちゃったのに無傷だったんだよ。それからワタシはその人のことを『コゲコゲ丸パンさん』って呼んでるんだけどさ、我ながら良いネーミングセンスだと思わない?」

「……」

「そうだ。君、名前はなんて言うの? ワタシはガディウル・ケルバ。気軽にガディとかって呼んでくれて構わないよ。なかなか呼んでくれる人はいないんだけどね」

「……」

 青年が歩いている間、ガディウルと名乗った女はひたすら青年に話しかけていた。青年は放っておけばそのうち黙るだろうと高を括っていたのだが、女のおしゃべりは一向に止まない。水の月の雨雲よりしつこいのではないだろうか。

「年は28、育ちはミノスヘリヤのあたりだけど生まれは知らないんだ。少なくとも両親はユピテスの人間みたいだけどね。魔導もちょっとは使えるし。君はどう? 見た目からは分からないだけで、もしかして魔人族だったりするの? 魔族ならすぐ分かるけど、魔人族ってぱっと見で判断つかないから難しいんだよね。似た感じの竜人族なら態度がそっけなさすぎるからすぐ分かるんだけど。君のそれとはちょっと違うんだよねー」

 答えが無いのを良い事に、畳み掛けるように問いかける。

「オレは……ただの人殺しだ」

 歩みをピタリと止め、青年は言った。

「人殺し? それじゃあ、ワタシと似たようなもんだ。時々あるよ、襲ってきた盗賊を返り討ちにする時とか。命を狙われたらどうしようもないことってあるよね」

「違う、オレは人を殺したんだ。悪人でもなんでもない人を」

 声に感情が籠っていないものの、何かに憑かれたかのように訂正を求める青年。ガディウルは興味深そうに青年の顔を覗き込もうとしたが、青年はより顏を隠すようにフードを引っ張った。

「わかったわかった。人殺し君ね」

 降参だ、と言わんばかりに両手を上げる。青年がフードから手を離すと、ガディウルは懲りずにまた口を開いた。

「にしてもさ、そこまで全身黒ずくめだと目立たない? ワタシもこの髪色だし、どこ行っても一発で分かるって言われるけど、君もなかなかだよね。外で怪しまれたこと、結構あるんじゃない?」

 ガディウルは自分の髪を一束摘まみつつ、青年の恰好をじろじろと嘗め回すように眺めた。黒い布が張り付いている、と表現した方が正しいほどタイトな上着は、袖が無い代わりに首をすっぽりと覆っていて、ボタンでつけた深いフードが目元と髪を覆っている。まるで顔さえ隠せればそれでいいといった格好だ。布自体もそれほど厚いものではないらしく、青年の体の骨とも筋肉ともつかない凹凸が浮き出ていた。サイズの合っていない下穿きとボロボロのブーツも揃って黒く、闇夜に紛れたら腕だけ現れたかのように見えるだろう。

 対して、ガディウルの短く切り揃えられた髪は、一本一本が煮え立つマグマのように赤かった。加えて針金のように細長い体と靴のヒールでさらに高くなった身長で、人の姿をした蝋燭にさえ見える。確かに、どれだけ混みあった町中であろうとも見失うことはないだろう。

 青年は興味なさげに女の髪を一瞥し、そのまま視線を彼女の腰元に落とした。腰のベルトには後ろのポーチの他に左右四本ずつ、合計八本の小型ナイフがぶら下がっていた。そんなに大量に何に使うのかと一瞬考えたが、自分にはあまり関係のないことだと思い直し、何も言わずに歩き出した。ガディウルの独り言がまた始まる。

「そうそう、この前クロノメイアに行った時に美味しいクレープ屋さんを見つけたんだけどさ、名物がちょっと変わってて……」


 長い通路を延々と歩き、両開きのやたらと豪華な扉の前に出た。ガディウルの話に何度か聞いた話題が増えた頃のことだった。

「もう着いたんだ。やっぱり、おしゃべりしてると案外すぐだね」

 青年は何がおしゃべりだと呆れたようにため息を一つ。続いて、小さな間をおいて、何か思い出したように口を開いた。

「アンタはなんで……こんなところに来た」

 『こんなところ』という表現から見るに、ろくな施設ではない自覚はあるのだろう。風貌が廃墟同然の建物の地下で、こそこそと雫石の密売に関わっているような組織を異常だと考える程度には、青年の感性はまともらしい。

「ここの森を抜けてちょっと行った先にベルンダ村ってあるでしょ? そこの村人に依頼されたんだよ。知り合いの色涙の一族と連絡が取れないから調査してくれって」

 依頼を明かすことは場合によっては身の危険が迫る行為だが、ガディウルは迷うことなく答える。青年を信頼してのことではなく、何があっても自分ならどうとでもなるという自信の表れだった。

「人探しなら地上で済むだろう」

「それはそうなんだけどさ、君のおかげで彼らが全滅したって聞けたし、結果的にいい判断でしょ? それに、なんて言えば良いのかなー。ここにワタシの力を必要としてる人が居そうな気がしたんだよね」

 ガディウルが一息に答える。本当はほとんど好奇心だけで訪れたのだが、たまには格好をつけてみよう。

「理由になって……いや、いい。オレには関係ない。関係ないんだ」

 青年は心を鎮めるように小さく呟いた。薄々気づいていたが、求めていた回答ではなかったらしい。彼が求めているのはもっと根本的な話だろう。不服そうな青年とは裏腹に、ガディウルは自信満々に口角を上げた。

「ワタシは旅人だからね。気分と興味であちこち巡って、助けを求められたら女神様とか英雄様よろしく応じてみせるのが仕事、というより役目なんだ。今までも、これからも」

 旅人。ユピテス各地を自由に旅する便利屋であり、詩人の語る女神と英雄の物語に憧れた若者が名乗り、命を落とす職業。世界中を巡って見ず知らずの人間を助けるのも、人探しのために当てもなく森を彷徨うのも、女神達ならそうするに決まっているから。ガディウルの行動規範はそれだけだった。

 青年は今度こそ納得するだろうか。返事も反応も相変わらず無い。

「ベルンダ村のアクセサリーって綺麗だよね。雫石を使ってるから大っぴらに取引は出来ないみたいだけど。帰りに一つ買って帰ろうかな」

「あんたが本当に旅人なら」

 青年はガディウルの取り止めのない雑談を遮るように語尾に被せた。ガディウルは僅かに顔を顰めたが、青年の真剣そうな横顔に全てを流した。続きはなかなか降りてこない。

 青年は一度だけ言い淀んだ後で消え入るように小さく呟き、返事も待たずに重い扉を押し開いた。

「オレのことも助けてくれ」

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