1話 異世界転移
「ああ、どうしてこうなったんだろうな」
悲鳴すらもう聞こえない。ただ静寂だけが支配する中で、少年はぽつりと座り込んでいた。
一体、俺は何のためにあがき続けたのだろう。
「分からない。俺は、どうすればよかったんだよ……? なあ、教えてくれよ」
答えのない問いを投げかける少年の隣に、ふわりと、半透明の少女が浮かんでいた。彼女はただ、どうしようもなく悲しそうな顔で、少年を見つめている。
「……正直、分かってたんだ。俺はいつだって失敗ばかりで、今回だってどうせ何かやらかすんだろうって。でも、頑張った。自分なりに、必死に頑張ったんだよ。……その結果が、これかよ」
「ああ、俺なんてさ……。どうせ何にもなれない、どうしようもない屑だよ」
その背中は痛々しく、あまりにも無力で、少年は、ただうずくまっていた。
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気づいたら街道の真ん中に立っていた。何が起きたのか、頭の理解が追いつかない。
「俺は立花レン。大丈夫だ……名前は覚えてる」
……ここは、俺の知る世界じゃない。異世界だ!
決定打は、目の前にいる人間ではない存在だった。ゲームや漫画でしか見たことのない、いわゆる獣人というやつだ。商人のような風貌をしたその男は、物珍しそうに俺の格好を値踏みしていた。
「おい、アンタ、その珍しい上着……気に入った。それを譲ってくれないか?」
どうやら、レンの着ていたジャージが珍しかったらしい。文字通りの身なりを剥がされるスタートだったが、今のレンには情報が喉から手が出るほど欲しかった。
そうしてジャージと引き換えに教えてもらった。近くの街があるらしい。名前は……アイゼンヴェール。
国境の境目に位置する都市だとなんか色々教えてもらったが、正直今はとりあえずその街にいくしかない。ただそれだけ。
街が見えてきた。この街の唯一の出入り口の正門の前には、入城を待つ人々が長蛇の列を作っている。
大きな荷馬車を引いた商人たちや、腰に剣をさげた物騒な傭兵風の男たちが、順番をイライラと待っている。列の周辺には、どうやら今日中に入るのを諦めたのか、地面に無造作にテントを張って野宿の準備を始めている商隊の姿もあった。
……一体、どうやって列に並べばいいんだ?
「おや〜、お兄さん。まだそんなところで突っ立ってるかい。街の入り方分からないのかな?」
「ああ、さっきの。……実は、この街の入り方が分からなくてさ」
「ん〜、だろうと思ったよ。見慣れない格好をして突っ立ってるし、足がすくんでたからすぐ分かったよ」
ジロリと俺の全身を品定めするように眺め、商人は呆れたように耳をピクつかせる。
「で、お兄さん。ギルドカードは持っているかい?」
「ギルドカード?」
「身分証みたいなものさ。誰でもかれでも自由に入れるわけじゃない。特にこの街アイゼンヴェールは、国境を挟んだ要衝だからね。検問はそりゃあ厳しいのさ」
「……ない。そんなもの、持ってるわけない」
無一文で放り出されたレンが持っているはずもない。男はやっぱりな、という顔をして肩をすくめた。
「じゃあ、どうやったら手に入るんだよ」
「まぁ、首都のギルド本部で発行してもらうか、その街の知り合いの名義を借りるなんてものがあるが、もっとも、いまのお前さんじゃ門前払いさ」
……つまり、このままでは街に入ることすらできないのか。
目の前にそびえ立つ巨大な壁と長蛇の列を眺め、レンは思わずその場にうなだれた。異世界初日にして野宿決定という現実が、重くのしかかる。
「まぁ、そう落ち込むなよ」
「私の荷物の番をする従僕として、紛れ込ませてやるなら……この門をくぐれるかもしれないがね」
「本当か!」
藁にもすがる思いで顔を上げたレンに、獣人は意地の悪い笑みを向けた。
「ただし、タダとはいかないなぁ。さっきお前さんから譲ってもらった上着はいい値で売れそうだが、それとは話が別だ。私を納得させるだけの手土産がなきゃ、門の衛兵はごまかせない」
くそ、足元を見やがって。
だが、ここで野宿をして襲われたら一巻の終わりだ。背に腹は代えられない。レンは必死にポケットや服の内側を探り、何か価値のありそうなものがないか探した。
ズボンのポケットの奥に硬い感触を見つける。……スマートフォンだ。
「……これで、どうだ」
レンはためらいながらも、スマホを商人の前に差し出した。
「ほう?」
商人は物珍しそうにそれをひったくり、裏返したり画面を覗き込んだりする。
「これはいったい何だ? 木くずでも鉄くずでもないが……」
「機械だよ。写真も撮れるし、画面を光らせることもできる。かなりの貴重品だ」
獣人はスマホの電源のボタンを押し、不意に光ったディスプレイを見て「おっ」と目を丸くした。液晶に反射する光を浴びて、彼の獣の瞳が興奮に揺れる。
「おお……! なんて凄い魔道具だ! 魔石の反応すらないのに、これだけの光を……! こいつは凄い、珍品だ!」
「よし、気に入った! これなら十分すぎる。門の通行料を肩代わりしてやるどころか……これだけのものだ、おまけに金貨を数枚はずんでやってもいいぞ!」
「本当か!」
「ああ、商人に嘘はないさ」
明らかに安く買い叩かれている気はしたし、足元を完全にすくわれているのは分かっていた。だが、生き残るためだ。
レンは苦い笑いを飲み込み、このずる賢い獣人との取引に頷くのだった。
「また面白い魔道具を手に入れたら、中央広場にある商業ギルドの窓口まで来な。高く買ってやるよ」
と、獣人は商売人らしい言葉を残して雑踏の中へと消えていった。
獣人のずる賢さのおかげで無事にアイゼンヴェールの門をくぐり抜けることができた。
「とは言ってもさ……」
「こういうのって、普通はお約束といえば冒険者ギルドに登録して一攫千金なんだろうけどさ」
そもそも、冒険者ギルドでカードを発行してもらうにしても転移したてのレンに、そんな知り合いいるわけがない。
それに、だ。
……俺に、あの腰に剣をぶら下げた傭兵たちみたいな真似ができるとは到底思えなかった。
幸か不幸か、さっきのスマホの売却で臨時収入の金貨が数枚ある。当面の宿代とメシ代には数日分困らないだろう。だが、それは減る一方の貯金でしかない。このままずるずるいけば、あっという間に文無しだ。何か安全にお金を稼ぐ方法を見つけないとまずい。
「……って言うかさ!」
レンはガシガシと自分の頭をかきむしり、思わず空に向かって毒づいた。
「異世界転移なんだからさぁ! もっとこう、ステータス画面が開くとか、派手な魔法がドーンと撃てるとか、そういうチート能力、お約束ってやつがあるのが普通だろ!」
いくら心の中で叫んでみても、視界に謎のウィンドウが浮かび上がることもなければ、指先から火花の一つすら散る気配はない。
元の世界の記憶と、スニーカーのすり減ったジャージのズボン。そしてポケットにある数枚の金貨。
俺の異世界生活は、思っていたよりも圧倒的にハードモードで、そして泥臭く始まろうとしていた。




