第七話 黒き翼の戴冠と永遠の誓い
砂埃が巻き上がる王都の裏路地。そこで彼女はローブを深くかぶって、震える手を空に伸ばした。
伸ばされた手にはしわが目立ち、外気にさらされ続けたせいか、乾燥している。ローブから垣間見える瞳は落ち窪み、そこにかつての美貌は見る影もなかった。
「……私は、竜王陛下に相応しい女だったのよ……」
掠れた声で呟くが、誰にも相手にされない。シャディアを『地の民』と見下していた彼女は、今や誰にも見向きされず、地の底の存在となった。
「ああ……っ、どうして……!」
彼女の悲痛な叫びは誰の耳にも届かない。乾いた風が吹き抜け、王城の地下牢へと流れ込んだ。そこにも、哀れな末路を辿る女の姿があった。
髪は抜け落ち、肌も垢だらけになったリリアーナが重い鎖につながれている。彼女は国を傾かせた『偽聖女』として捕らえられていた。
「あの呪われた出来損ないが! あんな女、死ねば良かったのよ!」
半ば正気を失いながらも、リリアーナは髪を振り乱しながら叫ぶ。壁を爪で掻きむしり、シャディアへの呪詛を吐き続けていた。そこには、かつて聖女として愛された可憐な妹の姿はなかった。
荒廃した王都に吹きすさぶ風は、遠く離れた辺境の荒地にも届く。そこでは一人の男が、不慣れな手つきで鍬を振るい、痩せた畑を耕していた。
「はぁ、はぁ……」
指一本動かさずとも贅を尽くせた男が泥にまみれ、今はパン一つ食べるにも苦労する日々。ふとした瞬間にシャディアの姿を思い出すが、今の彼には後悔する資格さえない。
そのとき、王国全土の空が突然、黄金色の光に包まれた。
雲が背景となり、竜の国の美しい宮殿が映し出される。空に映ったのは、黒い絹のドレスを纏い、金の瞳を輝かせるシャディアの姿だった。
その隣には彼女を、壊れものを扱うように愛おしく抱き寄せるアルバジークの姿がある。シャディアが微笑むたび、竜の国には花が咲き乱れ、黄金の光が舞った。
その光景のあまりの美しさと幸福感に、王国の民たちは地面に泣き崩れる。自分たちが石を投げ、処刑しようとしたのは、呪われた子ではなく、国の繁栄そのものだった。
泥の中のヴェロニカは空を見上げて嗚咽を漏らし、牢獄のリリアーナは絶叫して発狂し、荒地のオーリックはかつて近くにあったはずの存在を仰ぎ見ながらただ呆然と立ち尽くす。
最後にアルバジークの氷のような瞳が王国全体を射抜き、映像の光は消えた。
残されたのは、以前よりもさらに暗く冷え込んだ、滅びゆく王国の空だけだった。
***
豪華な黒のドレスに身を包んだシャディアは、鏡に映る自分の姿を見つめた。埃にまみれ、忌み嫌われた存在として虐げられていた頃の自分は、もういない。
「さようなら、可哀想だった私」
シャディアはドレスを翻して部屋を出る。向かった先の大広間。集まった竜族たちの前でアルバジークは、シャディアに竜王妃の冠を授けた。
臣下たちが見守る中、アルバジークはシャディアの前に片膝をつき、その手に深い敬愛の意を込めて口づける。
「我が魂の番、シャディア。そなたの進む道すべてを、俺が光で満たそう」
最強の王が自分に跪く姿を見て、シャディアは自分が守られるべき弱者から並び立つ覇者になったことを自覚した。誰にもアルバジークの隣はゆずらない。彼の行く手を遮るものがいれば、この黒き翼で吹き飛ばしてみせよう。
竜王が竜王妃に跪く姿に、大広間は静まり返る。しかし次の瞬間には、割れんばかりの拍手に包まれた。
そしてバルコニーへ出た二人の眼下には、雲海に浮かぶ広大な竜の国が広がっていた。そしてそこに集う竜族の民たち。
「ディア。そなたの真の姿を、彼らに見せてやってくれ」
耳元に唇を寄せて、アルバジークがささやく。シャディアが頷いて目を閉じると、背中から漆黒の巨大な翼が力強く羽ばたいた。
その翼は夜空のように深く、黄金の粉雪のような魔力が光の帯となって国中に降り注ぐ。そして同時に芳醇な百合の香りが風に乗った。
その美しい黄金は、触れた民衆の心を温めてゆく。そして誰もが彼女に畏敬の念を抱き、国全体が歓喜の咆哮に包まれたのだった。
「ディア。俺は今、世界で一番幸せだ」
アルバジークはシャディアの隣で、彼女の黒髪を愛おしげに撫でる。そして竜王としての威厳ではなく、一人の男として、震えるような喜びを込めた声でそう呟いた。
「私もです、ジーク。これからもずっと、お傍にいさせてくださいね」
シャディアも微笑み、彼の肩に頭を預ける。
二人の背後で、寄り添い合う白銀の竜と漆黒の竜の幻影が浮かび上がった。二頭は大きく翼を広げて、空へと昇っていく。二頭の咆哮が、世界の果てまで届くように響き渡った。
――黒き竜王妃の伝説はここから始まる。




