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折れぬ心

 対袁紹に公孫讃から遣わされた劉備は曹操に敗れた。兗州へ攻め込んだ袁術が公孫讃に救援を依頼しての戦いであった。この時兗州は曹操が治めており、曹操は袁紹とことにあたった。

 結局のところ、公孫讃と袁紹の争いの延長上にある戦いであった。公孫讃は袁術の依頼に劉備と徐州牧の陶謙を遣わしたが、二人は敗れたのだ。劉備はそのまま徐州に留まった。

 張飛は劉備軍の力を天下に示したかったが叶わなかった。いや、勢いのある群雄達の争いに加わり実際には劉備軍の名声は上がっているのだが、戦に敗れたため張飛としてはやるせなかった。

 曹操は強かった。張飛には自信があった。軍の調練は十分とはいえなかったものの数は増え、いくらかいい戦ができると思っていた。だが曹操軍は数もさることながら軍として、組織として揺るぎない統率でまとまっており、果敢だった。

 荒くれ者の集団は正規の軍には敵わない、というくらいの差を感じた。実際の劉備軍は軍としてしっかりと統制されていたが、完成された軍と訓練中の軍、という対戦といえた。張飛は初めて曹操軍と対戦したが、大きな壁を感じた。

 劉備軍は徐州の陶謙と行動を共にして、しばらく徐州に留まった。陶謙がいたく劉備を気に入ったということもあった。劉備軍そのものが崩壊したわけではなかったため、劉備も陶謙の誘いに乗った。軍も大きくなり公孫讃の世話になるのをやめたのだと張飛は思っていた。

「徐州を譲ると言ってきたよ」

 劉備がからりと言った。関羽と張飛はあまりに劉備がさらっと言ったため、はじめ何を言ってるのかわからなかった。

「徐州牧になるということですか!?」

 関羽が少し興奮気味に聞いた。

「まあ、そうなるわな」

 劉備は他人事のように答えた。張飛にとっても嬉しい話だが、当の劉備が乗り気でないように感じた。義勇軍から始まりついに一州の主人になれるというのにどういうことなのだろう、と不思議に思い、真っ直ぐにぶつけてみた。

「州牧になるといろいろなことができるようになります。でも劉兄は嬉しくなさそうですが、どうしてですか?」

 素直な質問だった。劉備が一州の主人で満足するわけはないと思っているが、地盤固め、足掛かりということでは大きな意味を持つはずだ。

「ここはな、難しいと思うんだよ。そりゃあ、徐州は欲しいよ。だがここはよくない」

「よくないとはどういうことでしょう?」

 関羽が聞き返した。張飛も同じ疑問だ。

「攻めやすく守り難い。あとすぐそばに曹操がいる。あれは敵に回すと厄介だ。戦もうまいし。この前も負けたろ?あいつは俺にとって壁になる。今は争う相手ではない。」

「今までとは違い、地盤ができます。その上で守る、ということであれば追い返すくらいできるのではないですか?」

 張飛は次は負けない、という気持ちがあるため反論してみた。

「うむ、やってみれば追い返すくらいはできるかもしれない。だがこらえきれなければ城を枕に討ち死にかもしれん。周りからの支援も得られづらいから、こちらの思惑通りには残念ながらいかんと思う。」

「殿のことは死なせやしません!」

 張飛は反射的に答えた。

「張飛、お前の気概は殿もわかってる。そういうことでもないのだろう。うまい戦をして追い返してもまたやってくる。最初はそういう強さを示して周りも支援してくれるかもしれんが、繰り返しているうちにジリ貧になる。ここはそういう土地だ殿は言っておられるのだ。」

 関羽が諭すように言った。

「それくらいはわかってる!だがもはや義勇軍ではない!天下に劉玄徳という将軍がいると示したいではないか!!」

 張飛の思いは真っ直ぐだった。劉備のことを世間に認めさせたい。それだけだった。

 曹操が壁になるなら殺す。張飛は単純にそう思った。しかもそれは卑怯な手段ではなく、真っ向勝負をして勝つ、そういうことだと思った。曹操は劉備にとってじゃま。それを張飛は心に刻んだ。

「焦るな張飛。兄者がここではないところからと考えておられるなら、今この地からの飛躍はない、そう思うことだ。」

 関羽がたしなめるように言った。そんなことは頭ではわかっている。だがもったいないし、試したい。そういう思いが張飛にはある。ふと関羽の顔を見た。関羽も苦虫を噛み潰したような顔をしている。関羽も悔しいのだ。張飛は駄々をこねるわけにいかなくなった。

「わかった。俺は兵の調練に専念するよ。どのみち戦はこの先も続く。徐州を出ていくことになっても兵が精強なら切り抜けられるだろ。いざの時に役に立たんようなことがないようにしておく。」

 張飛は言ってその場を後にした。

「兄者、張飛は悔しいのです。わしも同じです。わかってやってください。まあ、一番悔しいのは兄者だと思ってますが。」

 関羽は、張飛もだが人前では劉備のことを「殿」と呼ぶが、三人だけの時などは兄者と呼んでいた。

「わかってるよ関羽。ああ、惜しいなあ。だがこんなところで討たれるわけにもいん。ただし引き受けた以上はそれらしいこともせにゃならん。張飛は調練に集中、これでよいわな。関羽にもやってもらいたいことがある。」

「何なりと。」

「先ごろ呂布が曹操に敗れた、という報が入った。呂布はこの徐州に流れてきそうだ、とのことだ。わしは受け入れようと思う。」

「何ですと!あんな狼のような男をですか!」

 呂布は義父となった二人の主君を殺して転々としてきた。二人目は董卓だった。董卓を殺した後いろいろ流れ、曹操が徐州を攻めている間に曹操拠点の兗州を襲い、三城を残して占拠した。曹操が徐州を退いたのは呂布を撃退し、自らの拠点を奪還するためだった。そしてさらに成功し、呂布は今度は徐州に流れてくる、ということらしい。

「はっはは!虎同士、やはり嫌か。益徳もそうだろうな。と思いお前にだけ教えたのだ。どうせ徐州は失う。なら猛犬を入れて、曹操を困らせた方が面白いだろう。」

 劉備はなだめるように言った。関羽がさらに言い募ろうとしたが劉備は手で制し、続けた。

「呂布を受け入れることはもう決めたことだ、つべこべ言うな。おれが言いたかったお前に頼みたいことの方が大事なことだ。お前は曹操のところに行け。おれとの間を繋ぐのだ。徐州を巡る争いは激しい。俺たちが居場所を無くした時、俺はしばらく曹操の世話になる。今はそれがいいと思う。そのために曹操に連絡をしておいてほしいのだ。やれるか?」

 関羽はすぐには答えなかった。だが断れるわけもない。

「曹操と気脈を通じろと仰るのですな。わたしはそんなに器用ではない。自信はありませんぞ。」

 関羽は意図は理解したようだった。

「益徳にはできまい?」

 劉備は静かに言った。にんまりとしている。

 関羽は観念した。

「わかりました。曹操に使いを出しまする。」

 関羽は納得はしてなそうだが了承し、その場を離れた。

 関羽がいなくなって一人になった劉備は、深く深呼吸をした。関羽も張飛も、呂布と合うわけがない。狼どころか、関羽に言ったように虎同士だ。

「どうなる。なるようになるさ。」

 劉備は他人事のようにつぶやいた。

「豪傑とはいえ、型があるのだな。雲長は真面目だし好き嫌いが激しい、その上よほどでない限り他人を認めん。益徳はまっすぐだが下の者、部下に厳しい。だが可愛らしいくらいおれを慕う心がある。難しい二人だが、思い切り暴れる場があればいいのだ、今は。」

 劉備は気苦労が絶えんな、と思いながらも、嬉しい気持ちになり、よい同士と巡り会えたと感謝した。


 張飛は荒れていた。調練とはいえ実践さながらであった。

「なんだその様は!これは調練だと思って手を抜いてるのか!そんな奴は実戦で真っ先に死ぬ!実戦で勝つために調練をしている!当たり前だ!だが実戦で命を落とさぬようにするためだとも思え!」

 張飛は兵が死ぬのを見たくない。できれば一兵も死なさずにしたかった。そのため調練にも熱が入った。兵はどこまで理解してくれているのか。考えないようにした。考えていたら鞭打つこともできない。手を抜くような調練で実戦に出して死なれてはたまらないからだ。

 調練に精を出していたところ、陶謙が死んだという報が入った。劉備が完全に徐州牧となった。

 そんな折、呂布が曹操に敗れて徐州を頼ってきた。張飛は初めて呂布軍、そして呂布に出会った。

 劉備は受け入れるという。張飛は本能的に合わないと感じた。いや、合い過ぎるのかもしれない。軍と軍、個と個でぶつかり合いたい、そう思わされた。

 呂布は小沛という出城のようなところに入った。

 そんな時、袁術が攻めてきて劉備は迎え撃った。張飛は先鋒を任されるものだと息巻いたが、拠点である下邳を任された。苛立った。なぜ自分が留守を守るのか?関羽には各々役目がある、今回はしっかりと留守を守るのだ、とたしなめられた。しかし納得はいかない。命令なので仕方がないが、こういうときのために調練を重ねてきたのに、なんで俺が留守役だ?ともやもやしていた。

 対袁術戦は一ヶ月近く対峙が続いていた。それも張飛をいらつかせていた。一体関羽は何をやっているのだ。一気にかたをつければよいものを、そんな気持ちであった。

 そんな時に曹豹という将といざこざを起こした。曹豹は元陶謙の部下であった。長くこの地にいたためか、何かにつけ意見をしてくる。普段は聞き入れていたがこの時ばかりは鼻につき、張飛は我慢ができなかった。

「大殿が戦に出ている時だ!備えをしておくのが当たり前なのにお前は何をしているのだ!」

 そう言って曹豹を殴りつけ殺してしまった。張飛はそれで少し冷静になったものの、陶謙譜代の将とはもめるな、と言われていたことを思い出し、どうしたものかと思案していた。そこに呂布攻め来たる、という報が入った。張飛はこんな時に、という思いと、おもしろい!という思いがない混ぜになったが、気持ちとしては困ったぞ、という方が大きかった。呂布とは思い切りぶつかってやれ、という思いが強いのだが、今のいざこざ状態では劉備に迷惑をかける、と思い、呂布に集中できなかった。

 結局張飛はまともにぶつかることを避けた。実は劉備からは不測の事態があれば自分の妻子を城に留め置き、脱出しろと言われていた。何を言っているのか?と思っていた。あまり自分を舐めないでほしいと思っていたが、今そういう事態になってしまった。

 拠点である下邳を呂布に奪われた格好となった。劉備は張飛からの知らせを受け、呂布と和睦し、袁術との戦もとりなしてもらった。

「劉備殿、すまぬ。貴殿が戦の折にごたごたしたことを整理しようとしただけなのだ。」

 呂布は劉備と会ってそう言った。嘘はなさそうな言い方だった。張飛はちっ、と舌打ちをした。

「弟がいたらぬせいで世話をやかせましたな。かたじけない。呂布殿にはこのまま下邳をお任せしたい。」

 劉備が言ったのを聞き、関羽と張飛は目は怒らせ、だが下を向き耐えた。

「何を言うか。私は劉備殿に庇護を受け、戦中に後ろでごたごたしたことを処理しただけ。他意はない。」

 呂布はそう言って固辞したが、劉備はついに呂布に下邳を任せた。徐州を失った瞬間だった。

 張飛は自分のせいで、と思ったし、しかしなぜあっさりと渡してしまうのだ、とも思い複雑な気持ちになっていた。

「張飛、少し話そうか」

 劉備が戻り、真っ先に言われた。当たり前だと思った。留守を守れなかったのだ。

「面目ない。」張飛は素直に謝った。関羽が何か言おうとしたが、劉備が目で制した。

「落ち込むな。こういうことも折込みずみだ。お前には残念な役を任せてしまった、許せ。」

「そんなこと!俺がうまくやれなかったせいです!すみません!」

「んにゃ、呂布を受け入れると決めてからこういうことになると思っていた。お前のせいではないよ。ここは難しいと言ったろ。陶謙に請われて受けただけだ。呂布を受け入れた時点でこうなることも覚悟していたのだ。きっかけがお前だっただけだ。嫌な役をさせて悪かったな。」

 劉備は穏やかな顔で言った。この人はいつでも俺の味方だ、と思った。涙が出てきた。関羽が肩に手を置いた。優しさが伝わってきた。

 劉備軍は下邳から小沛に移った。張飛は再び調練に励んだ。軍が一万ほどになった。一万規模ならばと息巻いていたところに呂布が攻めてきた。

 張飛は頭にきた。こいつはなんなのだ。袁術との対峙中に留守を襲い、今度は軍がまとまってきた時に攻めてくる。張飛は思い切りぶつかってやろうと思っていた。しかし劉備が来て言った。

「張さん、逃げよう」

「なんでですか!負けませんよ!」

張飛は言ったが、劉備はにこやかに「曹操のところに行くわ」と、もう決めたから、という言い方をした。

 張飛は観念した。この顔には勝てない。

「わかりました...」

 張飛の気持ちを察してか、劉備は続けた。

「出てく時くらい派手に行こう。お前の調練の成果を呂布と曹操に見せつけてな」

 張飛はその言葉を聞いて顔を上げた。劉備が微笑んだ。

「派手に逃げるぞ!」

「はい!」

 反射的に答えていた。これで少しは気も晴れる。

 劉備軍は呂布軍の中央を突破する形で曹操の元へ馳せた。呂布は猛将中の猛将だが、徐州を落ち着かせる前だったため、劉備軍の進撃に抗し得なかった。

 世間的には敗軍の劉備軍ではあるが、呂布軍を突き破って曹操の元に移ったように見えた。敗けたというよりも、堂々と移ったように見えた。張飛の調練が活きた。


「やあやあ!よくぞ参られた!英雄を招くことができて嬉しゅうござるぞ!」

 曹操は自ら出向いて劉備を歓待した。

「そこもとらが関羽と張飛か?一騎当千の豪傑と聞いておる。噂に違わぬ面構えじゃ。劉備殿は羨ましいのお。」

「ただの敗軍の将です。恥を忍んで参りました。」

「何を言うか、戦は時の運。わしも呂布には嫌な思いをさせられておる。その呂布軍の中央を突き破って堂々とこちらへ来られたのだ。痛快な話よ、はっはは!」

「まとまりがない間をついただけです。逃げたことに変わりはない。恥ずかしい限りです。」

 劉備は拱手して言った。

「とにかく、酒の用意をしております。まずはゆるりとしてくだされ」

「かたじけない」

 曹操は最大限劉備を迎えてくれているが、劉備は何か不満がありそうだ、と張飛は感じていた。

 曹操に招かれ酒を飲み、歓談しているが何かきにかかった。酒宴が終わり部屋に案内されたが、劉備が気になって劉備の部屋を訪った。いつもと違う。劉備は突っ立ったまま、小刻みに震えているようだった。

「兄者!」

 張飛はただならぬ雰囲気に声をかけた。劉備は背中を向けたまま顔だけ少しこちらに向いた。見たこともない鬼の形相だった。いや、見たことがある。初めて会った時、賊を斬っぷした時だ。

「張飛...!俺は曹操には負けんぞ...!」

 劉備は悔しかったのだ。屈辱にも似た歓待だったのだ。戦ったこともある相手から誉め殺しのような接待を受ける。

 劉備の性格からも屈辱であったろう。

「いつか曹操を真正面から叩き潰してやります!」

 張飛は宣言するように言った。劉備の屈辱をいつか晴らす。決意に似たようなものだ。

 劉備は目を瞑り、なにごとか噛み締めながら、目を開けた時はいつもの柔和な顔になっていた。

「益徳、まだまだこれからじゃ!」

 劉備は折れていない。またここから這い上がる。そのために全力を尽くそう。あらためて思った。

「当然です!思い知らせてやりましょう!」

 張飛は宣言するように声を張り上げた。

 庇護を受けている身とはいえ、闘志がみなぎってきた。

 必ず見返す、そう誓った。

 

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