41) ハルカ、行きます!
「何ィ!? 難破した!? それで、それで、ハルカとランリィは、ど、どうなったんだよ!?」
熱に浮かされ続けていたウォリスとゼイドが意識を取り戻したのは、ハルカらが難破してから五日後のことだった。
一部始終を耳にするなり寝台から跳ね起きたウォリス。
たいていのことでは冷静なはずの彼が、すっかり取り乱していた。
「まぁ、落ち着けよ、メスティアの武人さんよ。でなきゃ、話ができねェや」
「これが落ち着いていられるか! あいつらは、あいつらはな……」
ダッツに詰め寄り、胸ぐらをつかむと
「――この世界の、たった一つの希望なんだぞ! お前ら船乗りにゃ、そのことがわかってねェってんだ!」
凄まじい剣幕で怒鳴った。
侮辱にも近い物言いに、一緒にいた船乗り達が顔色を変えた。
が、そこは彼らが頭と慕うダッツである。
ウォリスの手をポンポンと優しく叩きつつ
「わかってるさ、それは。だが、どうして俺がこうやって落ち着いて話していられるのか、そこを考えてみてもらいてェ。なぁ、武人さんよ」
宥めるように言った。
横で黙ってやりとりを見ていたゼイドが、
「……つまり、ハルカとランリィは無事だ、と。そういうわけだな?」
「ご名答。俺達がこの目で確かめたわけじゃねェが、信じるに足る筋からの話だ。間違いあるまい」
「どういうことだ?」
ダッツは、難破してすぐに人魚族に助けられたこと、そして彼女達は人魚族の長から人間の少女を救うようにと命じられ、この海域までやってきていたこと――を、かいつまんで話した。
「泳ぎに関しちゃ俺達も到底叶わない人魚族の嬢ちゃん達が言ってるんだぜ? これ以上に確かなことはあるまいよ。船乗りとして、みっともねェ話だがな」
「そうか。人魚族が、か……」
ウォリスは一瞬虚を突かれたような表情をしたあと目線を落とし、しばらくの間黙っていた。
と、急に寝台の上にどっかと座り直すと、頭がつくほどに下げて見せ
「いや、悪かった! 俺は大人げもなく、言わなくていいことを言ってしまった。申し訳ない! 謝る!」
「よせやい。誇り高き武人さんに頭を下げられるのも悪かねェが、俺達もハルカを助けられなかった以上、ふんぞり返っているわけにゃいかねェってモンさ。約束を守れなかったんだ、文句の一つや二つ、言われるのも当たり前だ」
ダッツの相好に、今まで見せたことのない、申し訳なさそうな笑みが浮かんでいる。
心の底から、ハルカ達を無事送り届けられなかったことに大きな責任を感じているようであった。
「それはそうと、アルセスまで伝言に行ってくれた人魚族から、折返しの言伝が届いている。――用意が調い次第、メスティアの王女達もアルセスを発つそうだ。ポームの連中が船を使えと言って寄越してきているから、ここからはそいつを借りて再度キーゼに向かう。あんたら二人、ここで待てって伝えてくれとよ。確かに、伝えたぜ?」
さすがは人魚族である。足の遅い船と違い、すいすいと泳いでいってあっという間にアルセスへとたどり着き、早くも折り返してきたようであった。便船で往復十日近く要することから考えると、信じられない速さといっていい。
用は済んだのか、立ち上がって部屋から出て行こうとしたダッツ。
つと足を停め
「……言い忘れてた。ハルカとランリィは人魚族の島から大陸に向かったらしい。人魚族の長の頼みとやらで、魔族の将軍を助けに行くとか言ってたようだぜ?」
「魔族の将軍を? なんだ、そりゃ?」
ウォリスの声がひっくり返っている。
意味がわからない。
魔族を討滅するためにバルデシア大陸へ渡ったというのに、その親玉を助けるということがあるだろうか。
それよりも、なぜ魔族が助けられねばならないようなことになっているのか。新たな勢力が台頭してきて魔族を圧迫し、それがために魔族と手を握ろうというのか。
首をひねっている彼に、ダッツは
「……さァな。そこは俺もわからん。が、ハルカ達のことだ。きっと何か考えがあるのだろうて」
エルメルの胸中を聞いてから翌、早暁。
ハルカとランリィは無事、バルデシア大陸東岸到達を果たしていた。
マーレルという人魚族に付き従う魚人の背中に乗せて運んでもらったのである。エルメルがそのように取り計らってくれた。人魚族ほどの知性を持ち合わせていないが温厚で大人しく、人魚達の言うことなら何でも聞くという種族で、外見はカッパとナマズを足して割ったような感じ、というのがハルカの印象である。
思いのほか大きくて絨毯の様に柔らかなマーレルの背中は、快適そのものだった。服を濡らさずに済むうえ、船のように酔うこともない。ハルカはすっかり喜んだ。ランリィはランリィで、主が体調を崩さずに済んだことに一安心している。
何より幸運といってよかったのは、人魚族との面識を得たことであろう。海のあるところ自在に行動できる彼女達やマーレルにとって、船乗り達が恐れる海流などは何でもなかった。二人が人魚族に救われ、かつエルメルの好意を得た時点で大陸へ渡る術の確保という重大な懸案事項はクリアされていたのである。
二人は、切り立った絶壁の下の岩場に下ろしてもらった。浜辺では人目につく恐れがあり、騒ぎになると厄介である。ヴォーデ救出までは隠密行動を要するため暗いうちに発ち、見つかりにくい場所を上陸地点に選んだのだ。
辺りはなおも青い闇に包まれている。
それでも朝が近いせいか、次第に周囲の光景が明瞭になりつつある。
穏やかに揺れる海面のはるか向こう、水平線を境に空の色はすでに明るい。雲が透けるように薄くしかかかっていないため、恐らく今日も快晴であろう。
二人を乗せてきてくれたマーレルのほかにも、人魚の娘達が何人か付き添ってきている。
シベリシを横切る際に万が一のことがあっては、と気遣ったエルメルがそうするように命じたらしい。
「みんな、本当にありがとう。島に戻ったら、エルメルさんにもよろしくね?」
波間に浮かんでいる人魚達に礼を述べたハルカ。
お決まりの白い衣装に防具、両肩をすっぽり覆う大きな外套がこれまた風に白くはためく。
岩の上にすらりと立つ彼女の姿は、微かな朝日の光を受けて凛々しく、そして神々しく見えた。
眩しげに見上げていたフルールは、つと胸に手を当てて祈りを捧げるようにして
「どうか、ハルカ様とランリィ様に女精エティシアの大いなるご加護があらんことを……」
祝福を願う言葉を口にした。
彼女を見習って、他の人魚達も同じことをしている。
ちょっと照れくさそうなハルカだったが、ふと思い出したように
「あのっ、できたら、でいいんですけど……もうひとつだけ、お願いを聞いてもらえませんか?」
「はい。私たちにできることでしたら」
願いというのはこうである。
おっつけ、アリス達がアルセスを発し、大陸を目指して海を渡ってくるであろう。
その時、もしも彼女らが嵐に遭ったらばどうか助けてあげて欲しいと、ハルカは頼んだ。
「いいですよ。人間の人達をお手伝いしたら、綺麗な石をくれますから。船乗りの人達が、助けてくれたお礼だっていって、ミューゼリカ姉さま達にくれたそうです。私も欲しいです」
エーゼルテが嬉しそうに言った。この娘は何が気に入ったのか、ずっとランリィにくっついていて、とうとう大陸まで一緒に来てしまった。
どうも人魚族の娘達は、キラキラと光る物が好きなようである。
するとフルールが
「エーゼルテ? 人間の人達に物を無心してはなりません。エルメル姉様に叱られますよ?」
「はーい。ごめんなさい」
たしなめられ、素直に謝ったエーゼルテ。
ご褒美の件はともかく、人魚達は快く依頼を引き受けてくれた。
「それではハルカ様、ランリィ様。どうか、くれぐれもお気をつけて。またお会いできるように願っております」
彼女らが波間に姿を消したのを見届けると踵を返し、二人は絶壁の天辺を目指した。
とはいえ、岩にへばりつくようにしてちまちまと登っていくのではない。
ランリィを背につかまらせ、跳躍力と腕力を活かして駆け上がるように上がっていく。ポームへ向かう途中では登山家のように普通によじ登るということをやってしまったが、よくよく考えればその必要はなかった。ありあまる身体能力にものをいわせれば、崖のひとつやふたつ、軽々と上がっていけるのである。
そうしてあっさりと絶壁の天辺に辿り着いた。
もちろん、上りきったその先にガルザッグ兵や人間がいないかどうか、注意深く確認を怠らない。
まだ朝も早いせいか、他に気配はまったくなかった。
「……さて、と」
内陸のほうへと目線を転じ、行く手を見渡したハルカ。
背の低い草に覆われたなだらかな下り斜面が続いている。
そのまま直進すると身を隠す遮蔽物はなにもないのだが、右手つまりやや北側には森とおぼしきものが見えている。多少迂回になるものの、そこを行けばよかろうと思った。それよりもずっと奥、空のすそがうっすらと濃くなっているのは山らしい。
大陸の地理地形について、ハルカはまったく知るところがない。
加えて、ランリィもまた聞きかじった知識をほんの少し有しているだけである。
今後の行動を容易ならしめるためにも、一刻も早くヴォーデを助け出し、彼を慕ってやまない人間達とつながって共同戦線を張らなければならない。
それが大陸上陸後の第一目標である。
背後に、ランリィが神妙に控えている。
いよいよガルザッグ帝国の本拠地へ乗り込むにあたり、彼女は彼女なりに覚悟と決意を固めているのであろう。
ハルカは振り返って
「何だかんだで、ここまで来るのにけっこうかかっちゃったね。たくさん迷惑をかけてごめんね、ランリィ!」
「いいえ。迷惑などということはございません。それよりも」
ランリィはくすりと笑って
「……むしろ、ハルカ様のいろいろなお姿を拝見するに及んで、お慕いする気持ちがいっそう強くなりました」
いろいろなお姿、という表現がひっかかったハルカは
「なぁに、それ? あたしが乗り物酔いしたり溺れたりしたこと?」
ちょっとむくれて見せた。
が、すぐに苦笑して
「安心してね。もう、船には乗らなくて済むと思うし」
言い添えた。
弱点や欠点を見せるのは決して格好いいとはいえないが、それでいいと思う。
良い面もそうでない面も含めて受け入れ合うから、人は絆を深めていくことができる。深められた絆は、一方的に切らない限り、決して揺るがない。そして強くなった絆はときに、思いもかけない結果をもたらす。
今がそうだといえる。
一時は衰滅寸前まで追い込まれていたメスティアの勢力が、ついに再び大陸の地を踏むなどと、誰が想像しただろうか。
それというのも、アリスをはじめウォリスやリディア、ベックなどなど、皆が絆を大切にする心があったればこそとハルカは思う。最初は小さかったその絆も、エミーやライケル、ダッツ、エルメルほか人魚族達と次第に大きく広がっていった。多くの人々の好意と協力を得て、ハルカとランリィはバルデシア大陸に到達することができたのだ。
ガルザッグは打倒すべきだが、本当にやるべき戦いとは、もっと多くの人達との絆を得ていくことなのかもしれない、という気がする。人間だけでなく種族を超えて一致結束していくとき、暴力しか術をもたない魔王ディノ以下ガルザッグ帝国は加速度的に滅んでいくに違いない。
手始めとして、とりあえずは――ヴォーデを助ける。
ハルカは大剣をしっかりと背負いつつ、ランリィの目を見つめて
「行くよ、ランリィ。ここからが、本当の戦いだからね。これからもたくさん迷惑かけちゃうかもしれないけど、よろしくね?」
「はい、ハルカ様! 何が待ち受けていようと、私はどこまでもハルカ様のお傍についてまいります!」
答えるランリィの瞳はキラキラと輝いている。
互いに頷きあうや、大地を蹴って駆け出した二人。
その直後――遥か遠く、水平線を乗り越えるようにして溢れ出した日の光が、今まさに大陸の大地を照らしださんとみるみる輝きを増し始めたのであった。
<第二章 目指すはバルデシア大陸・先行の旅路 編 了>
異世界転移女子~ハルカ、無双します!~にお目通しくださりありがとうございました。
ストーリーからいけばここまでが第一部、といったかたちになります。
ちょうど区切りを迎えましたので、ここで一旦締めさせていただくこととしました。
ハルカがようやく大陸に到達したのだからこれから本番ではないか、というご指摘もあろうかと思います。加えて、謎の魔導使いガングや途中でちらっと登場した複数の名を持つ少女、あるいはヴォーデの存在など、伏線を引きっぱなしになっているのも重々承知しております。
しかしながらこの作品、異世界ラノベを好む読者の求める内容になっているのかというと、どうもそうではないと筆者自身感じているところですし、またそれをわかっていながら書いておりました。そうしきれなかったのは当然、筆者自身の力量不足によります。また、連載を意識しすぎ、各話単位での内容やボリュームがまちまちで読みにくかった点も、この場でお詫び申し上げます。
そもそものコンセプトは「誰が読んでもわかりやすい」ことでした。
しかし、多くの読み手の方にとってそれは「公開作品として当然」でしかなく、あえて強調することにどれだけの価値もありませんでした。筆者として、痛烈に後悔し、反省しているところであります。
誠に勝手ながら、この先を投稿し続けるべきかどうなのか、少し時間をおいて考えたいというわがままを許されたいと思います。
旧稿の末尾でも述べましたが、見通しの良い直線道路を延々法定速度で走り続けるような面白味に欠けたこの作品、多くの方々の支えをいただいてひと段落するところまでこぎつけることができました。
あえてスペシャルサンクスを付させていただきますと
・素敵なビジュアルを作成し、終始当作品を支持してくださった林檎無双様
・人魚達に素敵な名前を下さり、終始当作品を支援してくださった奈瀬理幸様
・ご自身の経験を踏まえ的確な助言をくださった青山晃一様
・旧稿から変わらないご支援をくださったエビた様
・当作品にこめた思想を誰よりも的確に理解し、受け止めてくださった不波流様
・追い風のように後ろからそっと見守り支えてくださったすー様
上記の皆さまには特に厚く御礼を申し上げるものであります。
最後に、お目通しくださったすべての読み手の方へ厚く御礼を申し上げつつ、この連載を終了させていただきます。
ありがとうございました。
2017年1月11日 神崎 創




