第七曲 しんまい
「よく寝てる」
聖月の膝枕でぐっすりと眠る姿に、思わず頬が緩む。ふわりとキッチンからきのこと出汁のにおいもしてきて、さらに口もとが緩んでいった。ついでにお腹も鳴りそうだ。
きのこごはんが炊けるまで、と恋人の皓茅は横になった。聖月の膝枕を気に入ってくれたようで、穏やかな寝息を立てている。こうやって皓茅は小さい頃から聖月にべったりだ。聖月が他の子と遊ぶだけで大泣きしていた。
置時計を見ると、炊飯器のスイッチを入れてから、ちょうど三十分になるところだった。まだ炊きあがるまで時間がある。ゆっくり休めるときには休んでほしい。皓茅の性格が表れたような黒糖色の髪を、そうっと撫でてみても無反応だ。しっかりと熟睡できているようで、ほっとする。
年下の幼馴染である甘え上手な恋人は、仕事帰りに聖月の自宅へとやってきた。皓茅が手にさげたエコバッグには、いろいろなきのこと新米、秋限定のビールが入っていた。その時点で恋人の希望することはわかったが、あえて聖月は「これなに?」と聞いてみたのだ。
――聖月さんが作ったごはんが食べたい。だめ?
本当に、こういうところがずるくて可愛いのだ。皓茅に甘えられて、断れる人なんてまずいない。
皓茅は誰が見ても美形で、すべての口が「恰好いい」と言うほどの男だ。顔がいいだけではなく、背も高くてスタイルがよく、頭までいい。さらに、性格が穏やかで優しいのだ。そんな完璧な男が眉をさげて「お願い、聖月さん」なんて言うのだから、断れるはずがない。
ただし、皓茅が可愛い男の子だった頃から聖月はお願いを断れなかったので、美形とか完璧な男とかは関係なく、皓茅だから断れないのだ。
いろいろと持ちすぎている皓茅に対し、聖月はどこをとっても平均的で、すべての口が「平凡」と言う。完璧な皓茅が平凡な聖月に甘える姿は、他の人から見たら違和感しかないだろう。
もともと今夜は皓茅と会う予定がなかった。だから聖月は思いきり気の抜けた恰好で、髪も洗ったままの状態でのんびりタイムをすごしていた。黒髪からしずくが落ちるいい加減なタオルドライは、普段ならば皓茅の「だめでしょ、聖月さん」が入る。そんなときに突然の皓茅の来訪で驚いた。結果としては、しっかりいつもの言葉を言われた。
「今日もお疲れさま」
もう一度、そうっと髪を撫でてあげる。やはり無反応でも、それだけ熟睡してくれることが嬉しい。皓茅が着ているシャツには、しわが寄っている。だから言ったのに、と思いながら再度髪を撫でてあげた。
来訪時にスーツのジャケットはなんとか脱がせて、ハンガーにかけてある。すでに眠そうだった皓茅はネクタイをはずし、シャツの襟もとをくつろげただけで動きを止めた。きのこごはんの準備を終えた聖月が膝枕をしてあげて、今に至る。
着替えだけでもしたらと言ったのに、皓茅は駄々を捏ねるように首を横に振っていた。疲れているのだろうし、皓茅の着替えは置いてあるので、聖月も強くは言わなかった。
(疲れるに決まってるよね)
現在二十五歳の皓茅が背負うものは、三歳年上の聖月よりもはるかに大きく、重い責任だ。
若手を育てることも重要と、皓茅がチーム主任に任命されたのは今年の四月だ。話題になりやすい皓茅の噂は、部署が違う聖月の耳にもよく届いた。皓茅を評価して認める声も、逆に否定的な声もやっかみも聞こえてきた。当然本人の耳にも入っていたと思う。
でも皓茅は愚痴も弱音も口にせず、誰かを悪く言うこともない。いつもまっすぐなのだ。今日のように、他の社員より遅くまで会社に残っていることもある。
そんな姿を見せられたら、ますます皓茅に惚れていく。昔から素直で真面目だった皓茅は、大人になってさらに魅力が増した。
ふと室内に視線を巡らせてみると、あちらこちらに皓茅の気配がある。ハンガーラックには皓茅のスーツも服もかかっているし、食器やクッション、スリッパなど、どれも全部二個ずつだ。聖月の部屋に皓茅が居場所を作っていくことが、くすぐったくて嬉しい。
昔からそうだった。互いに家を出る前も、いつも皓茅は自身の教科書やペンケースなどを、意図して聖月の部屋に置いていった。帰ったあとに、宿題で使うんだった、と取りにくるところまでがセットだ。
しっかり者で誰からも頼られる皓茅が、聖月にだけ甘えて眉をさげる姿は、たまらなく愛おしい。どこまで惚れさせたら気がすむのだろう。
ピピッ、ピピッと電子音が鳴り、はっとして立ちあがりかけ、すぐに動きを止めた。きのこごはんが炊けたけれど、皓茅はまだ膝枕で熟睡している。起こすのはかわいそうだ。でも炊きたてのきのこごはんも食べさせてあげたい。
聖月が皓茅にしてあげられることは、ごはんを作ることだけだ。それなら、いつでもおいしいごはんを食べてほしい。頭がいい皓茅は、間違いなくその気持ちを感じ取っている。だからこそ甘えてくれるのだ。昔からほとんどのことができる皓茅に対して、聖月は得意と言えるようなものがなく、際立つものもない。
皓茅が自身の部屋に誘ってくれるときは、聖月の到着時にはテーブルいっぱいにごちそうが並んでいる。毎回どれを食べてもおいしくて、間違いなくプロの味だ。
それでも皓茅は聖月の料理を喜んで、「ごはん作ってほしい」と言ってくれる。皓茅の生活のなかに聖月の居場所があることを知るたびに、心が幸せで満たされる。甘え上手だし、聖月を甘い気持ちにさせるのも上手だ。
起こしたほうがいいのか悩んでいると、皓茅の瞼がゆっくりとあがった。長いまつ毛を揺らして数度まばたき、とろんとした目を聖月に向ける。
「いいにおいがする」
「うん。きのこごはんが炊けたよ」
「食べる。聖月さん、起こして」
両手をこちらへ向けるので、口だけで「しょうがないなあ」と言って手を引っ張ってあげた。でも聖月がたいして強く引っ張っていないのに、ぴょんと皓茅は跳ね起きた。聖月に抱きついて上機嫌そうだ。
「聖月さんをつかまえちゃった」
「つかまっちゃった。ほら、ごはん食べよう? 僕もお腹が空いてきた」
先に立ちあがった皓茅は、聖月に向かって手のひらを差し出す。優しさに甘えて手を重ねると、ぐんっと強く引かれた。今度は聖月が皓茅の腕のなかにおさまって、そのまま横抱きで抱きあげられた。
「重いからっ」
「重くないよ、軽すぎるくらい。俺が小学生の頃に聖月さんを抱っこしたときから、体重変わってないんじゃない?」
「そんなわけないでしょ!」
またも皓茅は上機嫌な様子で、聖月を横抱きにしたまま歩き出す。ゆったりとした足取りで進み、キッチンにある炊飯器前まで連れていってくれた。そうっと床におろされ、くすぐったい気持ちになる。甘え上手なうえに甘やかし上手の皓茅に、いっそう胸がときめいた。
「聖月さんは、もっと食べないとだめ。軽すぎて心配だよ。本当に体重変わってるか、あとで量って確認させてね」
「それは嫌。確認なんてしなくても、しっかり増えてるから大丈夫」
皓茅が納得できなそうに、じっと視線を向けてくる。まだ聖月より背が低かった皓茅に抱きあげられたあのときから、どれだけの年月が経ったと思っているのだろう。
(……)
たしかにずいぶんと年月が経って、いろいろと変わっている。あのとき、聖月を抱きあげることはできても手がぷるぷるしていた皓茅が、現在は軽々と聖月を横抱きにしているのだ。しっかり大人の男の人になっていて、また皓茅の魅力に気がついてしまう。恋心の成長がまったく止まらなくて、驚くほどだ。
食事の準備を整えて――とはいっても、きのこごはんとレトルトのみそ汁、香の物しかない。寂しいメニューなのに、まるでフルコースでも並んでいるかのように皓茅は目を輝かせている。
(あ、そうだ)
ぱっと思い出して、冷蔵庫に入れておいた秋限定の缶ビールを二本持ってくる。皓茅が飲みたくて買ってきたのだろうし、聖月も広告を見て気になっていた。
ふたりで「いただきます」と手を合わせて箸を持った。きのこごはんを口に運んだ皓茅は、ぱあっと笑顔になる。
「おいしい! 聖月さんが作ってくれるごはん、おいしすぎる」
「口に合ったならよかった」
「すっごいおいしいよ。いつもありがとう」
「どういたしまして」
こうやって、小さなことでもきちんとお礼を言うところもすごい。心のままに喜んでくれたり笑ってくれたり、素直な皓茅に聖月のほうこそお礼を言いたいくらいだ。
皓茅のごはん茶碗はあっという間に空になり、おかわりをよそってあげた。また「ありがとう」とはにかんで、きのこごはんを口に運んでいる。
「本当においしい。聖月さん、毎年俺のためにきのこごはん作って?」
「なにそれ、プロポーズみたい」
「だよね」
聖月が噴き出すと、皓茅も笑った。ふたりで笑みを交わし、また箸を動かす。でもすぐに皓茅はテーブルに箸を置き、右手をポケットに入れた。
「通じないなら、こっちかな」
「え?」
ポケットから出した右手のこぶしを、聖月の前に伸ばす。なんだろうと見ていると、こぶしがふんわりとほどけた。
大きい手のひらの上に、ベルベットのような赤い生地の小さな包みがある。折り紙みたいにたたまれていて、正体がわからず聖月は首をひねる。
「なに?」
「開いてみて」
「……? うん」
手のひらの上の小さな包みを、指先でそうっと開く。四つ折りになっている状態を開き、さらに中央に合わせて内側に折られている角を、一か所ずつ開いていった。包みのなかから出てきたものに、聖月は目をまたたく。
赤色の四角い生地のまんなかには、シルバーカラーの指輪がのっている。自分がなにを見ているのかわからなくて、茫然と指輪を見つめた。
「聖月さん」
思考停止状態の聖月に、優しく皓茅が声をかけた。ぴんと背筋を伸ばして、皓茅を見つめかえす。
「は、はい」
「受け取ってくれますか?」
「……僕、に……これを?」
「他に誰がいるの。俺が一生隣にいてほしい人は、昔から聖月さんだけだよ」
苦笑いがあまりに優しくて、胸がきゅっと疼いた。自分がこんなシーンの主役になるなんて、想像してみたこともない。動けないままでいる聖月に、向かい側の皓茅は静かに口を開いた。
「たくさん悩んだんだ。聖月さんの隣にいるのは、本当に俺でいいのか」
「えっ、それは僕が悩むところじゃない? 皓茅の隣にいていいのかって」
「さっきからなに言ってるの、もう。俺の隣には、聖月さんしかいてほしくないよ」
表情を引きしめた皓茅は、静かな言葉を紡いだ。
「俺は昔から聖月さんに甘えてばかりだし、ごはん作ってってすぐ言っちゃうし、年下だし。いろいろ考えると、聖月さんに俺じゃつりあわないと思うんだ。でも隣にいたい」
「うん?」
誰に誰じゃつりあわないと言っているのか。思わず聞きかえしてしまう。でも皓茅は真剣で、冗談を言っている顔ではない。真剣な顔のまま薄く唇を開き、きゅっと引き結ぶ。まるで気合いを入れるような動きなので、またも聖月はなんだろうと思う。
「聖月さん、懺悔します」
「えっ、なに急に。なにに対して? もしかして、プロポーズじゃなくてどっきり?」
「プロポーズは本気で真剣です。本気で真剣だからこそ、懺悔させてください。俺は聖月さんに嘘をつきました。……実は俺、料理が全然できません」
「……」
なにを言われているのかと目をまばたく聖月に、皓茅は深々と頭をさげた。
「聖月さんがうちに来てくれるときは、いつもデパ地下の惣菜デリで買ってました。自分で作ってません。ごめんなさい!」
「うん……?」
「聖月さんが喜んで食べてくれるたびに申しわけなくて、でも今さら『嘘ついてました』なんて言ったら嫌われそうで、怖くてずっと言えませんでした。ごめんなさい!」
またも謝った皓茅は、さらに深く頭をさげる。テーブルに額がつきそうなほどで、つい聖月は噴き出してしまった。皓茅が真剣な分だけおかしい。笑ってはいけないけれど、可愛すぎて笑いをこらえられなかった。
「そんなこと気にしてたの? 最初から知ってたよ、皓茅が作ったんじゃないって」
「えっ⁉」
「昔から皓茅は、とにかく詰めが甘いんだよね。ごみ箱にデリの空き容器が入ってたから、すぐわかったよ」
「っ……!」
ぼっと真っ赤になった皓茅は、顔から湯気が出そうだ。しゅんと肩を落として、またも「ごめんなさい」と項垂れている。
「そういう皓茅が好きなんだよ、僕」
手を伸ばして、黒糖色の髪をぽんぽんと撫でる。ゆっくり顔をあげた皓茅は、不思議そうに聖月を見た。その不思議そうな顔を、聖月も不思議に思う。
「どうしたの?」
「俺、嘘ついてたのに怒らないの?」
「嘘なんてついた? 皓茅が僕のために用意してくれたのは本当だよね。それに皓茅のことだから、もっと僕に好きになってほしくて恰好つけたんじゃない?」
微笑みかけると、また皓茅は頬を赤くした。瞳を揺らして見つめてくる可愛さは、卑怯なくらいだ。
「大正解です……聖月さんのそういうところ、すごく恰好いい」
「ちなみに、僕は皓茅の家庭科の成績がどうだったか、ちゃんと覚えてるから。幼馴染に隠せると思ってる?」
「今は恋人だから、聖月さんにはもっと隠せないよね」
しゅんとした表情が緩んでいき、笑顔に変わっていく。この素直さも可愛いのだ。ばれるに決まっている嘘を思いついたことも、その嘘をつきとおすことができないところも、愛おしくてたまらない。なにより、嘘の理由は聖月の気持ちがもっとほしいからなのだ。これほど好きにさせておいてもっとほしいなんて、ずいぶんと欲張りでもある。
先ほどよりさらに幸せそうな笑顔になってくれて、ほっとしながら皓茅を見つめかえす。
「僕の前では恰好つけたり甘えたり、詰めが甘かったりする、そのままの皓茅でいてくれるのが、すごく嬉しいんだ。で、懺悔は終わり?」
「は、はいっ! 他には聖月さんに嘘もごまかしもしてません。誓ってしてません!」
「じゃあ、さっきの出してもらってもいいかな?」
ちょいちょいと指で皓茅の手もとをしめす。はっと気がついた様子で、皓茅は顔を引きしめた。しゅんとしたときに引っ込めた手を、おずおずとまた聖月の前に差し出す。
「受け取ってくれるの?」
「受け取らないよ、はめてもらうから。はい」
今度は聖月が右手を差し出す。でも皓茅は首を横に振った。
「逆だよ、聖月さん」
「逆?」
「もう、聖月さんまで詰めが甘いんだから」
苦笑されて、聖月は自分が出した右手に目を落とした。ぱっと頭に解釈が浮かび、言葉の意味を理解する。どんどん頬が熱くなって、先ほどの皓茅以上に湯気が出そうになってきた。
「う、うん……そうかも」
右手を引っ込めて、テーブルの下からそろりと左手を出す。聖月の左手に触れ、皓茅は柔らかく微笑んだ。自身の手のひらから指輪を取って、そうっと薬指に通す。
指輪のはまった左手が、自分の手とは思えない。まじまじと見ていると、その手をぎゅうっと握られた。
「好きだよ、聖月さん。すっごく好き」
「うん、僕も皓茅がすっごく好き。毎年きのこごはん作るね」
「サンマも焼いてください。俺は毎年新米買って帰るから」
「任せて。で、それは同棲したいってことかな?」
わざととぼけた口調で返すと、意味深な笑みを向けられた。幼い頃に戻ったように、ふたりでいたずらをした気分になる。
ひそやかな笑みを交わして、冷めてしまったきのこごはんを口に運んだ。秋限定の缶ビールは、あとで冷蔵庫に戻そう。皓茅と聖月のせいで、もうぬるくなっている。
終




