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第三十三話:芽吹く未来

とうとう、イリンカ念願の巨大温室が完成した。


そこは、趣味と実益を詰め込んだ、まさに夢のような空間だった。


高くそびえるガラスの天井からは柔らかな陽光が惜しみなく降り注ぎ、その光を受けて中央の湖は穏やかな水面をきらめかせている。湖には小舟が静かに浮かび、小高い丘の上には優雅なガゼボが建てられていた。周囲には色とりどりの花々が咲き誇り、甘く優しい香りが温室いっぱいに漂っている。


さらに奥へ進めば、様々な植物が瑞々しい葉を広げる栽培区画が続き、その先には研究用の区画が設けられていた。希少な薬草や新品種の作物が整然と植えられ、未来の研究成果を静かに待っている。


イリンカとウラドは、完成したばかりの温室をゆっくりと歩いていた。


どこを見ても理想そのものの光景に、イリンカの頬は自然と緩む。その無邪気な笑顔を見つめるウラドもまた、穏やかに目を細めていた。


「この温室、ウラドの私財で建てたって聞いたわ。本当にありがとう」


弾んだ声で礼を言うイリンカに、ウラドは肩をすくめる。


「お前が思う存分研究し、その成果を国へ還元してくれるなら十分元は取れる。未来への投資と思えば安いものだ」


その口調はあくまで淡々としていたが、イリンカの夢を叶えたいという気持ちは隠しようもなかった。


聞けば、ウラドは皇帝としての財産とは別に、自ら商団を率いて莫大な個人資産を築いているという。この巨大温室も皇后宮の改築も、その費用はすべて彼個人の財産から賄われていた。


その話を聞いた時、イリンカは驚くと同時に胸を撫で下ろした。


税金でこれほど豪華な施設を建ててしまったのではないかと、密かに気が引けていたからだ。


「もちろん、たくさん成果を出して、この国へ還元するつもりよ。まず挑戦したいのは、冷害に強い作物なの。フィオル王国は温暖だったから、そういう研究は必要なかったのよね。今から腕が鳴るわ!」


研究の話になると、イリンカの瞳は生き生きと輝き始める。


そんな姿を愛おしそうに見つめていたウラドだったが、不意に表情を引き締めた。


「実は近いうちに、遠方へ視察へ向かうことになりそうだ」


少しだけ言いにくそうに言葉を続ける。


「婚約したばかりだというのに、すまない」


イリンカは首を傾げた。


「視察? どこまで行くの?」


歯切れの悪い様子に違和感を覚えながら問い返すと、ウラドは静かに答えた。


「俺が呪いを受けた国――ブレスト王国だ」


その国名を聞いた瞬間、イリンカの表情が固まる。


「……っ!」


ウラドは過去を思い返すように、静かに遠くへ視線を向けた。


「あの国の王は討った。だが、その戦いで俺も呪いを受け、帝国へ戻らざるを得なかった。その後はこちらでも様々な問題が続き、復興は思うように進んでいない」


静かな声音だった。


だが、その言葉の端々からは、民を置き去りにしてしまったという責任感が滲んでいる。


「取り込んだからには、あの国も俺の国だ。苦しむ民を、このまま放ってはおけない」


迷いなく言い切る姿には、大帝国を治める皇帝としての覚悟と風格があった。


「ブレストはいまだ呪いの傷跡が癒えていない。お前と離れたくはない。だが、お前を連れて行くのも心配だ。だから――」


心から苦しそうな表情を浮かべるウラドを見て、イリンカは呆れたように笑った。


「何を言っているのよ」


それこそ、自分の出番ではないか。


そう思うと、自然と口元が上がる。


「呪い? 上等じゃない。この植物魔術師様が、何とかしてあげようじゃない!」


胸を張って宣言するイリンカは、いつものように自信に満ち溢れていた。


「あなたの傍で生きるって決めたもの。もう、この力を出し惜しみするつもりはないわ」


迷いひとつない翠の瞳が、真っすぐウラドを見つめる。


その視線だけで、胸を貫かれたような衝撃が走った。


「……お前のことが好きすぎて、胸が痛くなる」


思わず漏れた本音だった。


「好きなのに、こんなに苦しくなるなんて知らなかった」


切なげに眉を寄せたかと思うと、次の瞬間にはイリンカを力強く抱き寄せていた。


「きゃっ」


驚きの声が漏れる。


ウラドは腕の中の温もりを確かめるように、そっと囁いた。


「……お前に出会えたことが、奇跡だと思う」


耳元で紡がれた低い声に、イリンカの鼓動が一気に早まる。


「絶対に離さない。俺をここまで惚れさせた責任、ちゃんと取れ」


少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべるウラドに、イリンカは真っ赤になった。


「はぁ!? し、知らないわよ、そんなの!」


必死に反論するものの、その動揺は隠しきれない。


そんな反応さえ愛おしくてたまらない。


ウラドは優しくイリンカの顎へ指を添え、そっと持ち上げた。


「なら、自覚するまで教えてやる」


囁くように告げると、そのまま優しい口づけを落とす。


「……!?」


あまりに不意打ちだった。


頭の中が真っ白になり、思考が完全に止まる。


「っ、いや――」


ようやく声を絞り出した、その瞬間。


「お見通しなんだよ。バーーカ」


ウラドは、からかうような笑みを浮かべたまま、イリンカの声を塞ぐようにもう一度唇を重ねた。


二人を祝福するかのように、噴水の水が陽光を受けてきらきらと煌めく。色とりどりの花々が咲き誇り、温室には花の甘い香りと穏やかな時間が満ちていた。



ーー第二章 完ーー

第二章を最後までお読みいただきありがとうございました。

現在、第三章【呪いの国編】を執筆中です。書き上がり次第投稿する予定ですのでよろしくお願いいたします。

第三章は長編になりそうで、今から恐れ慄く作者です笑

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