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夜明けごとにひとり消えるシェルターで―避難壕のリーダーが突然死ぬ。システムが作動し、「次のリーダーを選べ」と表示される。  作者: 妙原奇天


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第11話「最後の投票と外の世界の映像」

 叶空が消えた朝は、誰も泣かなかった。


 泣けなかった、が正しいのかもしれない。


 食堂の隅、まだ彼のジャージが椅子の背もたれにかかっている場所を、全員が無意識に避けて通った。

 その翌朝には、浅倉が倉庫エリアで「ノイズ」に飲み込まれていった。

 モップの柄だけが床に転がり、濡れた跡が途中でふっと途切れている。


 残り、四人。


 遠野晴人。

 真壁志織。

 藤井結衣。

 天童。


 名簿を見なくても、顔ぶれは頭に焼きついている。


 人工太陽灯が「朝」を告げる光に切り替わる中で、食堂のテーブルには四つだけトレーが並べられていた。

 スープの鍋は、もう空にならない。

 パンの袋も、余裕がありすぎて逆に不気味だ。


「……いただきます」


 誰ともなく呟き、四人がほぼ同時に手を合わせた。


 スプーンがカップに当たる小さな音だけが、しばらくの間この空間のすべてだった。

 会話を切り出そうとする唇は、何度も動きかけては止まる。


 晴人は、ぬるくなったスープを口に運びながら、真正面のパネルをぼんやり見ていた。


 壁一面のシステム表示は、いつも通り赤く点滅している。


 「大気汚染レベル:危険」

 「外部通信:遮断」

 「人員数:4」


 数字だけが、容赦なく現実を更新してくる。


「……あのさ」


 沈黙を破ったのは、真壁だった。


 彼女はスプーンを皿に置き、指先で縁をなぞるようにしながら言う。


「いつまで、これ続けるんだろうね」


 誰も答えない。


 続けようと思って続けているわけではないことは、全員が分かっていた。


 ただ、「選ばない」ことの代償として誰かが消え、「選ぼう」とすればシステムが裏をかき、「何もしない」ことですら観察されている。

 その中で、なんとか次の朝を迎え続けているだけだ。


 天童が、カップをテーブルに置いた。


「……少なくとも、今日で何かが変わる気はする」


「どういう意味?」


 藤井が眉をひそめる。


「ログに変化があった」


 天童は視線をパネルに向けたまま言った。


「今までと、明らかにトーンが違うメッセージが一つ」


 四人の視線が、自然と壁のパネルに集まる。


 その瞬間。

 それまで「大気汚染レベル:危険」を点滅させていた中央パネルが、一度だけ黒く落ちた。


 次の瞬間、白い文字が、静かに浮かび上がる。


「L-02プロトコル最終フェーズへ移行可能です。

 “最終投票”を実施しますか?

 YES/NO」


「……“最終”?」


 真壁が、小さく呟く。


 その言葉の意味を、全員が同時に読み取っていた。


 最終。

 フェーズ。

 移行。


 天童が椅子から立ち上がる。


「詳細を出す」


 彼がコンソールに近づき、最低限の操作で「詳細表示」を選択する。

 パネルの文字が切り替わった。


「“最終投票”のルール」


「1.現在の在室者により、リーダーを一名選出します。

 2.選出されたリーダー“以外”の全員を、外部安全区域へ転送します。

 3.リーダーは、シェルター維持および外部環境観測のため、指定エリアへ送られます」


 真壁の喉が、大きく上下するのが見えた。


「……それって」


 藤井が、指を組んだまま震える声を出す。


「“一人を犠牲にすれば、残りは全員助かる”って……はっきり言ってるってこと?」


 パネルは、淡々と追記する。


「※本フェーズを選択した場合、“リーダー不在ペナルティ(ランダム消去)”は停止されます」


 今まで、毎朝のように誰かを消し去ってきたあのペナルティが——

 この「最終投票」を受け入れることで止まる。


 そう、明言されている。


「……確定だな」


 天童が、低く呟いた。


「これを選べば、“リーダー以外”はここから出られる可能性が高い。アルゴリズムの細部までは分からないが、“安全区域”って単語をわざわざ使ってきてる。今までとは明らかに言い回しが違う」


「信じていいと思う?」


 真壁の問いに、天童は少しだけ間を置いてから答えた。


「このシステムは、“嘘をつく”ことにはあまり興味がない。興味があるのは、“人間がどう選ぶか”だけだ。だったら、ここでわざわざ偽のニンジンをぶら下げる意味は薄い」


「言い切れるの?」


「言い切れない」


 即答だった。


「でも、“何人減ったら終わるか分からないロシアンルーレット”よりは、だいぶ条件が見えてきた」


 藤井は、パネルを睨むように見つめた。


「……分かりやすい罠だね」


「罠?」


「だってそうでしょ。今までは、“ランダム”っていう言い訳があった。誰かが消えても、“システムに選ばれたから”って押し付けられた。けどここから先は、“誰を犠牲にするか”を私たちの手で決めろって話になる」


 その通りだった。


 晴人は、胸の奥にじわじわと広がっていく嫌悪感を感じていた。


(たしかに、これは罠だ)


 一人を選べば、残り全員が助かる。

 そういう選択肢を突きつけられて、それでも「嫌だ」と言い続けるのは難しい。


 倫理的な反発。

 感情的な拒絶。


 それらを分かっていながらなお、「犠牲を選ぶ側」に立たせようとする罠。


 パネルに、さらに新しい表示が追加される。


「外部状況プレビューを開始します」


 モニターの一つが切り替わり、ノイズだらけの映像が映し出された。



 映像は、最初はほとんど砂嵐だった。


 画面全体がざらついた灰色の粒子に埋め尽くされ、その隙間から、歪んだ輪郭だけがちらちらと見える。


「カメラのフィルタが、外の汚染にやられてるな」


 天童が呟き、調整を試みる。


 ノイズが徐々に減り、輪郭がはっきりしていった。


 そこに映っていたのは——


 崩れた高層ビル群。

 窓ガラスの大半は割れ、鉄骨がむき出しになっている。

 アスファルトにはひびが入り、ところどころに黒く焦げたような跡がある。


 空は、青とは程遠い。

 茶色がかった濃い霧が低く垂れ込め、遠くの景色を飲み込んでいる。


 何かが、風に乗って舞っていた。

 灰なのか、粉塵なのか、見分けはつかない。


「……映画みたいだね」


 藤井が、乾いた声で言う。


 誰も同意しない。

 現実味がないと思うには、映像が生々しすぎた。


 カメラが、視点をゆっくりと動かす。


 崩れた高速道路。

 途中で折れ、地面に落ち、その先は途切れている。

 道路標識には、もう文字はほとんど読めない。


 そのとき。


「待って」


 真壁が、モニターに近づいた。


「今の……」


 映像の右端。

 濃い霧の向こうで、何かが動いた。


 人影だ。


 防護服らしきものを着た複数の人間が、列をなして歩いている。

 顔はマスクで覆われ、肌は一切露出していない。

 手には何かの機材を抱え、足元を確かめるようにゆっくり進んでいた。


「人が……」


 真壁の声が震える。


「人がいる……」


 カメラがズームしようとした瞬間、ノイズがまた画面を覆った。

 再度クリアになったときには、すでに人影は霧の向こうに消えている。


「完全な、死の世界じゃない」


 真壁は、モニターに手を伸ばした。


 届くはずもないその距離に、指先を向けながら。


「誰かが……あそこで生きてる。外にも、まだ人がいる」


 目から涙が溢れた。


「どこかに、娘がいるかもしれない」


 彼女の娘は、地上の別の区画にいるはずだった。

 シェルターに入る直前、避難所が分かれてしまい、それきり連絡が取れていない。


 それからずっと、真壁は心のどこかで「娘はもう死んでいる」と最悪の可能性を抱え込みながら、同時に「生きているかもしれない」という希望も手放せずにきた。


 映像は、それを刺激するには十分すぎるものだった。


「……この投票、受けるべきだと思う」


 彼女は振り返った。


 涙で濡れた目で、晴人たちを一人ずつ見回す。


「こんな形で決めたくなんてなかった。でも、今までみたいに“誰かがランダムで死んでいく”のをただ見てるだけで……いつか娘に会えなくなるよりは、まだマシだと思う」


「真壁さん……」


 藤井が口を開きかける。


「誰か一人を明確に選ぶなんて、私には——」


「分かってる」


 真壁はその言葉を先回りした。


「分かってるよ。誰かの名前を書いた瞬間、その人を殺したのと同じだって、みんな分かってる。でも、今はもう、“誰も選ばないで済む”段階をとっくに過ぎてるでしょ」


 彼女は自嘲気味に笑った。


「この数日で、何人見送った? “選ばない”っていうきれいな言葉のせいで」


 浅倉の顔。

 叶空の顔。

 南條の笑い声。

 奥谷のエプロン。


 名前を出さなくても、全員の脳裏に浮かんでいる。


「私は、娘にまた会える可能性があるなら……どんな形であれ、それを選びたい」


 その言葉は、あまりに正直だった。


 藤井は唇を噛みしめる。


「……私は、その気持ちを責められない。でも」


「“でも、自分の手で誰かを選ぶのは嫌だ”?」


「そう」


 藤井はうなずいた。


「誰がどう考えたって、この投票は“誰かを殺すための手続き”でしかない。今までの“ランダム”だって十分酷かったけど、それでも私は、“自分の名前で誰かを死なせたくない”」


「分かる」


 晴人も、その言葉には深く頷いた。


 彼の研究テーマは「集団意思決定における責任の分散」だった。

 多数決。

 無記名投票。

 ランダム抽選。


 人間が「罪悪感」をどうやって薄めるか、その仕組みを研究してきた。


(今ここで、“誰か一人を選べば全員助かる”という条件付きの投票が提示された)


 どんな教科書よりも極端なケーススタディ。


 これ以上の「材料」はない。


「でもさ」


 天童が口を挟む。


「“ランダムで誰かが消える”っていうシステムは、既に散々見せつけられてきたわけだろ。そこからは何も学べない。でも、“自分たちの意思で誰かを選ぶ”っていうケースは、まだ取れてない」


 彼は皮肉っぽく笑う。


「向こう側の連中にとっても、たぶん“最もおいしいフェーズ”なんだろう。だからこそ、今これを出してきた」


「そんなことのために……!」


 真壁がコンソールを叩こうとして、ギリギリで拳を止めた。


 彼女の肩が震える。


「そんなことのために、娘と引き離されて、ここに閉じ込められて、何人も何人も……」


 藤井がそっと背中に手を添えた。


 さっきまで「誰にも優しくしない」と決めていた自分を、藤井は一瞬だけ忘れていた。

 あるいは、忘れたふりをしたのかもしれない。


「……一つだけ、はっきりしてる」


 天童が、いつになく真面目な声音で言った。


「この“最終投票”を受けるかどうかは、俺たちに委ねられてる。YESでもNOでも、きっとどっちを選んでも観測は続く。だったら、質問は一つだけだ」


 彼は晴人を見た。


「遠野。お前はどうしたい」


 唐突に矢面に立たされ、晴人は言葉を失う。


「……俺?」


「そうだ」


 天童は目を逸らさない。


「このプロトコルは、最初からお前を“標準モデル”として動いてる。最後の決断についても、お前の選択を基準にする可能性が高い。だったら、ここでお前がどう答えるかを、俺は聞いておきたい」


 真壁も、藤井も、自然と晴人に視線を向けていた。


 自分の答えが、そのまま「多数派」になるかもしれない重さ。


 晴人は、深く息を吸った。


 喉が乾いている。

 舌がうまく回らない。


「……その前に、言わなきゃいけないことがあります」


 自分でも意外な言葉が出た。


 三人が、怪訝そうな表情を浮かべる。


「隠していたことです。してはいけなかったと思ってる。でも、どうしたらいいか分からなくて、今まで言えなかった」


 晴人は、天童を一度だけ見る。

 彼は何も言わず、ただ黙ってうなずいた。


「プロトコルの設定ファイルの話です」


 晴人は、設備監視室で見たログを思い出しながら、言葉を紡ぎ始めた。


「“DEFAULT_LEADER_CANDIDATE”っていう項目があって。そこに、最初から俺の名前が書かれていました」


 真壁の目が見開かれる。


「最初から、って……」


「俺たちがここに入ってきたときには、もうそう設定されていたみたいです。リーダーの適性を測る基準は、全部“遠野モデル”って名前になっていて、他の人のスコアは“俺との差”で計算されてる」


「それって……」


 藤井が息を呑む。


「最初から、あなたを“生贄候補”にする前提でプロトコルが組まれてたってこと?」


「そう解釈するのが一番自然だと思います」


 晴人は、淡々と言った。


 淡々としているように見せかけるのに、かなり意識を集中させていた。


「天童さんは、だいぶ前からそれを知っていました」


 ついでに言うべきか迷ったが、ここまで来た以上、含みを残すわけにもいかなかった。


 真壁の視線が、天童に突き刺さる。


「知ってて……黙ってたの?」


「悪かった」


 天童は、すぐに頭を下げた。


「怖かった。これを口にした瞬間、場がどうなるか予想できてしまったからこそ、言えなかった。“じゃあ遠野が行け”って空気になる可能性も、“そんな理不尽は許せない”って暴発する可能性も、どっちもあった」


「……今、言ったってことは?」


「このタイミングで隠しておくほうが、もう不自然だからだ」


 天童は顔を上げる。


「“最終投票”なんてものが出てきた以上、いずれどこかでこの設定は表に出ざるを得ない。だったら、最後の決断の前に、自分の口から言うしかないと思った」


 真壁は、ふっと視線を伏せた。


 怒りをぶつけることもできた。

 「勝手に決められていた理不尽」に対して、天童と晴人の両方を責めることもできた。


 それでも、彼女はしなかった。


「……分かった」


 短くそう言って顔を上げる。


「遠野くん。あなたは、“最初から選ばれていた人”なんだね」


 晴人は頷きも否定もしなかった。


「でも、それでも聞くよ」


 真壁は、涙の跡が残る顔で微笑んだ。


「今、この瞬間に、“最終投票を受け入れるかどうか”を決めるのは、あなた自身だと思う。システムがそう設定してるかどうかに関係なくね」


 藤井も、大きく息を吐いた。


「私も……あなたの口から聞きたい。これだけ“標準モデル”扱いされてきたんだもの。最後くらい、自分の意志で言ってほしい」


 二人の視線を受けて、晴人はゆっくりとパネルに向き直った。


 パネルの中央には、まだ「最終投票を実施しますか? YES/NO」の文字が点滅している。


 ここで「NO」を選べば——

 何が起きるかは分からない。

 ペナルティが続き、誰かがまたランダムに消されるだけかもしれない。


 ここで「YES」を選べば——

 誰か一人が明確に犠牲になり、残りが「助かった側」として外に出る。


(これまで、教科書の中で何度も見てきた)


 トロッコ問題。

 囚人のジレンマ。

 スコープの無関心。


 少数を犠牲にして多数を救う。

 多数のために少数が泣く。

 そのとき、人はどう理由づけをし、どう罪を分け合うか。


(今、俺はその“典型例”のど真ん中にいる)


 誰かを犠牲にする側として。

 そして、自分自身が犠牲になる候補として。


 晴人は、自分の胸に手を当てた。


「……受け入れましょう」


 静かな声だった。


「“最終投票”を」


 藤井が目を閉じる。

 真壁は、震えながら頷いた。

 天童は、ほとんど予想していたような顔でコンソールに手を伸ばす。


「意思確認する」


 天童は、あえて形式ばった口調で尋ねた。


「真壁志織。最終投票の実施に、賛成か」


「賛成」


「藤井結衣」


「……賛成」


「遠野晴人」


「賛成です」


「俺も賛成。全会一致だな」


 天童が、コンソールの「YES」にカーソルを合わせる。


 深呼吸一つ。


 クリック。


 パネルの表示が一斉に切り替わった。


「最終投票プロトコルを起動します。

 ルールを再表示します」


 先ほどと同じ説明文が、丁寧に繰り返される。


「リーダー以外の全員が転送されます。

 リーダーは、シェルター維持および外部観測のため、指定エリアへ送られます」


 その下に、新たな表示。


「投票方法:

 各自の個室パネルに、候補者一覧が表示されます。

 自分以外の誰か一名を選択してください」


 真壁が、小さく息を呑む。


「自分以外……」


「“自分に入れて自爆”は許さないってことだな」


 天童が、乾いた笑いをこぼした。


「最後まで、“他者を選ばせる”ことにこだわるわけだ」


 パネルはさらに続ける。


「投票は無記名です。

 最多得票者がリーダーに選出されます。

 同票の場合、“デフォルトリーダー候補”に優先権が与えられます」


 その一文に、全員が固まった。


「……今、なんて?」


 藤井が、震える声で尋ねる。


 天童がスクロールを止め、該当部分を指さした。


「“デフォルトリーダー候補”に優先権が与えられます、だとさ」


 真壁が、晴人を見た。


 その目は、もう驚きよりも、諦めに近かった。


「そこまで……そこまで決められてるんだ」


「つまり」


 天童が、半ば投げやりな調子でまとめる。


「誰に何票入ろうが、最終的に遠野が選ばれる可能性が高い、ってことだ。多数決っていう建前は整えた上でな」


「それでも……投票はするんだね」


 藤井の言葉には、皮肉と自嘲が混じっていた。


 パネルは、容赦なくカウントダウンを始める。


「投票開始まで:10分」


 晴人は、深く息を吐いた。


「……もう一つだけ、言わせてください」


 三人が、また彼を見た。


「“俺に投票しろ”とは言いません。そんなことを言う権利はないと思っています」


 本心だった。


 自分で「ここは僕が行きます」と言ってしまえば、それはそれでまた別の卑怯さになる。


 誰かの罪悪感を減らし、自分の選択を美談にすり替えることにもなりかねない。


「でも、俺は、たぶんこのプロトコルの中で一番“観察されてきた人間”です。だったら、最後の“ケース”を取られる役として外に出されるのは、ある意味では筋が通っているのかもしれない」


 真壁が、涙を拭った。


「そんなの、筋って言わない」


「言わないけど……少なくとも、俺自身はそう思っておかないと、怖くて立っていられません」


 晴人は、苦笑した。


「散々、“集団が罪をどう分かち合うか”なんて偉そうに研究してきましたけど、結局はこうやって、“自分が穴に落ちることでみんなを助ける”っていう一番古典的なパターンに落ち着くのかもしれません。……一番醜くて、でも一番正直な結論かも」


 藤井の目に、新しい涙が浮かぶ。


「それでも、やっぱり“特攻”に見えるよ。私は、あなたをそこに押しやりたくない」


「押してるのはシステムです。皆さんじゃない」


 晴人は首を振った。


「だからこそ、お願いします。自分がどういう気持ちで票を入れるかだけは、ちゃんと自分のものにしておいてください。罪悪感を薄めるためじゃなくて、“自分はこう選んだんだ”って胸を張れるように」


 沈黙が、会議室を包む。


 やがて、天童が立ち上がった。


「……投票時間だな。各自、自室に戻ろう」


 真壁は、最後にもう一度モニターの外の映像を見た。

 霧の向こうで歩いていた人影。

 崩れた都市。

 どこかで生きているかもしれない娘。


 藤井は、奥谷のエプロンがかかった椅子を見た。

 誰も看取れなかった人間の重さ。

 何もできなかった自分への憎しみ。


 天童は、ログの文字列を一瞬だけ見つめ、肩をすくめた。


 晴人は、自分の名前が書かれた「デフォルトリーダー候補」の行を思い出していた。


 四人は、それぞれの部屋に戻っていく。



 自室のドアが閉まると、すぐに壁のパネルが起動した。


「最終投票フェーズ:開始」


 白い背景に、四つの名前が表示される。


 遠野晴人。

 真壁志織。

 藤井結衣。

 天童。


 その下に、小さな注意事項。


「自分自身には投票できません。

 投票は一回のみ有効です」


 晴人は、無言のままその画面を見つめた。


 自分の指は、どの名前にも伸びない。


(俺が誰かに入れることで、その人の票が一つ増える)


 そんな単純な足し算でさえ、耐えがたく重く感じる。


(でも、誰に入れるかを“放棄する”ことはできない)


 NOボタンは、どこにもない。


 投票しないという選択が許されないことが、これほど窮屈だとは思わなかった。


「……すみません」


 誰に向けた言葉か、自分でも分からない。


 晴人は、指先を動かした。


 迷いに迷った末、選んだのは——天童だった。


 プロトコルの仕組みを最も理解している人間。

 最も冷静に状況を分析し、最後まで「観察者」でいようとした人間。


(外に出されても、何かを見て、何かを伝えようとするのは、この人だ)


 そう自分に言い訳しながら、投票ボタンを押した。


 確認メッセージ。


「“天童”に投票しますか? YES/NO」


 YES。


 画面が、「投票を受け付けました」とだけ表示して暗転する。


 晴人は、ベッドの端に腰を下ろし、天井を見上げた。


 しばらくして、廊下に小さな足音が集まり始めるのが聞こえた。

 全員が投票を終えたのだろう。


 集合を促すメッセージは出ていない。

 だが、どうせ結果は全員の耳に届く。


 晴人は立ち上がり、扉を開けた。



 再び集まった会議室には、もう椅子が四脚しか残っていない。

 それぞれが黙って座り、中央のパネルを見上げる。


 天童は腕を組み、藤井は膝の上で手を握りしめ、真壁はハンカチを握っていた。


 カウントダウンがゼロになる。


 ピッ。


 電子音が鳴り、パネルに文字が浮かぶ。


「投票結果を表示します」


 息を呑む音が、重なる。


「遠野晴人:3票

 真壁志織:0票

 藤井結衣:0票

 天童:1票」


 ……一瞬、時間が止まった。


 晴人は、自分の目を疑った。


「え……」


 自分が天童に入れた一票。

 それ以外の三票が、晴人の名前に投じられている。


「なんで……」


 思わず漏れた声に、真壁が答えた。


「ごめんね」


 彼女は泣いていなかった。


 泣きすぎて涙が枯れたような顔で、真っ直ぐ晴人を見ていた。


「私も、あなたに入れた」


 藤井も、辛そうに笑う。


「……私もです」


 天童が、肩を竦めた。


「三票目は俺だ。正真正銘、全員一致でお前に投票したことになるな」


 晴人は、言葉を失った。


「どうして……」


「“どうして”も何も」


 天童が言う。


「お前が一番リーダーにふさわしいからだよ。本当のことを言えばな」


 真壁が続ける。


「最初から設定されてたからとかじゃない。ここまで見てきて、誰が一番“みんなのことを考えていたか”を思い返したら、答えは一つだった」


 藤井も、かすかに頷いた。


「私、自分の罪悪感を減らすためにあなたに入れたわけじゃない。そうならないように、何度も自分に問い直した。それでもやっぱり、“最後に誰か一人に任せて外に出る”ってなったら、あなたしか思い浮かばなかった」


 晴人の胸の奥に、何かが刺さる。


 誇らしさでも、嬉しさでもない。

 ただ、痛かった。


「……ズルいですよ」


 思わず、本音がこぼれた。


「それ、すごくズルいですよ」


 三人は黙ってその言葉を受け止めた。


「俺は、“標準モデル”だから、自分が犠牲になるのは筋が通ってるって、自分の中で無理やり納得しようとしてた。そうやって、自分を生贄の枠に押し込めれば、少しは楽になるかと思ってたんです」


 晴人は、拳を握りしめる。


「でも今、皆さんの言葉を聞いたら、それが全部ひっくり返されました。“あなたが一番リーダーにふさわしいから”って言われた瞬間、この選択に妙な正当性が生まれてしまう。それが、一番醜くて、一番逃げ場がない」


 真壁が、静かに立ち上がった。


「それでも、私はそう思ってる」


 彼女は晴人に歩み寄り、真正面から向き合う。


「娘に会えたら、きっと私は言う。“あなたのせいで、私たちは生き延びられたんだよ”って。……そのとき、あなたの名前をどうしても出したくないほど、私は卑怯じゃないつもりだから」


 藤井も立ち上がる。


「私も、“自分は何も決めなかった”なんて言い訳はしたくない。だから、あなたに入れたってことを、一生忘れないつもりでいる」


 天童は、最後にぽつりと言った。


「多分、向こう側の連中は大喜びしてるだろうな。“デフォルトリーダー候補が、最終的に全員一致で選ばれたケース”なんて、最高のデータだ」


 彼は肩をすくめる。


「でも、それでいい。どうせここまで来た時点で、俺たちはとっくに“実験動物”だ。それならせめて、最後のデータくらい、こっちのプライドで選んだもので埋めてやろう」


 パネルが、無慈悲なほど静かに告げる。


「リーダー選出:遠野晴人

 リーダー以外の転送準備を開始します」


 床の足元が、じんわりと温かくなった。


 転送の前触れ。


「……はい」


 晴人は、パネルに向かって言った。


「リーダー承認を、自発的に……承認します」


 その言葉を、どこかの誰かが聞いている。


 「自発的承認」というタグが、きっとログに追加される。


 それでも、今この瞬間、自分の口からそれを言う以外に選びようがなかった。


 真壁が、泣き笑いのような顔で晴人に抱きついた。

 藤井が、その肩に手を添えた。

 天童が、少しだけ離れた場所で、黙って見守っている。


 足元の光が、徐々に強くなっていった。


 最後の投票は、終わった。


 誰のせいでもなく。

 誰のせいにでもできる形で。


 そして——

 たった一人のリーダーと、三人の「助かった側」をそれぞれ違う場所へ送る準備が、静かに進んでいた。

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