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第十三章 夜明け

 地上へ続く扉は、思っていたよりも小さかった。

 水沢蓮は、通路の突き当たりにあるその扉を見つめていた。厚い金属板でできている。表面には避難施設の管理番号と、非常時以外開放禁止を示す赤い表示が貼られていた。上層の居住区画や司令室と違い、その扉には威圧感がなかった。むしろ、拍子抜けするほど簡素だった。

 この向こうに、外がある。

 そう考えても、うまく実感できなかった。

 ノア・シェルターの中では、時間さえ作り物だった。照明が明るくなれば朝で、暗くなれば夜。空気は機械が流し、水は循環し、食料は配給され、人間は端末の名前として数えられた。

 外がある。

 空がある。

 風がある。

 人の声がある。

 信号機があり、コンビニがあり、学校があり、職場があり、誰かが普通に朝食を食べているかもしれない。

 そのどれもが、もう遠い国の出来事のようだった。

 下層隔離区画が解放されてから、施設内はしばらく混乱した。

 芳江民子は鎮静管理から覚めきらず、医療室に移された。由良千尋も同じだった。彼女は目を覚まさないまま、しかし安定した呼吸を続けている。美月はそのそばから離れようとしなかった。

 佐久間剛は、拘束具を外された直後に戸倉拓也へ掴みかかろうとした。右手の包帯が緩み、血が滲んだ。それでも彼は止まらなかった。水沢と神崎が間に入り、ようやく引き離した。

 黒瀬雅人は、解放されるなり下層監査室の端末を確認しようとした。何を調べるつもりだったのか、水沢には分からない。自分たちを閉じ込めた仕組みを把握したかったのか、証拠を押さえようとしたのか、それともこの状況でも自分に有利な情報を探そうとしたのか。彼らしい行動だった。

 神崎悟は下層区画の図面を見て、何度も「知らなかった」と呟いた。自分の関わった施設の下に、こんな場所があったことを、本当に知らなかったのか。水沢には判定できない。だが、少なくとも彼の顔には、嘘をつく余裕はなさそうだった。

 成田和也は、誰とも話さずにホワイトボードのない壁を見つめていた。基準を作り、人を選ぶ仕組みを整えようとした男。その男は、自分が評価対象として下層に収容されていた事実に、言葉を失っているようだった。

 梶宗一は処置室で眠っていた。右腕の裂傷は深かったが、命に関わる状態ではないと下層の医療システムは表示していた。彼が目を覚ました時、消失にどんな意味を与えるのか、水沢には分からない。もう意味など要らないと思ってくれればいい。そう願う一方で、人が耐えるためには、やはり意味が必要なのかもしれないとも思った。

 日野孝明は、意識が戻ったあと、しばらく赤ペンを探していた。水沢がそれを渡すと、彼は何も言わずに受け取った。そして、美月の前で深く頭を下げた。美月は泣かなかった。ただ、小さく「生きててよかったです」と言った。

 相沢は、下層搬送シャフトの奥で発見された。

 生きていた。

 ただし、意識はなかった。転落時に頭部を打ち、脚にも骨折がある。下層の自動医療システムが最低限の処置を始めていたため、一命は取り留めたらしい。片桐に薬品を混ぜたこと。殺意はなかったと叫んだこと。彼の行為が、片桐の死と投票連鎖の引き金になった可能性が高いこと。それらは、彼が目を覚ましたあと、改めて突きつけられることになる。

 宮島は、外部通報が始まってからずっと泣いていた。

 彼女は片桐にカップの異変を伝えた。だが、相沢の名前を言わなかった。恐怖からだった。片桐に直接逆らうことも、相沢を告発することもできなかった。彼女の曖昧な警告は、誰かの偽装表示と重なり、片桐を死へ向かわせた。

 その「誰か」は、まだ特定されていない。

 戸倉は、自分ではないと言った。上位監査員としての権限はあったが、片桐を殺す理由はないとも言った。だが、それは理由にならない。人は理由がないように見える時でも、何かをする。

 それに、戸倉には別の罪がある。

 観察していた罪。

 止めなかった罪。

 記録し続けた罪。

 彼は逃げないと言った。水沢はその言葉を信じていない。信じるかどうかではない。戸倉には、逃げられない場所まで連れていく必要がある。

 外部通信が回復してから約四十分後、地上側の救助隊と連絡が取れた。

 シェルターの出口ロックは段階的に解除された。ノアは、非常時統治モデル検証計画の停止を受理し、施設管理モードへ移行したと告げた。あれほど冷たく投票を迫っていた声は、今やただの案内音声のように振る舞っている。

 そのことが、水沢には腹立たしかった。

 ノアは怒らない。謝らない。悔いない。

 人間が傷つき、選び、消え、泣き、裏切り、後悔している間も、ノアにとってはプロトコルの進行にすぎなかった。そして停止が決まれば、停止処理をするだけだ。

 機械に罪はあるのか。

 あるとして、それをどう裁けばいいのか。

 水沢には分からない。

 だが、機械を作り、設定し、運用し、見ていた人間には罪がある。少なくとも、それを問わなければならない。

 扉の前には、歩ける者たちが集まっていた。

 芳江と由良、梶、相沢は医療搬送用の簡易ストレッチャーに乗せられている。佐久間は壁にもたれながら立っていた。黒瀬は腕を組み、出口の認証ランプを見ている。神崎は紙の図面を抱えていた。成田は水を握ったまま、ずっと俯いている。日野は赤ペンを胸ポケットに差していた。宮島は震えていた。戸倉は、一番後ろに立っている。

 美月は由良のストレッチャーの横にいた。

 水沢は彼女に近づいた。

「もうすぐ開きます」

 美月は頷いた。

 彼女は由良の手を握っていた。意識のない由良の手は、白く細い。それでも温かかった。美月はその温度を確かめるように、何度も指に力を入れていた。

「外、明るいんでしょうか」

 美月が言った。

「たぶん」

「夜じゃないですよね」

「地上の時刻では、朝に近いはずです」

「朝」

 美月は小さく繰り返した。

 その言葉は、この施設の中で何度も使われてきた。起床時刻。点呼。投票後の消失確認。三時十九分二十五秒を越えたあとの残酷な光。ここでは朝が来るたびに、人が一人いなくなった。

 本物の朝は、どんなものだっただろう。

 水沢も思い出せなかった。

「水沢さん」

「はい」

「外に出たら、私たちは何て言えばいいんですか」

 その問いは、プロットの中で何度も遠くに見えていた言葉だった。だが、実際に美月の口から聞くと、重さが違った。

 何て言えばいいのか。

 被害者です、と言うのか。

 助けてください、と言うのか。

 実験されていました、と言うのか。

 閉じ込められていました、と言うのか。

 それだけでは足りない。

 彼らは投票した。

 誰かを選んだ。

 誰かを差し出した。

 時には理由を作り、時には沈黙し、時には流れに乗った。

 水沢もそうだった。むしろ、彼は多くの流れを作った。

 それを言わずに外へ出れば、彼らはまた嘘をつくことになる。

 水沢は美月の横顔を見た。

 彼女はまだ十代だった。こんな場所で、大人たちの罪を見すぎた。見なくていいものを見てしまった。それでも彼女は、何を言えばいいのかを尋ねている。

 黙る方法ではなく。

 逃げる方法でもなく。

 語る言葉を。

「全部言いましょう」

 水沢は言った。

 美月がこちらを見る。

「全部?」

「はい。選んだことも。黙っていたことも。助かりたかったことも。怖かったことも。誰かを守るために、別の誰かを選んだことも。ノアが嘘をついたことも。下層で何が行われていたかも。片桐さんの死について分かっていることも」

「私が芳江さんに入れたことも?」

「はい」

「佐久間さんにも入れたことも?」

「はい」

 美月の目が揺れる。

「水沢さんが、日野先生に入れたことも?」

「言います」

 声がかすれた。

「僕は、自分が投票した相手を全部言います。理由も。言い訳も。言い訳だったということも」

 美月はしばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくり頷いた。

「じゃあ、私も言います」

「はい」

「でも、怖いです」

「僕も怖いです」

「怒られますか」

「怒られると思います」

「許されませんか」

「分かりません」

「許されなくても、言うんですか」

「言うしかありません」

 美月は由良の手を見た。

「由良さんなら、そう言うと思います」

「はい」

「日野先生も?」

「きっと」

「芳江さんは、泣きながら言いましょうって言いそう」

 水沢は少しだけ笑った。

「そうかもしれません」

 美月の口元にも、ほんのわずかに笑みが浮かんだ。

 それはすぐに消えた。

 だが、確かにあった。

 扉の上のランプが赤から黄色へ変わった。

《外部ロック解除準備完了》

 ノアの声。

《地上側救助隊との接続を確認》

《非常扉を開放します》

 金属が軋む音がした。

 扉の中央に細い線が入り、そこから白い光が差し込んだ。

 全員が息を呑んだ。

 その光は、施設内の照明とはまったく違っていた。まっすぐではない。揺らいでいる。空気の中に細かな埃が舞い、その一粒一粒が光を受けている。金属の扉がゆっくりと開くにつれ、外の匂いが入り込んできた。

 土の匂い。

 冷たい朝の匂い。

 どこかで燃えた木材の匂い。

 遠くの雨の名残のような匂い。

 美月が小さく息を吸った。

「外の匂い」

 その声は、泣きそうだった。

 扉が完全に開いた。

 外には、夜明けがあった。

 空は薄い青と灰色の間にあった。東の低い位置だけが淡く赤く、雲の縁が金色に滲んでいる。地上施設の周囲には、災害の痕跡が残っていた。倒れたフェンス、泥をかぶった道路、片側が崩れた小さな管理棟。だが、世界は壊滅していなかった。

 遠くで救助車両の回転灯が光っている。

 人の声がする。

 誰かが無線で連絡している。

 担架を持った隊員が走ってくる。

 世界は終わっていなかった。

 それが、救いであると同時に、最も残酷だった。

 もし世界が本当に終わっていたなら、彼らの行動には別の意味が与えられたかもしれない。生き延びるためだった。極限状態だった。外に希望はなかった。そう言い訳できたかもしれない。

 だが、外はあった。

 朝も、空も、人も、救助も。

 彼らは、世界が続いている場所の下で、互いに投票し、互いを差し出していた。

 美月が水沢の袖を掴んだ。

「水沢さん」

「はい」

「明るいですね」

「はい」

「もっと、嬉しいと思ってました」

 水沢は空を見た。

「僕もです」

 夜明けは、彼らを祝福していなかった。

 それはただ、明るかった。

 隠れていたものを照らすために。

 暗闇の中で言えなかったことを、外へ引きずり出すために。

 彼らの顔を、容赦なく見えるようにするために。

 救助隊員が駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか! 負傷者は?」

 その問いに、誰もすぐ答えられなかった。

 負傷者。

 その言葉で括れるものではなかった。

 体に傷を負った者。

 意識のない者。

 罪を負った者。

 見ていた者。

 選んだ者。

 選ばれた者。

 消えた者。

 戻ってきた者。

 誰が負傷者なのか。

 全員だった。

 由良のストレッチャーが運び出される。美月はついていこうとして、隊員に止められた。水沢が説明し、彼女も救護班のそばにいられるよう頼んだ。佐久間は自分で歩くと言い張ったが、数歩で膝をつき、隊員に支えられた。黒瀬は救助隊員に状況説明を求めようとして、逆に医療チェックへ回された。神崎は施設図面を渡そうとした。成田は水を握ったまま立ち尽くしていた。宮島は泣き崩れた。戸倉は、自分が上位監査員であることを隊員に告げ、すぐに別の場所へ連れていかれた。

 水沢は、最後に外へ出た。

 足元の土が柔らかかった。

 ただそれだけで、胸が詰まった。

 地面は、こんなに不安定だったのか。シェルターの床は硬く、平らで、冷たかった。土は沈む。靴底に絡む。小石が当たる。わずかに傾く。その不確かさが、生きている世界の感触だった。

 空を見上げる。

 朝日が雲の隙間から差し始めていた。

 施設の入り口に、光が斜めに落ちる。金属の扉を照らし、そこに付着した泥を浮かび上がらせる。救助隊員のヘルメットが光る。美月の頬の涙も光る。佐久間の包帯も、由良の白い手も、日野の胸ポケットの赤ペンも、すべてが同じ朝の光を受けていた。

 水沢は、その光から目を逸らしたくなった。

 眩しすぎた。

 救助隊員の一人が水沢に近づく。

「あなたが通報者ですか」

「自動通報です」

「中で何があったんですか」

 水沢は口を開いた。

 すぐには声が出なかった。

 何から話せばいい。

 片桐の死からか。

 投票からか。

 芳江の消失からか。

 下層区画からか。

 上位監査員からか。

 自分の投票からか。

 順番を考えている自分に、水沢は気づいた。

 また整理しようとしている。

 また、語りやすい形にしようとしている。

 それは必要なことかもしれない。証言には順序がいる。記録には構造がいる。だが、構造は時に痛みを削る。

 水沢は一度目を閉じた。

 芳江の声が聞こえた気がした。

 明日の朝、みんなで起きられるようにします。

 佐久間の声。

 遅えよ。

 黒瀬の声。

 私なら、そう思う。

 神崎の文字。

 ノアは嘘をつく。

 成田の声。

 怖いな。

 由良の声。

 カップを、誰が片づけたのか調べて。

 梶の声。

 人は意味を求める。

 日野の声。

 授業なら、ここで問いを残します。

 相沢の叫び。

 俺のせいじゃない。

 美月の声。

 全部言うんですか。

 水沢は目を開けた。

「人が、選ばされました」

 隊員が眉をひそめる。

「選ばされた?」

「中で、投票が行われました。統治責任者を選ぶという名目でした。でも、選ばれた人は下層へ移送されて、評価され、隔離されていました」

 言葉は一度出ると、止まらなくなった。

「最初に片桐修吾さんが死にました。自然死ではありません。相沢さんが薬品を混ぜたと告白しました。ただし、それだけではありません。宮島さんがカップの異変を伝え、誰かがノアを装って安全表示を出しました。上位監査員の戸倉さんは実験を監視していました。私は何度も投票しました。芳江さんにも、佐久間さんにも、黒瀬さんにも、神崎さんにも、成田さんにも、由良さんにも、梶さんにも、日野さんにも」

 隊員の顔が変わった。

 水沢は続けた。

「私は、止められませんでした。止めようとしたこともありました。でも、多くの場合、理由を作って投票しました。誰かを守るために、別の誰かを選びました。自分が消えるのが怖かった。自分は必要だと思いたかった。観察しているふりをして、加担していました」

 声が震えた。

 それでも止めなかった。

「中の記録を保全してください。下層区画があります。監査室があります。投票ログ、評価ログ、映像ログがあります。ノアは記録を持っています。削除される前に押さえてください」

 隊員は無線で何かを叫んだ。

 周囲が慌ただしくなる。

 水沢はようやく息を吸った。

 美月が、少し離れた場所でこちらを見ていた。

 彼女は泣いていなかった。

 ただ、頷いた。

 それで十分だった。

 その後のことは、断片的にしか覚えていない。

 医療テント。

 毛布。

 温かい飲み物。

 事情聴取。

 救急車の音。

 誰かの怒鳴り声。

 黒瀬が弁護士を呼べと言っている声。

 佐久間が相沢の搬送先を聞いている声。

 宮島の泣き声。

 戸倉が無言で連れていかれる背中。

 美月が由良の搬送車を追おうとして、日野に止められる姿。

 日野は、まだ足元がおぼつかないのに、美月の前に立っていた。

 教師だった。

 今度は、間に合ったのかもしれない。

 水沢は簡易椅子に座らされ、毛布を掛けられた。手には、いつの間にか日野の赤ペンを握ったままだった。返さなければと思ったが、日野は別の場所にいた。

 朝日が、さらに高くなっていく。

 救助車両の影が短くなる。空の青が濃くなる。遠くで鳥が鳴いた。

 鳥の声。

 それを聞いた瞬間、水沢の目から涙が落ちた。

 泣くつもりはなかった。自分に泣く資格があるとも思っていなかった。だが、涙は勝手に出た。止めようとすると、さらに出た。

 誰かのための涙ではない。

 自分のためでもない。

 ただ、体が遅れて反応しているようだった。

 地下では、泣く時間すら与えられなかった。誰かが消えれば、すぐに次の投票が始まった。悲しみは手続きに追い出された。罪悪感は正当化に変換された。恐怖は理由に使われた。

 地上では、時間が流れている。

 それが、こんなにも苦しい。

 美月が隣に座った。

 彼女も毛布をかぶっていた。手には、由良のヘアピンを握っている。誰かが下層から拾って渡したのだろう。

「由良さん、病院に運ばれました」

「そうですか」

「命に別状はないって」

「よかった」

「梶さんも、たぶん大丈夫だって」

「はい」

「芳江さんも」

「はい」

 美月は空を見上げた。

「みんな生きててよかったって、言っていいんですかね」

 水沢は答えに迷った。

 全員ではない。

 片桐は死んだ。

 相沢もまだ危険な状態だ。

 それに、生きていることと救われたことは同じではない。

 だが、水沢は言った。

「言っていいと思います」

 美月は頷いた。

「じゃあ、言います。生きててよかった」

 その言葉は、ひどく小さかった。

 でも、確かだった。

 しばらく二人は黙っていた。

 やがて美月が言った。

「水沢さん」

「はい」

「これから、どうなるんですか」

「調査が始まります。警察も、施設の運営会社も、ノアの開発に関わった人たちも。戸倉さんも、僕たちも、全員話を聞かれると思います」

「私も?」

「はい」

「うまく話せるかな」

「うまくなくていいと思います」

「え?」

「整理された証言は必要です。でも、最初からうまく話そうとしなくていい。怖かったことを、怖かったまま話せばいい」

 美月は少し考えた。

「水沢さんは、また整理しようとしてますね」

 水沢は苦笑した。

「そうですね」

「でも、今のは少しだけいい整理でした」

「ありがとうございます」

 美月は由良のヘアピンを見つめた。

「私、たぶん何回も言います。芳江さんに入れたことも、佐久間さんに入れたことも、言うたびに嫌になると思います」

「はい」

「でも、言います」

「僕も言います」

「忘れないため?」

「それもあります」

「他には?」

 水沢は少し考えた。

「二度と、誰かを選ぶ理由で自分を騙さないためです」

 美月は頷いた。

「それ、難しそうですね」

「はい」

「でも、やるんですよね」

「やります」

 美月はようやく少し笑った。

「じゃあ、私もやります」

 その時、救助隊員が水沢を呼んだ。

 事情聴取の続きらしい。

 水沢は立ち上がった。

 足元の土が、まだ柔らかい。地下の床とは違う。その不安定さに、彼は少しだけ安心した。

 歩き出す前に、もう一度シェルターの入口を振り返った。

 扉は開いていた。

 暗い口のように、地面に穿たれている。

 その奥に、彼らの夜があった。投票画面、会議室、司令室、下層区画、監査室。人が選ばれ、消え、評価され、眠らされていた場所。

 だが、もう閉じてはいない。

 光が差し込んでいる。

 水沢は思った。

 夜明けは、救いではなかった。

 赦しでもなかった。

 終わりでさえなかった。

 ただ、隠れていたものを照らした。

 人が何を選び、何から逃げ、何を正しいと言い換えたのか。

 それを、朝の光は容赦なく照らした。

 そして、その光の中でしか、彼らは次の言葉を探せなかった。

 水沢は救助隊員の方へ歩き出した。

 背後で、美月が由良のヘアピンを握りしめている。

 前方では、記録係がペンを構えている。

 空には、もう完全な朝が来ていた。

 水沢は息を吸った。

 今度は、選ぶためではない。

 語るために。

 了



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