08 暗闇に灯るは青い光 03
「いや、まさか多々良が神殿で暮らしたい、と言うとは思いもしませんでしたよ。神殿がそれを許したというのも驚きでしたけど」
「積極的に反対する必要もないんだろう」
「しかし、本当に良かったのですか?あそこは・・・」
「王ですら不可侵、か?」
王は言葉を切ると、立ち上がって窓辺に立った。王宮の奥深くに王の執務室はある。本来であれば窓辺に立つのはやめて欲しいところだが、王の執務室の窓は不可侵の森に面しており、暗殺の危険性は低かった。それを王もわかっているのだろう。彼はこうしてしばしば、自己の執務室から鬱蒼とした森を見下ろすことがあった。鬱蒼とした森は彼の心のうちを表しているようでもあった。
「・・・あれは夢見ではないからな」
ぽつり、と吐き出された言葉に英彩は何もいえなかった。王はいまだに神殿を許せていないのだろう。
「いずれにせよ、好機ではある。タリアがとうとう代替わりしたそうだな」
「ええ、誰が王位を継ぐかで少し揉めたようですが、やはり血を重視するようで一子たる姫が王位についたと」
「即位式は?」
「内政が落ち着いてから盛大に行う予定らしいですが、戴冠式自体はすでに済ませたと」
「ふん。どいつもこいつも。で、あの噂は本当か?」
「ええ、遠耳らにも確認させましたけど、戦の準備をしているのは本当のようです。ここ数ヶ月、火薬の仕入れもいつもより増えていますしね」
「狙いは何だと思う?」
「おそらくは大陸の覇権か、と」
「下らぬな。引き続き監視を。それから国境付近に白銀の一部隊を潜ませておけ。連絡は鷹で直接寄越すように」
「は」
下がれ、との言葉に英彩は静かに頭を下げ、部屋を後にした。やらなくてはならないことが山のようにある。平穏な日々は未だ遠そうだった。
+ + +
多々良が神殿に連れてこられてから、彼女はずっと青い光に包まれて生活していた。ドームの壁に手をつくと、ゆらゆらと光が動くのがわかる。そのまま壁に手をついて多々良は目をつぶる。
ドクン、ドクン。
深く息を吐く。
潜り込んでいくイメージで呼吸を光に合わせる。やがて頭の奥に浮かんでは消える文字を見た。すごい速さでそれらは浮かび、消え、そしてまた渦巻く。それ、は多々良が今まで見たことある文字とはまったく違っていた。渦巻き図形を描く「それ」が「文字」なのだと気づいたのはいつだったか。
「それ」をずっと眺めているうちに、多々良はそれが何かを彼女に伝えようとしていることに気がついた。「それ」は一定の法則にしたがって動いているのだと彼女は今ではわかっていた。
この神殿に来て、どれくらいの日数が経ったのだろう。彼女は頭の奥で点滅を繰り返す「文字」に夢中になっていた。
どんなルールに従っているのか、何を表しているのか。こちらからコンタクトをとることは可能なのか。
幾日も、幾日もそうして過ごした。
青く揺らめく不思議なひかり。
壁に手をついて動かず、一日を過ごす多々良を朱佳は少し離れたところから見ていた。
彼女は夢見が持つたった一つの特権と引き換えに多々良の保護を願った。それは「世界」がそれを望んだから。
数人いる夢見のなかでも最も大きな力を持つ朱佳の立場は神殿のなかでも少し特殊だった。神殿は夢見らの保護をその職務としているけれど、夢見は本来、何者にも縛られない自由な存在である。神殿はあくまで夢見らの後見としての立場でしかない。
しかし、いつ頃からか、夢見を擁する神殿が権力を持ち始めるようになった。彼らは夢見たちを自分たちの都合の良いように使おうとしたのだ。
そうして、夢見と神殿の立場が逆転しかけた今日において、王の血を引く娘、朱佳が夢見として神殿に入った。
神殿側にしてみれば、王に対し人質をとったようなものだ。ますます自分たちの権力が強くなると踏んだのだろう。何せ、夢見には特権がある。可能な限り、何か一つ王に対して要求をすることができるのだ。それを上手く利用すれば、神殿が更なる権力を持つことができるはず、だった。
朱佳は聡明な少女だった。
自分の置かれている立場が微妙なものであることを知っていたし、神殿が何を彼女に望んでいるかもわかっていた。
夢見はなぜか知恵遅れの子どもばかりだった。
純粋で人を疑うことを知らず、与えられるものを享受するこども。
なぜ夢見に知恵遅ればかり生まれるのかわかってはいなかったが、それだけ世界に愛されているのだろうというのが大方の見方だった。朱佳からすればそれは間違っているような気がしたが。
夢見は常に膨大な情報にさらされている。
意味のある未来を見ることは少ない。けれど、どこかふわふわとして現実とは違う世界に夢見は足を半分突っ込んだ状態で生きている。それらを上手く処理するには、余計な知恵などあっても邪魔なだけなのだ。むしろ、余計な知恵があれば発狂したくなるだろう。それほど「夢見」は重いのだ。
だからこそ、夢見は知恵遅れでなければならない。知恵遅れであれば、精神に異常をきたすこともないから。
つまり、夢見であるくせに、聡明な思考を持つ朱佳はイレギュラーな存在でしかない。
彼女は冷徹ともいえる目線でじっと異世界からの訪問者を観察していた。祝福を受けし者、それが本当ならば、多々良は世界に変動をもたらす。じりじりと自分を覆う硬い殻がひび割れるまで朱佳は息を潜めていればいい。これまでもずっとそうだったのだ。あと少しくらい待つのなんてわけない。