1. 孤独な太陽
ふと、私というものが気になった。その為、私という存在がどういうものなのかということを考えてみた。そのためにまず色々なものを思い出してみた。しかし、私にとって思い出というものはあまり使わずに長年放置しすぎた所為でカビが生え、埃まみれになり、虫食いにあっていた。それはとても汚く、良いものでなかったので吐き気がしてきた。いやしかし、良いこともあったかもしれない。だが、触れたくない。しかし、その為に触れないというのも違うと思う。だから、(これは本と例えるべきだろう)一ページ目から開いてみることにした。
私は、少し田舎の或る地域に産まれた。六人兄弟の末っ子として産まれた為に、産まれた時から私は孤独であったと覚えている。また、この家が昔ながらのしきたりある家であることが重なってそれが顕著に感じられてしまったのだろう。
例えば、食事であれば、親や他の兄弟から一番遠い場所でそれを行なったことに加えて、寝るところであっても、同じ状況であった。だが、寝るところのことだけは他のものとは比べられないくらいの孤独が感じられた。
いや、孤独ではない。もはや恐怖である。そのことについて詳しく言うと、発想力の豊かさからくるのか子供の頃だけ感じることができる様々なものへの恐怖である。例えば、天井の板の節が恐ろしい人の顔に見えることである。これは、親や兄弟がこの部屋にいれば、まだどうにかなったのかもしれない。しかし、低年齢にも関わらず一人で寝させられた。ということに加えて、この部屋には灯りがなく、親や他の兄弟の部屋から一番遠い場所にあるということからだろう。
しかし、一瞬だけ私は孤独ではなかったのだ。それは、ヒグラシが鳴いていた或る暑い日のことで、長兄らしき人物がこちらに帰省してきた時だったと思う。その時に、嗚呼、こんなにも私に優しくしてくれる人物がこの世界いるのかと初めて思ったのと同時に、初めて、この家に灯りが灯っていることに気がついた。しかし、それの時は長くは続かなかった。これが、私を八年後に家出をさせる要因となったのだ。
この日も、ずっと前のあの日と同じく、ヒグラシが鳴いていた或る暑い日のことだっただろう。兎にも角にも、この家から抜け出さねばと強く思ったのだ。思ってから行動するまでの時間が非常に短かったと思う。とりあえず、風呂敷に本や、ナイフ、バター、ワイングラス、縄、小さめの鍋を一品ずつとパンを一切れ詰めたのとポケットに三十円と二十銭を入れて家を出た。
何時位だったかは覚えていないが、お寺の鐘が鳴っていたくらいの時間帯だったと思う。私は、一時間くらい全力で走ったために、疲れ果ててしまって田圃道に腰を下ろした。その時、田水に真っ赤に染まった夕日が映っていた。その夕日は、孤独であったが、私と違って凛としていた。その時、なぜか、悲しくなってしまった。それと同時に私も太陽になりたいと思った。
その後、私は太陽を追うように走った。私も真っ赤に染まった。悲しくなったことを恥ずかしく思ったからなのか? いや、違う。私も太陽のようになれた気がしたからだ。太陽のように一人で疾走した時に感じられた少しひんやりとした、生暖かい風は気持ちが良かった。
兎にも角にも、今日の寝場所を探さなくてはならない。とりあえず一番近いと言うだけの理由で、この付近では富士山とも例えられている山に寝ることにした。寝ようとした時に上を見た。その時、星の光は非常に美しかったことを覚えている。
次もまたおかしな話だと思います。




