小さな妃⑭
「まさかあの泉があんな恐ろしいものだったとはねえ。そりゃあ王以外に知らされてなかったはずだ」
「普通なら定期に行う浄化だけで魂は消えるが、魔女に殺された者たちの魂だけはどれだけ浄化しても残り続けたからな」
「問題を解消する絶好の機会だったってわけか」
周囲に泉の秘密がバレてよかったのかと問えば、別に隠しているつもりは無かったと男は言う。そう言えばこいつはこういう男だったとストラスは肩をすくめた。
「そういう頃合いだったんだろう。バレたからといって悪用しようとするやつはすぐに分かる」
「さすがは魔王陛下。でもあれでしょ、悪用しようとするやつが近づいたら分かるって話で、その逆は感知できないとか」
シェスティンみたいに、と言えばクリストフェルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……感知魔法の精度を上げるつもりだ」
「シェスティンに特化したやつね。はいはい、頑張って」
ストラスは執務室で書類を片付けるクリストフェルを横目に頭の後ろで腕を組んでリラックスしていた。事は終わったばかりで疲れているだろうに、目の前の男は休もうという気がないらしく、ストラスはうへえと天を仰ぐ。
「そう言えば結局シェスティンの腹痛の原因って何だったんだ?」
「精神が子どもに戻って魔力の作り方を忘れた結果、腹痛に繋がったのだとエティは言っていた」
「でもそれじゃあシェスティンが記憶を失った時点でそうなるはずだろ。それにシェスティンの魔力を絞り取っていた正体って何だったんだって話にもなる。お前知ってんの?あの魔女がやっていたとは到底考えにくいんだけど」
「それは俺も考え、」
不自然にクリストフェルの言葉が止まる。
「え、何」
「そういえば事が終わったら話があるとエティに言われていた」
「別に明日でいいんじゃない?シェスティンも寝てるでしょ」
「いや、あいつは絶対に待っている」
急に焦りをあらわにしたクリストフェルは書類を乱雑にまとめ、立ち上がる。
「これブエルに持って行ってくれ」
勿論ストラスに仕事を押し付ける事を忘れることもなく。いってらっしゃいとストラスが言い終える前にクリストフェルは執務室から消えていた。
ストラスは一つ息を吐いて医務室に赴き、ようやく片付けを始めていたブエルに書類を渡す。夜会で倒れた参加者たちの面倒を見ていたこともあって今日の医務室はひっきりなしに人が行き来していたらしい。
「おお、助かります」
「……爺はシェスティンの腹痛の原因、というか魔力を搾り取っていた正体って分かったのか?」
唐突に質問され、ブエルはきょとんとした後目尻の皺を濃くした。
「そのことなら御方様自身から聞かせていただきましたな」
「ああ、精神が子どもになったから云々ってやつだろ」
「いえ、違います」
「え、違う?もしかして呪いか!?」
特に返答に期待していなかったストラスは予想外の返しに冷や汗が流れ、最悪の想像を口にする。
それなのにブエルはストラスが困惑する様子を楽しげに見つめ、ゆるりと否定した。そしてもったいぶるようにゆっくりと口を開く。
「実は御方様は──」
ブエルから告げられる衝撃の事実にストラスは驚いた。驚きすぎてらしくもなく叫んだのであった。
「えええええ!?マジでえええええ!!??」
*
「っ、すまない、待たせた」
ベッドに腰掛け夜空を見ていること数刻、焦ったようにクリストフェルが入室してきた。薄暗くて分かりづらいが薄っすらとクマができていて、疲労が溜まっているのが分かる。
事が終わったのが今日のことなのでそれまで休む暇もないまま仕事を続けていたのだろう。魔法を使えないことが今更悔やまれる。
「遅くまでお仕事お疲れ様。大丈夫なの?」
「ああ、あらかた片付いた」
「そっか」
微妙な沈黙が落ちる。話があると言って呼び出したのは自身なのに、いざとなって何から話し始めたらいいのか分からない。
空気を察したクリストフェルがシェスティンの横に腰掛け、腰を抱き寄せる。それだけで安心してしまうのはもう癖のようなものだった。
「今日は格好良かった」
「私が?」
「ああ」
今日の私に格好良かった要素なんてあっただろうか。むしろ引かれる要素しかなかった気がする。
「妃として断罪する姿は誰よりも綺麗だった。……何より、嫉妬してくれたことが嬉しかった」
キレイ、シット、ウレシイ。
その言葉の意味を理解した瞬間、シェスティンの顔は真っ赤に染まった。クリストフェルが真正面からシェスティンに甘い言葉を吐くなど滅多にないので、シェスティンに免疫が無いのも仕方のない話だった。
どうやら今夜のクリストフェルは一味違うらしく、いつものようにしていては攻撃をくらいそうだ。
「いや、あれは、その、……待ちきれなくて泉に行ったことは認めるけどそんなんじゃ」
「そんなんじゃ?」
「ごめんなさい、嫉妬です」
シェスティンはクリストフェルの視線に負けて早々に両手を挙げ、降参する。だってあの子がフィーにベタベタするのが悪いんだもん、とシェスティンは頬を膨らませてそっぽを向いた。
「そうだな、アレは『悪い』奴だった」
クリストフェルは横からシェスティンの額に、こめかみに、頰に、口づけを落とす。クリストフェルの大きな手はゆっくりと壊れ物を扱うようにシェスティンの頭を優しく撫でた。それに身を任せるようにシェスティンは暫く目を閉じた。
心地よい時が流れ、今なら言えそうだと、心の準備が整うまで待ってくれたクリストフェルを見上げる。
「フィー」
「なんだ」
「話があるの」
「ああ」
ベッドにおろそうとしたクリストフェルの手をシェスティンは両手で包み込む。そしてそのままシェスティンのお腹に当てさせた。
「──子どもができたんだ」
「は」
空気の抜けるような言葉を出して固まってしまったクリストフェルを前に、クスリと笑う。しかし次の瞬間シェスティンは目を見張った。
クリストフェルの瞳から一粒、涙が零れ落ちたのだ。
それはこの世に存在するどんな美しいものでも敵わない、一つの奇跡だった。
生まれて初めてクリストフェルの涙を見たシェスティンは、口を震わせながらも少し茶化すように笑った。
「……勿論フィーと私の子だよ」
「当然だ」
間髪入れずに言葉を返したクリストフェルは少し震えた手でシェスティンのお腹をさすった。その瞳から溢れる愛情は分かりにくい、けれどシェスティンには一目瞭然のもので。
「エティ」
「なあに」
「話がある」
「……うん?」
首を傾げたシェスティンをクリストフェルは強く抱きしめる。首筋に顔を埋めたクリストフェルは囁く。
「──愛してる」
「……」
幾ら何でもズルくはないだろうか。首にかかった吐息が驚くほど熱い。今度はシェスティンが硬直する番で、魔王による攻撃を真正面から受け取ったせいで身体に力が入らない。
「つまり、お前の魔力を搾り取っていた正体は赤ん坊だったってわけか」
着実に成長していく赤ん坊に分け与える魔力は日毎に増している。しかし小さくなって魔力が少なくなっている状況のシェスティンにとって赤ん坊の存在は時限爆弾のようなものであった。魔力が枯渇寸前だったのもそういった経緯からだ。
確かにクリストフェルの言う通りなのだけれども、突然分析に入るクリストフェルにシェスティンは頭を切り替えるのに必死だ。
「なら腹痛は前からあったんじゃないのか」
ギクリと肩を揺らしたシェスティンをクリストフェルは見逃さない。一旦離れたクリストフェルは目を細めてシェスティンを射抜く。
「……ごめんなさい」
何も言わずに消えた前科のあるシェスティンに言い逃れをする権利はない。クリストフェルは重い溜息を吐いてシェスティンの頰を摘んだ。
「馬鹿野郎」
「いひゃいれす」
「何かあったら直ぐに言えと言っただろう」
「おっひゃるとおりれす」
クリストフェルは手を離すともう一度溜息をついた。
「まあ俺が忙しかったからお前は遠慮したんだろうが」
何でもお見通しらしいクリストフェルを次はシェスティンが抱きしめる。
「ありがとう、フィー。……私も愛してるよ」
精一杯の愛を込めて、小さくなった妃を元に戻す方法を伝えよう。ズルい夫へのせめてもの意趣返しだ。
私が小さくなってからなかなか元の姿に戻らなかったのは、この腹に宿る命を守るためにシェスティンが元に戻るための魔力すら吸い取ってしまっていたから。つまり、
「私を沢山愛してくれれば元に戻るってこと」
悪戯が成功したように笑うとクリストフェルは目を見開き、瞬きした次にはいつもの不敵な笑みを浮かべていた。
「望み通り沢山愛してやる」
そう言ってクリストフェルは深い口付けを落とした。シェスティンをベッドに縫い止め、もう一度唇が触れそうになったその時。
「シェスティーン!!妊娠したって本当か!!??」
いつになく慌てるストラスが勢いよく入ってきた。突然の侵入者に二人してベッドの上で固まる。
「って、あれ。お邪魔した、ね」
「……ストラス」
「うわ、ごめんて。うわっ、無言で攻撃してくんな!」
目の前で始まった男とその従兄弟のじゃれ合いに、シェスティンは笑った。
それは外見相応の、例えるなら太陽のような笑みだったと後のストラスは語る。
これにて一旦完結です。ここまでお付き合い頂いた皆様、本当にありがとうございました!