ラントバリの夜
ラントバリの町中には、多くの衣服を飾る店が構えていた。
その中に一つ、他とは雰囲気の異なる黒を基調とした店に三人はいた。
「これなんかどうですかねー!」
そこに飾られた衣服を示しながら、リンネは意気揚々といった様子だ。
この店では、衣服を注文できる他、既製品の試着をすることができる。
「うーむ」
リンネが手に取っていたのは純白のワンピースだ。
それを見つめ、そして悩みながら、テオは顎を撫でた。
「白いとすぐ汚れないかな?」
「……もう! そういうのは気にしちゃダメですよ」
「ですよね……」
つい思っていたことを口に出して、失敗した、とテオは頭を掻く。
この世界では見慣れない黒髪が漆のような艶やかに光ると、テオは店内から好奇な視線が向けられるのを感じた。
(この黒髪が珍しいだけ、か、)
テオは店内に居た女性客の視線を感じてはいたが、女世界に男がいたことで注目を浴びているのだろうと思っていた。
しかし、居慣れたプリンシピオの街ならばともかく、こちらでは余程珍しいのだろう。
「テオさん」
「……えっ、ああごめん」
こちらを心配そうに覗き込むリンネに、テオは小さく笑って見せた。
その笑顔に曇りはないつもりだったが、見透かされているようだ。
「大丈夫ですよ。私はその黒い髪、大好きですから」
伸ばした手でテオの髪を撫でながら、リンネは小さく微笑んだ。
自分より余程純粋であろう少女の笑顔に、テオは興奮で動悸が激しくなるのを抑えつつ、「ありがとう」と呟いた。
「着替えた、よ」
その時、二人の目の前で区切られたカーテンの中から、アミティエの消え入るような声が聞こえた。
店に入るなり選んだ衣服を着替え終えたのだろう。
おずおずと開かれていくカーテンから、アミティエの姿が見え始めた。
「おー! いいじゃないですかいいじゃないですか!」
「……いいな。ああ、実にいいね!」
その姿に、二人は別々に歓喜の声を上げた。
カーテンの奥の少女は、フリルのついた赤色の上着を隠すように腕を交差し、膝下まで伸びる大きなスカートを履いていた。
快活な町娘といった風貌だ。
そんな町娘は顔を赤くしながら、テオにだけ矛先を向けた。
「貴方は見ないで! あっち向いて!」
「いいじゃないか! これから成長を見届けるんだから見せてよ!」
「いーやー!」
ここは譲れないと目を見開きながら迫るテオを、少女は必死に押さえつけていた。
「まぁまぁ! これもいいですけど、他にもあるんですから!」
後ろで用意していたリンネは、両手に服を持ちながらご機嫌だ。
二人を気にもとめず、次々と衣装を選ぼうとしているらしい。
「どんどん行っちゃいましょう!」
本当に長くなるかもしれない、とテオは苦笑しつつ楽しみだった。
目の前の少女がどんどんと可愛らしく変貌するのを見届けたい一心だ。
やましい気持ちは、微塵も存在していない、と自負していた。
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給仕服、ワンピース、カジュアルな衣服、スリットの入ったドレス、刺繍の細かい足先まで伸びたドレス、体に貼り付くような上下一体のスーツ。
様々な服を着替えさせて、どれほど経っただろうか。
疲れ果てたアミティエの前で、二人は熱い議論を交わしていた。
「こうなったら大胆に行ってみましょう! こんな感じで!」
リンネが大袈裟に叫ぶなり、カーテンを晒しあげた。
そこには、首から流れた黒いインナーに水着だけを着たような少女が驚愕としている。黒いインナーは薄く、少し肌色が混ざり合っている。
というよりは、テオの世界でいうスクール水着の上にビキニを着ただけだ。
下に関してはひらひらとしたフリルが腰についているだけである。
「ダメダメダメ! 俺はこんなエッチな格好は許しません!」
「見ないでって言ってるでしょ――ッ!」
体を隠しながらアミティエは拳を繰りしていたが、必死の一撃をテオは容易く避けていく。
少女の肢体を注視しながら、絶対にダメだと声高くしていた。
「厳しいですねぇ……! 私はやっぱりワンピース派なんですけど」
「俺は村娘的な衣服だね。ふりふりのついた上着に、長く膨らんだスカートがよく似合っていた。リボンでもつければ完璧だ!」
「でもでもあれって走りにくいんですよ! それなら丈が短くて機能性のあるワンピースを選べば完璧ですよ!」
ああだ、こうだと珍しく二人は声を荒げていた。
為すがまま着替えていたアミティエも限界に達していたのか、
「私は着せ替え人形じゃないの!」
今まで着替えていた衣服の中から一つ取ると、パシャリとカーテンを閉めてしまった。
突然の大声と、何を持って行ったのかという疑問が二人の動きを止めた。
「どれ選んだんでしょう」
「わからないけど、気に入ったのがあったのかな」
二人で小首を傾げてから、数分。
再びカーテンが勢いよく開けられ、そこには着替え終えたアミティエが堂々と立っていた。
「これにする!」
有無を言わさぬように、少女はそれを見せつける。
首輪のような襟元から伸びた布一枚が、背中を、肩を、少女の浮き出たあばらを隠そうともせずに腰まで伸びている。
そしてベルトからは、肌に貼り付いた黒い下着が膝上まで伸び、丈の短いスカートを履いただけだ。
「パパは許さないぞッ!」
「誰がパパよっ……!」
先ほどの水着と何が違うのか。
薄い少女の胸横や、肩をさらしているうえに、なんと丈の短いスカートだ。テオの前世でいうスパッツも、少し動けば見えてしまうだろう。
「これが一番楽だったの!」
「うううううううううぅぅう……」
なぜか悔しそうにテオはうなり声を上げて、溢れんばかりの気持ちを床にぶつけていた。少女がいいと言うなら、これにするしかない。
「本人もこれがいいって言いますし、これにしましょうか」
「ぐぅ……」
リンネの言葉に、アミティエは勝ち誇ったようにテオを見下ろした。
気に入ったとのことだが、ただ単純に反発したかったのかもしれない。
「ふふん」
「仕方ない……」
胸を張った彼女に、テオは諦めながらも立ち上がった。
初めての服は自分が選んであげたかったのだが、仕方ないと自分を慰めながら、テオは店員の元へ向かった。
黒髪を訝しんでいた店員も、お客となれば話は別だ。目を変えて微笑んだ。
「上下合わせて、銀貨1枚になります。よろしければ下着も銅貨30枚で買えますが」
「むっ……ではついでにそれもお願いします」
「はいっ、ありがとうございます」
銀貨1枚といえば、テオの服程度なら複数枚買えるであろう値段だ。
買い渋るつもりは全くないが、やはり女性物はお金が掛かるのだなと再認識していた。
「良かったですね、ティエちゃん」
「……ん」
まぁこれからの報酬を考えれば悩む必要もない。
テオが即金で手渡したのを確認し、店員も腰を折った。
そして財布の重さを確認しながら、店の扉を開けようとした時だ。
右腕の裾を引っ張られて、テオは振り返った。
「ん、どうしたの、アミティエ?」
「……その」
裾を引っ張る少女は、テオを見ながらハッとしている。
反射的に動いてしまったのだろう。
少し沈黙してしまったが、小さく俯いた後、
「ありがと」
照れながらも、しっかりとした感謝の言葉だ。
その姿が愛らしく、テオもまた頬を綻ばせると、手頃な位置にある少女の頭を撫でた。
「どういたしまして。良い子だね」
「……~っ! そういうのはやめてって言ってるでしょ!」
銀色の髪を撫でながらニヤニヤと笑うテオに、またも少女の怒りは炸裂してしまう。
獣の耳のような両耳を動かしながら、アミティエはやめてと叫んでいたが、しばらくは止まることがなかった。
少し前までのテオには、混然とした前世の記憶に、日々を悠々と生きれればいいという意識しか存在していなかった。
孤独でもよければ、話相手はそれほど必要ともしていなかった。
しかし、今は違う。
テオフラトゥスは二人の少女を見据えてから、己に誓った。
――自分の中にいた形容しがたい何かも、呼応するように誓う。
手始めに少女から幸せにしてやろう。この世界では――




