ラントバリに迫る影
テオフラトゥス・フォン・アウルハイムの前世。
次男として生まれた彼は、祖父の元で暮らしていた。
祖父もまた黒い髪をしていたのだが、その目には血のように深い赤色が宿っていたことを覚えている。
未だに不鮮明な記憶だが、ゆっくりと、ゆっくりと時が経つにつれて戻っていた。
例えば、天体鑑賞をしていた先、星に手を伸ばした時だ。
「すまない」と、謝るような声が聞こえたのを思い出した。
そして自分の中に入り込むような奇妙な感覚を覚えて――
前世に生きた記憶は、そこで終わりを迎えた。
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ステラの用意した宿は、テオ等が想像するような民宿宿とはかけ離れていた。
街の中心に堂々と構えた八階建ての建物こそが、その宿だという。
遊戯施設、食事場、湯治場、訓練場から、馬や動物専用の施設など、その巨大な建造物に余すことなく入っているようだ。
部屋に入るなり、不足なく整った設備の数々がテオとアミティエを迎えた。
「なんというか凄いね」
「……う、うん」
動揺していたアミティエは平然を装いながら、チラチラとそこらを見回していた。
窓に掛けられたカーテンも、飛び込めば押し返してくれるであろう布団も、テーブルを挟んだ椅子も、華やかな刺繍と高級感を漂わせている。
その上、生活用品は全て不足ないといったところだ。
「こんな部屋なら何十人は暮らせそうだ」
広い個室を進みながら、テオは感嘆の声を漏らした。
簡易宿を好きとはいったが、高級感溢れる宿はまた別格だ。
その時、扉を開く音と共にステラとリンネが入ってきていた。
「建物自体、団体の宿泊先に使われるほどの大きさですからね」
「そんな凄いところに泊まれるなんて……それだけで幸せです……」
うっとりと呟きながら、リンネは入るなりベッドに飛び込んだ。
そして少女の軽い体なぞはじき飛ばすように、気持ちよさそうな弾力性を見せている。
「ここから王都アイズシュテットまでは遠くありませんが、私情により数日間の滞在を余儀なくされそうでしたので……」
珍しく困り顔を見せて、ステラがため息を吐いた。
「先ほど、一個小隊の騎士団が滞在していたのです。
どうやらここ最近、ラントバリを範囲に多くの方が病床に伏せています」
「……病気かなにか、ですか?」
テオの言葉に、ステラは小さく首を振った。
先ほどの賑やかな街からは想像できないが、何かしらの事件が起こっているのだろうか。
「とはいえ、原因もわかっています。この近くでマナが過剰に生成され、それを取り込みきれない人々が対象のようですね」
「マナが、過剰に……」
ネフティー村で感じた貼り付くような水のマナと、先ほどの氷のような男が、テオの脳裏を過ぎる。
関係性がないとは言えないが、マナの過剰生成という言葉には疑問だった。
そもそも、この世界においてのマナは、根底を覆さない限りは無限に生み出される存在だ。テオの前世で言えば、酸素のように生成され続ける。
「ここ最近、多くの場所で見られるのです。王都ではその原因の究明やらで大忙しでして」
「あー……」
なるほど、とテオは頷いた。
以前、リンネのために悪徳ギルドを解散すべく情報を集めていた時に、王都の人材不足が騒がれていると知って利用していたことを思い出す。
「その結論として、テオフラトゥスさんは『英雄』の存在をご存じですか?」
「子供向けのやつなら。数百年も昔、崩落する世界を救うべく立ち上がった英雄――でしたっけ……」
「はい、王都では比較的有名な話なんです。その中に出てきた各地で天変地異や崩落が起こる前も、マナの過剰生成が原因と言われていたんですよ」
テオの記憶の片隅にはあったが、その話を楽しいと思ったことはなかった。
児童向けと謳いながら、その背景や結末は物悲しいものだったからだ。
「その調査に、今日いる兵達が王都から派遣されていたらしいのですが、その……」
どことなく嫌そうに、ステラは頬を引きつらせていた。
「そこに出会ってしまいまして……、部隊の隊長に同行をお願いされてしまったのです……」
「あらら」
断ることもできたんですが、と申し訳なさそうに呟いた。
おそらくステラの方が地位は高いが、騎士として、その要請を断るわけにいかなかったのだろう。
仕方ないですよ、とテオも笑って見せた。
「自分たちは大丈夫ですよ。この街なら、確かギルドの出張先もあったから資金には困らないし、街巡りもできます。それに」
テオは笑いながら、首を捻って後ろを指す。
布団に潜り込むリンネ、ベッドで飛び跳ねているリンネ。
「私はここに居られるなら、いつまでもいますよ~!」
リンネも、心配するなと言わんばかりにベッドの上で飛び跳ねている。
むしろ、今はこの場に滞在したい気持ちのほうが大きかったのだろう。
「……とのことなので、気にしないでください」
「ありがとうございます。ワガママばかりで申し訳ございません」
気にすることではないのだが、ステラは小さく頭を下げた。
「けどマナが溢れかえる、か……」
「放置しておけば、マナに耐性の少ない子供に影響が出てしまうかもしれません」
「その後は世界が崩落する、ってことだね」
嫌な話だ、とテオは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
それと同時に、まだ幼いアミティエのことを思い出して一抹の不安が過ぎる。
もしかすると彼女にも影響が出てしまうのだろうか。ここ最近で感じる水のマナは、確かに異常だ。
「いや、それなら……、ステラさん、こちらは気にしないでください。俺等は適当に街で遊んでますから」
満面の笑みとは裏腹に、テオは決意していた。
この街に忍び寄る異変とやらを確かめてみよう、と。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえいえ、じゃあ俺は先に休んでますね。……えっと、男部屋は?」
「……すみません」
「え?」と、テオは首を捻った。
見れば、ステラは部屋の中を指しながら頭を下げているのだが、テオの確認する限りベッドと見られるのは二つだ。
てっきり、アミティエとリンネの部屋だと思っていたらしい。
「……今日借りられる部屋が一つでして。大丈夫です、私は外でも寝られますから」
「……え、いやいやいや! そういう問題では!」
確かに広い部屋とは言ったが、ベッドはあくまでも一人用だ。
それでもうら若き乙女を放り出すなど、テオの人道に反する。
しかし、考えてみれば良い機会のように感じていた。
――父娘として、アミティエと寝ればいいじゃないか。
「アミティエ! 今日はパパと寝よう!」
「誰がパパよ!」
「ぶっ……?!」
テオが振り返るなり、その顔にベッドの枕がめり込んだ。
「テオさんテオさん! 私の横なら空いてますよ!」
そのベッドの隣では、寝転がっていたリンネがぽんぽんとスペースを空けて待機している。
勿論、その場に飛び込んでもよかったのだが、今はアミティエとの仲が優先だと振り切った。
「いや、今日はアミティエと寝るんだ。そうだ、さっきの英雄の話を聞かせてあげるから、一緒に寝よう」
「こないで! ちかよらないで!」
英雄の話なぞどうでもいい、と少女は叫ぶ。
真っ白なキルトを自分の体に巻き付けて、ベッドの上で後ずさるアミティエ。
それに迫ろうと、手をわしわしとさせながら近づくテオの姿は犯罪的だ。
「どうしてテオさんはティエちゃんにだけ積極的なんですか!」
「責任感に決まってるだろ!」
そう、やましい気持ちは断じてない、断じてないんだ、と何度もテオは反芻する。
その心に一寸の乱れもない。
少女と仲良くなるためならば、いわれのない誤解も受け取ろう。
その夜、テオフラトゥス一行の部屋は遅くまで騒ぐ声が尽きなかったという。




