オルセー美術館
オルセー美術館
ちょうど9時にホテルに現れた原田は、ロビーで待っていた山田健治と佐々木剛を黒いワゴン車に乗せ、セーヌ川沿いのオルセー美術館まで引率した。
「1900年のパリ万博に合わせて建設された鉄道駅だった建物です」と原田が説明する。
「立派な建物だ」と言って、健治はセーヌ川に面した建物の側壁にある巨大な時計を見上げる。
「大時計が二つもついてるな」
「館内にも、もう一つ大時計があります」
「時計の針合わせる人間の仕事増やしているんじゃねえのか?」と剛が茶々を入れる。
原田は、予約済みの終日チケットとガイドブックを二人に渡し、自身も一緒にセキュリティチェックを通り、チケット確認ゲートでチケットを見せ、見学エリアに入っていった。
三人は、インフォメーション・カウンターで日本語のフロア―マップを受け取り、原田が日本語対応のレンタル音声ガイドを2台受け取ってきて二人に渡した。
子供や若者、老人まで、様々な人々がそれぞれの装いで展示物を鑑賞している。ガテン系の二人も特に浮いてはいない。
何度も来て詳しくなっている原田が説明する。
「ここには、2月革命が起きた1848年から第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品が展示されています」
「そうか」と剛。興味は薄い。
原田は続ける。
「作品が展示されているのは、ここ地上階と2階と5階です。3階と4階は、中継階になっています」
健治は、円筒形の透明な天井を見上げ、フロアーマップと見比べて、2階というのは地上階壁際展示室とチケットカウンターなどがあるエントランスの上部分で、5階というのは大時計の裏あたりかと、見当をつけた。
原田が説明する。
「ざっくり言って、地上階の右側の展示室には主に神話画、宗教画、歴史画などアカデミズムの作品があります。中央廊下には、ご覧のとおり彫刻。左側の展示室には、主にリアリズム絵画、写実主義、革新派の作品があります。2階にはロダンなどの彫刻や絵画も展示されています。5階には、印象派、ポスト印象派の作品が展示されています」
「で、見学ルートは?」と剛が尋ねる。
「特に決まったルートは、ありません。印象派作品がある5階から観始める人もいます」
「どうする?」剛が健治に聞く。
「近くからで、いいんじゃねえの」
そうして、二人が入った近くの展示室には、ミレーの「晩鐘」(1855年ー1859年)の絵があった。
「祈ってるな」と健治。
剛は、早速音声ガイドを耳に当ててみる。「鐘の音を合図にジャガイモ掘りの手を止め、農具を下に置いて『お告げの祈り』を唱える男女」と聞こえた。
「後ろに手押し一輪車があるな。バランスとるのにコツがいるやつだ。昔からあったんだな」と、健治。
次に二人は、同じくミレーの「落穂ひろい」(1857年)の前に来た。
「腰を痛める姿勢だ」剛が言う。
「俺、子供のころ教科書で見たときから思ってるんだけど、なんでこの人の顔こんなに色黒なんだ?」健治が言う。
解説によると、「麦の落穂拾いは、農村社会において自らの労働で十分な収穫を得ることのできない寡婦や貧農などが命をつなぐための権利として認められた慣行で、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていた」という。色黒の顔についての説明はない。
健治は、運転手の習性で、遠景に視線を移して言う。
「収穫した麦をやけに高く積み上げてるな。人の身長の三倍以上だ」
次に二人は、ドガの「オペラ座のオーケストラ」(1870年)の前にきた。
「木管楽器だな。バスーンていうのか?」と、剛が聞く。
「知らねえよ。後ろの舞台に踊り子の足が見えるな。照明が下から足を照らしている」
原田が説明する。
「エドガー・ドガは、この絵を描いた1870年から1917年83歳で亡くなるまで踊り子を描き続けました。それらは、5階に展示されています」
「ここでは、オッサンの顔しか描いてないけどな。にしても、一人ひとりの顔をよく描き分けてるよな」と健治。
二人は、ドガの自画像「画家の肖像」(1855年)の前に来た。剛が言う。
「こういう顔つきの映画俳優がアメリカに居なかったっけ?」
「いそうだな」と健治。
次に二人が来たのは、マネの「オランピア」(1863年)の絵の前だ。
「おっと、女だ」と剛。
「ベッドの向こう側に花束を持った黒人女性がいるな。音声ガイドによると、客からの贈り物だそうだ」
「それにそっぽを向いているって、わけだ」
音声ガイドからは、「モデルは、同じくマネの『草上の昼食』でもモデルをしているヴィクトリーヌ・ムーランで、この絵の構図は、ルネサンス時のティツィアーノ『ウルフィーノのヴィーナス』(1534年)を下敷きにしている」と聞こえてくる。
マネの「笛を吹く少年」(1866年)を通り過ぎ、オノレ・ドーミエの「共和国」(1848年)の前に来た。音声ガイドの説明では、「1848年の2月革命で王政が倒れ、臨時政府が新しい共和国の公式イメージを募った際、ドーミエが意欲的に応募した作品」だそうだ。大柄でたくましい体格の女性が、フランスの三色旗を右手で持ち、2人の赤ん坊に母乳を与えている。
「筋肉の付き方や体格は、完全に男だな」と剛が言う。
次に、同じオノレ・ドーミエの「洗濯女」(1863年ー1864年)の前に二人は進む。
「洗濯代行の仕事か。子供の手を引いてるな。いつの時代も生きていくのは辛い」
音声ガイドは、「表現主義の先駆けで、細部を細かく描き込まず、荒々しい筆跡と大胆な輪郭線で形態を捉える手法は、後の印象派や表現主義に大きな影響を与えた」と言っている。
次に二人は、同じオノレ・ドーミエの漫画的彫刻の「中道主義の国会議員」(1831年ー1834年)を観る。
「皆うるさそうな顔をしてる」と健治。
その後、同じドーミエの「クリスパンとスカパン」(1863年ー1865年)という、イタリアの喜劇「スカパンの悪巧み」の一場面を描いた作品の前にきた。
「確かに悪そうな顔をしてるな。風刺画家なんだ」
そして二人は、高さ3メートル、幅6メートルの巨大キャンバスに描いたギュスターヴ・クールベの「オルナンの埋葬」(1849年)の前に来た。健治が言う。
「でかいな。ガイドによると、一般人の葬式を巨大キャンバスに描いて、万博で落選したんだと。それで、博覧会場近くで、世界初の個展を開いて自信を付け、自らの様式をレアリスム(写実主義)と呼び始めたそうだ」
クールベ「画家のアトリエ」(1854年ー1855年)の前に来て剛が言う。
「広すぎねえか?このアトリエ。天井どれだけ高いんだよ」
次に二人は、クールベ「世界の起源」(1866年)の所に来た。
「出たよ。もろだな。1988年になって初めてブルックリン美術館で公開されたそうだ」と剛。
「しゃれたタイトルつけやがって」と健治。
クールベ「泉のかたわらの裸婦」(1868年)を観て剛が言う。
「女の背中だ。足元の水に透明感があるな」
「確かに。上手いこと言うな」と健治。
同じくクールベの「エトルタの崖、嵐のあと」(1870年)の所に来た。
「海だ。崖だ。崖の側壁にドアがついてる」と健治。
その後二人は、フレデリック・バジールの「バジールのアトリエ」(1870年)に進む。音声ガイドは、「経済的余裕のあるバジールは、仲間の絵を買ったり、自分の借りたアトリエを使わせたりして、モネやルノアールらの仲間を支援した。1870年に勃発した普仏戦争に志願して参戦し、28歳で戦死した」と説明した。
「このアトリエも天井が高くてでかいな。ゴルフのスウィングの練習ができそうだ。にしても早死にで残念だったな」と剛。
アンリ・ファンタン=ラトゥールの「バティニュールのアトリエ」(1870年)の絵を観て剛が言う。
「このアトリエは、広さは分からないな。サロンに落ち続ける印象派画家達を描いたってか」
続けてラトゥール「テーブルの片隅で」(1872年)の前で、健治が言う。
「一人ひとり別々の方向を向いてるな。まるで別々の写真からの切り貼りみたいだ。テーブル上のデカンターとか銀器は、まるで写真みたいに描けてる」
原田が珍しく、捕捉説明をした。
「この絵の中のデカンターやワイングラスなどを描いた作品が別にあり、『コーナーテーブルの静物』(1873年)として、シカゴ美術館が所蔵しております」
剛が言う。
「健治さん、鑑識眼あるんだ。俺、気付かなかったよ」
「いや、後ろの人物がぼーっとしてるから、逆に手前の食器が目立っただけだろ」
続けてラトゥール「シャルロット・デュボーグの肖像」(1882年)を観て、剛が言う。
「右手に畳んだ扇子持ってるな」
「この時代はジャポニズムが流行して、モネやゴッホの絵には、日本の扇子や団扇、浮世絵などが沢山描かれています」と原田が言う。
次の展示室には、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックのムーラン・ルージュのポスターが展示されている。「踊るジャンヌ・アヴリル」(1892年)を観て健治が言う。
「この踊っている人、実物はもっと美人だったらしい。わざと歪んだ化け物のように描いて、観客を圧倒したって、ガイドが説明している。この表現方法は、ロートレックがジャポニスムから学んだとか」
同じくロートレックのポスター「ムーラン・ルージュでのダンス」(1895年)を通り過ぎ、二人は、ロートレックが木材・段ボールに描いた油彩画「ベッド」(1893年)の前に来た。
「二人が向き合って寝ているな。安心している」と健治。
音声ガイドは、「ロートレックは娼館に部屋を借り、ときには同じ建物に寝泊まりしながら、そこで働く女性たちの日常を描き続けた」と説明する。
「最終的には、36歳で脳溢血で死んだそうだ」と剛。
一通り地上階の展示室を周った二人は、中央通路にあるジャン=バチスト・カルポーの彫刻「地球を支える四つの世界」(1872年)の周囲を歩いた後、2階の展示場へ上がっていった。
(続く)




