98話 聖女はお忍びへ向かう
吟樹師達の樹歌の不調。
思い当たる原因について、フィオーラはアルムに話を聞いていった。
「僕が新しく世界樹になったことによる、世界を巡るマナの変化。さして大きなものではないけど、違いがあることは確かだ。ほとんどの人間は気が付くことすらないだろうけど、吟樹師達には影響があるのかもしれないね」
「マナの変化によるズレに、ついていけないということですか?」
「適応には時間がかかるからね。樹歌の力の減衰率は、年老いた人間ほど大きい傾向にあるんだろう? 今までのやり方に慣れ習熟している分、変化に対応しづらいんだと思うよ」
「……本当にそうなのかしら?」
アルムの説明を納得し聞いていたフィオーラだったが、セライナは疑問があるようだ。
「筋は通っているけど、私はどうなるのかしら? 幼い頃から樹歌を使っている私は、吟樹師達の大多数より深く長く、樹歌に慣れ親しんでいるわ。なのに私の樹歌には、不調は見られないわよ?」
「それはたぶん、君が僕とフィオーラの近くで過ごしているからさ」
「世界樹様の近くにいれば、樹歌の不調は避けられるということ?」
「そのはずさ。他の吟樹師達はきっと、マナの変化をはっきり自覚できないからこそ不調に陥っているんだ。君のように僕の近くですごしていれば、体が無意識にマナの変化を感じ取り、自然と合わせていくはずだ。マナの変化は、その元である僕の近くにいる程、感知しやすいだろうからね」
「つまり、世界樹様との距離が空いたままでは、樹歌の不調が改善することはないということ?」
「いや、そうとも限らないと思うよ。僕は人間じゃないから、断言することはできないけど……。いずれ慣れ、元通りかそれ以上の力を発揮する人間も出てくるはずさ。微小であれマナの性質が変わった以上は、今までのマナとは相性がいまひとつだった人間が、新たに吟樹師の才能に目覚めることもあるはずさ」
「それはとても、大変なことね」
セライナが微笑のまま、わずかに瞳を細める。
フィオーラには、彼女の懸念がわかる気がした。
吟樹師とは奇跡の使い手。
希少な人材であり、一人一人の影響力も大きくなっている。
そんな吟樹師達が備える樹歌への適性が、この先変わってくるとしたら。
周囲へと広がる波紋は、大きなものになっていきそうだ。
セライナも顎へと指先をやり、考えを巡らせているようだった。
「……世界樹様とフィオーラ様は、しばらくこの地を離れられるかしら?」
セライナの質問に、フィオーラはアルムを見上げる。
肯定するように、小さくアルムが頷いていた。
「大丈夫だと思います。でも、いいんでしょうか? 私たちにはまだまだ、ここでやらなきゃいけないことがあるはずです」
「少しの間なら、私が代わりを務められるわ。世界樹様達にしかできないことを、してきた方がいいと思うわ」
「私達にしかできないこと……」
そこまで言われると、フィオーラとしては断る理由もなかった。
千年樹教団の中心地であるこの場所は、大陸全土を巡るマナの流れの交差する地だ。
新たな世界樹になったアルムは、この地でマナの流れ調整をしている。
今のところ大きな問題はおこっていないため、しばらく離れても問題ないらしい。
「わかりました。予定を調整して、吟樹師の方のところへ行ってきますね」
「お願いするわ。ただ、今聖女であるフィオーラ様がこの地を離れると、騒ぎが大きくなってしまうから、ひっそりとお忍びで向かってもらうことはできるかしら?」
セライナの提案に、フィオーラは頷いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「……なるほど。話はわかったわ」
お忍びについて説明を受けたモモが、半目になりフィオーラを見つめた。
「で、どうして今あんたは、精霊たちに埋もれてるのよ?」
「それは、です、ね……わっ!」
「ぐあうっ!」
フィオーラの頬へと、体をすり寄せてくる熊型の精霊。
足元にはウサギや小動物型の精霊が。
頭の上には小鳥の姿をした精霊がそれぞれ、フィオーラへと体を寄せていた。
「よしよし、でも待ってね。今はモモとお話させてね?」
「ぴちゅ……」
フィオーラがお願いすると、精霊たちは頷き大人しくなる。
しかし暫くすると、鳴き声と共にフィオーラへと甘えてくるのだ。
「……この流れ、さっきから何度も見てるんだけど?」
やれやれと頭を振るモモ。
ため息をひとつつくと、黒い瞳を鋭くを釣り上げた。
「落ち着きなさい! あんたたち精霊なんだから、静かにすることくらいできるでしょ?」
一喝。
小さな体のモモから放たれたお叱りの言葉に、精霊たちはしんと静かになる。
モモの威厳に、フィオーラは感心していた。
「まるで、お母さんに怒られた子供たちみたいですね」
「それ、近いと思うわよ。ここの精霊たちは、アルムのマナを受け生まれた精霊たちだもの」
モモンガそっくりのモモ。
その正体は先代の世界樹、つまりアルムの母親にあたる存在だ。
精霊たちにとっては、逆らう気にもなれない相手のようだった。
「そうですよね。アルムのお母様ということは、精霊たちにとってはおばあさ――――」
「お黙り」
「ひゃっ⁉」
ぺしん、と。
よほどおばあさん呼ばわりが気に食わなかったのか、モモが平手打ちを食らわせたのだった。