清算と勘定
「……っ」
頭へと回された手に力が込められて、更にエリティオスの方へと引き寄せられていく。重ねるように絡んだ指はお互いが交差するものへと変わり、強く握り返される。
優しく、甘いのに熱っぽさを含んだ口付けに突然、気恥ずかしさが生まれたアリノアは小さく身じろぎした。
それでもエリティオスはアリノアの身体を離す気はないらしく、確かめるように何度も唇を重ねてくる。
「あ、の……」
口付けの途中でアリノアは何とか息をしつつ、呼び止めた。自分でも分かるほど、身体中が熱い。
「……どうしたんだい」
楽しみが中断されたと言わんばかりの表情で、エリティオスが訊ねてくる。
「そ……そろそろ、離して……」
これ以上、距離が縮まったまま何度も口付けを交わすのはさすがに気恥ずかしさで、身体の熱が上がりそうだ。
「あ、あなたは……こういうことに慣れているかもしれないけれど、私は……」
「アリノアが初めてだけれど」
抑揚のない声でエリティオスが真面目にそう言った。
「勝手に慣れていると思わないで欲しいな。僕だって、君が初めてなんだからさ」
「……」
その一言でアリノアの顔は破裂したように真っ赤になる。それはつまり、口付けをするのも自分が初めてということを意味している。
気恥ずかしさと嬉しさと戸惑いが複雑に絡みあって、アリノアの思考はそこで停止した。
「わっ、大丈夫かい?」
「……大丈夫、じゃない」
すぐに顔と身体を離れさせて、アリノアは自分の顔を片手で覆った。
「……それよりも。あなたの身体は大丈夫なの?」
アリノアは顏を上げて、現状を確認する。大きな形を成していた呪魔はもうそこにはおらず、完全にエリティオスの中へと戻ったようだ。
気配も感じられないので、エリティオスが全て受け止めきったのだろう。膨大な量の感情と言葉を受けた割にはエリティオスの表情は悪くなさそうに見える。
「うん。今は何ともないよ。……それで、続きはしてくれるのかな?」
それまで弱々しかった表情は一変し、エリティオスは余裕のある笑みを浮かべている。そんなエリティオスを一瞥して、アリノアは溜息を吐いた。
「……あなた、大物になると思うわ」
非日常な状況下であったにもかかわらず、自分との戯れを要求してくるその度量には感服するしかないだろう。
「アリノアにそう言ってもらえると、嬉しいものだね」
小さく笑ったエリティオスの表情に陰はなかった。彼はきっと今まで溜め込んでいた感情と言葉を胸の奥で清算し切ったのだ。
「……もう少し、このまま一緒にいるのは駄目かな」
アリノアの仕事が終わったことを覚っているらしく、エリティオスがどこか縋る様な瞳でこちらを見てくる。
「……私の役目はもう終わったわ。でも、あなたにはまだやることがあるでしょう?」
今日はエリティオスの兄であるハルディウス第一王子の誕生を祝う夜会だ。兄弟である彼は夜会の場にいなければならない存在だろう。
「アリノアはもう、帰るつもりなのかい?」
「私がこれ以上、ここに居てもお邪魔になるだけよ。あとは家族でゆっくりと過ごすといいわ」
アリノアはエリティオスの右頬にそっと手を添えつつ、優雅に微笑んで見せる。
「今のあなたなら、一人でも大丈夫よ。それにエルの家族は最初からあなたを否定なんてしていないでしょう?」
「それは……」
どうして知っているんだと問うている瞳に対して、アリノアは苦笑する。もちろん、呪魔を通して見えてしまったものだ。
「一度、腹を割って話してみるといいわ。……人を傷付けるのは言葉だけれど、思いを伝えるのも言葉なのよ」
穏やかに呟きつつ、アリノアは自らが割った首飾りを手に持ってから腰を上げる。それに合わせて、エリティオスも追いかけるように立ち上がった。
「この首飾り、私が持って帰ってもいいかしら。もう魔具としても使えないし……あなたには必要ないでしょう?」
「え? うん。それは構わないけれど……」
「あと、このドレス……」
アリノアは恐る恐るエリティオスの方へと振り返る。
「左肩のところ、破けちゃったの。他にも汚れを付けてしまったし……弁償、したいのだけれど」
正直に言えば、自分が教団から月に一度貰っている給料で支払える金額のドレスではないと分かっている。だが、借りて汚してしまった以上は弁償するべきだろう。
少々、引き気味にアリノアが訊ねたからか、エリティオスは面食らったように瞳を丸くして、小さく噴き出した。
「なっ……」
「気にしなくていいと言ったのに、本当に君は律儀で真面目だね」
からかっているつもりはないだろうが、あまりにも愉快にそう言うので、アリノアは唇を軽く尖らせた。
「だって、仕方ないじゃない。気後れするこっちの身にもなって……」
そこで、アリノアの言葉はエリティオスの唇によって塞がれてしまう。
噛み付くような口付けにアリノアが目を見開く。腰辺り回された手によって、アリノアの身体はいとも簡単にエリティオスへと密着してしまう。
ぱっとお互いの唇が離れたと思えば、目の前にはご機嫌な様子のエリティオスがいた。
「はい、これでドレスの勘定は終わり」
「っ……!」
エリティオスの満足そうな表情にアリノアは更に頬を赤く染めて、目を軽く吊り上げる。
「もし、これでも納得できないなら、また今度二人きりの時にそのドレスを着てくれると嬉しいな」
「着ないわよ、馬鹿っ」
一発くらい叩いてやりたいがさすがにこの後も夜会に出席しなければならないエリティオスに遠慮して、アリノアは拳を作ったのは良いが、行き場がないまま浮かせるしかなかった。




