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光射す夜


「僕は――」


 ゆっくりとエリティオスがアリノアの方へと顔を向ける。どこか幼さも残っている表情がくしゃりと歪んだ。


「僕は、ただのエリティオスでいたかったんだ」


 零れ落ちる言葉をアリノアはじっと耳を澄ませて聞いていた。


「何気ないことで笑って、泣いて、恋をして……。たくさんの感情を感じられる、普通の男の子でいたかった。王子という役割がどういうものかは理解している。それでも……僕は確かに憧れていたんだ。何者でもない自分になることを」


 以前、彼は自分らしくいたいと言っていた。それはエリティオスが憧れる「自分らしさ」が含まれていたのかもしれない。


「どこに行っても、何をしても……。誰もが僕を『王子』として扱う。それは仕方のないことだ。そう生まれて来た運命だからと腹を括るしかないのに、僕は心の弱さ故に……無様にもがいてしまった」


 エリティオスは右手で再び顔を隠すように覆った。一つ呼吸をしてから、彼は目元の涙を拭って、アリノアの方へと薄っすらと笑顔を向ける。それは自嘲ではなかった。


「……けれど、君の隣に居る時だけは僕はただのエルでいられた。その心地良さに僕は甘えてしまったんだ」


 彼はお守りとして持っていた首飾りをアリノアに見せるように差し出した。魔除けでもあり、呪いを抑えるために作られた首飾りだけが、エリティオスの抱えていたものを知っているのだろう。


「君が今の僕を受け入れると言った時、凄く嬉しかった。弱くても良いんだって初めて思えた」


 アリノアは首飾りの載った手に自分の右手をそっと重ねた。


「……今の弱い僕を君が好きだと言ってくれたから、僕は自分自身の全て受け入れてみたいと思う。いや、受け入れることが出来る。だから――この首飾りを壊して欲しいんだ」


「……首飾りを壊せば、あなたが作り出した呪魔が自分自身に返って来るわ。それでもいいのね?」


 アリノアの静かな問いかけに彼は年頃の少年らしい笑みを浮かべる。


「どんな感情も言葉も視線も全部受け止める。……強くて優しい君が認めてくれた僕なら、きっと出来ると思えたから」


 エリティオスの覚悟にアリノアは小さく頷いた。


「そうよ。私は半端な人は好きじゃないの。……あなたは器が大きい人だけれど、それでも零れるなら、私が残りを掬ってあげるわ」


 余裕の笑みを浮かべるアリノアに対して、エリティオスは嬉しそうに苦笑した。


「それは心強いね」


 アリノアは床に落とした短剣を拾い上げて、エリティオスから首飾りを受け取った。


「最後に一つだけ。――どうか少しでもいいから、自分を好きでいてあげて」


 その言葉にエリティオスは口元を緩めて、小さく頷く。決心は出来ているようだとアリノアは受け取った首飾りを床の上に置いた。


「――ノティル」


 こちらに攻撃が向かないようにと防御に徹しているノティルへと声を張り上げる。


「はーい、何とか無事だよ。でも、そろそろ……限界っ」


「食べなくていいわ。……受け止めるから」


「これを!? ……まぁ、いいけどさ……。危なくなったら、食べるからね!」


 ノティルの返事を聞いてから、アリノアは短剣の柄を両手で握りしめる。


「アリノア」


 柔らかい声が自分の名前を呼んだため、振り返った。


「……僕を好きでいてくれて、ありがとう」


 囁かれた小さな言葉にアリノアは苦笑して、優しく微笑んだ。そして、短剣に力を込めて、首飾りの石へと目掛けて振り下ろす。

 石が半分に割れた音が微かに響いた。大きな姿となっていた呪魔が一瞬だけ、その姿が(にじ)むように揺れた気がした。


 ……来る。


 己に呪いが及ばないように着けていた魔具が壊れたのなら、その矛先はもちろんエリティオスへと返って来る。

 アリノアは短剣を放りだし、エリティオスの手を掴んだ。


「……大丈夫よ。私も……受け止めてあげるから」


「……うん、ありがとう」


 竜の姿をしていた呪魔は少しずつ形を崩していく。そして、魔具による防御を失ったエリティオスへと体当たりするように呪魔は勢いよく胸の辺りへと吸い込まれていった。


「っ……」


 エリティオスが自らの胸を鷲掴みにして、苦しむように顔を歪ませる。吐く息は荒く、肩で呼吸していた。

 それまで受け取ることなく溜めて来た感情と言葉が今、エリティオスの中へと戻っているのだ。アリノアは空いている方の手で彼の背中を支えた。


「あ、アリノアっ」


 ノティルが心配するような声で叫ぶが、アリノアは首を横に振った。


「ごめん、アリノア……。やっぱり、全部自分で受け止めたいんだ」


 表情を苦いものへと変えつつも、エリティオスは薄く笑った。


「これは……自分で受けなきゃいけないから……。今更だけれど、格好つけさせて欲しい」


「……無理しなくても、あなたは十分に素敵な人間よ」


 アリノアがお世辞でもなくそう言うと、どこか嬉しそうに笑って、エリティオスは再び呪魔から流れてくるものへと意識を集中させていた。


 ……呪魔があまりにも大きすぎる。


 吸い込まれるように勢いよくエリティオスの胸の中へと入り続けている呪魔だが、その大きさを見る限り、普通の人間ならとてもじゃないが受け入れきれないだろう。


 下手をすれば発狂してしまう程の感情の量を溜めている。アリノアは真剣な表情でエリティオスの背中を支え続けた。


 だが、エリティオスは弱音を吐くことなく、全てを受け入れるつもりらしい。響くのは呪魔が形を崩していく音とエリティオスの荒い呼吸だけだ。

 握りしめる手に力を入れる。彼の額に浮かんでいる汗が、呪魔が抱いている容量の大きさを物語っていた。


「エル……」


「……大丈夫。もう、逃げないから……」


 意識ははっきりしているらしく、言葉が返って来る。


「溜まりにたまった数年分。これくらい受け入れられなければ、僕のことを好きだと言ってくれた心の広い君の隣には立てないからね」


 余裕なんてないはずなのに、アリノアに向けて彼は笑みを見せてくる。


「だから、全て受け入れる。僕が本当の意味で自分らしく生きるために……」


 気付いた時には天井に届く程の大きさだった呪魔がいつの間にか半分以下の大きさに縮まっていた。


「……アリノア」


「何かしら」


「初めて、君と話した時……。実は一目惚れだったんだ」


「……」


 どうして今、そのような話をするのかと思いつつもアリノアは耳を傾けた。

 彼はもしかすると、自分の意識を保つために、言葉を続けようとしているのかもしれないと察したからだ。


「あの時まで、僕はどこか暗い場所をずっと歩いているような気分だった。夜の海みたいに、ずっと静かな場所を……。だけど、あの夜、君に出会った時……初めて僕は心の奥に何か熱いものが突き刺さった気がしたんだ」


 アリノアが握っている手が反転して、お互いの指と指がゆっくりと絡められる。まるで、二度と離さないと言わんばかりに強く、握られた。


「窓から射しこむ月明りの下で、僕を真っ直ぐ見てくれた君がとても眩しく思えて……。思わず見惚れたんだ」


 ふっと息を漏らしながら、彼は言葉を続ける。


「綺麗だと思えたのも、もっと知りたいと思えたのも……君が全部初めてだった。だから、君に近づきたくなった」


「……」


「近づいて、話すたびに君のことを知った。強くて、優しくて、眩しくて……太陽みたいに温かかった」


 気分が悪いのかエリティオスが右手で胸を押さえた。完全に形を無くした呪魔はただ、吸い込まれるだけでこちらを攻撃する気配は全くない。


 アリノアはノティルへと目配せして、影へと戻るように合図する。ノティルは不安そうに見つめながらも頷いてから、アリノアの影の中へと戻って行った。



「もう一度、言わせて欲しい。……君が好きだ」


 熱を含んだ瞳がアリノアだけを捉えていた。自らの胸を押さえていた手が離れ、アリノアへと伸ばされる。


「……あなたもだけれど、私も随分と物好きになったものだわ」


 アリノアは左手でエリティオスの右手を受け取り、自分の左頬へと触れさせた。


「……そういうのは、物好きじゃなくって、趣味が良いって言ってもらわないと」


 冗談交じりにエリティオスがそう呟くので、アリノアは苦笑ながら顔をそっと寄せていく。

 目を瞑ると、今度はエリティオスから優しく口付けされた。頬に触れていた手がゆっくりとアリノアの頭の後ろへと回されていく。


 ……あぁ、これは。


 負の感情などそこには存在していない。あるのは柔らかな優しさと温かさだけ。

 きっと、彼はもう大丈夫だ。ゆっくりと味わうように口付けられる柔らかさから温かいものが伝わって来る。


 特別に好きだと思えたのは、この熱を与えてくれるエリティオスだ。どんなエリティオスでも自分は好きなのだ。



   

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