受容する想い
「……ごめん、アリノア」
呪魔によって傷を受けたことを謝っているのだろう。エリティオスの表情がわずかに歪んでいた。
「言ったでしょう。このくらいの怪我はいつものことだって」
短剣を横に一振りすると、気持ちの良い風を斬る音が響く。
「……エル」
「何だい」
彼のすぐ傍にいる呪魔が唸っているにも関わらず、その場はとても静かに思えた。
何もない、何も聞こえない。ただ、二人だけがそこにいる。
「私、あなたの呪魔が持っている記憶と感情を見てしまったの」
「っ……」
エリティオスの顔が驚きと苦渋で歪み、申し訳なさそうに笑みを浮かべる。
「そうか……。ごめんね? 見苦しいものを見せちゃったよね」
恐らく、その謝る言葉にさえ呪いが込められているのだ。彼の吐く言葉は全て負へと変換されていく。だから、負の供給によって、意思が繋がっている呪魔が傷を負うことはない。
「御覧の通り、僕はどうしようもなく駄目な奴なんだ。自分で何をしたいのかも、どうしたいのかも分からない。流されるだけ流されて……そして、言葉一つで自分自身に絶望してしまうくらいに弱い奴なんだ」
その言葉が呪いへと変わっていく。彼は自分を貶めていくことに気付いているのだろうか。いや、きっと気付いているからこそ、負の連鎖を止めることが出来ないのだ。
「……私はあなたを駄目な奴だなんて思ったことないわ」
静かに諭すような声色でアリノアは呟く。
「誰よりも聡くて、脆くて、小さな怪我一つをずっと心配するような優しい人を駄目だと言う奴がいるのなら、私の前に連れて来てみなさい。叩き斬ってあげるから」
不敵に笑みを浮かべるとエリティオスはどこか驚いたように目を丸くしていた。
「どうして……」
「あら、理由が必要なの?」
アリノアの言葉にエリティオスは一度、口を噤んでから真っすぐと頷いた。
「ごめん、僕は……はっきりとした理由が欲しいんだ。そうでなければ、きっと君の言葉に納得できないから」
「……じゃあ教えてあげるわ」
真っ直ぐと自分の瞳にエリティオスだけを映す。意思を強く含んだ瞳でアリノアは言葉を紡いだ。
「――私が、あなたを受け入れる」
エリティオスの見開かれた瞳は固まったままだ。動くことなく、アリノアだけを見ていた。
「あなたが嫌いだと言っている弱いところもずるいところも、私が全部受け止めてあげる。あなたが嫌いなところを私が好きでいてあげる」
呪魔は感情と言葉によって生まれてくるものだ。それを無いものへと変えるには、ただひたすら斬るだけだと思っていた。
だが、違うのだ。感情と言葉に響くものは、同じように感情と言葉なのだ。エリティオスがジュリア・リメールを説得させたのは、彼の言葉によるものだった。
斬るだけでは駄目だ。
大切なのは理解することだと気付かされたのだから。
「そんなの……君には何の得なんてないじゃないか」
絞り出すような声は明らかに自分を心配するものだった。こんな時でさえ、彼は人のことばかりを気にするのだ。
優しいからこそ、彼はきっと感受性が高く、ここまで大きな呪魔を生んでしまった。
「あら、人の感情は損得で決まるものなの?」
アリノアはふっと小さく笑って、おどけて見せる。
「あなたが私のことを好きだと言ったのは、あなたに得することがあるからかしら」
自分でも中々、意地悪な質問だと思う。だが、気付いてもらわなければ、彼はきっとそう思ったままだ。
他の誰かに損得で思いを寄せられているエリティオスなら、本当の感情がどのようなものか分かっているはずだ。
「それは違う!」
アリノアの言葉をエリティオスはすぐに否定した。彼の傍らで深く息を吐いている呪魔はこちらを睨んだまま動きはしない。
「違う……。僕は本当に……君が好きだと思ったんだ。真っすぐな君が眩しくて、羨ましくて……。偽りなんて感じられない優しさを君は持っていた。僕はそんな君に惹かれたんだ」
エリティオスの呪魔から流れて来た光景の中に、一つ鮮やかなものがあった。その瞬間だけ、彼の心がふわりと浮いたような感覚になったのを覚えている。
……記憶の中に映っていたのは、エリティオスと初めて会話したあの夜。彼の瞳が見ていたのは……私だった。
知っている。彼の心が本物で、自分へと寄せられていることを。アリノアは目を細めて微笑んで見せた。
「私はあなたのその気持ちを否定しないわ。ちゃんと受け止める。だから……あなたも私の気持ちを受け止めてくれる?」
「え……」
エリティオスが戸惑うような表情を見せた瞬間、アリノアは真正面に佇んでいる彼へと向けて駆けだした。
アリノアの動きに反応した呪魔がこちらへと再び太い尾の先端を槍の如く向けてくる。
「っ!」
それを短剣で流すように受け止めつつ、アリノアは攻撃を躱した。
竜型の呪魔が今度は自分を押しつぶそうと大きな前足を少し上へと上げる。次の攻撃が来ると判断した瞬間、アリノアの影から勢いを付けて現れたのはノティルだった。
ノティルは大熊の姿へと変化させて、呪魔が振り下ろそうとしていた前足を両腕で何とか受け止める。
「っ……。行って、アリノア! 早く!」
呪魔の身体を離さないようにしっかりと掴んだまま、ノティルは叫んだ。アリノアは心の中でノティルにお礼を言いつつ、エリティオスの方へと向かう。
駆け抜けた先に、呆けたようにこちらを見つめているエリティオスがいた。その瞳に薄っすらと光るものが見える。
……私は――。
アリノアはその場に短剣をわざと落とした。
「……エル!」
呼んで欲しいと許された名前を叫び、アリノアはエリティオスへと両手を伸ばす。その腕を自分は、離さないと決めていた。受け止めるために、絶対に離したりしないのだと。
アリノアはエリティオスへと飛び込むように抱きつき、そして腕を首へと回した。彼の身体は何かに怯えるように小さく震えていた。
……きっと、怖いのね。
受け入れてもらえない自分を知っているからこそ、彼はあと一歩踏み出せないのだ。
「……エル、聞いて」
エリティオスを抱きしめる腕に力を入れつつ、アリノアは彼の耳元で小さく囁く。
「私はあなたが嫌いだと言ったエリティオス・ソル・フォルモンドが好きなの。目の前で泣いている、弱くて優しいあなたが好き」
「っ……」
すぐ傍で、引き攣ったような声が聞こえた。震える身体が直接アリノアへと伝わって来る。その温度さえも自分は好きだった。
恋なんて、そういうものはまだよく分からない。だが、エリティオスのことを他の誰かと比べたら特別だと思えるくらいには好きだ。
「王子とか、役目とか、損得とか……。そういうことに関係なく、私は今のままのあなたが好き。目の前のエルの全てを受け入れる」
「どうして……」
震えた声が耳元で聞こえた。彼はまだ、負の感情を作った自分自身を受け入れていないのだ。
負の感情によって作られた呪いは跳ね返したり、斬るだけが断ち切る方法ではないともう知っている。 呪いという負の感情を認め、受け入れることも自分を認める方法の一つなのだと自覚していた。
「だから、あなたが自分自身を否定しないで。エルが自分自身を否定したら、私のエルに対する気持ちも否定することになるから」
「でも、僕は……っ」
自身によって作る言葉で、否定しようとするエリティオスをアリノアは一度、腕から離した。そして、彼の胸倉をいきなり掴んで、自分の顔へと引き寄せる。
「っ……」
自ら近づけたエリティオスの唇にアリノアは自分のものを重ねた。エリティオスの唇が小さく震えても、アリノアはそのまま押し付けるように重ね続ける。
そして、息をするためにアリノアはゆっくりと唇を離した。ふっと息が漏れたのはお互いからで、エリティオスが今までで一番驚く表情でアリノアを見ている。
「これで分かったかしら」
胸倉から手を離してアリノアが微笑むと、エリティオスは腰が抜けたようにその場に座り込む。
「わっ……」
床の上に尻餅を着くように腰を下ろしたエリティオスに合わせて、アリノアも彼の傍へと座った。呆けた顔から、美しいと思える涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「言っておくけれど、好きでもない人にこんなことしないから。それに……自分の初めてをそう易々とあげるような人間じゃないわよ」
伝えておくべきことではないと思うが、アリノアはほんの少し頬を赤らめつつ、エリティオスに向けて早口で言い放った。




