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虚勢の竜


 ……これほど大きな呪魔を身の内に抱えていたというの。


 今まで、様々な呪魔を狩って来たがここまで大きいものは初めてだったため、思わず躊躇してしまう。


 エリティオスの持っている、どのような感情がこれ程大きな呪魔を作り出したのか想像が出来ず、しり込みしていると、エリティオスが小さく息を漏らした。


「ここ数日の君を見ていて……。アリノアなら、弱い僕を打ち倒してくれるんじゃないかと勝手で傲慢なことを思ってしまったんだ」


「あなたは……。……エルはこの呪魔を斬らせるために、私をここへ呼んだの?」


「うん、そうだよ。……この呪魔は僕が王宮に居る時にしか、出ないんだ。王宮で時間を過ごすたびに、この呪魔は少しずつ大きいものへと変わっていく」


 見慣れているのか、まるで呪魔を従えているようにさえ見える光景にアリノアは唇を噛んだ。


「だから、学生寮に住むことにしたの?」


「確かにこの呪魔も関係しているけれど……。普通の学生生活を送りたいというのは本音だよ。……周りから見れば、責任や身分から逃げているようにしか思われないけれどね」


 苦笑した彼の笑みは、己を貶めるような笑い方だった。


「エリティオス・ソル・フォルモンドは駄目な人間なんだ。出来ている人間を装っては、こうやって負の感情を内側に溜める事しか出来ない。吐き出す相手もいないからね……」


「駄目なんかじゃないわ。だって、あなたは――」


「駄目な、第二王子なんだよ」


 アリノアの言葉をエリティオスはわざと切った。


「人の目や言葉ばかり気にして……。大したことも出来ないくせに、虚勢(きょせい)ばかり張って」


 エリティオスに従うようにとぐろを巻いていた尾がゆっくりと床から離れる。呪魔の顔が真っすぐとアリノアの方へと向けられる。


 ……まるで、竜だわ。


 物語や伝承でしか聞いたことのない竜の姿にそっくりな呪魔だったのだ。


「それでいて、自分は何がしたいのか分からないまま生きている。どうすればいいのか分からないまま、不安の中でずっと……」


 エリティオスが空いている手で顔を覆った。


「きっと、この気持ちは拭えない。ずっと重く積もっていくものだ。……そう思うと、僕は僕自身を呪わずにはいられなかった。この存在の意味が分からないなら、僕は――」


 ぶわりと生ぬるい風が身体の横を吹き通った気がした。気分が悪くなりそうな程に、室内は重い。


 ……大広間の呪魔よりも、こっちの方が断然きついわね。


 久しぶりに冷や汗を掻いてしまうくらいに静かな圧力がそこにはあった。


 片手で覆ったままの手の隙間から、エリティオスの瞳が覗いて来る。悲しみに満ちたその瞳を自分は何度見て来ただろうか。


「……おかしいよね。ジュリア・リメールには自分らしく生きて欲しいなんて、言っておきながら、僕は自分自身のことで手が一杯なんだから」


「……」


「本当は……僕の方が、僕らしく生きるのが怖いくせに」


 その一言で、呪魔から零れだす圧が強いものへと変わっていく。それにも関わらず、エリティオスは呪魔に取り込まれることなく、自分自身を嘆くような表情をしているままだ。


「あ、アリノアっ……!」


 足元のノティルが迫って来る空気の圧力に耐えようと足を踏ん張っていた。


「我慢するか、影の中に戻って!」


 アリノアでさえ、エリティオスの呪魔から零れだす威圧に対して、両足で何とか持ちこたえているのだから、身体の軽いノティルには耐えられるものではないだろう。


「……ごめんね、アリノア」


 はっと顔を上げるとエリティオスの頬に一筋の涙が流れていた。


 ……その涙は、どういう理由で流しているの。


 自分は確かにエリティオスのことを良く知らないかもしれない。それでも、知っていることはたくさんある。知りたいと思うことも。


 ……踏み込めば、きっと後戻りは出来ない。


 だが、感情一つでエリティオスの涙を止められるなら、容易いものだと思えた。


 いや、そう思えるのは相手がエリティオスだからだろう。他の人間ではなく、彼だからこそ、自分は――この感情を彼に与えたいと思えたのだ。


 足に力を入れて、アリノアは短剣で線を描くように横へと薙いだ。短剣によって手には威圧が斬られた感触が残る。


「……エル。いいえ、エリティオス。あなたは……自分のことが嫌いなの?」


「……うん」


 子どもが素直に返事をするようにエリティオスは頷き返した。


「僕は、自分が嫌いだよ。どうしようもないくらいに……嫌いだ」


 零される言葉は冷たいものだった。

 自己否定により、彼は自分自身を呪い、そして呪魔を作り出してしまった。


 作り上げた呪魔はエリティオスの瞳だけにしか映らないまま、過ごしてきたのだろう。自分以外の人間に見えないものが見えるのは、きっと恐ろしく寂しいものだ。


 底が見えない、黒い沼。

 今のエリティオスはそんな場所にいるような気がした。


 ……私には自分を否定する気持ちは分からない。それでも、彼を肯定することは出来る。


 ふっと息を吐いてから、アリノアは短剣の刃を顔の前へと持って来る。


「……あなたの呪魔、斬らせてもらうわ」


「……宜しくね、アリノア」


 そう答えたエリティオスは眉を寄せたまま、嬉しそうに笑みを浮かべた。


 彼は自身の作り出した呪魔を斬られたがっている。それだけではない。きっと、彼の抱く感情を否定して欲しいのだ。


「……この刃は風。いかなるものも通し、切り裂く凍風となれ。――風斬り(ヴァン・ラーマ)


 アリノアが握る短剣は青白く光り、内側から風を発生させように、刃には涼しい風が纏わりつき始める。


 任務だから、という理由ではない。自分が今、エリティオスの前に立っている意味は確かなものだ。彼は自分に斬られたいと望んでいる。それを叶えるべく、自分はここへと連れて来られたのだろう。


 アリノアの敵意を感じたのか、竜の形をした呪魔が低く唸った。ひしひしと伝わって来る重圧に、気分が酔いそうになるほどの呪魔の強い気配だけがその場を満たす。


「ノティル、足場になって」


「了解!」


 動きにくいドレスとヒールの高い靴だと、やりづらくて仕方がないが、それでもノティルを使えば不利な状況から有利へと運ぶことが出来るはずだ。

 攻撃に先手を取るべく、アリノアは床を蹴って走り出した。


 呪魔は大きな口を開けて、アリノアを食べようと待ち構えているようだ。しかし、その中に易々と入るようなアリノアではない。


「行くよっ」


 足元でノティルの声が聞こえた瞬間、アリノアはもう一度、床を強く蹴り上げた。

 その床は、アリノアを上へと押し上げるように跳ね上げられる。ノティルが踏み台となり、アリノアを大きく跳躍させたのだ。


 宙へと浮いた身体は重力に逆らうことなく、落下し始める。その重力を利用するように、アリノアは短剣を持つ右手を大きく振りかぶり、そして一撃を放った。


「――っ!」


 悲鳴のような声と共に、呪魔の顔部分に一線が引かれていく。


 ……傷が浅い!


 アリノアは床の上に着地しつつも、すぐさま呪魔との間に距離を取った。


「……嘘でしょ」


 呪魔の顔に傷を入れたはずだ。感触も確かにあった。それにも関わらず、アリノアの作った傷は元からなかったかのように、無へと戻っていった。


「相当、厄介だなぁ」


 軽く言っているように聞こえるが、今まで相棒として自分の手足となってきてくれたノティルも自己修復の早い呪魔など見た事がないため、引き攣ったような表情をしている。


 ……エリティオスが自分を呪い続ける限り、呪魔を攻撃してもその傷は再生されるだけだわ。


 これでは、ノティルに呪魔の回収をしてもらうことは出来ないだろう。


 どうしたものかとアリノアが思案しつつ、後ろへともう一歩下がろうとした時だ。呪魔の太い尾が床を鳴らすように跳ね上がり、アリノアの方へとその矛先を向けて来たのである。


「アリノア!」


 そうなる事が分かっていたのか、エリティオスが自分の名を叫んだ。


「っ!」


 一歩、動くのが出遅れてしまったアリノアは太い尾の先端が左の肩口をかすめていく。直撃を避けられたのは幸いだったが、傷口から入り込んでくるものにアリノアは顏を大きく歪ませた。


 ふらりと身体が揺れて、アリノアは片足をその場に着けてしまう。


「危ないっ!」


 戦闘状態から離脱しかけているアリノアを守るべく、ノティルが大きな壁となってその場に影を伸ばしていく。瞬間、二度目となる呪魔の攻撃が壁となったノティルへと突撃した。


「……アリノア! アリノアってば!」


 アリノアを守りつつもノティルは必死に名前を叫ぶ。

 しかし、アリノアは傷口から入って来た膨大な感情と記憶に(むしば)まれつつあった。


 ……これら全ての感情をエリティオスが抱えて来たというの。


 見て、感じなければ、きっと理解することは出来ない。


 言葉をかけて、呪魔を斬り割いても、エリティオスに届くとは限らない。自分が、エリティオスを理解しなければならないのだ。


 浅く息をしながら、身体中を駆け巡るものに意識を集中させた。


     


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