王子の顔
エリティオスの言う通り、王族専用の部屋へと近付くたびに人の姿が減っていく。
ここまで人がいないと、侵入が簡単にできそうに思えるが、彼曰く王宮魔法使いが窓の外から侵入されないように敵意あるものに対して反応する結界を張っているらしく、内側の警備だけで成り立っているらしい。
「特に多くの人が訪れる今日みたいな日は王宮魔法使いも大活躍しているよ」
「今はこの辺りの部屋近くにはいないの?」
「うん。彼らの主な仕事は王宮と王族を守る事だからね。役割を分担して、大広間の警備と結界の強化に努めているはずだよ」
そんな話をしているうちに、いつの間にか目的のエリティオスの自室へと到着したらしい。
エリティオスは外套の下から金色の鍵を取り出して、扉の取っ手の下にある鍵穴へと差し込んだ。
王子の部屋の扉にしては簡素だと思ったが、よく見ると木製の扉には細かい彫刻が隅々と彫られており、端から端まで眺めていたいと思える程に素晴らしいものだった。
芸術品の一つではないかとアリノアが感嘆の溜息を吐いていると、金属がこすれる音が聞こえたと同時に、部屋の扉が開く。
「さぁ、どうぞ」
「……お邪魔します」
何かを確かめるようにアリノアはゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れる。
「灯りは点ける?」
カーテンは開いているため、窓の外から入って来る月明りで部屋はそれなりに照らされていた。
「いえ、このままで構わないわ」
返事をしつつ、ゆっくりと扉を閉めると真後ろから、腰辺りに手が伸びてくる。
「鍵は念のために閉めさせてもらうよ?」
静かな声でエリティオスが背後から呟く。その手は扉の鍵を閉めたあと、すっと後ろへ引いて行った。
「……」
誰もいない部屋に二人きりというのは結構、緊張するものだ。別に任務としてこの場にいるわけだが空気が気まずく思えるのは、何となくエリティオスの雰囲気がいつもと違うように感じられるからかもしれない。
エリティオスが自分から少しずつ離れていったのを確認してから、アリノアは彼の方へ向き直る。
改めてエリティオスの部屋をじっくりと眺めたアリノアは妙な感覚を覚えた。
……思っているよりも、物が少ない部屋だわ。
壁に沿うように置かれているベッドも机も本棚も全てが年代物のように見えるが、簡素と呼べるくらいに派手さはない。
王子ならばもっと、煌びやかな部屋を使っているのだろうと勝手に思い込んでいたが、エリティオスの性格上、派手好みではないのは分かっている。
だが、それにしても部屋に物が置かれていない気がして、アリノアは小さく首を傾げた。
今、いくら学生寮で生活しているとは言え、部屋の物の少なさにどこか寂しさも感じてしまう。
「ようこそ、僕の部屋へ」
エリティオスの足音はいつものように軽やかなものではなかった。
「この部屋に呪具があるの?」
部屋を見渡しても、それらしきものは見当たらないし、感じられない。
「……うん、まぁ……。そうだね」
歯切れ悪くエリティオスは答える。そして、部屋の真ん中辺りまで進んだ彼はこちらを振り返った。
「……」
その表情は今まで見た中で、一番悲しそうに見えたのは何故だろうか。理由を問いただせないまま、アリノアは言葉だけを胸の奥へと飲み込んだ。
「アリノア、とりあえず……。結界を張ってくれるかな」
「……分かったわ」
アリノアはドレスの下から、素早く短剣を抜いて、顔の前へと構えた。
結界の魔法はいくつか種類があるが、現状で使うとすれば魔防と外から魔力を感知されにくい結界を使った方がいいだろう。
「……四方に灯るは光の剣。通さずは悪しきもの。応えて、出でよ。――澄んだ聖壁」
斜めに空間を斬るようにアリノアは短剣を薙いだ。剣先から光の糸が紡がれていき、部屋の床へと触れた瞬間、稲妻の如く線を描くように四方へと広がっていく。
四方へ広がった光の線は四隅へ辿り着くと柱を形成していき、淡く透明に光る壁によってアリノア達は囲まれた状態となった。
一仕事を終えたアリノアはふっと溜息を吐いてから、再びエリティオスの方へと向き直る。
「準備出来たわ。……それで、呪具はどれなの?」
アリノアの問いかけにエリティオスの碧色の瞳が揺らめいたように見えた。そして、悲しげにも見える表情は何を伝えたいのかが分からない。
「エル?」
名前を呼ぶと彼は泣きそうな顔で笑った。
「……ごめんね、アリノア。僕……君に嘘をついていたんだ」
「え?」
「本当は、呪具なんてないんだ」
「どういうことよ……」
アリノアが眉を寄せるとエリティオスは困ったような表情で小さく頷いた。
「君に、王子としてのエリティオスを見ておいて欲しかったんだ。その上で判断して欲しかった」
エリティオスは羽織っていた外套をゆっくりと脱ぎ捨て、その場に放った。腰に差していた剣も抜いて、外套の上へと落とす。
「以前、君にお願いしたいことがあると言っただろう? 僕は……君に僕を斬って欲しいんだ」
「……」
無言のまま、アリノアはじっとエリティオスを見つめる。彼の表情は先程から大きな変化はない。
すると、アリノアの足元から中型犬の姿をしたノティルが現れた。ノティルの瞳は剣呑としており、エリティオスを睨むように細められていた。
「アリノア、感じない? この部屋に入ったら、急にエリティオスの内側から……」
「さすがだね、ノティル」
ノティルの言葉を遮断させて、エリティオスが笑みを浮かべながら賛辞を贈る。
エリティオスは首元に下げていた首飾りをそっと外して、左の掌の上で転がす。
「この首飾りもただの魔除けじゃないんだ。これは……呪いを抑えるための魔法がかけられているものだ」
「呪い? あなたのことを呪っている人がいるの?」
アリノアの問いかけにエリティオスは薄く笑った。
「もちろん、それもあるよ。嫉妬、欲望、羨望……。王子という身だけで色んな言葉を受けるからね」
でも、と彼は言葉を続けた。
「多分、アリノアのことだから、怒ると思うけれど……。僕が自分自身を呪っていると言ったら、君はどうする?」
「……っ」
瞬間、アリノアの身体全身に鳥肌が立ったのが感じられ、一歩後ろへと引いた。
……どうして突然、呪魔の気配が……!
エリティオスを驚きの瞳で凝視すると、彼は申し訳なさそうに頷いていた。
「……僕は……国の顔として生きる事に悩んでいるんだ。兄上や父上みたいに出来た人間じゃないからね。……望まれるように生きるのが、どうしようもなく辛い時があるんだよ」
呟かれる言葉に従うように、空間に長い尾を引いた呪魔がぼんやりと出現し始める。
「っ!?」
その大きさは部屋の半分を埋め尽くす程で、どうしてここまで大きな呪魔の気配を察知することが出来なかったのかとアリノアは息を飲み込んでいた。
そして、巨大な呪魔を出現させているのが目の前にいるエリティオスだということに動揺を隠せずにいた。




