20 毒沼
「それでは、詳しい事情をお話ししましょう」
シレジアの領主であるヨハンが口を開く。
耳が長く、一目見てわかる長耳族であった。
「事の発端は、魔物の活動であったのです」
何年かに一回魔物の大発生がある。
その時期には、王都からも騎士団や魔術師団が派遣され、討伐にあたる。
それが去年の事だ。
だが今年も、魔物たちのあやしい動きがあったという。
二年連続で魔物の大発生という事件は、今までに無かった。
そのために初動が遅れてしまった。
魔物による被害が出て、その中にユリアの父であるラデツキー男爵もいたらしい。
「ふむ。それで調査団の件はどうなのだ?大体の事は聞いているが」
「それでございますが……」
アスランの疑問に、ヨハンは再び話し始める。
どうやら毒沼から急に発生した瘴気が魔物を狂わせているらしい。
そこで王都に応援を求め、シレジアの隊と共同で調査に向かった。
「そこで全滅したわけか」
「正確には、シレジアの兵数人がなんとか生き延びまして、殿下」
その兵士の報告も信じがたいものだった。
毒沼に調査に行った一団は、黒い霧のような形をした竜にやられたのだという。
「竜ね……」
「竜人族のはずもありませんし、古竜はこのあたりにおりません」
「わかった。とりあえずはその毒沼の探索だな」
「は、はい」
領主のヨハンは不安そうに言う。
近年に無い事が起こり、王都の調査団も全滅してしまったのだから当然かもしれない。
さすがに王子に向かって、大丈夫ですかとも言えなかったのだろう。
領主から話を聞いた後、マリーやアスラン達は、与えられた部屋へと集まった。
そこはアスランのためのものであり、広間のような大きさだった。
「マリーはどうする?領主の館にいるかい?」
「もちろん、行くよ。何でそんな事聞くの?」
「危険な臭いがするからね。まぁハネス様はマリーがいた方がいいって言っていたし……」
そしてアスランはしばらく考えた後、部下達に向かって言う。
「今回は竜変異を許可する」
一同はざわついた。
事情をよく知らないマリーに対して、アスランが説明する。
「竜の姿に変身して、僕たち本来の力を発揮できるようにする事さ」
「アスランだけじゃなくて、ここにいるみんなも竜の姿になれるの?」
「そうだ。今回のメンバーは全員竜変異できるのさ」
竜人といっても、全員が竜の姿になれるわけではないのは聞いていた。
竜の姿を維持する事は、力を消耗するらしい。
それだけ危険な任務なのだろうか。
「マリーには悪いが、さっそく明日の朝には毒沼に出発だ。一刻も早い方がいい」
「私はいたって元気だから大丈夫だよ!」
竜人族は人よりも頑健である。
本来休憩など必要ないのかもしれない。
シレジアに来る途中も、アスラン達がマリーを気遣っているのは感じられた。
そういうわけで到着した日の翌日には、マリー達は毒沼へと向かう事になった。
「お気をつけて。ご武運を」
翌朝マリー達は、領主の見送りを受けて館を出発した。
毒沼は領主の館から、マリー達一行なら半日ほどの所にある。
ここまでの道中、竜人国の一団はアスランの指示によく従い、秩序だって乱れを見せない。
王子だからというだけでなく、部下の人心も得ているのかもしれない。
目的地までの間、アスランはマリーに説明する。
シレジアは毒沼があり、魔物が生息する迷宮が存在する。
厳しい土地ではあった。
だが、迷宮には冒険者が集い、珍しい植物が生育し、土地の生産力は元来高い。
珍しい鉱物も採れ、魔石の鉱床があるのではないかとも言われていた。
それゆえに、長耳族たちが住み着いている。
それを阻んでいるのは、巨大な毒沼であった。
いつから毒沼が存在するのか、なぜできたのかはわからない。
幾度が魔力による浄化が試みられたらしい。
だが今にいたるも成功していない。
「長耳族たちの伝説によるとはるか昔、闇の竜と光の竜の戦いの時にできたとも」
「闇の竜?もしかして……」
「そう。闇竜教団が崇拝している存在だ」
「闇の竜なんて本当にいたのかな?」
「さぁ。竜人族には、単に闇竜というものがいたとしか伝わっていない。僕はだだの伝説だと思っている……ほらあれだ!」
アスランが指さす先をマリーは見た。
麓が紫のような霧に覆われた、高い山が見える。
「油断するな。もし魔物が出現したら、指示を待たずに攻撃していい」
一同の顔に緊張が走る。
そのままマリーを中心に囲むようにして、しばらく全員無言で進む。
そして前方に毒沼が視界に入ったその時だった。
(ねぇ……)
「え?アスランなに?」
「いや、何も言ってないけど?」
マリーはあたりを見回す。
騎士たちは不審そうにマリーを見るだけだった。
空耳だろうか?
そう思った時だった。
(君にしか聞こえないし、考えれば伝わるよ)
頭の中に誰かが話しかけてくる。
マリーは思わず声を上げそうになったが、何とか押しとどめる。
そして思念を集中し、その声の主に伝えようと試みた。
(あなたは誰?魔物?)
(違うよ。君に助けて欲しいんだ)
同じ事をルドミラの誘拐事件の時も、飛竜に言われた気がする。
(あなたは何物なの?)
(おいらはドラコ。こいつの中に閉じ込められているから助けて欲しいんだ)
(でも私なんかに何もできないわ)
(君は竜の巫女でしょ?わかるよ)
また竜の巫女か。
もういちど思念を集中しようとした時だった。
(気をつけて。奴だ!ええと……)
(私はマリー。奴って何?もしかして闇の竜?)
(違う。闇竜の残存思念だ。けど大丈夫。君の力があれば……)
それっきり、マリーが思念を凝らしても声は聞こえなくなる。
これは何かの罠だろうか?
マリーは警戒しつつも、思い切ってアスランに向かって言った。
「アスラン!気を付けて!」
アスランは驚いたようにマリーを見る。
そして目を閉じ周囲の気配を探っていた。
部下にも命じて、あたりを探らせる。
「何もないようだけど。どうしたのマリー?」
「あの……ええと」
まさか頭の中に声が響いてと言うわけにもいかない。
だがマリーの戸惑いも長くは続かなかった。
前方の毒沼にただよう紫の霧が、ふいに揺らめいた。
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