エピローグ
一か月の入院生活を終えて退院した有栖は案の定一度実家へと連れ戻された。
幸いにして探偵業は続けられることになったが、地域の困ったことを解決するようなものくらいと条件が付けられてしまい、そうなってはあまり面白みのないものとなってしまったのだった。
というよりも店長業が忙しくてそれどころじゃないのもある。
雑貨店へは雇われではなく本格的に店長として籍をおくことになり、経営者としての責務を負うことになった。
それによってオーナーはただのバイヤーとなったことで前よりも店に出勤することが減り、嬉々として方々へと仕入れに飛び回っている。
それまでオーナーがしていたもろもろを全部することになってしまい、有栖は大学をリタイアしてしまったことを心底悔やむことになった。
それでも慣れないながらも順調に仕事をこなしていたある日の午後、圭介が笑子と共に有栖の元を訪ねてきた。
「あの時は本当にありがとうございました」
そういって菓子折りを差し出しながら笑子は深々と頭を下げた。
入院中、有栖の元にも事件の事情聴取のために警察が訪ねてきていた。
有栖は圭介の依頼のことや知りうることを全て洗いざらい話したのだが、なんと有栖が集めた資料写真の中に件のストーカーが映りこんでいたものもあり、証拠の一部として立件に役立ったのだという。
そのことに笑子は本当に感謝しているとともに、自分を助けようとしたばかりに有栖が大けがを負ったことに責任を感じているようだ。
「月野さんが私の代わりにあんなことになったのが本当に申し訳なくて……本当に、私にできることがあればなんだってします。どうやって償えばいいでしょうか……」
「いえ、アレは私が勝手に突っ込んだだけですし、自業自得でもあるので……今こうして無事にいらしていただいただけで充分です」
「……本当にごめんなさい」
やんわりとそれ以上の謝罪を断れば、それを正確に汲んだ彼女は最後にもう一度だけ謝罪してそれきり黙って俯いてしまった。
なんだかそれがとても悪いことをしたように思えて、有栖は彼女の隣に座っている圭介へと目を向ければ、その彼も悲しそうに笑子のことを見ていた。
あのあとのことは何も聞いていなかったが、今日一緒に来たこととその二人の雰囲気にピンときた有栖はパチンと両の手を打つ。
その音に二人は驚き有栖に目を向けたが、続いた言葉にさらに驚くことになった。
「なら、うんと幸せになってください」
「え?」
「守った人が幸せになって笑っていてくれれば、守った甲斐があるってもんでしょ?」
ぱちりと茶目っ気たっぷりにウィンクして見せて意味ありげに二人を交互に見やってみれば、その意味をしっかりと理解した二人は同時に顔を真っ赤に染め上げた。
初々しいその反応に満足げに頷いた有栖が促すと、おずおずとその後の二人のことを教えてくれた。
事件の後、圭介も有栖に依頼したこと、一度は彼女を怖がらせてしまったことを正直に話したうえで警察に笑子と面会を望んだらしい。
警察は探偵に依頼して勝手に個人情報を探っていたこともあり、あまりいい顔はしなかったが警察官の監視として涼が付き添い、笑子の両親も立会いのもとで面会することとなった。
彼はまず、幼少の頃のことと駅で怖がらせてしまったことを謝り、今もぬいぐるみを大事にしてくれていたことに感謝し、ついでに初恋だったことも告白してしまったようだ。
これには笑子も両親も驚いていたようだが、笑子は素直に嬉しいとその場で受け入れた。
笑子のほうも圭介が初恋で、ぬいぐるみを大事にしていたのも捨てきれないその思いの形だったのだ。
両親は当初微妙な反応をしていたらしいけれど、それから誠心誠意を見せていることでまだ恋人とまではいかないまでも段々と認められつつあるとのことだ。
収まるべきところに収まったようで何よりだった。
ことの顛末を語り、笑子はひとしきり恥ずかしがっていたのだが、不意に思い出したように短く声をあげてから有栖へと問いかけた。
「あの……実は涼く、雨宮さんから月野さんが彼の婚約者だって聞いたんですけど、それは本当ですか?」
「今まで通り涼君って呼んでいただいて大丈夫ですよ。そうですね、当人同士が決めたわけじゃなく、学生の頃に親が決めたことなので婚約者というか許嫁?ですかね?」
「まあ!本当に!?」
その有栖の答えに笑子は一気に顔を輝かせ、両手を叩いて喜んだ。
その喜びように有栖は驚き、不思議そうに首を傾げる。
「あの、それがなにか?」
「え?いえ、特にこれと言って何もないんですが、ただ単純に月野さんのような美人さんと親戚になれるのはうれしいな、と」
そんな有栖の反応に笑子はハタと自分の暴走に気が付いてまた恥ずかしそうに答え、その答えに有栖もまた恥ずかしさに頬を染めてしまう。
学生時代から容姿などを褒めそやされることは多かったが、そのどれもが下心ありきのバックボーンへの期待を込めたものだったために社交辞令と受け流していた。
けれど今の笑子の発言は彼女の純粋な好意だ。
少し話しただけでも彼女の人柄は十分にわかっていたのでそれが本心からのものだとわかってしまい余計照れ臭くなってしまった。
そんな二人のことを圭介は微笑ましそうに見守っていたのだった。
そうしてしばらく三人で談笑したあと、圭介と笑子はまだ明るいうちに帰っていった。
「笑子さんがくれた菓子折りなんだけど、私が好きなお茶屋さんのもなかだった」
「へえ、よかったね」
その夜、すっかりと寝支度を済ませてベッドへと入り有栖は今日のことをつらつらと話していた。
その横では同じようにパジャマに着替えていながらも、タブレットパソコンを開いて持ち帰った仕事を続ける涼がベッドヘッドに寄り掛かるように座っている。
退院後、有栖は一時的に実家へと戻されたのだが、やはり実家のかたっ苦しい生活に嫌気がさしてどうにか家を出ようとしていた。
けれど両親だって今回こそそうやすやすと許してくれるはずもなかった。
遅々として進まない話し合いの最中、涼のどうせ結婚するのだから今から一緒に住むのも悪くないんじゃない?という声に有栖が飛びついた形でこの同棲が始まったのだった。
若手エリートなだけあって涼はセキュリティの万全なラグジュアリーマンションに暮らしていて、両親も涼のところならと渋々了承してくれたのだ。
もちろん涼は両親と繋がっているし、こと探偵業については両親側と言ってもいい立場なので監視されていることには変わりないが、実家よりは緩く自由な生活を満喫できている。
「よかったねって、絶対涼さんが指示したでしょ」
「指示はしてないよ。相談されたからいくつか候補は上げたけど」
店にしょっちゅう顔を出していたので彼の立場はよほど暇なのかと思っていたけれどそんなことはなく。
有栖に会いに時間を作っていただけでその前後はしっかりと仕事をしていたし、昼間に店に入り浸った分残業したり今のように家に持ち帰ったりしていたようだった。
画面から目を逸らすことなくカチャカチャとキーボードの音をさせながらであっても、有栖は機嫌を損ねることはない。
涼が有栖の話を聞き漏らすことはないことがわかっているからだ。
くすくすと笑いながら見上げた先の涼は、パソコン作業の時だけにかけるブルーライト用の眼鏡をしており、そこに画面が反射している。
「涼さんってイケメンだね」
「有栖はかわいいね」
「……チッ」
「舌打ちするな」
不意打ちのような有栖の誉め言葉に涼もほんの一瞬だけキーボードを打つ手を止めたが、それでも微塵も表情を崩すことなく平然と有栖へと返してきた。
あれから涼はさまざまな顔を有栖にも見せてくれていたが、それでも照れたような顔はほとんど見たことがなく、最近の有栖のブームは涼の表情を崩すこととなっていた。
さっきのも半分は本気だったけれど、その一環でもあったため失敗してしたことに舌打ちした有栖を彼はやはり冷静に窘める。
その横顔はやっぱり一瞬たりともこちらに向くことはない。
「かっこいいね」
「……どうしたの?今日はやけに素直だね。初心な二人に充てられた?」
「ふふ、そうかも」
しばらくの沈黙の後ぽつりと漏らした言葉に、涼は今度こそ手を止めて有栖を振り返った。
その視線の先の有栖の目はもう眠いのかとろんととろけていて、眠気のせいかと涼は一人納得した。
そして眼鏡を外し端末の電源を落とし、ベッドサイドランプの光も絞ってタオルケットへもぐりこんだ。
「もういいの?」
「明日でも間に合う、と思う。たぶん」
「いけないんだー」
真面目な顔で意外と不真面目な面が多いことを、一緒に暮らすようになって知った。
警察官としてどうなのかと言った有栖に法を犯してないからセーフだと宣った悪い男だ。
でもそれをする時のだいたいが有栖に関する時だというのも知っているからあまり無茶しないでねとそのときはお願いしたのだった。
もぞもぞと寝心地いい場所を探る涼の肩口に額を押し当てる。
それをどうとったのか有栖の首の下に腕を滑り込ませるものだから、素直に腕枕されれば前髪から覗いた額に唇が落ちてきた。
「おやすみ、有栖。よい夢を」
「おやすみ、涼さん。よい夢を」
合言葉のように囁き合って、二人は夢の中へと旅立っていった。
これにて完結です。
最後までお読みくださりありがとうございました。




