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女神の箱庭  作者: 空野 氷菓
宣戦する守護者達
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狂わぬ楼閣


 そこに、地平線はありませんでした。


 世界の残滓、歪な箱庭の宮殿。

 その一角、遥か先を見通せるはずの高い高い楼閣から望む景色には、地平線がありません。


 空も大地も、やがて合わさって一つの線になる前に、途切れているのです。

 ぶつりと、ある場所で、唐突に、景色は虚無に飲まれています。


 「あまり良い眺めではないな」


 掛けられた声に、銃士は振り向きました。


 「……何の用だ?」


 「いや、少し景色を眺めに来ただけでござーるよ」


 「良い眺めではない、と言った口でか」


 ケラケラと笑う仮面の軍師に吐き捨てると、おっと、と、その笑い声は少し小さくなりました。


 「厳しいでござーるね」


 四方が開けた楼閣の中、四隅の柱の一つに寄り掛かった銃士の横へと、軍師は近寄って来ます。


 「まぁまぁ、ちょっと仲良く世間話でもしようじゃないか」


 「……何が目的だ?」


 腕組みしたまま視線を向けると、軍師は小さく首を傾げました。


 「ご機嫌を取りに来たでござーるよ」


 何を言うのかと、銃士は無言で相手を見詰めます。

 この箱庭に集められた勇者達の中で、最も行動が読めないのは、この軍師でした。なにしろ五百の怨敵を、あらゆる策と手段を持って退けた稀代の大軍師なのです。当然に、その行動は容易に推測できない上、深い意味を持っていてもおかしくありません。


 「……お前は、俺などよりも、あの冬の宮の騎士の機嫌を取るのに腐心しているかと思ったが」


 「あの人はねぇ、別に機嫌取らなくても、そもそも不機嫌になる、ってことを知らない人種だから」


 軍師は小さく息を吐きました。


 「いや、不機嫌にはなるんだろうけれど。そういうのを、自分が守るべき陣営には、絶対に見せない、向けない、って人種だ」


 「……もはや狂気だな、それは」


 「そうだね。あそこまでいくと一種の病気だと思うでござーる」


 意外にもあっさりと、同意は返りました。


 「でも、その病気こそが、誰かを守る時もある。……実際、世界すらも救ってしまったのが、我が大公や、あの騎士様なのさ」


 それは世界が存続していく上で、誰かが必ず掛からねばならない病気だったのだと、軍師は呟きます。


 「救世主症候群とでも呼ぼうか?ああ、世界が続く為の生贄なんだろうね、王様っていうのは」


 「憐れむのか」


 「ああ。憐れむよ。可哀想だと思うよ」


 軍師は頷いて、でも、と、仮面越しにくぐもった声にも、明白に愛しげな甘さを滲ませました。


 「でも、それを眩しく思う。愛おしく思う、敬意を払う」


 その在り方に、何度でも恋をする、と。


 「王という生き物、それが憐れで、悲しくあればこそ、それを支える為に付き従う者が必要だろう。ならば、それこそが俺の様な軍師って生き物だ」


 「……その自負も狂気か、あるいは病気だな」


 「自覚してるでござーる」


 ケラケラと笑い、さて、と、その声は少し真剣味を増します。


 「だからこそ、拙者、今も軍師として、この箱庭の均衡を守らねばならないでござーるが」


 だから、機嫌を取りに来たのだ、と。


 「常春の庭の坊ちゃんが、焦ってたでござーるよ。銃士のにーちゃんに、何かしちゃったかもしれない、とね」


 急に不機嫌になったそうじゃないか、と言います。


 「……放っておけ」


 銃士は視線を遥か遠く、地平線のない彼方へ向けました。

 すると、一呼吸の間を置いて。


 「女神の本心は貴公にある」


 ピシャリと。先ほどまでの軽快で柔らかな声音を、静かで得体の知れない〝軍師〟らしいものに変えて。


 「この箱庭に我々が、歴史に数あった勇者達の中でも、我々こそが集められた理由は」


 その声に、銃士は振り向かないまま眉間に皺を寄せます。


 「それが最良の組み合わせだったからだ」


 軍師はそう言い切りました。


 「〝世界〟が存在していた間は……〝時間〟という概念が存在していた間は、女神は時すら自在に行き来していたと聞く」


 軍師の声に、銃士は答えません。


 「故に貴公に出会った後に、あの女神は、貴公よりも前の時代であるはずの俺達の元にまで遡って、わざわざ俺達の魂を保存した」


 やはり、こいつは見抜いていたか、と。銃士は思いました。

 女神の歪な選定基準を、ここに招かれた勇者達が、なぜ、彼等なのかの理由を。女神の思惑を、この最高の軍師が見抜けないはずもないのです。


 「女神は、君に御執心だ。そして、その報われない愛欲の身代わりに、全て理解しても自分を受け入れ、甘えさせるだろう冬の宮の騎士と、何も知らずに心底自分を愛す常春の庭の竜退治を欲した」


 故に、と仮面の奥で嗤う気配があります。


 「調整役として、私を加えた」


 「この腐った箱庭の均衡を、お前を駆けずり回らせる事で保とうというわけか」


 「そう。まさに今のように」


 カチリと仮面を外す音。振り向かないまま景色を見ていた銃士は、その音に、ピクリと視線を動かしました。


 「……まぁ、一応は〝身内〟のはずの相手と、腹の探り合いをしても仕方がないからな」


 仮面を払った青銅の響きの声は、今度は、どこか突き放すような冷淡さと、けれどそれ故に得体の知れぬ気配を薄めた人間らしさを増して。


 「ハッキリ言うぜ、銃士隊長」


 これが、コイツの〝正体〟かと、銃士は不意を突かれました。変わり者の軽快な道化であり、忠節の大軍師であり、時と場合に合わせて顔を取り替える男は、今、一番核にある最も素の顔を晒したのだと、その声音から察します。


 「俺は、あの女神は役に立たない、むしろ勝ちにいく上では邪魔だとすら思っている」


 世界を救った天才的な大軍師としての威厳も、軽やな道化に似た振る舞いも取り払った、それは流れ者の傭兵としての、合理主義で孤高の一面でした。


 「本気で〝神様〟とやらを殺して、世界の〝終わり〟を覆す気なら」


 淡々と傭兵の声は、けれど稀代の大軍師たる時と同じ精度の見解を述べます。


 「あの常春の庭の坊ちゃんは未熟過ぎるし、君は駒として扱いが難し過ぎる」


 「……ほお」


 「あの坊ちゃんは確かに勇者だが、勇者だからこそ世界を救えてしまった手合だ。純粋な戦闘力や知恵じゃなくて、〝奇跡〟によって救済を成した、ってところか」


 銃士は、無表情にこちらを見詰める軍師と目を合わせました。

 左右で色彩の異なるその瞳は、どこか苛立っているようにも、哀れんでいるようにも見えます。


 「奇跡を起こすという特性すらも、あるいは才であるとは認めるけどな。あの子の場合、それは〝他者〟……〝世界〟があってはじめて成立するものだ」


 その評価には、銃士も異議はありません。確かに、あの少年は勇者で、そして、未熟な勇者なのでした。未熟であることが、何よりも強みである勇者なのです。


 その未熟さ故に、それでも前に進もうと足掻く時、眩い真昼の輝きは一際美しく暖かいのです。そうして、その未熟であるが故に強い光と熱こそが、老若男女を問わぬ多くの人々を奮い立たせ、奇跡を巻き起こす引き金となるのでした。


 未熟であるが故に、未熟なその瞬間が、一等、人々を魅了し、その人々の熱狂と勇気こそが、世界を変革……救済し得たのです。


 ならば、もうその輝きが奮い立たせるべき人々の殆どない箱庭で。多くの人々の小さな勇気が連鎖することで、ひとつの大きな奇跡が成される、そんな、勇者の物語に相応しい奇跡の筋書きが有り得なくなった、〝終わった世界〟で。

 未熟であるが故に勇者であった少年は、果たして、どのような役割を演じられるというのでしょう。


 「そして一方、君だ。君は、あの女神が嫌いだ」


 軍師は視線を銃士の肩越しに地平のない景色に向けました。


 「自身を憎む存在を、戦の時分にわざわざ自陣に招き入れた。……いや、むしろ君という不穏分子を自陣に入れる事を前提として、他の戦力を決定したわけだ、あの女神は」


 溜息を一つ、そして、軍師は再び仮面を被ります。


 「いやぁー、拙者、ここまで戦争ナメてる奴の下に付くの初めてでござーるね!」


 どこか自棄っぱちにも聞こえるほど軽やかに、仮面の内でくぐもった笑い声でした。


 「役に立たないだろう未熟な兵に、裏切りや不服従の可能性がある兵。負け戦したくて揃えた軍かな?て感じでござる。これで本気で勝つ気があるとは思えなーい」


 「……お前は、あの女神が勝利を望んでいないと言いたいのか?」


 ふと浮かんだ可能性。ケラケラ笑う軍師の仮面をジッと覗き込むと、ぴたりと静寂が落ちます。


 それから、やや置いて、軍師はコクリと頷きました。


 「そうだね」


 至って平坦な、軽やかなままの声音で。


 「あの女神様は、〝神〟から世界を守る、という名目で、君が欲しかっただけだ。君さえ手元にいるなら、実際のところ、世界を守り切れるか……つまり勝てるか否か、には興味なんてない。ただ、負ければ君を失うから、勝てなくても良いが負けたくはない、だろうけど」


 それを責めるでも否定するでもない声音でした。ただ事実と認識した出来事を語るような口調です。


 「だから拙者は、あの女神様には何も期待していないし、正直、雇い主としては最悪の部類だと思ってるでござーるよ」


 言葉は冷たくも聞こえましたが、しかし、声音には冷たさも怒りもありません。


 「でも、我が唯一無二の愛しい主が守り愛した〝世界〟を、もう一度この身で守る機会を与えられた事には、素直に感謝しているのでござる」


 淡々とした事実を述べる声の中、確かに穏やかな謝意がありました。


 「……かつての主への忠誠故に、こんな出来損ないの〝残滓〟でしかないものを守るか」


 銃士は視線を、再び地平の無い景色に向けます。


 「稀代の大軍師が、私情ばかりで策も無く戦争に踏み込んだ愚かな女神に、その粗末な思惑に踊らされる屈辱さえ飲み込んで。こんなケチな銃士風情の機嫌取りまでする、か。……喜劇のような悲劇だな」


 銃士は決して、この仮面の軍師を嫌ってはいませんでした。その得体の知れない言動に些かの胡散臭さと警戒心を抱いていたとしても。かつての主へ向ける忠誠と、自らの能力にかける誇り高さには敬意を払っていたのです。


 しかし、だからこそ、吐き捨てた言葉に皮肉の色が隠し切れませんでした。

 それほどまでの軍師が、それほどまでの勇者が。

 唾棄すべき醜悪な女神の下に甘んじざるを得ない事にこそ、確かに銃士は憤っていました。


 それは、常春の庭の無垢な竜退治の勇者が、いつかその無垢を裏切られ、罅割れる事に抱いた怒りと近いものです。

 それは絶望に至って魂の砕けた銃士が、もはや勇者足りえないものに変貌しようとしているからこそ。それは、勇者足りえないものに変貌してなお、その砕けた魂が、紛うことなき勇者たる輝きである銃士であるからこそ。

 故にこそ抱く、あまりに苛烈で恐ろしく、優しく誠実な、他者の為の憤りでした。


 「アリスティド、世界を救った銃士隊長」


 憤る銃士の耳に、ふと届いたのは、再びの青銅の声音。


 「貴公のその義憤に、常春の少年や、この狡猾な軍師の為の悼みに」


 いつの間にか仮面を外したらしき銃士の方を、今度は、銃士は振り向きません。

 振り向かれることを、その声音は求めていないように思いました。


 「貴公の思いに、感謝する」


 最初に仮面を外した時の、ただありのままの声ではありません。それはまさしく五百の怨敵を退けた世界統一の軍師の声音です。


 だからこそ、銃士は振り向きません。その声音は、正面からぶつかる事よりも、ただ静かに冷静に聞き受ける事を求めるものでした。


 「故に、私は貴公に告げる」


 静かに、軍師は続けます。


 「私は、己が滑稽な道化となるも構わない。どんな愚かなものの下でも、守るべきものがあれば万策を持って尽くそう」


 それが、かつての主に恥じない行いであるならば。成すべきと思い定めた事は、いかに他者から見れば滑稽であれ、成すべきなのだと、軍師は言いました。


 「しかし、守るべきものが〝誰〟であり、〝何〟であるかは、私自身が決める。〝神〟にであろうと、決めさせはしない」


 静かな言葉に、ピクリと銃士は眉を動かします。


 「……お前は」


 「この箱庭を守ろう。だが、この箱庭の中〝何〟を愛し、〝誰〟を守るかは、私が決める」


 銃士の背中を、何か雷のようなものが走り抜けました。軍師の言わんとする事が、見える気がします。


 「銃士隊長よ、私は望むものを守るためならば、〝神殺し〟も、〝弑逆〟すらも恐れはしない」


 「……お前は、あの女神を」


 「台本通りに玉座を据えよう。でも、据えた玉座を守り抜く為なら……俺は脚本家カミサマだって退ける」


 無意識に振り向いた銃士に対して、仮面を外したまま、軍師は微笑みました。

 それは素朴な、ただ己の道を往く傭兵の微笑みです。


 「あくまで、それが最善手になった場合の話、最終手段の話だ。けれど」


 クシャリと笑うその顔は、麗しく特別な二色の双眸にも、何よりも美しい青銅の声にも掻き消されぬほどに。

 有り触れた青年の、だからこそ真摯な、心底の決意の表情でした。


 「君が思うより、俺は君達のことを、好きだよ」


 銃士は返答に惑いました。

 この軍師は、やはり曲者です。得体が知れぬまま、思惑を巡らせる軍師らしい軍師でした。

 しかし同時に、この軍師はどう足掻いても忠誠の勇者なのです。愛しく慈しむべきものの為にこそ、あらゆる苦難を、強大な障害を、全霊をもち、恐れもせず、退ける魂の持ち主なのです。

 そして、銃士は今、その庇護の翼の下に、己すら含まれるのだと知ったのでした。


 「だから、ご機嫌直して欲しいでござーるよ」


 クスクスと笑い、軍師は戸惑う銃士の前で、今度こそ仮面を被ります。


 「……その絶望も怒りも、いつかの為に取って置いて欲しい。いずれ、その運命の日には、きっと」


 カチリ、と。軍師は、自身の腰に穿いた愛刀を片手で撫でました。


 「……君の牙を、最も深く〝仇敵〟の喉笛に届かせる策は、接者が用意するでござる」


 何もかもが歪で歪んだ箱庭に。

 その声だけは、決意だけは、かつて世界を救った時のまま、一欠片も狂わぬまま。

 揺れることも惑うこともなく、その男は未来を掴もうとしていました。


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