十六日目の夜・子供たちの選択
それは唐突な出来事だった。
「そんなの聞いてない」
始まりの町の領主館の片隅で、二人の子供が声を潜めていた。
「だって、ヨーメがそう言ってた」
二人のうちの一人、ヨデヴァスは勇者サンダナの一人息子である。現在はサガンが父親として養育している。
ヨーメとはヨデヴァスの母親で、元王宮近衛騎士のヨメイアのことである。
もう一人はギード夫婦の娘、ミキリアだ。
「ヨディのばか、そんなの嘘に決まってるわ」
母親であるタミリアと同じ藍色の髪をしきりに振って否定する。
領主館の敷地にある客用の別館。
そこにあるヨデヴァスとミキリアの部屋は隣同士である。
今はヨデヴァスがミキリアの部屋を訪れていた。
「じゃあ、どうやったら信じてくれるんだよ」
暗赤色の髪の少年は、ぷうと頬を膨らませた。
しばらく考えた後にミキリアは、
「フウレンに聞いてみる」
と答えた。
「えー、今からじゃ遅いし、入れてもらえないよ」
領主館とフウレンのいる館は高級住宅街ですぐ近所にある。
だが、時間が遅いため、子供だけで外出は咎められるだろう。
「大丈夫、こっちよ」
外出着に着替えたミキリアは、窓を開けると、するすると縄を下ろした。
「こんなことしてたの?」
驚いた顔の脳筋小僧は、部屋着のままだったが、慌ててミキリアと同じように縄に飛びついた。
高級住宅街は夕食が終わる時間にはほぼ人通りがなくなる。
静かな街並みを小さな足音が駆ける。
「フウレン!」
二、三軒隣の白い魔術師の館は外観も白で統一されていた。
ミキリアは見習い魔術師であり、風の魔法も多少使える。
「ミキリアよ、聞こえる?」
風魔法に乗せてフウレンの部屋の窓に声を送る。
豪華な窓の一つがそっと開いた。
「ミキ、どうしたの?」
銀色の髪を揺らし、魔術師のローブを着た少年が顔を出す。
その窓からもやはり縄が降りて来た。
「何だよー、ふたりしてこんなことしてたのかよー」
ヨデヴァスはちょっと不機嫌になった。
二人が二階のフウレンの部屋に入ると、静かに窓を閉める。
「どうしたの?、何かあったの?」
ミキリアが今にも泣きそうな顔をしている。
「ギドちゃんとタミちゃんがー」
ぐすっとしゃくりあげるミキリアの顔を、ヨデヴァスが自分の服を脱いで拭こうとする前に、フウレンが顔を拭く布を渡した。
ミキリアをそのままにしておいて、フウレンがヨデヴァスを見た。
「また泣かせたのか」
フウレンが呆れたようにヨデヴァスを責めた。
「いや、そうじゃないって」
慌てて説明を始めた。
「最近、父様が忙しくてあんまり構ってもらえないから、母様が拗ねてさ」
日頃からそんなに仲の良い夫婦というわけではない。
それでも、サガンは一応ヨメイアをちゃんと妻として扱っている。
だが、最近あらかさまに避けられていた。
ヨメイアはサガンが浮気していると思い込んだ。
「問い詰めたの?」
「うん。サガン父様の側近を」
ああ、そりゃかわいそうにとフウレンが呟いた。
サガンならへとも思わないだろうが、他の者ならばどんなに鍛えた兵士でも震えあがる。
ヨメイアはあれでも実力者なので、本気の殺気は半端ないのだ。
「それで、何がわかったの?」
ちっとも本題に入らないヨデヴァスに、おとなしいフウレンも少し苛立った。
「ギードさんたちが行方不明なんだって」
フウレンは息を飲んで黙り込んだ。
これはさすがに自分たちだけでは無理だと判断し、ユイリに連絡を取ることにする。
少し泣いたら落ち着いたらしいミキリアが、フウレンに勧められて椅子に座る。
子供部屋とはいえ、国一番の魔術師の館である。しかも一人息子なので、その扱いも半端ない。
もしかすると領主館よりも豪華かも知れない椅子に、沈むように座っている。
「でもどうやって?」
ユイリはミキリアの双子の兄で、フウレンにとっても幼馴染の良い兄貴分である。
「手紙を書きます。あー、ユイは今エルフの森でしたね。じゃあ言伝を頼もうかな」
エルフの森は始まりの町とは海を挟んでいる。
さらにエルフ族でなければ森の防衛機能に阻まれてしまうのだ。
「ミキの守護精霊はどうしてるの?」
ミキリアの父親はエルフのギードだ。
父親の眷属のひとりであるエンが分身を覚えた際に娘に貸し出してくれた。
「あ、そういえばコエン!」
空間が揺れ、エルフの子供が姿を現す。
ミキリアは気が動転して、自分の守護精霊をすっかり忘れていたようだ。
「コエン。ユイにすぐ来るように言って!」
困った顔をした精霊にフウレンは首を傾げた。
「どうしたの?、何か知ってるのかな」
分身であるコエンは本体より魔力が少ないため、必要以上の言葉を発しない。
「お教え出来ないことになっております」
ギードの忠実な眷属である彼らは、今回の件に関することは子供たちには伝えないということになっている。
「なんでだよおお」
精霊に詰め寄ろうとして姿を消され、ヨデヴァスは床に転がる。
「これは思ったより大事かも知れませんね」
フウレンは子供らしくない顔で呟いた。
「坊ちゃま、お夜食です」
扉の外から声がかかり、三人の子供たちはびくっとした。
「あ、あの」
断る前に扉が開き、まだ十代の少年が軽食の乗った盆を持って入って来た。
「声がしたのでお客様だと思いましたが、領主館のお子様方でしたか」
そう言いながら淡々と、ハムを挟んだパンが数個乗った大きな皿と飲み物が入った人数分のカップを置く。
驚いた様子がないのは時々ミキリアが来ていたからだろう。
「ありがとう。あのお願いがあるんだけど」
彼はフウレンの父親であるハクレイの弟子のひとりだ。
ハクレイが現在長期で不在なので、彼がフウレンの面倒を見ている。
「何でしょう?」
黒に近い濃い茶色の髪をした人族のこの少年は、この町の闘技場の建設現場で働いていたところをハクレイに拾われた。
「父上が今どこにいるか、知ってる?」
「詳しくは存じませんが、『首都』という話は聞きました」
『首都』の町は『王国』の遥か北にある。
「わかった、ありがとう」
少年が部屋から出て行くと、ヨデヴァスがさっそくパンに齧り付く。
「フウレン、どうしてあんなことを聞いたの?」
飲み物のカップを取ったフウレンは、ふっと笑った。
「きっと父上とサガンさんは一緒にいる。そこへ行けば何かわかると思うよ」
「え、行く気なの?」
驚くミキリアの横でヨデヴァスが咽て咳き込んだ。
「僕らが無茶をすれば、それを止めるためにユイは来るよ」
悪ガキたちは準備を始めるのだった。




