十一日目の午前・海釣り
ハートはまんじりともしない朝を迎えた。
(ほんとにこれでいいの?」
ギードとタミリアには隠し事はしたくないと思い切って打ち明けたことは、まるで何でもないことのように流された。
朝食のパンケーキの匂いがする。
はっと寝坊に気が付き、起き上がり急いで着替える。
「おはようございます」「おはよー」
いつも通りの朝が始まった。
ちらっちらっと二人の様子を見る。
まるで昨夜のことはなかったかのように、ごく普通に時間は過ぎる。
「あのー」
「昨夜のことなら、そのまんまだよ」
ハートが言い出そうとすると、すぐにギードから返答が来た。
「うん。ハートさんが外見とは違う中身を持ってることは知ってたし」
タミリアも特に問題だとは思っていなかった。
「ていうか、それをハートさんが隠してるとは思えなかったしね」
ギードとタミリアは顔を見合わせて笑った。
ハートがお茶のカップを持ったまま呆然としていると、
「大丈夫?」
ギードが彼の目の前で手をひらひらと振った。
「あの、本当にいいんですか?。き、気持ち悪いとかー」
「ハートさん、あのね」
ギードが軽くため息を吐いた。
「こんな小さな港町なら珍しいだろうけど、王都じゃとにかく色んな人がいるからね」
それこそ探せば異世界人もいるかも知れないよと笑う。
「はあ」
タミリアだって記憶がなくても王都生まれの王都育ちだ。
両親が客商売だったせいもあり、変わった者は見慣れていた。
「もしかしてそんなこと気にしてたの?」
今度はタミリアが呆れたという顔をした。
「でも私、この町に来てからずっと自分の身体に違和感があって」
もしかしたら違う誰かの身体に入ってしまったとか、記憶喪失になったせいで前世で女性だった記憶が出たのではないかとか思っていた。
「その考えは面白いな」
ギードは真剣に聞きながらお茶を入れ替えてくれた。
「ほんと、それ劇場でお芝居で見てみたいわ」
タミリアの実家は王都の中心にある劇場に近い。
「げ、劇ですか。それは私も観たいです」
ハートはタミリアと観劇の話を始めた。
「それより、今日は剣術の稽古はいいの?」
ゆっくりしている二人にギードが訊ねると、
「この間、稽古に知らない奴らが無理矢理入って来たのよ」
タミリアがうんざりという顔をした。
「はい。タミリアさんが女性だからって馬鹿にして。結局ボロボロにしちゃいましたけど」
「なるほどね」
それでしばらくは稽古は見合わせることになったそうだ。
「ギドちゃんは今日はどうするの?」
「そうだなー。この間は海獣釣りになっちゃったから、魚を釣りたいなあ」
漁師の灰色熊の獣人のところに行こうかと思っている。
「おじいさんのところですね。ご一緒してもいいですか?」
「私もー」
そういうわけで、三人で海釣りに出かけることになった。
三人で海に向かい、途中でグリオの小屋へ寄って誘い、一緒に竿を担いで歩く。
「今日は魚でいいんですかい、旦那」
「いやあ、あの日だって魚を釣るつもりだったんだけどねえ」
にやにやと笑うグリオとそんな会話をしながらギードが歩いている。
その前をタミリアが走ったり止まったりしながら磯を渡る。
ハートは、
「そっちは危ないですよ」
と、タミリアを追いかけていた。
ギードたちが釣る場所を決めて竿を投げる。
海は輝き、波は囁く。のんびりとした時間が過ぎていった。
「旦那、ありゃあ本当に奥さんで?」
岩場で釣り竿を並べていると、グリオが磯ではしゃいでいるタミリアを見て言った。
「ふふ、かわいいでしょ」
糸の先から目を離さずにギードが答える。
ギードの答えに首を傾げながらグリオは考える。
確かにあの人族の女性は剣を肌身離さず、腕も立つ。
「商人の旦那の護衛にはうってつけでしょうが」
身体つきも言動も、おおよそ女性らしくない。ハートも家事をしているのを見たことはないと言っていた。
「グリオさんは亡くなった奥さんを好きでしたか?」
「は、まあ」
大きな灰色熊の獣人は少し照れたのか、顔をぽりぽりと掻いた。
ギードは釣竿を一度引き寄せて、餌を確認した後、もう一度投げ込んだ。
今日は岩場から入り江の内側に向かって糸を垂らしている。
緩やかな波の底に黒い小さな影が泳いでいるのが見えた。
「自分はタミリアに恩がありまして」
ギードはぼそりとしゃべり始めた。
エルフの森で誰にも相手にされなかったギードを、彼女は気にかけてくれた。
そんな彼女に自分なりに恩返しのつもりで家事や身の回りの世話を始めた。
「こんな自分でも誰かの役に立つんだと教えてくれたんです」
顔を上げ、磯を覗き込んで遊んでいるタミリアを目を細めて見ている。
タミリアが喜ぶ顔。それがギードの生き甲斐になっていった。
この町の住人に自分のことを話したのは初めてだった。
ギードはグリオを見ると何故か安心する。
(どこかで見た顔なんだよなあ)
商国の元になった獣人の村で、村長の付き添いをしていた熊獣人に似ていると気づいた。
聖域の森で村長の息子と共に修行をしている熊獣人の若者フュヤンの父親だ。
彼は今では商国内での年老いた獣人たちを集めた施設で世話係りとして働いている。
「自分の知り合いで少し濃い灰色の熊獣人がいましてね」
グリオに似ているという話をすると、目の色が変わった。
「名は?。名前は何と言った!」
「すみません。そこまでは覚えていなくて」
いつもさりげなく気を遣ってくれる彼は、決して前に出ることのない珍しい獣人だった。
名前を聞いても名乗らないほどおとなしかった。
グリオはギードに掴みかかっていた手を緩め、謝罪する。
「すまん、わしも気が動転してしもうた」
そう言って、海で姿を消した息子の話をしてくれた。
ある日、町の年若い者が大勢で船を出して海に出る事件があった。
「絶対に海を渡って他の町へ行くんだ」
好奇心と冒険心。彼らの中にはハクローの兄もいた。
大人たちには内緒で若者たちは船を造り、人を集め、そして決行した。
「突然、激しい嵐になって、わしらも驚いた」
船の残骸と共に流れ着いた遺体の中には息子の姿は無かった。
その後、グリオの妻は心労から病気になり亡くなったそうだ。
「一人息子だったもんでな」
「そうでしたか」
生きていればもう孫もいる歳だろう。
二人は竿のことを忘れて海を眺める。
ギードの心の中に、再び真っ黒な闇が渦巻いていた。




