エピローグ 『獅子倉電気商店へようこそ』
エピローグ 『獅子倉電気商店へようこそ』
「――どうしてこんな大学から遠いところに住まないといけないの……」
九条なりあは小さく呟いた。
彼女は今年の春から大学に通うため、こうして田舎から出てきたのだ。
故郷は瀬戸内海に浮かぶ小さな島で、人口だって200人程度しかいない。基本的には地元で生まれ、高校を卒業しても瀬戸内海近辺でそのまま働く。
「もう……恵美瑠さん、人の気も知らないで」
色々あって、推薦で金甲大学へ通うことになった。
金甲大学はそれなりに偏差値の高く、更には学費免除の特待生。そんな快挙?に近隣島々も総出で「出世してこい」「有名人になったらサイン頂戴ね」「TV出たら故郷自慢をするのよ」と無責任な感じの盛大なお見送りを受けて、彼女はこの都会に一人やってきた。
従姉の恵美瑠さんが「私に全て任せて!」と自信満々に、住む部屋なども全部決めてくれたのだが……彼女が今いる大塚山町は微妙に遠い。どうせなら大学の傍に住みたかったのだが「なりあちゃん、電車って乗ったことないでしょ!? それにほら、近くにこーんなに大きいショッピングモールがあるんだよきちんといったら写真撮っても勿論お土産もあとねそれからねえーと色々ありすぎて困っちゃう!」と、異様なテンションで押し切られてしまった。
午後に引っ越しの荷物が届くので、それまでの時間潰しになりあはこれから自分が住むことになる町の商店街を歩いていた。
「おいおい、ヨッシー、約束が違うだろうが! 鍋用の野菜まけてやる代わりにバーバリアンバルディッシュ作ってくれるって言ったじゃねーか!」
「おいおいゲンさん、勝手言うなよ。製作してやるけど素材は用意してくれって言ったじゃないか。たかが数百円値引いてくれたくらいでさー、それはないよ」
話し声がする度に、ビクッとする。
故郷との違いは、町の人の声が無駄に大きいということ。訳もなく自分が怒られているんじゃないかと勘違いしてしまうくらいに。島の中でも内気な性格だったなりあからすると、もう怖くて怖くて、まだ学校が始まってもないのに故郷へ帰りたくて仕方ない。
「だからさぁ、キッカ。押すだけじゃ駄目だよ。引いてみせるのも営業トークの一つだ」
「……私には難しいわ。穴山、だってそのまま帰らされたら、その商談は破談じゃない」
仕事の話をしている二人のスーツの男女とすれ違う。二人は普通に話しているつもりなのだろうけれど、なりあにはまるで喧嘩しているようにしか聞こえない。
「やっぱり私には都会なんて無理だよぉ……」
なりあは涙目になっていた。
うまくやっていける自信なんてない。
こんな大声で話しかけられたら、きっと泣いてしまう。
引っ込み思案のなりあにとっては、推薦される切っ掛けとなったコンクールの一人で舞台に立った時より難易度が高い。
「あっ、そうだ。部屋にずっといればいいんだ」
なりあはふと思いついた。大学に行く以外は部屋でずっとテレビを見ていよう、と。
完全な引き篭もり思考だが、自分で勝手に追い詰められていたなりあには、それはそれは名案だと思えた。チャンネル数も地元とは全然違うと聞いたことがある。
「テレビ……テレビを買おう!」
実家にあったTVは祖父が離さなかったため、引越しの荷物には入っていない。
「よし……私は、テレビを買うんだ」
最初にして最後の関門だ。テレビを買うときに、店員と話す必要があるけれど、それさえ乗り切れば、快適なTVライフが待っている。
「見守っていてね、恵美瑠さん! 私、頑張るから!」
なりあは拳を握り締めて商店街を歩く。あまりに力み過ぎて、周囲の人が変な目で見ているのにも彼女は気付いてなかった。まるで、死地へと赴く兵士のように決意と悲壮感をあわせもった背中は、若い少女が中々に出せるものではない。
そして彼女は、その電器屋の前に立った。
恐る恐る覗き込むと、そこには店員にしては若すぎる男女が二人、テーブルに座ってデジタルカメラのカタログを開いていた。
「なあすずめ君、光学ズームとデジタルズームって、どう違うんだ? このEX‐S3にはデジタルズームしかついてないみたいなんだが」
「……ナコさん、難しい質問をしますね。簡単には説明できないんですが、そうですね……例えるとしたら」
どうやら青年がデジタルカメラを購入しようとしており、少女が説明しているようだ。
「あの……!」
一世一代の勝負。
最初が肝心だ、しっかりと声を出す。
内気ななりあではあるが、声は非常によく通る。決して大きな声ではないのだが、不思議な力があるのだ。どれだけ騒がしい場所にいても、聞き逃すことはないだろう。
彼女が一人で演じる舞台を見た金甲大学の講師が、その場でなりあをスカウトをしたのは偶然ではない。
二人はいきなり声をあげたなりあに驚きながらも、
「すずめ君、お客様だぞ」
開いてるすらも怪しい細目の青年がカタログを閉じる。
「もう、せっかく楽しくなってくるところだったのに」
肌が白く、長い黒髪の少女は不満そうに言いながら、椅子から立ち上がった。
「なにかお探しですか?」
丁寧な口調なはずなのに、どこか突き放すような口調。「慇懃無礼っていうのはこういうことを差すんだったけ、あれ違ったかな」となりあはいきなり挫けそうになった。
だが、負けてはいけないと拳を握り締める。
「テレビが……私は、テレビが欲しいんです!」
「はぁ……ちょっと待ってくださいね。カタログ持ってくるので」
決闘を申し込むようなあまりの剣幕に、少女は少し気後れしているようだった。
「とりあえず、落ち着いたらどうだ」
青年が、椅子を薦めてくれる。
「あ、はい」
なりあは頷いてちょこんと座る。
勢いできてしまったが、テレビっていくらくらいなんだろうと思っていると、
「おい、すずめや! おるか!」
突然、凄い険相をしたお婆さんが駆け込んできた。
「豆腐屋のマツ婆さん。どうしたんだ?」
「おお、ナコフォックス! 大変なんじゃよ、家の近くのアパートが燃えておってな……」
「火事か」
お婆さんが慌てているのにも関わらず、青年は何の感情も浮かべずそれだけ言った。
「アレはもう駄目じゃ、だから、すずめよ……!」
どうして電器屋に駆け込んできたのだろう? 消火器でも売っているのだろうか。
「無線の電波を貸してくれんか!? 電線がやられて回線が落ちたようなんじゃ、このままでは、ワシのブログが……今、目を離したら……炎上どころでは済まんぞ!」
どうやら燃えている家のことよりも、ブログが炎上するかどうかの方が重要らしい。
「なるほど。わかりました。ではルーターのWPS押すんで、そっちで拾ってください。マツさんのところならギリギリ届くでしょう。無理ならゲンさんの家を経由してください」
「おお、恩に着る! 今度、ナコフォックスに豆腐持って来てやるからな」
「だそうです。ナコさん、私は麻婆豆腐が食べたいです」
平然とそんな会話をしている二人を、ナコさんと呼ばれた青年は呆れたように見ていた。
「構わんが……。で、マツ婆さん。どこが燃えたんだって?」
お婆さんは頷き、あまり興味がなさそうに
「エンジェロハイ荘じゃよ。ほれ、ワシの豆腐屋の隣にあるボロいアパート。まあ幸いにも今は誰も中におらんらしい。消化も始まっているし、周囲に燃え移ることはなかろう」
「ならいいが。しかしあの腐ったようなアパート、そんな大層な名前だったんだな」
青年は「ふうん」と頷いていたが、
「え!?」
お婆さんの言葉に、なりあは立ち上がって叫んでいた。
「本当に、エンジェルハイ荘が燃えているんですか!?」
「う……うむ。そうじゃが、どうしたんじゃ?」
「そんな……」
なりあは、崩れ落ちた。
みんなが顔を見合す。
「私……そこに住むことになっていたのに……」
目の前が真っ暗になった。不幸中の幸いなのは、荷持ちを入れてなかったことだろう。
でも、だからといって、住む家がなくなったのには代わりない。
「もうやだぁ……みんな人はなんか怖そうだし、家は燃えちゃうし、やっぱり島に帰るぅ……そうだよ、私にはやっぱり都会なんて無理だったんだよぉ。せっかく春から大学行けると思ったのに……」
張り詰めていた糸が切れて、なりあはめそめそ泣き出した。
しばらく、事情がわからない商店街のメンバーは彼女を見ていたが、
「すずめ君」
青年がくいくいっと、壁……いやその向こうを指差す。
「え?」
少女は驚いたような顔をしていたが、青年は冗談を言っているような顔ではない。
「……ナコさんがそう言うなら、構いませんよ」
しばらく躊躇していたが、彼女は頷いて諦めたようにため息をついた。
「なあ、君」
青年が床に座り込んで泣いているなりあと視線を合わせる。
「……なに?」
「ちょうど隣に、安くて広い物件があるんだが。特徴はとても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい電器屋の娘さんが、事あるごとに変なモノを売りつけてくることだ」
「……ナコさん、怒りますよ?」
青年は聞こえない振りをして、泣くなりあの頭を優しく撫でた。
「どうだ? 住む家ならある。だから、まだ帰るのはちょっと待ってみないか?」
「え……」
「どこから来たのか知らない。けど、君も住めばきっと、この町が気に入るはずだ」
ぶっきらぼうそうな表情をしてるのに、声はとても穏やかで優しかった。
「……いいんですか?」
「家賃は勿論払ってもらいますよ。その物件の詳細は後で相談しましょう」
拗ねたような少女の言葉。
私はしばらく呆然としていたが、
「ありがとう!」
突然の好意に嬉しくなって、青年に抱きついた。
青年はバランスを崩して、押し倒される。
「おっ、おい!」
「うぅ……都会の人ってなんか怖いと思ってたけど、こんな優しい人がいたなんて、私、凄く嬉しくて。だから、もう少しだけ、頑張ってみる……」
悲しい涙から、嬉しい涙になっていた。
感動に浸っていたなりあだが、
「あなた、何してるのかな?」
突然、物凄い力で首元を引っ張り上げられて、叩きつけられるように椅子に座らされた。
「きゃっ!」
堅い椅子に、なりあは悲鳴をあげる。
思わず自分の首を掴んでいる相手を見上げると、
「あなた誰? 兄さんの何? あんまり楽しくない関係だと、許せないかもしれないよ」
そこにはヤマンバとしか言い表せない表情を浮かべた少女がなりあを見下ろしていた。
押し倒された状態で床に寝転がる青年はため息をつく。
「琴……もう少し、丁寧に扱ってやれ」
「兄さんは黙ってて。後で家族会議するからね」
「ナコフォックスはモテモテじゃのう」
突然始まった修羅場になりあがオドオドしていると、
「さて」
電器屋の少女が場を落ち着かせるように、声を出す。
「テレビを買いに来たんでしょう? 火事が落ち着くまで時間はかかるでしょうから、せっかくですしテレビのご案内させて頂きますよ」
両手を広げて言葉を続けていく。
「お客様が本当に必要なモノをご提供させて頂きますのが、当店のポリシー。店長である私こと、獅子倉すずめがあなたにピッタリな家電を丁寧にご紹介させてもらいます」
そして彼女は告げた。
「――獅子倉電気商店へようこそ」