頁よん
頁よん
ゴールデンウィークも終わり、春先から、季節は梅雨に突入しようとしている。通学路の桜も散り、夏までの僅かな間、ささやかな合間の春でもなく、夏とも言えない時期。
梅雨と銘打つ季節といっても、ここ最近の異常気象のせいか、雨の気配を感じることもなく、一日一日が経過していた。
青い空から、柔らかな日差しの降り注ぐ昼下がり、緑の香が満ちる中庭に設えられたベンチに腰掛けて、一人の少女が絵筆をはしらせている。
絵に集中しているのは、文芸部の1年生の鴛弥生。その表情は、真剣そのもので、普段は気弱である少女の隠れた部分が、風景画を描くときに顔を出すかのようであった。
「ウメジさん、チャコちゃん、こっちですよー」
「――――ぁ」
そんな風に、絵を描くことに集中していた弥生だったが、中庭に新たな人の気配を感じ、絵筆の動きを止めた。
昼食後の自由時間を中庭で過ごすつもりなのか、男女のグループが中庭に姿を見せ、弥生の視線の先にあるベンチに腰を下ろし、歓談を始めた。
先ほどまでとて、中庭に人がいなかったわけではない。昼休みの中庭には、昼食をとる目的や、緩慢な時間を過ごす生徒も数多くいた。
ただ、視線の目の前に複数の生徒が増えたことで、集中が途切れることになったのか、弥生の手に持った筆が、再び活発に動くことはなかった。
しばらくして……ひとつ、小さく息をつくと、弥生はスケッチブックをたたみ、絵画の道具一式を片付けはじめる。
中庭は、彼女の所有物ではなく、公共の場で、こういう状況になることは、これまでも度々あった。
人見知りの激しい少女、鴛弥生。どこか居心地悪そうに、スケッチブックを抱え、中庭から歩き去る彼女に注目するものは、この場には居なかったのであった。
「その、これで宜しぃんでしょうか?」
「ああ、上出来だ。すまないな……冊子としての体裁を整えるためにも、表紙の部分は、出来るだけ早く用意しておきたかったからな」
放課後の部室、弥生の差し出した、スケッチブックに描かれた絵――――青空に向かって伸びる一本の木の絵を見て、千恵は満足そうに頷くと、スケッチブックを閉じた。
生活感のにじみ出る部室には、今日も多くの部員が集って、来るべき季刊誌の創刊に向けて、それぞれ作業を進めている。
ちなみに、部員の中でも鈴原と山幸は、資料集めの為に図書館にいっており、桂子も、掛け持ちの運動部に参加しており、部室には居なかった。
現在、部室に居るのは、ひな、音梨、千恵、鈴太の2年生と、麗、大木、そして弥生の1年生である。
「画像を取り込むためのスキャナは、私の家にあるからな。今日一日はスケッチブックを預からせてもらうことになるが、大丈夫か?」
「はぃ、わかりました」
千恵の言葉に、特に不満はないという風に、弥生はこくりと首を縦に振る。その様子を、珍しくもパソコンから離れて聞いていた麗が、意外そうな顔で見つめていた。
ちなみに、パソコンから離れていたのは、何のことはない、疲れたから、ひなの出すお茶菓子とお茶で一服しようとしたからである。
今日のお菓子は手製のクッキーであり、それが部室の中央にある木製のテーブルの上に置かれた大皿の上に、山盛りに置かれていた。
麗は片手に湯のみ、片手にクッキーというスタンスで寛いでいる……さすがに、電子機器の近くに飲み物を持っていかないようにという分別があるのか、
はたまた、お菓子の汚れでキーボードが汚れるのを危惧しているのか、飲み食いをするときだけは、麗はパソコンから身を離しているのであった。
「おっしー、大丈夫なのですか? おっしーとスケッチブックは一心同体で、身を離すと、禁断症状が出るという話では」
「………そうなのか?」
真面目くさった表情でいう麗の言葉に、少し驚いたという風に、千恵は弥生を見る。他の皆も、弥生に視線を向けた。
弥生は皆から注目されているのに気づいたのか、少し恥ずかしがった様子で、身を守るように、顔を手で覆おうとした。
普段は、スケッチブックで簡単に隠せているので、うまく顔を隠せていないようであったが。
「その、だ、だぃじょぅぶです……ぃちにちくらぃなら――――それに、描ける物は、ほかにもぁりますから」
消え入るような声で言うと、弥生は身をかがめ、足元に合った鞄から、一枚のノートを取り出して、ほら、と顔の前で掲げた。
ノートを見せるというよりは、それで顔を隠すという目的だったのだろうか、あからさまに、ホッと落ち着いた様子の弥生を見て、んー、と呆れたような顔をする麗。
「冗談のつもりで言ったのですが、なんだか、症状的には似たようなもののようですね」
「そ、そうか……なら、いいんだか」
絵描きマニア? 絵描きジャンキーとでもいうべきなのか……そんなことを考えたのか、千恵も少々引き気味に、弥生の言葉に首肯していたりする。
「それじゃぁ、わたし、描きたいものがありますから、しつれぃしますね」
「ああ……」
スケッチブックを千恵に渡した弥生は、千恵にペコリと一礼をした後で、ノートと筆記用具を手に、部室の出口に足を向けようとした。
そうして、踵を返そうとしたとき、椅子に座って原稿用紙に目線を落としていた、鈴太のほうに視線を向けたのである。
弥生の視線を感じたのか、何の気なしに、顔を上げた鈴太と、弥生の視線が絡み合った、といっても、一秒にも満たない合間だったのだが。
鈴太と視線が合ったとたん、弥生は恥ずかしそうな顔で、顔を伏せるように下げながら、小さく声を上げたからであった。
「その、ぃってきます……」
「ん、ああ……いってらっしゃい、鴛さん」
「おっしー、ですよ。ユーレイ先輩」
「って、まだその呼び名を使っているのか、麗。俺はともかく、同級生をあまり変な名前で呼ぶのは――――って、あれ? 鴛さんは?」
横合いから声をかけてきた、麗に僅かの間だけ視線を向けた鈴太だったが、目線を戻すと、いつの間にか弥生の姿はそこにはなかった。
怪訝そうな表情をする鈴太に、離れた席で茶をすすっていた音梨が、ぶっきらぼうな口調で声をかけた。
「さっさと、部室から出て行ったぞ。お前が、そっちを構っている間にな」
「そうなのか……」
変に、気分を害してなきゃいいけど。と、弥生のことを気にかけた様子で、浅く座っていた椅子に、何とはなしに腰掛けなおす鈴太。
そんな彼とは別の意味で、弥生のことを気にかけているものが、もう一人居た。弥生から受け取った、スケッチブックをめくりながら、千恵が考え込むように口を開いたのである。
「それにしても、鴛は、何で美術部に入らなかったんだろうな? 鹿島のように、部活を掛け持ちにしても一向に構わないと思うんだが」
「ああ、それは俺も思ったよ。というか、最初に鴛さんを見たときは、美術部の女の子が、絵を描いているものだと思ったわけだし」
千恵に呟きに、新入生の最初の勧誘活動の時期、中庭で、熱心な様子で絵を描いていた弥生のことを思い出し、鈴太が相槌を打つ。
そうか、と何とはなしに返事をしたあとで、ん? と僅かに怪訝そうな顔を見せる千恵。
(確か、鴛は………麗が連れてきたはずだよな)
それ以前に、どこかで面識でもあったのだろうか? そんな風に考えていると、鈴太と千恵のやりとりを聞いていた、ひなが、やんわりとした口調で言葉を挟んできた。
「きっと、本人には、文芸部に入りたいと思った、文芸部じゃないといけない理由があるのよ。それが、自分の好きなこととは、別の理由って事もあるんじゃないかしら」
「そういうものか?」
ひなの言葉を聞き、音梨がいまひとつ、よくわからないといった顔で首をかしげる。
そんな音梨に、ひなは、過ぎ去りつつある、春という季節の暖かい陽光のような笑顔を見せながら、幸せそうに微笑んだのだった。
「そういうものじゃないかな? 私が文芸部にいるのも、ちえちゃんや鷹くん、それに、みんながいる、この場所が好きだからなんだし」
「…………そういうものか」
「なに、照れているんだ、馬鹿ひろ?」
先ほどとは別のニュアンスで、鸚鵡返しに、呟いた音梨の言葉を聞き、茶化すように、からかいの言葉を音梨に投げかける千恵。
彼女のその言葉に反応したのは、部室の片隅で、小説本を読んでいた大木であった。
彼女は、本を読みながらも、しっかりと聞き耳を立てていたのか、顔を上げつつ、音梨に目を向けると、ポツリと息を吐くように、言葉を撃ちだした。
「……て、れ、や、さん?」
「――――大木、ちょっとこい、頭をなでてやるから、力いっぱい、全力で」
「…………それは、撫でるというより、かきむしるの間違いじゃ」
さすがに、身の危険を感じたのか、素直に音梨に近づくこともなく、大木は椅子に座ったままで、人間を目の当たりにして警戒する野良猫のように、顔だけを音梨に向けて、
じっと身じろぎをせず、彼に視線を投げかけたのであった。音梨が何かリアクションをしたら、一目散に逃げ出しそうな様子である。
また、音梨のほうはというと、自分から進んで下級生の、それも女子を追い掛け回すのは面子が立たないとでも思っているのか、相手が近づくのを待っている様子である。
そんな、両者の合間に漂う、奇妙な緊張感を傍で見ていた千恵はというと、やれやれ、といった顔で、スケッチブックを捲る作業を再開した。
そうして、何枚かのページを捲ったときである。機械的に紙をめくっていた、彼女の手が止まり、指先がかすかに震えた。
「…………」
声を出さなかったのか、出そうになった声を押しとどめたのか、千恵は、僅かに唇を動かしたあとで、そのページを注視する。
スケッチブックのページ、そのページには、校門前の風景が描かれていた。新入生勧誘の時期の風景なのか、人通りの多い校門。
そんな校門の前で、ビラを配っているある男子生徒の様子が、力のこめた鉛筆画で、描かれていたのだ。
他の生徒が、どこか空虚な筆体であるのとは対照的に、中心となった男子生徒の輪郭だけは、何かの思いがこもっているのか、力強い筆調で描かれていたのである。
どことなく、その男子生徒に見覚えがあるような気がして、千恵は顔を上げる。その目の前では、幸せそうな顔でクッキーを頬張る麗に、鈴太が質問をしているところだった。
「麗は、知っているのか? 鴛さんを勧誘してきたのは麗なんだし、文芸部に入りたいっていう理由も、聞いたことがあるんじゃ」
「そうですね、知っているというか、察してはいます。が、教える気はありません」
クッキーを齧りながら、麗は鈴太の質問に、そんな風にそっけなく応じる。取り付くしまの無いといった様子に、鈴太は眉をひそめた。
「教える気はないって、何でだよ」
「乙女の秘密だからです。乙女の秘密を詮索すると、馬鹿に蹴られて死にますよ」
「それって、人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んじまえっていう、昔の言葉のオマージュか? 相変わらず、文法表現が独特だな、麗は」
そういわれては、無理に問い詰める気にもならないのか、両手を後頭部に回しながら、座っていた椅子の上で、背中をそらすようにする鈴太。
そのやりとりを聞いていた千恵は、傍にいた、ひなに視線だけを向ける。千恵が見つめていることに気づいた、ひなは笑顔を浮かべる。
「ね、そうだったでしょ?」と言いいたげな笑顔のひな。何となく、何かを見透かされた気分になった千恵は、ぶっきらぼうな顔でスケッチプックをパタンと閉じた。
「ひな、お茶のおかわり」
「はーい」
不機嫌とは少し違う様子での、ぶっきらぼうな千恵の言葉に、ひなはというと、くすくすと笑いながら、お茶の用意をするのであった。
夏もまだまだ先という時期、放課後にもなると、校内には夕暮れの光が届き、様々な情景を茜色に染め上げていく。
グラウンドでは、陸上部の面々が、その日の練習の最後の仕上げとばかりに、自分の行う種目での汗を流している。
その光景を、少し離れた場所で、ノートに描き写している少女の姿があった。シャープペンシルを片手に、さらさらと目の前の光景を無心で描いている少女。
集中しているその様子は、背後に誰かが立っても、気が付きはしないだろう。そう、ちょうど今のように。
「頑張ってるみたいだね、鴛さん」
「ひゃっ………ゅーれぃ先輩? どうしてここに?」
声をかけられたことに驚いた弥生は、恐る恐る振り向いた後で、話しかけてきた相手が鈴太だと知り、もう一度、驚いたような表情になった。
ここに来たのは、何となく足が向いたからで、知り合いが声をかけてくることはないと思っていたし、まさか、鈴太が現れるとは思ってなかったからである。
そんな彼女の心情は、鈴太には届かなかったようで、彼はいつも通りの様子で、両手に持ったジュースの片方を、軽く掲げて笑顔を見せた。
「もうしばらくしたら、下校時刻になるからね。なんとなく、鴛さんを探しに行こうと思ったんだ。そうしたら、運よく見つかったからね。はい、差し入れ」
「ぁ、ぁりがとぅございます」
消え入るような声で、そっとお礼を言うと、弥生は鈴太の差し出してきた紅茶の缶を受け取って、プルタブを開けた。
彼女の横に腰を下ろすと、鈴太は彼女のひざの上に視線を向ける。そこには、彼女の描き止めた夕暮れのグラウンドの光景が紙面に描かれていたのである。
「どんな絵を描いてたんだい? ちょっと、見せてもらえるかな」
「ぁ、ぇ、す、少し、待ってもらぇますか」
鈴太の言葉に、紅茶を飲もうとしていた弥生は慌てた様子で、紅茶の缶を傍らのコンクリートの地面に置くと、ひざの上のノートを手にとって、パラパラとめくりだした。
十数秒で、一通りのページを確認し終えたのか、ホッとした様子でひとつ息をつくと、弥生はオズオズといった様子で、ノートを鈴太のほうに差し出してきた。
「ど、どぅぞ」
「ああ、ありがとう」
なにか、見せたらまずい絵でもあったのかな? そんなことを考えながら、鈴太は受け取ったノートを見つめてみる。
鉛筆で描かれた、夕暮れのグラウンドと、そこを走り回る生徒達。素人目である鈴太からみても、どことなく見入ってしまう魅力めいたものが、その絵には宿っていた。
感心したように息を吐くと、鈴太は隣に座る弥生を見る。弥生はというと、固唾を呑んで鈴太の言葉を待っている。
ガチガチに緊張しきった様子で、せっかく開けた紅茶も飲む余裕はなさそうであった。そんな彼女を安心させるように、鈴太は笑顔を浮かべて、思ったことを口にした。
「いいんじゃないかな、凄く、きれいに描けていると思うよ」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、嘘なんてついても仕方ないだろ。しかし、本当に上手だよな……何か、絵を描くコツでもあるの?」
「――――……」
鈴太の疑問に、返答はない。弥生は、何か思うことがあるのか、表情を曇らせると、うつむいてしまったのだった。
彼女の耳朶には、聞こえるはずのない、濁声での罵倒の言葉が、まるで身体のうちから湧き出るように聞こえてきて――――
「――――鴛さん?」
「っ!?」
鈴太に声をかけられ、弥生はハッとした表情で顔を上げる。
まるで白昼夢を見ていたように、その意味ざわりな罵倒の声は、鈴太の声に気づいたとたん、雲散霧消していたのだった。
気を落ち着かせるかのように、弥生は数回、息を吸ったり吐いたりを繰り返した。それで、どうにか落ち着くことは出来たようである。
そんな一連の弥生の仕草を見て、鈴太は心配そうな表情で、弥生の顔を覗き込んだ。そんな鈴太の行動に、弥生の顔から汗が噴出した。
「大丈夫、鴛さん? なんだか、凄い汗だけど」
「だ、大丈夫です……」
鈴太が顔を近づけようとした分だけ、弥生は心持ち、身を離そうとする。
彼女の顔を伝う汗の半分は、脂汗なのだが、もう半分は、鈴太が顔を近づけたせいだということに気が付いていないようであった。
そんな彼女の様子に、どうしたんだろう、と、近づけていた顔を離し、心配そうな顔をする鈴太。そんな彼の前で、弥生はもう一度、彼女にしては大きく息をついたのだった。
そんな風に、傍から見れば、じゃれあってるとも取れるやりとりを、二人がしているときである。
グラウンドの隅の石段に腰掛けている二人のもとに、一人の女生徒が駆け寄ってきたのであった。体操服を身にまとい、ふわふわの髪を走りやすいようにまとめた少女。
「見たことがあると思ったら、勇先輩と……鴛さん? こんなところで、何をしてるんですか?」
「ん、ああ………鹿島さんか」
声をかけてきたのは、今日も陸上部の練習に参加していた、桂子だった。練習も一段落したのか、彼女の背後では、他の生徒も走るのを止めて休憩しているのが見える。
並んで座っている、鈴太と弥生を交互に見て、小首を傾げる桂子。何となく、彼女の視線が気になるのか俯く弥生。鈴太はというと、桂子を見ながら返答をする。
「鴛さんが、絵を描いているのを見にきたんだよ。今日はたまたま、この場所だったんだ」
「ああ、なるほど……」
鈴太の言葉に、納得したように頷く桂子。走り終えたばかりで、汗にぬれた彼女の様子を見て、鈴太は手に持った未開封の缶を彼女に差し出した。
「随分と、今日も頑張ってるみたいだね…………飲む?」
「あ、はいっ、ありがとうございます。勇先輩」
鈴太の差し出した缶を受け取って、嬉しそうに微笑む桂子。そうして、缶の蓋を開けると、中身の緑茶を一気飲みする。
その光景を、微笑ましい様子で見ている鈴太。そんな彼の横顔を、こそこそと見つめながら……弥生が紅茶を、ちびりちびりと飲んでいたが、鈴太は気づいていないようであった。
喉が渇いていたのか、一息でお茶を飲みきった桂子は、缶から口を離すと、鈴太に向かってお礼の言葉を述べつつ、質問を投げかけた。
「ご馳走様でした。あの、勇先輩、この後って、何か予定とかあるんですか?」
「ん? いや、特にこれといった用事もないけど」
「そうなんですか。陸上分の練習も、もうすぐ終わりますし……でしたら、一緒に帰りませんか?」
桂子の言葉に、弥生が物言いたげな様子で鈴太を見る。鈴太はというと、桂子の言葉に、特に気負った様子もなく、快く承諾の返事をしていたのだったが。
「ああ、別に構わないよ。帰りに、どこかに寄ってくの?」
「はい、ちょっとおなかも空いたし、ファーストフードに寄りたいなあって思ってますけど」
「そうか、分かった。付き合うよ」
鈴太の言葉に、桂子が嬉しそうに顔をほころばせる。それとは対照的に、落ち込んだ様子で、両手に紅茶の缶を握ったまま、俯いてしまう弥生。
そんな弥生の様子に、気が付いたのは桂子のほうだった。彼女は、俯いた弥生をみて、僅かに考え込む仕草をした後で、微笑みながら、彼女に声をかけた。
「そうだ、弥生ちゃんも、一緒に帰らない? 人数は、多いほうが、きっと楽しいだろうし」
「ぇ、でも……」
「良いですよね? 勇先輩」
「ああ、俺は構わないけど」
桂子に話を振られ、鈴太は特に異論はないといった風な様子で、相槌を打つ。鈴太の言葉に、桂子は笑顔で右手を翻した。
少し離れた場所にあるゴミ箱に、空になったお茶の缶が、放物線を描きながら、からんと音を立てて吸い込まれていった。
「それじゃあ、決まりですね。私は、練習を終わらせてから部室に向かいますから、待っていてくださいね」
「ぁ、ぁの」
「ん?」
そろそろ、休憩も終わりとばかりに踵を返した桂子。そんな彼女を、小さな声で弥生が呼び止めた。
どうしたの? という風に振り向く桂子に、弥生は、小さな声ではあるが、はっきりと言葉を口にしたのだった。
「ぁ、ぁりがとぅ」
「――――うん、それじゃあ、また後でね。勇先輩も、また部室で」
「ああ、頑張ってね、鹿島さん」
「はいっ」
鈴太の言葉に、元気をもらったという風に、溌剌とした笑顔を見せると、桂子はグラウンド内の、トラックに向かって走っていく。
桂子が、再び練習を再開し、力強いストライドでグラウンドを走り出す。しばらくの間、その光景を見つめた跡で、鈴太は、傍らにいた弥生に顔を向けた。
「それじゃあ、俺達は、先に部室に戻っていようか」
「――――はぃ」
鈴太と同じように、桂子に視線を向けていた弥生は、鈴太に言葉をかけられて、こくりと頷く。
夕焼けに照らされた彼女の顔に浮かぶ表情は、普段の気弱な感じの中に、嬉しそうな表情を加えた、そんな、はにかんだ様な笑顔を、鈴太に見せていたのだった。
「――――甘い。つーか、桂子、あんた大甘じゃないか?」
「甘い………って?」
それからしばらくして、陸上部の練習を終えて、文芸部室に向かった桂子は、約束していた鈴太や弥生と一緒に帰ることになった。
たまたま、部室に残っていた山幸も、ついでだから一緒に帰ろうと桂子が誘い、4人での下校と相成ったのである。この後は、近くのファーストフードで一服する予定だった。
今は、通学路を歩いての下校中、鈴太と弥生が並んで歩き、少し離れた後方を、桂子と山幸が歩いている。
鈴太や弥生と、一緒に下校することになった顛末を、山幸が聞き、一連の会話を桂子が説明した後で、山幸が放った第一声が、先ほどの言葉だった。
「だーから、せっかくユーレイ先輩と帰るチャンスだったのに、アタシもそうだけど、他の面子も引き込んでどうするのさ? 二人きりになれるチャンスだったのに」
呆れた顔をする山幸の言葉に、少し考え込むような素振りを見せた後で、桂子は少し表情を曇らせて、山幸に問いたずねた。
「伊万里ちゃん……ひょっとして、誘っちゃって迷惑だったかな? 何か、先約があったとか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど――――桂子は、ユーレイ先輩のこと、好きなんじゃないの?」
「うん、尊敬しているよ。部活にあんまり出れない私にも気を使ってくれるし、良い人だなって」
即答する桂子。大真面目に、そんなことを言う友人の言葉を聞きながら、山幸は前を歩く鈴太と弥生を見る。
なにやら、世間話に興じている二人。といっても、鈴太が話を振り、それに対して言葉数少なく、弥生が応じているといった感じだが。
それでも、一方通行の会話には見えないのは、気さくな様子の鈴太の頑張りか、そんな鈴太に、会話が苦手ながらも合わせようとしている弥生の頑張りか、両方だろう。
「鴛も、ユーレイ先輩の事、好きみたいだけどね。鴛のことは、どう思ってんのさ」
「鴛さん? そうだね、せっかく同じ部活になれたんだし、仲良く出来たら良いと思ってるよ。クラスが違っても、仲良くなれるかなぁ。
伊万里ちゃんと、大木さんや鈴原さんみたいな関係に――――って、どうしたの?」
「いや、なんでもないわ。桂子がそれでいいなら、良いんだけどさ」
脱力したように、肩を落とす山幸を見て、いま一つ良く分かっていないという表情で小首を傾げる桂子。
そんな彼女の両肩に手を置いて、山幸は、至極真面目な顔で、気負った風に言葉を投げかけた。
「とにかく、アタシは桂子を応援するからね。負けるんじゃないよ」
「……? あ、ありがとう、応援してくれて」
エールを投げかけられたほうは、何を応援されているのか、いま一つ分かっていないようであったが。
見解の相違というか、桂子の、鈴太に対する好意の度合いを、山幸が履き違えているのか、桂子自身が自覚していないのか……おそらくは両方であろう。
ともかく、言いたいことを言って、多少は気が晴れたのか、山幸は桂子の肩から手を離すと、前を行く鈴太に、大声で呼びかけたのであった。
「ユーレイ先輩、スマバにいったら、なに食べるんです?」
「ん? いや、特に決めていないけど……山幸さんは、決めているの?」
「アタシは、スマバにいったら、牛丼一択っすよ。ポテトとか、バーガー類もいいけど、がっつり食べたきゃ、まず米ですから」
ちなみに、スマバとは、これから鈴太たちが行こうとしている、ファーストフード……スマートバーガーの略称である。
全国規模のチェーン店ではなく、県下一帯に複数店舗を構える系列店のひとつであり、地元のサラリーマンや学生の利用者で、それなりに流行っている様子であった。
山幸の返答に、鈴太はというと、呆れ顔になる。帰りに買い食いをするにしても、もう少し軽い食べ物があるだろうにと思っているようであった。
「帰ってから、夕食も食べるんだろ? よく、そんなに入るよな」
「はは、育ち盛りっすからね。まだまだ、食べて寝て、背も伸ばしたいっすから」
「食っちゃ寝ばかりだと、背は伸びないと思うけどなぁ………」
「なに言ってるんすか、寝る子は育つって、科学的にも証明されていたはずですよ」
ワイのワイのといいながら、鈴太達は通学路を歩いていく。気さくな様子で鈴太と話す山幸。
そんな二人様子を、どこか羨ましそうな表情をしながら、ちらちらと見つつ、弥生は鈴太の横を歩いている。話に加わりたいが、なかなか踏ん切りが、つかないようであった。
桂子はというと、鈴太達の少し後方を歩きながら、そんな光景を見つめて楽しんでいるようであった。
少なくとも、彼女にとっては………今のこの位置は、居心地の良い空間であり、積極的に変えようとは思っていなかったようである。
夕暮れの通学路。落ちかかった日が、歩く皆の影を細長く映し――――のっぽの影人形のように、地面に黒々とした人型を映し出していたのだった。
ここまでで、一区切り。
まだまだ、彼らのお話は続いていきますが、今はひとまずこの辺で。
文芸部室のユーレイ君Ⅱは、発表未定となっております。




